お前を愛することはないと言われた侯爵令嬢が猫ちゃんを拾ったら~義母と義妹の策略でいわれなき冤罪に苦しむ私が幸せな王太子妃になるまで~【猫殿下とおっとり令嬢】

 ボンッ! と音を立てて落ちたところは走っている馬車の上。

「何かしら?」

 窓から侍女が顔を出すが、馬車の屋根の上で軽く打った腰をなめる余には気付かず引っ込んでしまった。

 ――あの侍女、見覚えがあるぞ…… あ。婚約者と一緒にいた――名前は思い出せないが、クッキーの入ったバスケットを持っていた女だ。

 ということは、この馬車に乗っているのは余の婚約者か。

 予想通り、馬車はモンターニャ侯爵邸に着いた。余は素早く馬車から飛び降りると、使用人たちの足元をすり抜け、城壁わきの草むらを走り中庭へ入った。

 一体なぜ余は猫にされたのだ? その謎を解くため、手がかりを求めてロミルダの部屋に侵入してやろう。

 中庭に立つひときわ高い木によじ登り、開いている窓から屋敷の中にすべり込む。書斎机と壁に並ぶ本棚から察するに、この部屋は侯爵の執務室だろうか? 扉のあいだをひょろりとすり抜け、うす暗い廊下を歩く。

「大成功ですわ、お母様」

 若い女の声が聞こえて、余は足を止めた。

「あの粉を使ってロミルダはクッキーを焼きましたのよ。わたくし厨房をのぞいて確認しましたわ」

「ふっふっふっ。私が入れ替えたこの魔法薬を使ったのかい」

 ドアの下からのぞくと、濃い紫の髪をした女がガラスの栓をはめた怪しげな瓶を傾けている。中には白い粉が入っているようだ。 

 ――あの女は確か、モンターニャ侯爵の後妻だったな。アルチーナ夫人と言ったはずだ。

「第一王子は彼自身の宝物に姿を変えているだろう。いまごろ使用人が見つけて、宝物庫に閉じ込めているころさ」

 女はくっくっと笑い声を上げた。

 彼自身の宝物、と余は胸の内で繰り返した。なるほど――、あの白い粉は食べた者の姿が、その者の一番大切なものに変わってしまう魔法薬なのか! それで自分が一番かわいい毒見役に効かなかったわけだ。

「これで私の婚約者であるカルロ様が王太子になるわね!」

 藤色の髪の少女がほくそ笑む。あれは弟のカルロと婚約したドラベッラだな。

「そうだとも! お前は未来の王妃。私たち母娘でこの国を乗っ取るのだ。私の魔法薬なら国王さえ操れる!」

 母親が両手を広げた。その手には、妖しくねじ曲がった古い杖が握られている。

 こいつが占星術師の告げた魔女だったのか――! 何年も前から侯爵家に入り込んで、計画を練っていたのだ。

「お前は高貴な血を引いているのだよ、我が娘ドラベッラ」

 魔女は声をひそめてそう言うと、娘の頬に指をすべらせた。アルチーナ夫人は遠い異国の王女だったから、その話か?

「お母様だって。国王陛下の腹違いの妹ですわ」

 何を言っているんだ? 荒唐無稽な妄想に取りつかれているのか? 万一本当なら、濃くなりすぎた王家の血を薄めるため臣下から妃を娶るのに、全く意味をなさないじゃないか。

 これは一刻も早く父上に報告して、アルチーナ夫人の出自を調べてもらわねば――

 だがどうやって? 今の余は何をしゃべっても「にゃ」になってしまうではないか!

「にゃーにゃにゃぁ――」
(万事休す、か――)

 なんてことだ! こんなかっこいいセリフまで「にゃ」に変換されるとは! しかも腕を組んだつもりが前脚を合わせてエサちょうだい! のポーズをしているようではないか! 美貌の貴公子と呼ばれてきた余が――くぅぅっ、ショックすぎる……!

「今何か声が――」

 ドラベッラが立ち上がったので、余はあわてて廊下を走って逃げた。魔女親子につかまってはかなわん。

 せめても王宮へ帰る方法はないかと、猫の小さな足で侯爵邸を歩きまわっていると日が暮れてきた。突如騒がしくなったと思ったら、騎士団の連中がやって来たようだ。人の集まっている大回廊へ急ぐ。

「魔女め、ミケーレ王太子殿下を消してこの国を乗っ取る魂胆だな。お前を王宮へ連行する!」

 つかまったのか、と安堵して廊下からのぞくと、あろうことか騎士団長はロミルダを拘束している。

 そっちじゃない! 教えたいが伝えるすべがない。やきもきしていると侯爵令息オズヴァルドが出てきて騎士団長を追い返した。

 宰相を務める優秀なモンターニャ侯爵に似て、彼もできる男だと聞いているが、噂は本当のようだ。

 ロミルダを魔女と勘違いしている騎士団長は去り際に、

「魔女め、命拾いしおって」

 にくにくしげに吐き捨てた。

 ちっがーう! 魔女はすぐそこにおろうが!! たまらず余は飛び出した。

 目を覚ませ、騎士団長! 額にしがみつき、目をのぞきこむが―― 

「いてぇっ! いてててて!」

 大騒ぎしやがる。余の考えはまったく伝わらないのか! 余はいつもディライラの考えていることが分かったぞ!?

「いまいましい猫め!」

 騎士団長は余の首根っこをつかむと、ぽーんと放り投げた。居並ぶ騎士たちの頭がすごい勢いで眼下を流れてゆく。

(落ちる――)

 余は再び目をつむった。
 (落ちる――)

 目をつむった次の瞬間、

「猫ちゃん!」

 やわらかい両腕に、余は抱きとめられた。深い海のように美しい瞳が余を見下ろす。

「かわいそうに、怖かったわね」

(余の婚約者――)

 ロミルダは人差し指で、余の小さな額をなでてくれた。それからぎゅっと胸に抱き寄せて、余を自分の部屋に連れて行った。余の小さな頬にロミルダの胸が当たっている。母親の胸にすら一度も抱かれたことのない余が―― 猫でいるって最高なのでは!?

 しかし侍女は曲者だった。あろうことか余の両脚をつかむとひっくり返して、余のデリケートな部分を白昼の元にさらしたのだ!

「にゃ、にゃぁぁぁっ!!」
(や、やめろぉぉぉっ!!)

「ご覧ください。タマタマがついてるでしょう?」

「にゃ、にゃっ! にゃにゃあああ!」
(余の……余の―― ニャン玉があああ!)

 とんでもない女だ! 不敬罪で投獄してやりたい!

 すっかりすねて一人で毛づくろいしていると、ロミルダが飲み水を持ってきてくれた。この女は優しい。

 舌を出してぺちゃぺちゃと水を飲む余を、いとおしそうに見下ろしている。

「まあ、喉が渇いていたのね。かわいそうに」

 余の背中を彼女の大きな手のひらがすべってゆく。水を飲んでいるときはさわらないで欲しいと思いつつ、生まれてこの方誰かになでられたことなどない余にしてみれば、貴重な体験である。うむ、悪くない。

「ミケくん、かわいい!」

 しかしロミルダめ、暴走しおった。余の背中に顔をうずめスーハー呼吸している。

「にゃあっ!」
(やめたまえ!)

「ロミルダ様、猫が迷惑してますよ」

 侍女、よくぞ言った。と思ったらロミルダさらっと、

「してないわよ」

 している。思いっきり迷惑であるっ!

 なんだか背中がムズムズする。余はぶるぶるっと全身を震わせてロミルダの鼻息を振るい落としてから、身をくねらせて彼女が顔をくっつけたところをなめて毛並みを整えた。まったく余の高貴な毛皮に鼻息を吹きかけるとはけしからん!

 背中のついでに腰のあたりもなめ終わってロミルダのひざの上でくつろいでいると、彼女の細い指先が余のあごの下をさすってくれる。自分の舌が届かない場所なので実に気持ちが良いのだ。うっとり目を細めていると、

「あら、お耳の中がよごれていますわね?」

 と、余の尊い耳を引っ張ってのぞいた。

「にゃにゃ?」
(やめてくれないか?)

 見上げると、相好を崩す。

「かっわいい! 耳掃除してあげましょ」

「にゃぁぁ」
(やめろと言ったのだが)

「お返事できて偉いわね!」

 抗議しているのだがな? もしかしたらディライラも、余に文句を言っていたのかもしれない。意外なほど猫の言葉は通じぬものだな。

 だがロミルダの耳掃除は格別だった。耳の中だけでなく耳の周りも指先でさすってくれるのだが、これが最高に気持ちいい。鼻から額にかけて指先でなぞられると、恍惚として昇天しそうだ。

 半分眠っているうちに、侍女が余の食事を用意するため部屋を出て行った。いかん、猫の身体はすぐに眠くなるようだ。目を覚まそうとフルフル首を振って、ふとロミルダを見ると物思いに沈んでいる。

「にゃ?」
(どうした?)

 王宮からどのような沙汰が下るか不安なのであろう。余がなぐさめてやってもよいぞ。

「ミケくん、心配してくれてるの?」

 ロミルダは余の両脇に手を入れると軽々と抱き上げた。

「一人物思いにふけってしまってごめんなさいね」

 優しい声でささやくと、余を抱きしめ頬ずりする。迷惑――でもないかな。なんだろう、この気持は…… 不思議と満たされてゆく―― 安堵のため息をついたはずが、余の喉が猫のようにゴロゴロと鳴った。あ、今の余は猫なのだった。

「うれしい! ミケくんったらまだ会ったばかりの私を受け入れてくれるのね!」

 ロミルダは顔を輝かせて、いきなり唇を突き出して余に迫って来た。また吸われてはかなわん!

「にゃんにゃっ」
(それは好かぬ)

 片手でロミルダの顔を押し戻す。しかしロミルダめ、

「きゃぁっ、私のほっぺにミケくんの肉球が!」

 感動しておるだと? 余の拒絶を理解しておらぬのか?

「肉球っ! ぷにっ!」

 意味不明なうわごとを口走って余の手のひらを指先でつつくのだが、これが無性に不愉快だ。余が手を引っ込めても、

「かわいい! はぁはぁ」

 よだれを垂らしたロミルダが正気に戻る気配は無し。これが余の婚約者なのか? 色々と思っていたのと違うのだが…… 一ヶ月に一回、使用人がずらっと並んだ応接間で茶会をするだけでは、互いのことなど分からなかったようだ。こうして感情をあらわにする彼女は将来の王妃にふさわしいかは別にして―― かわいらしい女性ではある。

「ロミルダ様、猫のエサ作ってもらいましたよ」

 侍女が戻ってきて、余は解放された。銀食器から漂う、これまでに嗅いだことのないほど食欲をそそる香りに思わず伸びあがって侍女のスカートに爪を引っかけたら、冷たい目で見降ろされてしまった。まったく無礼である!

「お食事ですよぉ」

 一方のロミルダは愛情がこぼれ落ちそうなほほ笑みを浮かべ、木のさじでとろっとした食べ物を余の口まで運んでくれる。

 香りと食感から察するにささみと細切れの野菜を煮込んだものだと思うのだが、こんなに香り高い鶏肉は初めてだ。猫は嗅覚が鋭いせいだろうか。

 ロミルダは不器用なのか、断じて余の食べ方が下手なわけではないと信じているのだが、彼女の手にもおいしいものがたくさんついている。思わずぺろりとなめたら、

「きゃぁ、ミケくんの舌の感触ザラっとして最高ですわ!」

 歓喜の声を上げた。よほど余のことがかわいいのだな。

 あまりの旨さに完食しそうになったが、高貴な人間――いや、高貴な猫のすることではないので一口だけ残しておいた。

 食べ終わって見上げると、ここへどうぞと言わんばかりにロミルダが自分のひざをぽんぽんとたたいている。彼女の身体はやわらかくて気持ちいいので、遠慮なく乗らせていただく。優しく撫でられると眠くなってきて、毛づくろいもそこそこに目をつむった。 

「はぁぁ。かわいい……」

 よだれを垂らしそうな声で絶賛された。これほど人間の女に愛されたのは初めてだ。余の背中をすべる手のひらはやわらかくて、あたたかくて彼女の愛が伝わって来た。余は生まれて初めて、人間と心が通じたと感じた。余はもう人の言葉は話せないが、こんなふうに愛されるならずっと猫でいるのも悪くないかもしれぬ。
 目が覚めるとロミルダが満面の笑みで見下ろしている。そうか、余は居眠りしているだけでかわいいのだな。前脚を伸ばしてぐいーっとのびをすると、なぜかロミルダが手をたたいて喜んでくれた。

「うーん、気持ちよさそう! ミケくん、よく眠れましたねぇ。いい子いい子」

 耳の間をぽんぽんとなでられる。昼寝して「いい子」とは。これはもはや生きているだけで褒められるのかな?

「ミケくんはいい子だからシャワー浴びられるかな?」

「みゃお」
(当然だ)

「わぁ、本当にお利口さん!」

 なでまわされた余は思わず目を細めた。法律や歴史や政治学について家庭教師の問いに答えられなくても、乗馬や剣術が完璧にできなくても、余はお利口さんなのだ。ふむ、何にせよ褒められて悪い気はせんな。

「準備できたわ!」

 白絹のシュミーズ姿で現れたロミルダは輝くように美しく、それでいて色気もあり、余は眩暈(めまい)がした。まさか初夜を迎える前に彼女の下着姿を見ようとは――

「あら、ミケくんたらお口が半開きになっちゃって、ドレスを脱いだら驚かせちゃったかしら?」

「猫は服の違いが分かるほど視力が良くはないのでは?」

 失礼な侍女め! 確かに遠くのものはぼやけて見えるが、抱き上げられるほど近くにいるロミルダの服が変わったことくらい分かるわ!

 色タイルの敷き詰められた湯浴みの()は、古代の神々が水浴びする様子を描いた壁画に囲まれていた。王宮の湯殿ほど広くはないが、心地よい空間である。

「ぬるま湯かけますよ~」

 ロミルダが(かめ)の中にためた湯をちょろちょろと余の身体にかける。余の自慢の毛並みが濡れて気分が悪い。余はそろーりと浴室を抜け出そうとしたが、ロミルダに抱き上げられてしまった。

「怖いわよね。ごめんね」

「にゃにゃんっ」
(怖くなどないわっ)

「なるべく手早く終わらせるからね」

 ロミルダは自分がぬれるのも構わず余を抱きしめた。侯爵家に生まれながら、なんと献身的な女性だろう。余は彼女を誤解しておったと認めねばなるまい。いつもヘラヘラ笑っていると思っていたが、それは彼女の心からの笑顔だったのだ。

「あ~気持ちいい、気持ちいい」

 べつに余はちっとも気持よくないのだが、ロミルダは勝手なことを言いながら余の身体を泡で洗う。額に汗をにじませながらも楽しそうな彼女を見て、余は悔しいが少しだけ反省することにした。すべての人間に裏表があるわけではないらしい。

「綺麗になったわ! 冷えないうちにすぐ拭いてあげて」

 水のしたたる余は布を持って待機していた侍女に手渡された。この侍女、侯爵令嬢であるロミルダがびしょぬれになって余を洗っている間、顔色ひとつ変えずに突っ立っておった。わたくしお手伝いいたします、などと心にもないことを言ったりしないあたり、心臓に二、三本毛が生えているとみえる。

 ゴシゴシゴシ……

「にゃ、にゃぁぁぁ、にゃーん!」
(なっ、そんなに強くこするな! 痛いではないか!)

「サラ、もっと優しくしてあげて欲しいの」

 うむ、ロミルダに余の心が伝わってきたようだな。

「貸してちょうだい。こうやって――」

 ロミルダは侍女から余を受け取ると、自分の胸に余を押し付けながら、ぽんぽんと優しくたたくように水分を取ってくれる。

「みゃわ~ ごろごろ……」
(はうわ~ やわらかいのう……)

「ロミルダ様、オス猫が何やら不謹慎に喜んでおります。下着姿であることをお忘れなく」

 何を言い出すのだ、この侍女は! 余は猫! 不謹慎なことなど考えてはおらぬ!!

「嫌ねぇ、サラったら。うふふっ」

 まったく嫌な侍女だ。ほとんど余の気持ちが分からんのに、いらぬところだけ察しがよいとは。

 ロミルダと侍女二人がかりで何枚も布を使って乾かされたあとで、ブラッシングが始まった。王宮にいるころから使用人に身の回りの世話を焼かれてきた余ではあるが、ここまで大切にされるのは初めてである。

 余はありのままでいれば良いのだな。今のままで余は最高にかわいいお猫様なのだ。猫暮らし、控えめに言って最高である。こんなに愛されるなら一生猫でいたい。

 やや固めに作られたブラシが余の美しい毛並みを整えてゆく。ロミルダは器用にブラシの端を使って、余のあごの下を優しくマッサージしてくれる。極楽極楽。

「おとなしくしていて本当に賢いのね。ミケくんは」

 おお、初めて賢いと言ってもらえたぞ! 余はいつも父上を喜ばせようと、教育係に褒められようと必死で勉強してきたのだが、使用人どもは陰で「殿下の良いところはお顔だけ」なんぞと言っておった。知っているのだぞ!

 余はすっかりロミルダに心を許し、ごろんとあお向けになった。

「おなかの毛、ふしゃふしゃ~」

 いきなり広げた手のひらで余の腹をさわりまくるロミルダ。

「にゃ、にゃにゃん!」
(こら、やめんか!)

「あらごめんなさい! やさ~しくブラッシングしましょうね」

 ロミルダは力加減に細心の注意を払って、余の腹にブラシをかけた。大切にされているのがひしひしと伝わってきて、余は心まで満たされた。

「ふふ、ミケくんまたゴロゴロ言ってる」

 ロミルダもさらに笑顔になった。



 夜になると、花柄のネグリジェを着たロミルダがいじらしい表情で余に問うた。

「ミケくん、私と一緒に寝てくれる?」

「にゃぁ」
(よかろう)

 不安な気持ちで王宮からの沙汰を待つロミルダを一人にするわけにはいかぬ。せめて余が一晩中そばにいて、そなたの心の支えとなってやろう。

「みゃーお、にゃーん」
(良い夢を見るのだぞ、我がロミルダよ)

「やーん、かっわいい! かわいいわぁ、ミケくんったら!」

 ロミルダの表情がぱっと華やいだ。余の声を聞くだけで元気になるとはかわいいやつめ。……人間だったころの余にはとてもできぬ芸当だな。

 ヘッドボードに並んだクッションの中からお気に入りを一つ選んで、余はうずくまった。寝付くまでずっと、ロミルダは余の尻のあたりをぽんぽんとたたいてくれる。うむ、気持ち良い……ん? もしやこれは余が寝かしつけられているのでは?

 まあ良かろう。乳母さえ愛情をもって余を寝かしつけてはくれなかった。こんなふうに誰かと一緒に寝るのは、とても幸せなものだったのだな――



 深夜、余はふと目がさめた。猫の身体はしょっちゅう眠くなるが、人間ほど長時間眠らないようだ。

 カーテンの間からうっすらと月明りが差し込む中、ロミルダは静かに寝息を立てている。……愛らしい顔立ちをしておったのだな。

 婚約者の顔さえきちんと見たことがなかった。一生猫のままでロミルダと一緒にいたい。彼女に愛されていたい。

 余は彼女の頬をぺろりとなめた。精一杯の愛情表現だ。君はずっと孤独だった余に、初めて優しさを教えてくれた人間だから――



 だがその幸せは長く続かなかった。



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「私も生きているだけで褒められたいぞ!」

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 余は突然、王宮に戻されたのだ。

 昼のうたた寝から目をさますと、余は魔法陣の上に座っていた。周りを囲むのは宮廷魔術師たち。

「ミケーレ殿下!」

「転移魔法が成功した!」

 魔術師たちが口々に叫び、余に駆け寄ってくるとひざまずいた。

 あたりを見回すと彫刻された大理石の柱が立ち並ぶ空間――見覚えがある。猫の視界から見るとすべてが巨大に見えるが、王宮内に作られた魔術の()だ。

「この猫が殿下だと!?」

 騎士団長が馬鹿でかい声を出したので、余は思わずびくっと身体を震わせた。猫は人間より耳が良いのだ。勘弁してほしい。

「猫の姿にされておったのか!」

 宰相を務めるモンターニャ侯爵が納得してうなずいた。

 どうやら魔術師たちは、余を王宮へ戻す転移魔法を使ったようだ。どこにいるかも分からぬ人間を持ち物から特定して移動させるのは高度な魔術だ。大きな魔法陣と十人近い魔術師でようやく術を発動させられたのだろう。余が猫の姿に変えられてからずいぶん時間がかかったのも、そのために違いない。が、猫でいたときの時間感覚は人間と違うようで、何時間か何日か見当がつかぬ。

 ああ、あのままロミルダに愛されていたかった。王宮になど戻りたくはなかったのだ。

「ミケーレ殿下、こちらでお休みください。すぐにお姿を元に戻すための魔法薬を作ってまいります」

 丁重に扱われ、ふかふかのクッションを敷いたゆりかごに乗せられた。だがどれほど丁寧に抱き上げられても、愛情のこもったロミルダの両腕にはかなわぬ。

 用意された水をなめたり、人間用の塩辛い食べ物に辟易(へきえき)したり、眠ったりしているうちに、魔術師たちがまずそうな丸薬をうやうやしく持ってきた。

 余は一目見て分かった。これ絶対苦いやつにゃん!

 一瞬、このまま逃げてしまおうかとも思った。

 だがロミルダの冤罪を解くには、余が人間に戻ってアルチーナの悪事を話さねばならぬ。

 意を決して、まずい魔法薬を飲み込んだ。

 視界がぐんぐんと縮んでいく。

「お帰りなさいませ、殿下」

 宮廷魔術師たちがそろって(こうべ)を垂れる。

「で、殿下のお召し物を用意せぬか!」

 モンターニャ侯爵が慌てて叫んだ。愚か者どもめ、先に用意しておけばよいものを。ま、余もちっとも頭になかったから、いきなりボロンしてびっくりしたがな。

 服と共に用意された衝立(ついたて)のうしろで着替え終わった余は、改めて騎士団長を呼びつけた。

「騎士団長、余に魔法薬を盛った犯人はロミルダ嬢ではない。見当違いな捜査、ごくろうだったな?」

「も、申し訳ありませぬ」

 嫌味たっぷりにねぎらってやると、騎士団長は無駄にでかい図体を(ちぢ)こまらせた。

「それから猫はシャンデリアに向かって放り投げるものではないぞ?」

「へ?」

 顔を上げた騎士団長の顔面には、幾筋もみみずばれが走っている。

「あ、あわわわ…… まさかあの猫――」

 気付いたか。余の首根っこをつかんで放り投げたこの男を一発殴ってやりたいと思っていたが、顔面ストライプ柄を見て留飲を下げた。

「余が鋭い爪で描いてやったそなたの顔の模様、なかなか洒落(しゃれ)ておるではないか」

「ひ、ひぃぃぃっ、お許しを!」

「まあよい。真犯人さえ捕まえてくれればな」

 ロミルダを見習って心優しい人間に生まれ変わることを決心した余は、騎士団長をこれ以上いじめることはなく、アルチーナ夫人とその娘ドラベッラの会話について教えてやった。そして彼らの部屋に砂糖そっくりの魔法薬があったことも――。

「妻が魔女――」

 わなわなと震え出したのは余の話を聞いていたモンターニャ侯爵。

「そのような怪しげな者を後妻に迎え入れた私の責任でございます!」

 ひざまずき平伏する。

「侯爵に訊きたいのだが、アルチーナ夫人は異国の王女との話だったな? どこの国だ?」

 顔を上げた侯爵が突然、頭を抱えて苦しみだした。

「なんだこの頭痛は……!」

「殿下、恐れながら――」

 余の前に進み出たのはうしろに控えていた魔術師。

「侯爵閣下のこの症状は、魔女が魅了を使ったものと思われます!」

 なるほど、何年も前からだまされておったか。

「ああ……」

 モンターニャ侯爵は絶望にあえいで自分の両手を見下ろしている。

「では我が娘ドラベッラは魔女の血を引く子――」

 まあそういうことになるな。だが余にはもうひとつ気がかりなことがあるのだ。

「早急に令状を作成し、馬車と馬の用意を。くれぐれも我々の訪問を侯爵邸に告げないように。魔女親子に証拠隠滅されてはたまらんからな」

 彼らに指示を出し、余は父上の執務室へ急いだ。

 階段を上りかけたところで、下りてくる父上と鉢合わせした。その横には母上の姿もある。

「息子よ!」

 両腕を広げた父上は両目に涙をためていた。

「無事であったか!」

 ふたりのうしろに使用人たちが控えているところを見ると、報告を受けた彼らは魔術の間に向かっていたようだ。

 父上の腕に抱きしめられて、余は呆然としていた。父上はなぜこんなに取り乱していらっしゃるのだ? 跡継ぎを失ったら困るからか? いや、優秀な弟カルロがいるではないか。

「父上、母上、ご心配をおかけして申し訳ございませんでした」

 余はいつもの感情のない声でつぶやいた。

「うむ――」

 と言ったきり父上の言葉は続かない。余を抱く腕にさらに力がこもっただけだった。

 代わりに母上がハンカチで目元を押さえながら、

「お前が無事に戻ってきてくれて本当にうれしく思います」

 と涙まじりに言った。余は母上が苦手だ。子供のころ引き離されて育ったせいか、いまだにどう接してよいか分からない。弟はよく母上と王宮の庭園を散歩しているが、余はそれを自室の窓から見下ろすばかり。

 両親の思いがけない反応に困惑しつつ、

「父上、お尋ねしたいことがございます」

 余は父と共に執務室へ向かった。

「ドラベッラ嬢が申していたのですが――」

 アルチーナ夫人と父上が腹違いの兄妹だというのは真実(まこと)か、余は父上に問うた。

「ありえん!」

 父は第一声、強い口調で否定したが、それからふと眉根を寄せた。

「――決してあり得ぬ話とまでは言いきれぬのか……」

 大きな執務机に両ひじを乗せ、口もとで手を組んだ父のうしろの窓から、真っ赤な夕日が沈んでゆくのが見える。

「母上なら何か存じておるやも知れぬ」

「病床に()せっておられるお祖母(ばあ)様ですか――」

「体調の良いときを見計らって、それとなく訊いてみよう」

 先王である余の祖父は、余が幼いころに他界した。どんな人物なのか――忌憚ない言い方をするならば、婚外子を作るような人物なのか、余には分からない。

 執務室の扉がノックされ、宰相であるモンターニャ侯爵と騎士団長率いる騎士団が姿をあらわした。

「ミケーレ殿下、準備が整いました」

 騎士団長の言葉に、モンターニャ侯爵が覚悟を決めた面持ちで口を真一文字に結んでいる。これから彼の後妻と娘を捕らえに行くのだから、その胸中はいかばかりだろう……。

 モンターニャ侯爵のこれまでの貢献と、魔女の術にはまっていただけで本人の過失ではないことから、彼自身を咎めることは一切しないというのが父上の決定だった。小国である我が国にとって、モンターニャ侯爵の能力が惜しいためだろう。



 我々を乗せた馬車は日暮れの街を駆け抜けて、モンターニャ侯爵邸へ向かった。


・~・~・~・~・~・~・



次話、まま母と義妹の罪が暴かれる!
 ロミルダは、突然姿を消した三毛猫ミケを探し回った。

「ミケ、ミケ! どこに行ったの!?」

 ベッドの中、クッションの下、クローゼットの中など部屋中を確認したが、どこにもミケの姿はない。

「おかしいわ! 窓もドアも閉めきっているのに」

「猫は小さなすき間でも通ってしまいますから」

 悲嘆にくれるロミルダのために侍女のサラは、ほかの使用人たちにもお願いして屋敷じゅう探してもらったが、三毛猫は忽然と消え失せてしまった。

「あんなになついてくれる猫ちゃん、初めてだったのに――」

 魂の抜け殻になったロミルダは日が暮れたのも気づかず、夕食にも手をつけず、ベッドのはしに腰かけぼうっとしていた。

 いつも冷静な侍女サラもさすがになすすべがなく、窓から外を見下ろしていた。そんな彼女の目に入ったのは、屋敷の正門へ向かってくる馬車と馬の隊列。

「侯爵様のお帰りです――えっ!?」

 モンターニャ侯爵家の紋が入った馬車のうしろに見えるのは――

「王家の紋章入りの馬車ですわ。なぜこんな夜遅くに?」

 理由は分からないながらもサラは、放心状態のロミルダを立たせて身だしなみを整え始めた。



 中庭をはさんだ向かいの部屋では、アルチーナ夫人とその娘ドラベッラが祝杯を上げている最中だった。

「私の積年の願いが叶うのはもうすぐよ…… かか様、王家の血は再び私の娘を通して戻るのです!」

 アルチーナ夫人は、首から下げた小さなロケットにはさんだ肖像画へ語りかけていた。



「侯爵様のお帰り~ ――って、え!? 王太子殿下!?」

「静かにしろ。もてなしはいらん」

 身を乗り出した門番に、ミケーレ第一王子は声をひそめて告げた。一行はミケーレを先頭に、壁の燭台に照らされたうす暗い廊下を足早に進んだ。

「殿下、我が屋敷をよくご存知で」

 回廊でつながれた複雑な邸宅内を迷わず侯爵夫人の部屋へ向かうミケーレに、モンターニャ侯爵は驚愕している。

「猫の足で歩き回ったからな。位置記憶は人間より良いようだ」

 大きな木の扉の前で立ち止まると、

「ここが魔女の部屋だ」

 断りもなしに扉を開け放った。

 暖炉の前に置かれた布張りのソファでくつろいでいたアルチーナ夫人が振り返った。

「な――」

 なんですの、と言いかけた彼女は、扉を開けた彼の姿を見とめて言葉を飲み込んだ。あえかなロウソクの灯りにさえ(きら)めくブロンドが映りこむ薄い黄緑色の瞳を持つ青年――何度も会ったわけではないが、この印象的な美貌の持ち主はよく知っている。なぜなら魔法薬を盛った相手だから。

「なぜ!?」

 間抜けなことを口走ったのはアルチーナ夫人の横に座っていたドラベッラ嬢。クッキーを食べたはずの王太子が、なぜもとの姿に戻っているのだとでも問いたいのだろう。アルチーナ夫人は娘の背中に手を回し、腰のあたりをぎゅっとつねった。

「あの瓶に入っているのが魔法薬だ」

 ミケーレ王太子が指さしたのは、壁ぎわの飾り棚に並んだ瓶のひとつ。砂糖によく似た白い粉が入っている。

 宮廷魔術師と騎士が飾り棚に向かい、証拠品を押収すると同時に、騎士団長がアルチーナ夫人の腕をつかみ上げた。

「突然やって来てなんですの、あなたたち!?」

「しらじらしいぞ、魔女め」

 ミケーレの冷たいまなざしが、紫の髪を振り乱して叫ぶアルチーナ夫人を射た。

「魔女ですって!? 魔女はあの子ですわ、ロミルダとかいう恐ろしい娘!」

「貴様――」

 普段は無表情なことが多いミケーレの両眼が吊り上がった。

「この()に及んでまだあの心優しいロミルダに、罪をなすりつける気か!」

 恐ろしい気迫で低く叫ぶと、アルチーナ夫人の派手なドレスの胸倉をつかんだ。

「殿下、お気を付けください!」

 魔術師が叫んだ。

「目を見ると魅入られるかもしれません!」

 だがむしろアルチーナ夫人のほうが、野生の虎に睨まれた小動物のように動けなくなっていた。

「ふん、くだらん」

 吐き捨てるとミケーレはその手を離した。徹底して帝王学を叩き込まれた彼は、どんなときでも感情を抑えるように教育されてきたから、アルチーナ夫人を殴るなどという野蛮なことはしなかった。

「私が魔女だなんてどこから出た嘘ですの!?」

 アルチーナ夫人は泣き声を出して、助けを求めるように部屋の入り口に立つモンターニャ侯爵を振りあおいだ。

 侯爵は目をそらし、胸に下げたペンダントをぎゅっと握る。それはここへ来る前、魔女の魅了()けにと魔術師から渡されたものだった。

 娘のドラベッラも二人の騎士に両脇から拘束された。

「やめて! さわらないでよ!」

「こいつも魔女の娘だ。どんな危険な術を使うか分からんぞ!」

 騎士団長が部下の騎士たちに注意を促すが、二人とも泣き言を言ったり金切り声を上げるばかりで妖しい術を使う気配はない。

「ククク…… 嘘をつき通すために魔法を使って対抗できないというわけか」

 ミケーレがさも楽しそうに唇の端をゆがめた。

忸怩(じくじ)たる思いだろうな?」

 豪華なドレスに身を包んだアルチーナ夫人とドラベッラ嬢は、騎士団により廊下へ引きずり出された。

「身に覚えのない罪を着せられそうになったロミルダ嬢の気持ちを考えてみよ!」

 連行されてゆくうしろ姿に、ミケーレが言い放つ。

「お前たちは冤罪ではないだけマシな気分であろう! はっはっはっ!」

 笑顔さえほとんど浮かべないミケーレの笑い声に、モンターニャ侯爵は思わずその顔をまじまじと見つめそうになった。



「一体何が起こっているのかしら」

 ロミルダは彼女の寝室で、侍女サラと並んでバルコニーから見下ろしていた。騎士団は無理やり引っ張ってきた母娘を馬車に押し込み、正門から出て王宮の方角へ消えてしまった。

 だが王家の紋章付きの立派な馬車がもう一台、屋敷の下に止まったままだ。二人で不思議に思って顔を見合わせていると、誰かが扉をたたいた。

「ロミルダ嬢、余だ。そなたの婚約者、ミケーレだ」



・~・~・~・~・~・~・



ロミルダの部屋を訪れた王太子が彼女に伝えたいことは?
次話に続く! しおりをはさんでお待ちください♪
「ロミルダ嬢、余だ。そなたの婚約者、ミケーレだ」

 ロミルダは、はじかれたようにベッドから立ち上がった。

「殿下、今開けますわ!」

 部屋を横切る一瞬の間に、ロミルダの心にさまざまな思いがよぎった。

(殿下が私の部屋に直接いらっしゃるなんて! これまで応接間でしかお会いしたことありませんのに、どうして? そうだわ、お父様がお帰りになられたから、ご一緒にいらっしゃったのね。いいえ、そういう問題ではないの。殿下はいつも応接間で、お待ちになられていたじゃない……)

 毎月の茶会はたいてい王宮で行われたが、時にはミケーレ王太子が侯爵邸を訪れることもあった。応接間の窓際に立ち庭を見下ろす彼の冷たい横顔、部屋へ入ってきたロミルダを一瞥する興味のなさそうなまなざし――それらを思い出しながらロミルダは扉を開けた。

「ロミルダ! 不安にさせてすまなかった!」

 扉が開くや否やロミルダの両手をにぎった青年は、記憶の中のミケーレ殿下とは別人だった。いつもガラス玉のように冷たかった瞳には、情熱が宿っていた。

(殿下の手、あたたかい…… この方にも体温があったのね!)

 サラが聞いたら「それはそうでございましょう」と突っ込みそうなことを思いながら、ロミルダはゆっくりと首を振った。

「ミケーレ様がお謝りになることではございませんわ」

「――うむ。じゃ、こいつに謝らせよう」

 そう言って騎士団長を振り返るミケーレの目はいつも通り冷ややかで、ロミルダはちょっと安心した。

(熱でもあるのかと思いましたわ!)

 部下二人を従えた大柄な騎士団長に、ミケーレは厳しい口調で催促する。

「さっさとロミルダ嬢に謝らぬか。そちは魔女にだまされ、被害者である彼女を疑ったのだぞ?」

 言いとがめられた騎士団長は、小柄なロミルダに何度も頭を下げた。その顔面に走る猫の爪痕を見ながら、ロミルダはまた姿を消したミケのことを思い出して胸が苦しくなった。まさか目の前に張本人がいるとは思わない。

「ロミルダ、父からも謝罪させてくれ」

 大柄な騎士団長の陰からモンターニャ侯爵が声をかけた。

「私が再婚した女は魔女だったのだ」

「なっ……」

 この告白にはロミルダもサラも言葉を失った。

「今から侯爵邸の者全員に事の真相を告げたい。夜遅いから明日にしようかとも考えたが、アルチーナとドラベッラが連行されて使用人たちも不安に思っているだろう。大広間に来てくれ」

 ぞろぞろと全員で移動しようとしたとき、ミケーレ王太子が自分の護衛二人を手で払い、

「先に行け」

 と小声で命じた。同時にロミルダの腕をそっと引いたので、察しの良い侍女サラは自分も先に行くことにした。振り返らず、耳だけはそばだてて。

「ロミルダ、君は心優しい女性だ。君を愛さないなどと言った余が間違っていた」

 壁の燭台が照らす夜の廊下で、ミケーレは自嘲気味にささやいた。

「まあ、殿下――」

 驚いたロミルダの目に映ったミケーレの表情は、今まで見たことないほど優しかった。

(こんなお顔、猫ちゃんにしかされませんでしたのに……)

 不思議に思っていると、ミケーレがロミルダの手を取り、その甲に唇を近づけた。

「君がいとおしくてたまらないんだ」

 彼の低い声が甘い響きを帯びる。

「これから余のことはミケと呼んでくれ」

(んんん!?)

 ロミルダはぽかんとした。

「さ、行こう。皆の者を待たせてはいかんからな」

 言いたいことを告げてすっきりしたのか、ミケーレは意外なほど屈託のない笑みを浮かべて、優しくロミルダの肩に手を添えた。

「あの殿下、その、どうして――」

「殿下ではない。ミケである。ミケくんでも良いぞ?」

 自分で言っていて恥ずかしいのか、ミケーレはあさっての方を向いている。その整ったあごのラインを見上げながら、ロミルダは混乱していた。

(いえいえまさかね!)

「余の名はミケーレだし、ちょうどよいではないか! うむ、何もおかしいことはないぞ!」

 自分を納得させるようにうなずいている。

(何がちょうどいいのかしら!?)

 どこからどう訊こうか、あまりに失礼なのではないかと考えあぐねているうちに、二人は大広間に着いていた。

 すでに兄オズヴァルドに彼の侍従、使用人たちなど屋敷の者が集まっている。全員を見回したモンターニャ侯爵は、騎士団長とミケーレ王太子が見守る中、事の次第を包み隠さず打ち明けた。

(お父様のこうした実直さが、きっと国王陛下にも評価されているのね!)

 ロミルダは誇らしい気持ちで父を見つめていた。ポジティブが突き抜けている彼女の意識は、魔女だった義母と魔女の血を引く義妹には向かないのだ。

「この十五年間、私は何も気づかずに魔女と暮らしていた――」

 モンターニャ侯爵はうなだれ、唇をかんだ。 

「お父様、お顔をあげてください」

 ロミルダの声はいつもと変わらずやわらかい。

「お父様は以前から領地経営に忙しく、お兄様に引き継いだあとはいつも宮廷に出仕されていました。お義母(かあ)様と過ごす時間なんてほとんどなかったのですから、気付かれなかったのも無理ありませんわ」

「そうです、父上」

 兄オズヴァルドが進み出た。

「ここにいる者、みな誰も気づかなかったのです!」

(使用人たちの間では噂になっていたようですけれど)

 胸の内でこっそりつぶやいたサラの心の声を代弁するように、

「ふん、お前たちの目は節穴だな」

 ミケーレ王太子が言い放った。

「ロミルダとドラベッラ、二人のドレスを見比べるだけであの魔女が意地悪くロミルダを(しいた)げてきたことが分かるではないか!」

 きょとんとしているモンターニャ侯爵に、ミケーレはやや苛立ちながら説明してやる。

「アルチーナは自分の娘であるドラベッラにばかり、豪華なドレスを買い与えて着飾らせていたんだ。ロミルダ嬢はここ何年も、ドレスを新調していないのでは?」

「そうだったのか、ロミルダ!?」

 父に問われて、ロミルダは優しくほほ笑んだ。

「ええ。でもお父様、ご安心ください。私にはお母様が遺してくださったドレスがぴったりなのです。新しいドレスよりお母様の形見を着られるほうが私、うれしいのですよ」

「なんてことだ。全く気付かんかった……」

 侯爵が片手で額を覆い、

「俺もです、父上。妹たちをちゃんと見ていなかった。一緒に暮らしていないミケーレ殿下がお気付きになっているのに恥ずかしい限りです」

「そうだぞ。反省しろ」

 どこまでも居丈高なミケーレ殿下。

「余は見たのだ。ロミルダの部屋のクローゼットに並んだドレスは良いものではあるが、どれも昔のデザインばかりだったからな」

 誰もが、いつ殿下がロミルダ嬢の部屋にお入りになったのか、いつの間に二人の仲はそんなに進展したのかと疑問に思っていたが、野暮なことを訊くものではないと口をつぐんでいた。

 当のロミルダ本人も、まさか昨日クローゼットの中でかくれんぼしていた小さな三毛猫が、この偉そうな殿下だとは思わない。

「ロミルダ、父の選択がこの十何年間、ずっとお前を苦しめていたとは―― すまなかった。この通りだ」

 (こうべ)を垂れる侯爵に走り寄ったロミルダは、父を抱きしめ、その背中を優しくたたいた。

「私にはお父様もお兄様もいらっしゃいますし、侍女のサラを始め、お屋敷の方みんなが良くしてくれましたわ。苦しんでなどおりません」 

「ロミルダ」

 彼女の細い腕を引いたのはミケーレだった。

「余の妃になったら、そなたの父上と兄上と侍女と、この屋敷の使用人全員分を合わせてもとうてい足りないほどの愛で包んでやるからな」

 背の高いミケーレの腕の中で、ロミルダは少し戸惑っていた。

(猫のディライラちゃん一筋だった殿下が、いつの間に私を愛して下さったのかしら……?)

 せっかく自分を抱きしめてくれた娘を奪ったミケーレに、モンターニャ侯爵は嫉妬の炎を燃やしていた。

(若造め。娘を思う父の愛のほうが、政略結婚のお前より大きいに決まっておろうが! 王太子じゃなけりゃ一発殴って分からせてやるところだ!)



 こうして占星術師が予言した、魔女による王国乗っ取り計画は未然に阻止されたかのように見えたのだが――



・~・~・~・~・~・~・



地下牢に収監された魔女と義妹のその後は・・・?
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「簡単に処刑なんかされてたまるかい」

 鉄格子のはまった天窓から弱々しい月明かりが差し込む地下牢で、アルチーナ夫人は不敵な笑みを浮かべた。

「でもお母様、どうやってここから逃げますの?」

 モンターニャ侯爵との間に生まれた娘ドラベッラは、不安そうに母のドレスにしがみついている。

「しゃきっとおし、ドラベッラ。お前は王家の血を引く者なのよ?」

「だけどもう王家に嫁ぐことなんかできないわ!」

「そうさ。だからいっそのこと――」

 アルチーナ夫人は娘の頬を濡らす涙を指先でぬぐった。

「あんな王家はつぶしてやろうじゃないの」

 言うなり自分の大きく広がったスカートの内側に手を入れ、干し肉を取り出した。

「これでネズミでも引き寄せよう」

「嫌ですわ! 気持ち悪い!」

「黙って見ていなさい」

 放り投げた干し肉が、天窓の格子に引っかかった。



 ミケーレ王太子の居室にて、三毛猫ディライラは不機嫌になっていた。日が暮れてだいぶ経つのに、いっこうにごはんがもらえない上、いつも優しくなでてくれる飼い主も帰ってこない。

 人間の世界でどんな事件が起こったか分からないディライラは、普段彼女にお食事をお持ちする役目の侍従までもが、飼い主ミケーレに付き従ってモンターニャ侯爵邸に出かけたなど知るはずもない。

 ぴょんと飛び跳ね窓枠に乗ると、金色の取っ手にぶら下がった。彼女の体重で下がった取っ手に両手でつかまったままブンブンと身体を振ると、窓は手前に開いてしまった。賢いディライラは、人間の見ていないときだけ窓から出入りしていたのだ。

 バルコニーから階下のテラスへ、そこから屋根へひらりと飛び移り、大きな木を伝って王宮の庭園へ身軽に降りてゆく。人間の目には暗い月夜も、ディライラにとっては問題なし。庭園を横切るネズミを追って一目散に走ってゆく。

 ネズミが飛びついたのは鉄格子の上に乗った干し肉だった!

「!」

 こんなおいしそうなものにありつけるとは!

 ディライラは片手でネズミをひっぱたく。ミケーレ殿下の膝の上では優雅な彼女だが、飼い主がいないとアグレッシブだった。邪魔なネズミが茂みの中にすっ飛ぶと、干し肉にかぶりついた。

「おやおや、猫がやってきたよ」

 下から聞き慣れない人間の声がする。

「しかしあの猫、鉄格子の間を通れるのかね?」

 鉄格子の下から見上げる人間が、干し肉をぽーんと放り投げた。ディライラは格子の間から手を伸ばすが届かない。

 人間がまた肉を投げる。今度は格子の間に首を突っ込んだ。あまりにおなかがすいていて身を乗り出したディライラは、そのまま格子の間をすり抜けて落下した。

「おっと危ない」

 下にいた人間が抱きとめてくれた。

「ドラベッラ、この子に干し肉を食べさせて、おとなしくさせておいて」

 アルチーナ夫人は娘にディライラを抱かせると、大きなスカートの中にまた手を入れ、今度は小さな白い石を取り出した。

「お母様、何をされますの?」

「魔法陣を書くのよ。あなたはベッドの上にいてちょうだい」

 白い石で、地下牢の冷たい石畳に円と星と三角形が重なった複雑な図形を描いてゆく。

「完成したわ。そっちの魔法陣の真ん中に干し肉と猫を置いて」

 魔方陣は二つ描かれていた。一方の中心にディライラを座らせ、もう一方の真ん中にアルチーナ夫人が立った。

「これはお前が預かっていてちょうだい」

 アルチーナ夫人は首からロケットのついたネックレスをはずし、娘にたくした。それから小声で何やら聞き慣れない古い言葉を唱えだした。

我は汝(エーゴ・スム・トゥ)汝は我(トゥ・ミヒ・エス)

「きゃっ!」

 ドラベッラが小さく悲鳴をあげた。二つの魔法陣から光の柱が立ち上がったからだ。

「お母様?」

 光が収まった地下牢で、ドラベッラは不安げにアルチーナ夫人を見つめる。しかし彼女は魔法陣の上に座り込むと、ぺろぺろと自分の手をなめ始めた。

「どうされたの!?」

 眉根を寄せて様子をうかがうドラベッラのスカートを引っ張ったのは足元の猫。きょとんと見下ろすドラベッラの足を、安心させるようにぽんぽんとたたいた。

「まさか、入れ替わりの魔法!?」

 ゆっくりうなずくと三毛猫は牢屋の格子戸をするりと抜けて、地下牢の暗い廊下に消えて行った。



・~・~・~・~・~・~・



次話はロミルダとミケーレ殿下の様子に戻ります。

ミケーレの求愛行動(?)を華麗にスルーするロミルダだが――?
 モンターニャ侯爵邸の図書室――

 ロミルダは王妃教育の一環として、モンターニャ侯爵の前に宰相を務めていたブラーニ老侯爵から政治の講義を受けていた。足が悪い老侯爵は杖をつきながら、図書室内を歩き回って授業する。彼の目を盗んでロミルダがあくびをかみ殺していると、木彫りの扉がノックされた。

「どなたですかな? ただ今ロミルダ嬢が勉強中でございますぞ」

 老侯爵が片眼鏡の位置を直しながら扉の方へ声をかけると、

「余だ」

 ミケーレ王太子が姿を現した。

 昨夜はずいぶん遅くなったので、王太子と護衛の衛兵たち、それから騎士団長と部下の騎士たちはモンターニャ侯爵邸に泊まったのだ。おっとりとしているロミルダは何も気にしていなかったが、ミケーレは婚約者と一夜を過ごせるのではないかと胸を躍らせていた。

 しかしモンターニャ侯爵とオズヴァルド令息が満面の笑みを浮かべてミケーレを案内したのは、ロミルダの寝室から遠く離れた棟。賓客用に豪華にしつらえられた天蓋付きベッドの上で、ミケーレは涙を()んだのだった。

「ミケーレ殿下、何用(なによう)でございますかな?」

 ブラーニ老侯爵は先王を支えた有力貴族だけあって、若い王子に臆することはない。

「我々の会議は終わったのだが、ロミルダ嬢の勉強はまだ終わらぬのか?」

 ミケーレのうしろには、モンターニャ侯爵と騎士団長の姿も見える。

「あと四半刻ほどですが、なぜです?」

 老侯爵が扉の方へ向かったので、ロミルダはまぶたを閉じてこっそり仮眠を取る。未来の王妃たる者、机に突っ伏したりはしないのだ。姿勢をしゃんと伸ばしたまま眠るすべを心得ている。

「これから余は騎士団長と共に王都へ戻る。モンターニャ侯爵も宰相の仕事で王宮に出仕するそうだ。そこでだな! ロミルダも一緒に来てはどうだろう!?」

 急に声が大きくなるミケーレ。ロミルダは微動だにせず仮眠中。

「殿下、何を張り切っていらっしゃるのか存じ上げませぬが――」

「余はロミルダのそばにいたいのだ!」

 素直な言葉に老侯爵は口を閉ざした。しかし肝心なロミルダ嬢、聞いていない。

「宮殿にそなたのための寝室を用意しよう」

「いいえ殿下」

 口をはさんだのはモンターニャ侯爵。

「そこまでしていただくわけには参りません」

「モンターニャ侯爵、王宮にはそちの仮眠室があるというのに、娘には与えぬと申すか」

 侯爵は苦虫を噛み潰したような顔になって黙った。つい先日まで、ミケーレ王太子の冷たい人柄を嘆き、こんな男に嫁ぐ娘を憐れんでいた。だが、いざ娘が溺愛されると面白くない。

「ロミルダ、余と共に来てくれるか?」

「はいっ」

 呼びかけられたロミルダは覚醒した。

「喜んでお供させていただきますわ!」

 答えてから考えあぐねる。

(どこにお供するのかしら!? 寝てたから何も聞いてなかったわ!)

 今さら訊けないので、おとなしく王家紋章付きの金色に輝く馬車に乗り込んだ。

 となりに座ったミケーレ王太子は、ロミルダのほっそりとした腕にちらりと目をやって、彼女の手をにぎろうかにぎるまいか逡巡(しゅんじゅん)中。五分袖のレースから出た白い手は、か弱くも愛らしくて、自分の両手で包んでやりたい衝動にかられる。

 しかし今までずっと冷たく接してきたミケーレには、行動に移す勇気がなかった。代わりに窓の外を眺めながら、

「もうすぐ夏だな」

 どうでもいいことを話しかける。

「そうですわね」

 ロミルダもつられて窓の外に目を向けた。陽射しは強く、瞳に刺さるようだ。目を細めながら、

「王家の方々は夏の間、湖のほとりに建つ離宮へ行かれるのでしたっけ」

「毎年、避暑のためにな」

「では私たちのお茶会も、しばらくお休みですわね」

 臀部に馬車の振動を感じながら、ロミルダは何気なく発言したのだが、

「なっ」

 ミケーレは言葉を失った。

 昨日から挙動不審なミケーレを、きょとんと見つめていると、

「そなたも離宮へ来てはどうだろう? 婚姻の儀は秋だが、そなたはもう(きさき)も同然だろう」

「お父様とお兄様がお許しになるかしら」

 昨晩の二人の様子を思い出す。家族の様子をしっかり見ていなかったと責任を感じたモンターニャ侯爵は、寝室に引っ込むロミルダにもう一度、謝罪したのだ。

(それにドラベッラが罪人として連れて行かれて、憔悴しているようでしたわ……)

「反対するなら、あの二人も招待しよう。離宮は広い。来客用寝室もたくさんあるのだ。魔女騒ぎの骨休めにちょうどよかろう」

「ええ、それでしたら」

「うむ。帰城したら父上に提案しよう」

 ミケーレは一人で乗り気だった。 



「帰ったぞ、ディライラ」

 自室に帰るなり愛猫の名を呼ぶミケーレを見て、ロミルダは顔をほころばせた。しかし、

「おかしい。ディライラの姿がない。そなたのことを報告しようと思ったのに」

(私の何を報告するのかしら?)

 ちょっと疑問に思いつつ、ロミルダは広すぎる寝室を見回した。

「ベッドの下やソファのうしろに隠れているのでしょうか」

「いや、いつも余が帰ってくると飛んでくるんだ。昼寝していても起きて走ってきて、足元にスリスリして『ニャッ』と言うのだぞ。それからヘソ天してゴロゴロのどを鳴らして、なでなでを要求するのだが――」

 ミケーレが無駄に詳細な解説をすると、

「きゃーっ、かわいい!」

 ロミルダ大喜び。ふたりのうしろに付き従う侍女のサラは、

(この二人お似合いだわ……)

 胸の中でため息をついた。

「あっ、窓が開いておりますわ!」

 ロミルダが部屋の端で半開きになっている窓を指さした。

「まさかここから!?」

 ミケーレは走り寄って、バルコニーから外を見下ろす。

「うむ。これは中庭に降りられるな」

「えぇ? かなり高さがありますが――」

「ここからそこのテラスに下りるだろ、それからあっちの屋根に飛び移って、あそこに見える木の枝からするするっと行けば簡単だ」

 あっちこっち指さして説明するミケーレ。

「まあ!」

 ロミルダは深い海色の瞳を大きく見開き、尊敬のまなざしでミケーレをみつめた。

「猫ちゃんの気持ちがよく分かるのですわね!」

 猫の暮らしを体験済みのミケーレは目をそらす。

「まあな」

「みなさんにお願いして、手分けして探しましょう!」



・~・~・~・~・~・~・



三毛猫ディライラちゃんの運命やいかに!?

人間が行方不明でも気にならないけど、猫ちゃんの身に危険が及ぶのは心配で夜しか眠れないというそこのあなた、まだレビューしていなかったらしていってくださいね☆
 ロミルダはミケーレ王太子と彼の侍従たちと共に、彫像が立ち並ぶ優雅な池と、階段状の滝が配置された王宮庭園に降りて来た。

「ディライラちゃーん!」

「ディライラ様ーっ」

「余が参ったぞ、ディライラ!」

 水しぶきに目を細めながら噴水の裏手に回ったとき、ロミルダは騎士団が集まって何やら騒いでいるのに気が付いた。

「何か揉め事かしら」

 草の匂いの中、眉をひそめるロミルダのところへミケーレが近付いてきて、

「尋問しているようだな」

 ――確かに。背の高い騎士たちに囲まれて見えないが、中央に誰かいるようだ。 

「何事だ?」

 ミケーレが大股で歩いて行き声をかけた。

「あ、ミケーレ殿下!」

 騎士たちが敬礼する。

「実は魔女母娘(おやこ)を監禁した地下牢から娘のドラベッラが消えていまして、牢番を問いただしていたところです」

「魔女アルチーナは残っているのか」

「ええ。娘だけ逃がしたようですが――」

 口ごもる騎士。何か不可解な点があるようだ。

「こいつ居眠りしていたって白状したんですよ、殿下」

 別の騎士が牢番を小突(こづ)く。

「では牢番さんは、お義母(かあ)さまとグルではないってことね!」

 背の高い騎士たちのうしろから、ロミルダが明るい声で言った。

「ん? そうなるか?」

「ほら、グルだったなら鍵をこっそり手渡しているはずだってことじゃないか?」

「いや、居眠りしていたってのが嘘だった可能性も……」

 妙な着眼点を披露するロミルダに、騎士たちは互いに補足し合う。

「牢番さんが管理していた鍵は、今どこにあるのですか?」

 ロミルダの質問に、一人の騎士が手のひらを開いて見せた。

「こちらに。今朝、見回りの騎士が庭園に落ちているのを拾って、騎士団詰め所に届けまして。地下牢の鍵だと気付いて見に来たら、夜勤の牢番が熟睡していたのです」

「ちょっと待て」

 さえぎったのはミケーレ王太子。

「二つ訊きたいことがある。朝、牢番小屋の鍵は開いていたのか?」

「開いていました。窓も扉も」

「おかしいんだ!」

 声を上げたのは牢番。

「俺はいつも扉は閉めている。窓は暑いから細く開けていたが……」

 ミケーレは無視して騎士に問いかける。

「地下牢も開いていたのだな?」

「閉めてあったんです。それで中に魔女アルチーナだけ残っておりました」

「奇妙だな。わざわざ娘が鍵を閉め直して出て行くのか」

 腕組みして首をかしげていると、

「ドラベッラだけ逃がすなんて、お義母(かあ)様は娘思いなのですわ!」

 ロミルダが目を潤ませている。

「いや、ドラベッラが牢の鍵を閉める理由にならんだろ」

 とミケーレ。

「しかもロミルダ嬢、アルチーナ夫人の様子がおかしいのです」

「朝から何を聞いてもニャーニャー言って、まるで言葉が通じないのですよ」

 騎士たちが口々に訴える。

「おかわいそうに…… きっと心労で言葉を失ってしまったのね」

 ロミルダは息が詰まって、胸に両手を当てた。

「これから見舞いに行って差し上げましょう!」

 ロミルダの提案に、ミケーレは唇の端を歪めて、

「ふむ。指さして笑ってやるのも悪くないな」

 新しい悪戯(いたずら)を思いついた子供のように目を輝かせた。

「まあ殿下ったら」

 ロミルダは悪ガキざかりの息子を見守るように、優しいまなざしを向けた。

 陽射しの強い屋外から建物の中に入ると、スッと涼しくなってほっとする。騎士団に前とうしろを挟まれて地下牢へ続くレンガの階段を下りていると、うしろからミケーレ殿下の不機嫌な声が降ってきた。

「ロミルダ、そなたは優しすぎる! (まま)母アルチーナと義妹ドラベッラに長い間いじめられてきたのだろう?」

 ミケーレ殿下の言う通り、幼いころに父が再婚したので物心ついてからずっと使用人のような扱いを受けてきた。

「でも、お父様やお兄様のいらっしゃるところでは何もされませんでしたわ」

「ずる賢い奴らめ!」

 ミケーレは憤慨した。

「それなのになぜ、そなたは奴らに優しくするのだ? まったく()せん!」

「そうですわね……」

 改めて問われると、すぐには答えられなかった。幼いころの記憶をたぐり寄せながら、ロミルダはゆっくりと話した。

「私は実の母を覚えておりません。ですから父と兄に、お母様がどんな方だったか教えてほしいと、よくせがんでいました。すると二人はいつも『優しくて明るくて前向きな人だった』と話してくれたんです」

 前を行く騎士が手燭の灯りで足元を照らしてくれるのを頼りに、段鼻の崩れかけた階段を注意深く下りながら、ロミルダは話を続けた。

「だから私もそうなろうと思って、いつも空想の中の母ならどう考えるか、どう振る舞うか、その行動をなぞるようになったんです。いつのまにか、それが習慣化して私の性格になったのですわ!」

「そなたは――」

 三、四段下りてから、ミケーレはようやく言葉を継いだ。

「――なんと強いのだろう」

 下りるにつれて空気は冷たく、ひんやりと首元にまとわりついてくる。ミケーレは口の中で、低くつぶやいた。

「余は両親が健在なだけでも恵まれているのに、自分は愛されていないなどと思っていた――」

 ミケーレ殿下のその言葉は、前を歩く自分だけに聞こえているのだろう。ロミルダがそう気付きながら返す言葉に戸惑っていると、突然うしろから抱きしめられた。

「わわっ」

 慌てて立ち止まるロミルダ。だが、どうされましたか、などとは訊かない。理由は分からないが、冷淡だった彼が少しずつ心を開いてくれているのだ。勇気づけるように優しく、首元を抱きしめる彼の腕をたたいた。

「殿下ーっ、うしろが詰まってるんでさっさとお進みください」

 無粋な騎士の声で、ミケーレは仕方なくロミルダを解放した。

 かび臭い地下牢の奥に、アルチーナ夫人は囚われていた。ベッドの上にうずくまった夫人は近付いてくる話し声に、ぴくっと身体を震わせ顔を上げた。

「ロミルダをいじめ抜いたアルチーナよ、このような暗くてせまい場所に閉じ込められて、どんな気分だい?」

 さっそく嘲笑するミケーレ。だがアルチーナ夫人は彼の声を聞いた途端、地面を這って柵に走り寄った。

「四つん這いになっているのは拷問のせいか?」

「いいえ、拷問などしておりません!」

 牢獄に入れられたアルチーナ夫人は柵に額を押し付け、ミケーレのほうに手を伸ばす。

「ニャーン、ニャーン!」

 その声にミケーレは息をのんだ。

「魔術師を呼べ!」



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「ロミルダが前向きなのは、ただのポジティブバカだからじゃなかったんだ!」

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