ロミルダとミケーレがサラの視線に気付かず手を握りあっていたころ、湖の下に広がる小さな村では、ドラベッラを押し付けられた村人たちが頭を寄せあって話していた。

「魔女の娘だって? なんと恐ろしい……」
「王太子様を亡き者にしようとしたっていう罪状だろう?」
「そんな重罪人をこんな静かな村に押し付けられてもなぁ……」
「常駐の処刑人なんていないってのに」
「湖の裏の森にでも置き去りにすりゃぁ、狼の餌にでもなるんじゃねえか?」
「魔法を使えるかもしれないんだぞ? 狼なんて操れるかも……」
「それで今、その娘ってのはどこにいるんだ?」
「村長ん()(うまや)に、馬と一緒につながれてるそうだ」
「村長ん()の馬、大丈夫かよ? 今ごろ食い尽くされて骨になってるかもしれねぇぞ!?」

 その心配は全くなかった。魔法の勉強など一切してこなかったドラベッラは、農作業で鍛えられた筋肉質な馬たちに対抗する手段など持っていない。

「くっさ! くっさ! 鼻がもげそうよ!」

「フフン、フン!」

 自分たちのテリトリーに突然現れた小さくてうるさい人間に、馬たちは鼻息荒く不快感をあらわにする。

「私は貴族よ! 家畜ども、私を(うやま)いなさいっ!」

 金切り声を張り上げると、さすがに我慢ならなかったのか、一匹の馬が後ろ足を蹴り上げた。

「キャァァァッ!」

 普段から動かないドラベッラにその攻撃を避ける瞬発力はなく、馬脚の直撃を受けた。ムチムチとした身体が完璧な放物線を描いて厩の中を飛んで行く。

 ぼすっ。

 間の抜けた音を立てて馬糞まみれの(わら)に頭から突っ込むと、

「シーシッシッシ」

 蹴り上げた馬は満足げに上唇をつり上げて笑った。

 罪のないかわいい猫ちゃんに吹き矢なんぞを放ったドラベッラは、しっかり(むく)いを受けるのだった。



 翌朝――

 村長が、陶器というより土器を思わせる無骨な水差しを手に厩へやって来た。うしろには固いパンを持った孫娘の姿も見える。

「遅いわよ、愚民ども! 私を誰だと思っているの!?」

 朝からキンキン声で怒るドラベッラに、小さな孫娘が不思議そうな顔で、

「じいちゃん、この頭の悪そうなオバサン、誰なの?」

 と尋ねた。村長が答える前にドラベッラが叫んだ。

「私は未来の王妃よ! この国の王妃! こんな臭くて汚い馬小屋で鎖につながれるような立場じゃないの! おびただしい数の宝石が縫い付けられたきらびやかなドレスを着て、舞踏会で蝶のように舞っているべき人間なのよっ!」

「本物の王妃様はあんな愚かなことは言わんから安心しなさい」

 村長は孫娘に語りかける。

「そうなの?」

「そうだとも。王妃殿下は国王陛下を支え、社交や外交に忙しくされている方じゃ。贅沢なドレスやきらびやかな舞踏会に憧れるような者が王妃様になったら、国が傾いてしまうじゃろ?」

「っきぃぃぃっ! 愚民のくせに! 偉そうに!」

 ドラベッラが地団駄踏んで、足についた鎖をじゃらじゃら言わせていると、

「村長、川沿いの道を王家の馬車が通って行きます! 金色に輝いてきれいですよ!」

 村人の一人が呼びに来た。

「じいちゃん、わたし見に行きたい!」

「おお、行こうかの」

「ちょっと愚民ども! 水とパンを置いていきなさいよっ!」

 金切り声で命令するドラベッラにうんざりしたのか、そばにいた馬が虫を払う要領で尾を振った。ぴしぃっとぶたれたドラベッラは泣き出した。

「痛ぁぁいっ! 私が黄金の馬車に乗るはずだったのよぉぉ!?」



 王家の紋章がついた黄金の馬車には行きと同様、ロミルダと侍女のサラ、そして三毛猫ディライラが鎮座する特注キャリーと飼い主ミケーレ殿下が揺られていた。

「ディライラちゃん、こんにちは~」

 ロミルダがキャリーに人差し指を差し込んで、猫に自分の匂いを嗅がせていると、

「朝もやの中に佇む村が風情あって素敵ですよ、ロミルダ様」

 サラは車窓の景色を見るようロミルダをうながした。猫に夢中のロミルダよりミケーレ殿下が、朝もやの向こうに立つ教会の鐘楼と、休耕地に放牧される羊たちを眺めながら答えた。

「朝起きたときは霧が立ち込めて、屋敷の窓から見下ろしても湖の反対側の岸が見えないほどだったが、だいぶ晴れてきたな」 

「結局、お義母(かあ)様は見つかっていないのでしょう?」

 猫のディライラに気を取られながらも、ロミルダが尋ねた。

「うむ。村から出る道はすべて封鎖したが、検問には引っかからなかったそうだ」

 ミケーレ殿下の答えにロミルダは猫のキャリーからようやく顔を上げて、ふと車窓から朝の空を見上げた。

「魔女って―― 空を飛んで逃げたりしないのでしょうか?」

 ロミルダは離宮に来るとき見かけた、長い棒のようなものにまたがって空を飛んでいた二人組を思い出していた。 

「さすがに空は飛ばぬと思うが―― 魔女の力の全容が把握できぬ以上、断言できぬな」

「宮廷魔術師なら分かるのでしょうか?」

 サラの質問に、

「彼らが得意とするのは教会が主導する、聖魔法を中心とした正当な魔法だ」

 ミケーレ殿下がすらすらと答えた。

「教会が禁止する錬金術や黒魔術、交霊術などを手あたり次第に身につけた魔女の力の全貌は、彼らも分からぬだろうな。とはいえ、我々よりは知識を持っているだろう」

 サラは納得して大きくうなずいた。

「それで王室の方々に、宮廷魔術師による講習が必要と陛下が判断されたのですね」

「「うっ……」」

 面倒な勉強の予定を思い出して、ロミルダとミケーレは同時に言葉を失った。

(魔法薬について教えてもらったくらいでは、お義母(かあ)様の居場所なんて分からないでしょうね)

 車窓から、小麦畑の間を蛇行する小川を眺めながら、ロミルダは考えていた。十五年以上一緒に暮らしてきた義母が火あぶりになるなんて見たくないが、ずっと魔女の影におびえながら暮らすのも息苦しい。

「お義母(かあ)様が身を寄せそうな親類や、友人のお宅などが分かればよいのですが……。父なら心当たりがあるかもしれません」

「でもロミルダ様、アルチーナ夫人は異国の王族なのでしょう? 国内に知人なんているのでしょうか?」

 サラはまだアルチーナの出自について、偽りの経歴を信じていた。

「ん? アルチーナは高級娼婦の娘で、異国の王族などではないぞ?」

 ミケーレ殿下がしれっと秘密を明かしたので、ロミルダはあたふたと、

「あの、そのお話、王家の門外不出ネタかと思ってサラには黙っていたのですが――」

「サラは嫌な奴だが些細なことにもよく気付くし、知性的な女性だ。その能力を活用したほうがよかろう」

 断言するミケーレ殿下に、サラが不安そうな顔をロミルダに向けた。

「私、嫌な奴でしょうか……?」

 ロミルダは苦笑しつつ、ほとんどサラと接点がないミケーレ殿下が、なぜ彼女を嫌っているのか不思議に思った。まさか猫だったとき白昼のもとに、にゃん玉をさらされたとは夢にも思わない。

 サラの懸念は無視して、ミケーレが身を乗り出した。

「親戚という線なら――」

 何か良いことを思いついた様子で、瞳をきらきらと輝かせている。

「先王の遺品からアルチーナの母親に関するものが見つかるかもしれん。彼女と交わした手紙や先王自身の日記から、手がかりがつかめるかもしれんぞ!」


・~・~・~・~・~・~


――というわけで次回、「先王の遺品調査」を理由に、二人は真夜中の宮殿デート!?
いいね!で作品を応援していただき、ありがとうございます!