「CMOは、どうしておじいちゃんの作品が好きなんですか?」

 その質問に、彼は人懐っこいいたずらな笑みを浮かべた。

「ひみつ」

 あどけないその笑顔に、私は耳まで赤くした。
自分より年上の、背の高いその人を見上げる。

「ひみつって、別にいいじゃないですか」
「さあ、他の作品も見てまわろう」

 彼にエスコートされ、フロアを巡回する。
誰もが彼に話しかけようとして、私が隣にいることに遠慮していた。
その視線は嫉妬なのか嫌悪なのかよく分からない。
そりゃ他人のデート現場に足を踏み入れようとは思わないよね。
本当は私と佐山CMOは、全然そんなことないんだけど。

 スッと伸びた背筋に、楽しそうにアートについて語る横顔を見上げる。
こうやって彼は、今までに何人の女性と様々な時を過ごしてきたのだろう。

「佐山CMOは、イヤじゃないのですか」
「なにが?」
「注目されたり、世間の期待に応えていかなきゃって思うこと」

 誰かに聞いてみたくて、だけど決して聞くことの出来なかった問いを、初めて彼に投げてみる。

「別に」
「どうしてですか」

 彼はその端正で整った顔に、これ以上なく穏やかな笑みを浮かべた。

「自分以外に、自分はないから。それに悩んでも仕方なくない?」
「自分に嫌になることはないんですか」
「なることもあるけど、だからってどうしようもないでしょ。それで変われるものでもないし」

 数々の美術品の並ぶ中、彼は人魚姫をモチーフにした大理石の小さな彫刻の前で膝を曲げると、それに視線を合わせた。

「俺が本当になりたかった自分になれてるかって言ったら、そうでもないし」
「えっ」

 嘘だ。
避難の目を向けたら、彼は笑った。

「ね。だから他人から見た自分の評価なんて、意味ないんだって」

 人魚姫の彫刻は、小さな白く滑らかな肌をして柔らかそうに見えるのに、ちゃんと固い。

「自分が成功したと思ってるなら、それは成功だし、そうじゃないのなら、世界中からどれだけの羨望を浴びたって、負けだよね」

 彼は私の腰に手を回すと、それを引き寄せた。

「ま、俺がモテるのは、自分でもちょっと異常だと思ってるけど?」
「詩織さんの一件があっても、まだそう思ってるんですか?」

 私は近づきすぎた彼の体を押し返す。

「え? だって今まで会った女の子から、俺、嫌われたことないんだけど」

 冗談なのか本気なのか、どっちともとれるような顔でフンと鼻をならす。

「ま、それでも本当に好きな人から好かれないと、意味ないんだけどね」
「CMO、好きな人いるんですか? 誰です? 会社の人?」
「ひっみつー!」

 あははって笑って誤魔化すから、どれだけ問い詰めてもそれ以上は答えてもらえない。
じゃあ紗和子さんの好きな人を教えてくれたら教えてあげるよって言われても、そんな人なんていないんだからズルい。

「ほら、紗和子さんもやっぱり、俺のことが気になってきたでしょ?」
「なってません!」
「本当に?」

 私には眩しすぎる、その笑顔を向ける。

「俺は紗和子さんの好きな人がどんな人なのか、気になってるけど?」

 頭に血が上る。
目の前がくらくらするのは、返す言葉が見つからないから。
立ち尽くす私と佐山CMOの前に、おばさま三人組が現れた。

「あら颯斗さん。今日はまたずいぶんとかわいらしい女性を連れていらっしゃるのね」

 にこやかに私たちを取り囲んだのは、ギッタギタの宝飾品で身を固めた、おばさまたちだ。
彼女らがお金持ちなのはよく分かったけど、ファッションにセンスはない。
佐山CMOとおばさま方は仲がいいのか、彼は上機嫌で応えた。

「紹介しますよ。彼女は三上恭平氏の実のお孫さんです。僕が見つけて、連れてきたんですよ。凄いでしょ」
「まぁ! あなた、そうでしたの?」
「それはとっても素敵なことね」

 私は自分の持つ最高の愛嬌でもって、そのまなざしににっこりと微笑む。
彼女たちは大げさなほど私の容姿を「かわいい」などと褒めそやしてくれるけど、聞いてる方はむずがゆくて仕方がない。
いま来ている服は全部佐山CMOが選び着せられたものだ。
あからさまなお世辞にも、彼はまんざらでもないようだ。