「しかし、君の家に行った時は驚いたよ。三上氏の代表作、『白薔薇園の憂鬱』に描かれた、あの庭とそっくり同じじゃないか! あの絵は、実際に画伯の自宅庭園で描かれたものだってことは、知識としては頭に入っていたけど、まさか本当に今も残っているとは思いもしなかった」
「大変なんですよ。そのバラの管理が」
「いやー、それがとてもうれしくってね。ぜひ一度、薔薇の季節にお邪魔させていただきたい。実は君が本物かどうかを確かめるために自宅まで送っていったんだけどさ、驚いたよ! そこに現れたのが、日本の現代美術を牽引する第一人者、安藤卓己氏の登場だ。安藤氏は三上氏が唯一認めた弟子だってことは、業界でもよく知られている。あの日は興奮して眠れなかったよ、どうしてくれるんだ、僕の貴重な睡眠時間を!」
これだけ堂々と私ではなくおじいちゃん目当てで近づいたと、はっきり言ってくる人も珍しい。
この人は絵とか美術品、アートの話しになると終わらないので、最後に目に付いた紺のワンピースを持ち上げる。
試着室に入ろうとした時、彼の手がもう一つの別の服を差し出した。
「似たような服を前に着ていたじゃないか。却下。こっちを着てみて」
総レースの上品な淡い水色のワンピース。
シフォンのヨーロピアンワンピースだ。
ふわっふわ。
「私、こっちの方がいいです」
「買うのは俺だ」
佐山CMOは最初に私が手にした服を取り上げると、彼の選んだ服を押しつけた。
確かに、自分で選ぶとどうしても似たような服にはなってしまうけど……。
持たされた軽くて肌触りのいい生地がさらさらと肌に触れている。
こんなかわいい服、着たこともないし、もちろん持ってもいない。
それなのに、私が躊躇している間にも、そのまま試着室に押し込められてしまった。
どうしよう。
こんな服、絶対似合わない。
ブラウスのボタンをひとつずつ外してゆく。
渋々腕を通す真新しいヨーロピアンワンピースのひんやりとした生地が肌に冷たい。
ふわりとしたそれに身に包むと、試着室の大きな鏡の前には、今まで見たこともない自分が立っていた。
「どうですか? 開けて大丈夫です?」
カーテンの外に出る。
いつの間にか、服に合わせた靴も用意されていた。
「あぁ、いいじゃないか。よく似合ってる」
彼はそう言うと、ふわりと手を差し出した。
その自然な仕草に、反射的に腕を伸ばす。
彼の手が私の手を掴んだ。
「さぁ、急ごう。オークションが始まる前に、じっくり見ておきたいからね」
「あ、あの! あんまり似合ってないんじゃ……」
「俺の見立てに間違いがあるわけないだろう。来ていた服と靴は自宅に送らせるよう手配しといたから、心配ない」
向けられた笑顔に、目を細める。
誰かの笑顔がこんなにも眩しいと感じたことなんてなかった。
着なれない服のせいか、隙間から吹き込む風がスースーと冷たい。
手から伝わる彼の体温が、自分の以上に熱く感じた。
胸の鼓動が必要以上にうるさすぎて歩きにくい。
待たせていた車に乗り込むと、すぐに動き始めた。
柔らかなシートに身を沈め、彼の話に相槌を打つ。
何を言ってるのかなんて、内容は全く頭に入ってこなかった。
彼の隣に座っていることが急に恥ずかしくなって、ずっとうつむいている。
夢みたいだ。
こんなことが起こるなんて。
「どうかした? 気分でも悪い?」
「いえ。……ここから会場は、遠いんですか?」
「すぐだよ」
にこっと微笑む彼の澄んだ目に、私は確信した。
あぁ、そうだ。
これは「夢みたい」じゃなくて、「夢」だ。
着てる不釣り合いな服も大嫌いな自分の姿も、鏡さえ覗かなければ自分じゃ見られない。
それが似合ってないことにも気づけないから、分からない。
嫌なことも知らずにすむ。
だから一日、夢をみて過ごそうと思う。
せっかくの誕生日なんだから、今日だけは許してください。
巨大ビルの車寄せに滑り込むと、私たちは会場へ向かった。
「大変なんですよ。そのバラの管理が」
「いやー、それがとてもうれしくってね。ぜひ一度、薔薇の季節にお邪魔させていただきたい。実は君が本物かどうかを確かめるために自宅まで送っていったんだけどさ、驚いたよ! そこに現れたのが、日本の現代美術を牽引する第一人者、安藤卓己氏の登場だ。安藤氏は三上氏が唯一認めた弟子だってことは、業界でもよく知られている。あの日は興奮して眠れなかったよ、どうしてくれるんだ、僕の貴重な睡眠時間を!」
これだけ堂々と私ではなくおじいちゃん目当てで近づいたと、はっきり言ってくる人も珍しい。
この人は絵とか美術品、アートの話しになると終わらないので、最後に目に付いた紺のワンピースを持ち上げる。
試着室に入ろうとした時、彼の手がもう一つの別の服を差し出した。
「似たような服を前に着ていたじゃないか。却下。こっちを着てみて」
総レースの上品な淡い水色のワンピース。
シフォンのヨーロピアンワンピースだ。
ふわっふわ。
「私、こっちの方がいいです」
「買うのは俺だ」
佐山CMOは最初に私が手にした服を取り上げると、彼の選んだ服を押しつけた。
確かに、自分で選ぶとどうしても似たような服にはなってしまうけど……。
持たされた軽くて肌触りのいい生地がさらさらと肌に触れている。
こんなかわいい服、着たこともないし、もちろん持ってもいない。
それなのに、私が躊躇している間にも、そのまま試着室に押し込められてしまった。
どうしよう。
こんな服、絶対似合わない。
ブラウスのボタンをひとつずつ外してゆく。
渋々腕を通す真新しいヨーロピアンワンピースのひんやりとした生地が肌に冷たい。
ふわりとしたそれに身に包むと、試着室の大きな鏡の前には、今まで見たこともない自分が立っていた。
「どうですか? 開けて大丈夫です?」
カーテンの外に出る。
いつの間にか、服に合わせた靴も用意されていた。
「あぁ、いいじゃないか。よく似合ってる」
彼はそう言うと、ふわりと手を差し出した。
その自然な仕草に、反射的に腕を伸ばす。
彼の手が私の手を掴んだ。
「さぁ、急ごう。オークションが始まる前に、じっくり見ておきたいからね」
「あ、あの! あんまり似合ってないんじゃ……」
「俺の見立てに間違いがあるわけないだろう。来ていた服と靴は自宅に送らせるよう手配しといたから、心配ない」
向けられた笑顔に、目を細める。
誰かの笑顔がこんなにも眩しいと感じたことなんてなかった。
着なれない服のせいか、隙間から吹き込む風がスースーと冷たい。
手から伝わる彼の体温が、自分の以上に熱く感じた。
胸の鼓動が必要以上にうるさすぎて歩きにくい。
待たせていた車に乗り込むと、すぐに動き始めた。
柔らかなシートに身を沈め、彼の話に相槌を打つ。
何を言ってるのかなんて、内容は全く頭に入ってこなかった。
彼の隣に座っていることが急に恥ずかしくなって、ずっとうつむいている。
夢みたいだ。
こんなことが起こるなんて。
「どうかした? 気分でも悪い?」
「いえ。……ここから会場は、遠いんですか?」
「すぐだよ」
にこっと微笑む彼の澄んだ目に、私は確信した。
あぁ、そうだ。
これは「夢みたい」じゃなくて、「夢」だ。
着てる不釣り合いな服も大嫌いな自分の姿も、鏡さえ覗かなければ自分じゃ見られない。
それが似合ってないことにも気づけないから、分からない。
嫌なことも知らずにすむ。
だから一日、夢をみて過ごそうと思う。
せっかくの誕生日なんだから、今日だけは許してください。
巨大ビルの車寄せに滑り込むと、私たちは会場へ向かった。