余は突然、王宮に戻されたのだ。

 昼のうたた寝から目をさますと、余は魔法陣の上に座っていた。周りを囲むのは宮廷魔術師たち。

「ミケーレ殿下!」

「転移魔法が成功した!」

 魔術師たちが口々に叫び、余に駆け寄ってくるとひざまずいた。

 あたりを見回すと彫刻された大理石の柱が立ち並ぶ空間――見覚えがある。猫の視界から見るとすべてが巨大に見えるが、王宮内に作られた魔術の()だ。

「この猫が殿下だと!?」

 騎士団長が馬鹿でかい声を出したので、余は思わずびくっと身体を震わせた。猫は人間より耳が良いのだ。勘弁してほしい。

「猫の姿にされておったのか!」

 宰相を務めるモンターニャ侯爵が納得してうなずいた。

 どうやら魔術師たちは、余を王宮へ戻す転移魔法を使ったようだ。どこにいるかも分からぬ人間を持ち物から特定して移動させるのは高度な魔術だ。大きな魔法陣と十人近い魔術師でようやく術を発動させられたのだろう。余が猫の姿に変えられてからずいぶん時間がかかったのも、そのために違いない。が、猫でいたときの時間感覚は人間と違うようで、何時間か何日か見当がつかぬ。

 ああ、あのままロミルダに愛されていたかった。王宮になど戻りたくはなかったのだ。

「ミケーレ殿下、こちらでお休みください。すぐにお姿を元に戻すための魔法薬を作ってまいります」

 丁重に扱われ、ふかふかのクッションを敷いたゆりかごに乗せられた。だがどれほど丁寧に抱き上げられても、愛情のこもったロミルダの両腕にはかなわぬ。

 用意された水をなめたり、人間用の塩辛い食べ物に辟易(へきえき)したり、眠ったりしているうちに、魔術師たちがまずそうな丸薬をうやうやしく持ってきた。

 余は一目見て分かった。これ絶対苦いやつにゃん!

 一瞬、このまま逃げてしまおうかとも思った。

 だがロミルダの冤罪を解くには、余が人間に戻ってアルチーナの悪事を話さねばならぬ。

 意を決して、まずい魔法薬を飲み込んだ。

 視界がぐんぐんと縮んでいく。

「お帰りなさいませ、殿下」

 宮廷魔術師たちがそろって(こうべ)を垂れる。

「で、殿下のお召し物を用意せぬか!」

 モンターニャ侯爵が慌てて叫んだ。愚か者どもめ、先に用意しておけばよいものを。ま、余もちっとも頭になかったから、いきなりボロンしてびっくりしたがな。

 服と共に用意された衝立(ついたて)のうしろで着替え終わった余は、改めて騎士団長を呼びつけた。

「騎士団長、余に魔法薬を盛った犯人はロミルダ嬢ではない。見当違いな捜査、ごくろうだったな?」

「も、申し訳ありませぬ」

 嫌味たっぷりにねぎらってやると、騎士団長は無駄にでかい図体を(ちぢ)こまらせた。

「それから猫はシャンデリアに向かって放り投げるものではないぞ?」

「へ?」

 顔を上げた騎士団長の顔面には、幾筋もみみずばれが走っている。

「あ、あわわわ…… まさかあの猫――」

 気付いたか。余の首根っこをつかんで放り投げたこの男を一発殴ってやりたいと思っていたが、顔面ストライプ柄を見て留飲を下げた。

「余が鋭い爪で描いてやったそなたの顔の模様、なかなか洒落(しゃれ)ておるではないか」

「ひ、ひぃぃぃっ、お許しを!」

「まあよい。真犯人さえ捕まえてくれればな」

 ロミルダを見習って心優しい人間に生まれ変わることを決心した余は、騎士団長をこれ以上いじめることはなく、アルチーナ夫人とその娘ドラベッラの会話について教えてやった。そして彼らの部屋に砂糖そっくりの魔法薬があったことも――。

「妻が魔女――」

 わなわなと震え出したのは余の話を聞いていたモンターニャ侯爵。

「そのような怪しげな者を後妻に迎え入れた私の責任でございます!」

 ひざまずき平伏する。

「侯爵に訊きたいのだが、アルチーナ夫人は異国の王女との話だったな? どこの国だ?」

 顔を上げた侯爵が突然、頭を抱えて苦しみだした。

「なんだこの頭痛は……!」

「殿下、恐れながら――」

 余の前に進み出たのはうしろに控えていた魔術師。

「侯爵閣下のこの症状は、魔女が魅了を使ったものと思われます!」

 なるほど、何年も前からだまされておったか。

「ああ……」

 モンターニャ侯爵は絶望にあえいで自分の両手を見下ろしている。

「では我が娘ドラベッラは魔女の血を引く子――」

 まあそういうことになるな。だが余にはもうひとつ気がかりなことがあるのだ。

「早急に令状を作成し、馬車と馬の用意を。くれぐれも我々の訪問を侯爵邸に告げないように。魔女親子に証拠隠滅されてはたまらんからな」

 彼らに指示を出し、余は父上の執務室へ急いだ。

 階段を上りかけたところで、下りてくる父上と鉢合わせした。その横には母上の姿もある。

「息子よ!」

 両腕を広げた父上は両目に涙をためていた。

「無事であったか!」

 ふたりのうしろに使用人たちが控えているところを見ると、報告を受けた彼らは魔術の間に向かっていたようだ。

 父上の腕に抱きしめられて、余は呆然としていた。父上はなぜこんなに取り乱していらっしゃるのだ? 跡継ぎを失ったら困るからか? いや、優秀な弟カルロがいるではないか。

「父上、母上、ご心配をおかけして申し訳ございませんでした」

 余はいつもの感情のない声でつぶやいた。

「うむ――」

 と言ったきり父上の言葉は続かない。余を抱く腕にさらに力がこもっただけだった。

 代わりに母上がハンカチで目元を押さえながら、

「お前が無事に戻ってきてくれて本当にうれしく思います」

 と涙まじりに言った。余は母上が苦手だ。子供のころ引き離されて育ったせいか、いまだにどう接してよいか分からない。弟はよく母上と王宮の庭園を散歩しているが、余はそれを自室の窓から見下ろすばかり。

 両親の思いがけない反応に困惑しつつ、

「父上、お尋ねしたいことがございます」

 余は父と共に執務室へ向かった。

「ドラベッラ嬢が申していたのですが――」

 アルチーナ夫人と父上が腹違いの兄妹だというのは真実(まこと)か、余は父上に問うた。

「ありえん!」

 父は第一声、強い口調で否定したが、それからふと眉根を寄せた。

「――決してあり得ぬ話とまでは言いきれぬのか……」

 大きな執務机に両ひじを乗せ、口もとで手を組んだ父のうしろの窓から、真っ赤な夕日が沈んでゆくのが見える。

「母上なら何か存じておるやも知れぬ」

「病床に()せっておられるお祖母(ばあ)様ですか――」

「体調の良いときを見計らって、それとなく訊いてみよう」

 先王である余の祖父は、余が幼いころに他界した。どんな人物なのか――忌憚ない言い方をするならば、婚外子を作るような人物なのか、余には分からない。

 執務室の扉がノックされ、宰相であるモンターニャ侯爵と騎士団長率いる騎士団が姿をあらわした。

「ミケーレ殿下、準備が整いました」

 騎士団長の言葉に、モンターニャ侯爵が覚悟を決めた面持ちで口を真一文字に結んでいる。これから彼の後妻と娘を捕らえに行くのだから、その胸中はいかばかりだろう……。

 モンターニャ侯爵のこれまでの貢献と、魔女の術にはまっていただけで本人の過失ではないことから、彼自身を咎めることは一切しないというのが父上の決定だった。小国である我が国にとって、モンターニャ侯爵の能力が惜しいためだろう。



 我々を乗せた馬車は日暮れの街を駆け抜けて、モンターニャ侯爵邸へ向かった。


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次話、まま母と義妹の罪が暴かれる!