日記の内容は本当に日々の細々としたことばかりで、彼の家族への愛情が手にとるように感じられた。
リンドグレーン氏はとてもお洒落で茶目っ気のある、いたずら好きのお父さまだった。
周囲の人たちを驚かすことが生きがいで、あの別荘に招待したゲストに対しても、実にさまざまなサプライズを仕掛けては楽しんでいる。
その計画と実行に至るまでの経緯が、この日記に残されていた。
灯台の門と鍵の謎も、ここにヒントが記されている可能性は高い。
一週間という期限も迫ってきた頃、ようやくページは事故当日の日付に行き当たる。
その日の日記には、彼の深い怒りと悲しみが淡々と母国語で綴られていた。
無理もない。
もう会話を交わすことの出来なくなってしまった少女は、その後も彼の心の中でずっと生き続けていた。
氏は日記の中で、二度とこんな事件を起こさないようにと、灯台の門を封印することを決意する。
「じゃあ鍵穴のないあの扉は、リンドグレーン本人の製作だってこと?」
キッチンでパスタを茹でる卓己が振り返った。
「そういうことみたい。見て。この設計図」
日記のページを開いたとたん、真っ先にのぞきこんだのは佐山CMOだ。
今夜はなぜか、偶然にも順番に二人がうちに押しかけてきていて、卓己は私のリクエストしたクリームサーモンのパスタを作りながら、佐山CMOはソファでのんびりくつろぎながら、日記解読に協力してくれている。
「卓己くん。その灯台の門扉には、本当に鍵穴がないんですか?」
「そうなんですよ、それは見事につるつるで」
「うわー。僕も実際に見てみたいなぁ!」
佐山CMOはウキウキで目を輝かせているが、これ以上部外者を増やすわけにもいかない。
「今回はギャラリーが多いから無理。千鶴ちゃんもいるのに、佐山CMOまで押しかけたら、充さんも迷惑だよ」
「え? 千鶴ちゃんって、もしかしてアートフェスの時に卓己くんと一緒に来てた古川千鶴のこと?」
佐山CMOは、突然身を乗り出した。
「えぇ、そうなんですよ。彼女もこの件に興味があって」
「いいですよねー。彼女の力強い線とストローク! それでいてあの細やかで繊細かつ執拗なまでの緻密な描写は、独自のものですよ!」
「あはは。だから僕も、彼女を事務所に誘ったんです」
アートオタクによるオタク談義はどうでもいい。
しかし、この日記にからくり扉の記述が残されていたことはありがたい。
私は見てもよく分からない設計図を穴の開くほど凝視している。
「ですが、颯斗さんはこの日記のことをどこで?」
「はは。お恥ずかし話ですが、紗和子さんにお願いしてどうにか教えてもらいました」
卓己は焼き上がったサーモンののったフライパンに、生クリームをジュッと流し込んだ。
「さ、紗和ちゃん。その扉……の設計は、彼のオリジナルで、あって、著作権にも関わる秘密……だ、だから、あ、あんまり他の人には、見せ……ちゃ、だめだよ。そもそも、か、借りてきたみつ……。他のひ、人の日記だ、し……」
「はーい。分かってまーす」
灯台の入り口を塞いだ門は、結構な厚みがあるらしい。
氏の日記によると中は空洞になっていて、そこにややこしいカラクリが仕掛けられていた。
それらを解き放つ錠前は、チェーンで結ばれ門の最上部に隠されているらしい。
「あの門の上に、そんなのあった? 卓己は見てた?」
「い、いや。ぼ、僕は、あの時、そこま……で、行ってなかっ……た、から」
「あぁ、そうか」
ちっ。役立たずめ。
「い、いま、役立たず……。とか、思ったでしょ」
卓己がテーブルにコトリと皿を置いた。
私は借り物の日記をパタンと閉じる。
「わーい。ご飯できたの? おいしそう! いただきまーす」
今日のメニューは、ホウレンソウと鮭のホワイトパスタだ。
卓己は私の好きなものなら、なんだって作ってくれる。
「卓己くん。その先輩のお宅には、今度はいつかれるんです?」
「すぐ次の土曜日を予定しています」
それを聞いた瞬間、佐山CMOは持っていたフォークをぽろりとテーブルに落とした。
両手で顔を覆い、絶望に打ちひしがれている。
「次……の、土曜ですか。僕はどうしても抜けられない仕事でアメリカですね……。あぁ、なんてことだ。もう少し早く予定が分かっていれば……」
「あらー、CMO! それは大変残念ですねー。だけど会社のために、しっかりお仕事してきてくださーい」
「くっ。君は絶対、そんなこと本気で思ってないだろう! いなくてラッキーぐらいにしか思ってないんじゃないのか?」
「なんでそんなこと言うんですか。私は寂しくてしょうがないのにー」
「はは。颯斗さん。アメリカには、どういったご用件で行かれるんですか?」
出会った瞬間から仲良しな、男2人の会話は弾んでいた。
私はようやくつかめそうな手がかりに、ついフォークを片手に日記のページをめくる。
「あ! さ、紗和ちゃん。お行儀がよくないよ。それは先輩から借りてきた、大切な日記なんだから……。ね」
「そうだぞ! 貴重な資料にパスタソースを飛ばす気か!」
だからそうならないように、思いっきりお皿からは遠ざけたつもりだし。
「リンドグレーンが灯台の錠前作りを頼んだのは、カミル・ベッカーっていう人なんだって」
何気なく放ったその一言に、二人はガバリと立ち上がった。
「さ、さわちゃ……。ど、どこにそんなことが書いてあるの!」
「見せなさい。今すぐそのページを見せなさい!」
そこを開いたまま日記を渡すと、興奮した二人は必死で何かをしゃべり始めた。
この二人の飛ばすつばの方で、日記が汚れそうだ。
私はそんな2人を眺めながら、クリーミーなパスタをフォークで巻き取る。
卓己の手料理はいつだって優しい味がする。
佐山CMOのスマホが振動した。
「あぁ。もう時間だ。俺は行かないと……」
「僕の作ったパスタ、食べていってください」
佐山CMOは皿を持ち上げると、勢いよくフォークを手に取った。
「この顛末は仕事から戻ったら、必ず聞かせてもらうからね。俺も実際にその灯台が見たいし、その先輩にも、絶対紹介してもらうから!」
「はいはい。いいから急いでくださいCMO。お時間が迫ってますよ」
ガツガツと卓己の作ったパスタをかき込みながらも、ぐちぐちと小言を残すことは忘れない。
バタバタと慌ただしく佐山CMOが出て行った後で、卓己は空になったお皿を片付けると、残っていた自分のパスタを食べ始めた。
私は白ワインを飲みながら、続きのページをめくる。
リンドグレーン氏はとてもお洒落で茶目っ気のある、いたずら好きのお父さまだった。
周囲の人たちを驚かすことが生きがいで、あの別荘に招待したゲストに対しても、実にさまざまなサプライズを仕掛けては楽しんでいる。
その計画と実行に至るまでの経緯が、この日記に残されていた。
灯台の門と鍵の謎も、ここにヒントが記されている可能性は高い。
一週間という期限も迫ってきた頃、ようやくページは事故当日の日付に行き当たる。
その日の日記には、彼の深い怒りと悲しみが淡々と母国語で綴られていた。
無理もない。
もう会話を交わすことの出来なくなってしまった少女は、その後も彼の心の中でずっと生き続けていた。
氏は日記の中で、二度とこんな事件を起こさないようにと、灯台の門を封印することを決意する。
「じゃあ鍵穴のないあの扉は、リンドグレーン本人の製作だってこと?」
キッチンでパスタを茹でる卓己が振り返った。
「そういうことみたい。見て。この設計図」
日記のページを開いたとたん、真っ先にのぞきこんだのは佐山CMOだ。
今夜はなぜか、偶然にも順番に二人がうちに押しかけてきていて、卓己は私のリクエストしたクリームサーモンのパスタを作りながら、佐山CMOはソファでのんびりくつろぎながら、日記解読に協力してくれている。
「卓己くん。その灯台の門扉には、本当に鍵穴がないんですか?」
「そうなんですよ、それは見事につるつるで」
「うわー。僕も実際に見てみたいなぁ!」
佐山CMOはウキウキで目を輝かせているが、これ以上部外者を増やすわけにもいかない。
「今回はギャラリーが多いから無理。千鶴ちゃんもいるのに、佐山CMOまで押しかけたら、充さんも迷惑だよ」
「え? 千鶴ちゃんって、もしかしてアートフェスの時に卓己くんと一緒に来てた古川千鶴のこと?」
佐山CMOは、突然身を乗り出した。
「えぇ、そうなんですよ。彼女もこの件に興味があって」
「いいですよねー。彼女の力強い線とストローク! それでいてあの細やかで繊細かつ執拗なまでの緻密な描写は、独自のものですよ!」
「あはは。だから僕も、彼女を事務所に誘ったんです」
アートオタクによるオタク談義はどうでもいい。
しかし、この日記にからくり扉の記述が残されていたことはありがたい。
私は見てもよく分からない設計図を穴の開くほど凝視している。
「ですが、颯斗さんはこの日記のことをどこで?」
「はは。お恥ずかし話ですが、紗和子さんにお願いしてどうにか教えてもらいました」
卓己は焼き上がったサーモンののったフライパンに、生クリームをジュッと流し込んだ。
「さ、紗和ちゃん。その扉……の設計は、彼のオリジナルで、あって、著作権にも関わる秘密……だ、だから、あ、あんまり他の人には、見せ……ちゃ、だめだよ。そもそも、か、借りてきたみつ……。他のひ、人の日記だ、し……」
「はーい。分かってまーす」
灯台の入り口を塞いだ門は、結構な厚みがあるらしい。
氏の日記によると中は空洞になっていて、そこにややこしいカラクリが仕掛けられていた。
それらを解き放つ錠前は、チェーンで結ばれ門の最上部に隠されているらしい。
「あの門の上に、そんなのあった? 卓己は見てた?」
「い、いや。ぼ、僕は、あの時、そこま……で、行ってなかっ……た、から」
「あぁ、そうか」
ちっ。役立たずめ。
「い、いま、役立たず……。とか、思ったでしょ」
卓己がテーブルにコトリと皿を置いた。
私は借り物の日記をパタンと閉じる。
「わーい。ご飯できたの? おいしそう! いただきまーす」
今日のメニューは、ホウレンソウと鮭のホワイトパスタだ。
卓己は私の好きなものなら、なんだって作ってくれる。
「卓己くん。その先輩のお宅には、今度はいつかれるんです?」
「すぐ次の土曜日を予定しています」
それを聞いた瞬間、佐山CMOは持っていたフォークをぽろりとテーブルに落とした。
両手で顔を覆い、絶望に打ちひしがれている。
「次……の、土曜ですか。僕はどうしても抜けられない仕事でアメリカですね……。あぁ、なんてことだ。もう少し早く予定が分かっていれば……」
「あらー、CMO! それは大変残念ですねー。だけど会社のために、しっかりお仕事してきてくださーい」
「くっ。君は絶対、そんなこと本気で思ってないだろう! いなくてラッキーぐらいにしか思ってないんじゃないのか?」
「なんでそんなこと言うんですか。私は寂しくてしょうがないのにー」
「はは。颯斗さん。アメリカには、どういったご用件で行かれるんですか?」
出会った瞬間から仲良しな、男2人の会話は弾んでいた。
私はようやくつかめそうな手がかりに、ついフォークを片手に日記のページをめくる。
「あ! さ、紗和ちゃん。お行儀がよくないよ。それは先輩から借りてきた、大切な日記なんだから……。ね」
「そうだぞ! 貴重な資料にパスタソースを飛ばす気か!」
だからそうならないように、思いっきりお皿からは遠ざけたつもりだし。
「リンドグレーンが灯台の錠前作りを頼んだのは、カミル・ベッカーっていう人なんだって」
何気なく放ったその一言に、二人はガバリと立ち上がった。
「さ、さわちゃ……。ど、どこにそんなことが書いてあるの!」
「見せなさい。今すぐそのページを見せなさい!」
そこを開いたまま日記を渡すと、興奮した二人は必死で何かをしゃべり始めた。
この二人の飛ばすつばの方で、日記が汚れそうだ。
私はそんな2人を眺めながら、クリーミーなパスタをフォークで巻き取る。
卓己の手料理はいつだって優しい味がする。
佐山CMOのスマホが振動した。
「あぁ。もう時間だ。俺は行かないと……」
「僕の作ったパスタ、食べていってください」
佐山CMOは皿を持ち上げると、勢いよくフォークを手に取った。
「この顛末は仕事から戻ったら、必ず聞かせてもらうからね。俺も実際にその灯台が見たいし、その先輩にも、絶対紹介してもらうから!」
「はいはい。いいから急いでくださいCMO。お時間が迫ってますよ」
ガツガツと卓己の作ったパスタをかき込みながらも、ぐちぐちと小言を残すことは忘れない。
バタバタと慌ただしく佐山CMOが出て行った後で、卓己は空になったお皿を片付けると、残っていた自分のパスタを食べ始めた。
私は白ワインを飲みながら、続きのページをめくる。