サラの胸から顔を上げたロミルダは、思わず声の主の名を呼んだ。
「ミケーレ殿下――」
絹糸のようなブロンドを、壁の燭台でゆらめくロウソクの炎がきらめかせる。大理石の彫像かと見まごうばかりに整った顔立ちに、希少石楔石を思わせる薄い緑の瞳。長い脚でゆっくりと歩いてくると、確信に満ちた声で宣言した。
「ミケは生きている。ただ、今は会えないだけだ」
侍女二人に驚きのまなざしで見つめられながら、ミケーレはロミルダだけをまっすぐ見下ろしていた。
「ミケーレ様、どこか具合が悪いのでしょうか……?」
彼の血の気の無い唇を見上げて、ロミルダは心配になった。
「ふ……」
ミケーレはかすかに苦笑すると、秘密めかして答えた。
「ちと毒にあてられてな」
彼の微笑が弱々しく見えたロミルダは、自室に招き入れた。
「おかけになったほうが良いのでは? どうぞこちらへ」
いつもミケと二人で過ごしたソファに座らせる。
「余が戻ってくるより、ミケが助かった方が嬉しかっただろう?」
悪戯好きの少年のような、それでいてどこか悲しげな笑みを浮かべて、ミケーレが尋ねた。
「いえ、まさかそんな!!」
いつも正直なロミルダも、さすがに両手を振って否定した。
「無理しなくてよい。そなたが悲しんでいるのはよく分かっているのだ」
穏やかな彼の声に、ふいに涙があふれそうになるのをぐっとこらえた。目を合わせないように前を向いて、
「どちらにいらっしゃったのですか? お二人の身に何があったのでしょう?」
「それは―― 今はまだ言えぬが、いずれそなたに真実を話す時が来るだろう」
ミケーレは静かにもう一度、繰り返した。
「すべての真実を――」
毒に侵され体力を奪われているのか、ソファの背もたれに頬を寄せると、そっとまぶたを閉じた。
(なぜかミケーレ様がとなりにいらっしゃっても私、緊張しないわ――)
悲しみの霧はまだ心に影を落とすけれど、不思議と落ち着くのだ。
(私が不安なとき、こうやってミケくんも静かにそばに寄り添っていてくれたわね)
かすかに寝息を立て始めたミケーレの顔をそっと見つめる。さらりと額をすべるブロンドを指先で分けると、長いまつ毛がわずかに震えた。
サラがブランケットを腕にかけて、足音を立てないように近付いてくる。ロミルダは受け取ったブランケットをミケーレの肩にかけて、その上に優しく手のひらを乗せた。
(ミケは生きているって、ミケーレ様はおっしゃった。私はこの方の言葉を信じよう)
無防備な寝顔をさらすミケーレを静かに撫でながら、ロミルダは心に誓った。私は王妃となって、この方を支えるのだと――。
すっかり日が暮れ、夜風が湖面を揺らす頃、
「殿下! ミケーレ殿下はいらっしゃいますか?」
廊下から侍従の大きな声が聞こえた。ミケーレが目を覚ましたのを確認してから、サラが扉を開けると、
「ああ殿下、こちらにいらっしゃったのですか! 魔術の間から姿を消されて、心配しましたよ!」
また行方不明にでもなったら大変だと慌てたのか、侍従が胸をなで下ろした。
「ああ――」
まだちょっと寝ぼけているのか、ミケーレは何度かまばたきしてから、
「ディライラは息災か?」
「ええ、お夕食もしっかりと召し上がっていました。キャリーをお持ちしましょうか?」
「うむ、頼む」
廊下へ下がった侍従のうしろから王妃が姿を現したので、ミケーレは反射的に姿勢を正した。
「このたびはご心配をおかけしたこと、お詫び申し上げます、母上」
「お前が無事なら良いのです」
ロミルダは立ち上がり、部屋の入り口に立つ王妃を、
「どうぞおかけください」
と、ソファへと案内する。
しかし廊下の方から元気な足音と共に、
「母上! ようやく見つけましたよ!」
カルロ殿下の声がした。じゅうたんの敷かれた廊下を早足に歩いてくる。左腕を骨折したようで、肩から布で吊っていた。
(まさか、懐中時計のダイヤがはずれた場所が、人間に戻ったら左腕だったのかしら?)
ロミルダはちらりと疑問に思ったが、訊かないでおいた。前回ミケーレ殿下が行方不明になったときも、冤罪をかけられ大いに巻き込まれたにも関わらず、ロミルダに真相が伝えられることはなかった。王家には機密事項が多いのだ。
(いずれ秘密を共有することは避けられないでしょうけれど、今は気楽な立場でいさせてもらいましょ)
離宮での王妃殿下の堂々とした振る舞いを見るにつけ、将来自分が求められる働きを想像して気が重くなった。だがそこはロミルダ、まだ起こってもいない未来について考えてもしょうがないので、気にしないことにした。
「兄上のところに行ってしまわれるなんてひどいですよ、母上! 屋敷中探し回ってしまいました!」
「はいはい」
王妃はソファに腰を下ろすのをあきらめて、カルロの方を振り返った。
「月が綺麗だからテラスで話しましょうよ! 兄上とロミルダ様もいかがです?」
「余は疲れているから結構だ」
「私はミケーレ様のお側におります」
二人の返事を聞いたカルロは、まるでエスコートするかのように右腕を母親の腕にからませて、
「では母上と僕で行きましょう」
と笑顔を見せた。扉が閉まる寸前、
「やっぱり猫のときに、威嚇されても引っかかれても、抱きしめてスリスリしておけばよかった」
王妃がポツンとつぶやいた。
「え、なんです? 母上、僕を抱きしめてスリスリしたいっておっしゃいました?」
カルロの能天気な声が遠ざかっていく。
王妃とカルロが去って静かになった室内で、ミケーレは安堵のため息をついた。
「ああやって素直に甘えられる弟を愛しているのさ、母上は」
自嘲ぎみに笑うミケーレに、ロミルダは首を振った。
「わたくしには……そうは思えませんが――。王妃様はミケーレ殿下を深く愛していらっしゃるように見えます」
「フン、余はそなたに愛してもらいたいのだがな?」
照れ隠しなのか、目を合わせずにそんなことを言うミケーレに、ロミルダは頬を紅潮させてうなずいた。
「あ……、はい」
うつむくロミルダに気が付いて、ミケーレは慌てて訂正した。
「今、傷心のそなたに言うべき言葉ではなかったな」
大きな手のひらが力づけるようにロミルダの肩を優しくつかんだ。それは恋人の肩を抱くというよりも、師団長が部下を激励するようだった。だがミケと会えない悲しみに心がふさいだロミルダは、まだロマンスを楽しむ気分ではなかったから、ミケーレの振る舞いに救われた。
「そなたの心は今、ミケくんにあるだろうからな」
(いけないわ、殿下にこんな気を遣わせては――)
ふと我に返って、首を振ろうとしたロミルダに、
「余はそなたの優しさに触れるまで十年近く、猫のディライラだけを愛してきた偏屈な男だぞ?」
ミケーレは笑いを含んだ声で言った。
「猫ちゃんが大切な家族や恋人のような存在だというのは、よーっく分かっておるから、何も気にする必要はない」
(やっぱりミケーレ様は本当に心の優しい方なんだわ。猫ちゃん好きに悪い人はいないのよ!)
うつむいていたロミルダが顔を上げると、ミケーレが美しい緑の瞳を細めてふわっとほほ笑んだ。
(なんだかミケーレ様の瞳、ミケくんみたい――)
ロミルダも包み込むようにほほ笑み返して、膝の上で握られた彼のこぶしの上に自分の手のひらを重ねた。
「あったかい……」
子供のようにつぶやいて、ミケーレはロミルダの肩にこてんと額を乗せる。彼の絹糸のようなブロンドを手櫛でとかしながら、傷心のロミルダは心の中でこっそりつぶやいた。
(殿下ったらかわいい……けど、ゴロゴロ喉鳴らしてくれたら最高なのに!)
・~・~・~・~・~・~
王子の想いは通じた・・・のか!?
次回は村人に引き渡された義妹ドラベッラのお話です。
「ミケーレ殿下――」
絹糸のようなブロンドを、壁の燭台でゆらめくロウソクの炎がきらめかせる。大理石の彫像かと見まごうばかりに整った顔立ちに、希少石楔石を思わせる薄い緑の瞳。長い脚でゆっくりと歩いてくると、確信に満ちた声で宣言した。
「ミケは生きている。ただ、今は会えないだけだ」
侍女二人に驚きのまなざしで見つめられながら、ミケーレはロミルダだけをまっすぐ見下ろしていた。
「ミケーレ様、どこか具合が悪いのでしょうか……?」
彼の血の気の無い唇を見上げて、ロミルダは心配になった。
「ふ……」
ミケーレはかすかに苦笑すると、秘密めかして答えた。
「ちと毒にあてられてな」
彼の微笑が弱々しく見えたロミルダは、自室に招き入れた。
「おかけになったほうが良いのでは? どうぞこちらへ」
いつもミケと二人で過ごしたソファに座らせる。
「余が戻ってくるより、ミケが助かった方が嬉しかっただろう?」
悪戯好きの少年のような、それでいてどこか悲しげな笑みを浮かべて、ミケーレが尋ねた。
「いえ、まさかそんな!!」
いつも正直なロミルダも、さすがに両手を振って否定した。
「無理しなくてよい。そなたが悲しんでいるのはよく分かっているのだ」
穏やかな彼の声に、ふいに涙があふれそうになるのをぐっとこらえた。目を合わせないように前を向いて、
「どちらにいらっしゃったのですか? お二人の身に何があったのでしょう?」
「それは―― 今はまだ言えぬが、いずれそなたに真実を話す時が来るだろう」
ミケーレは静かにもう一度、繰り返した。
「すべての真実を――」
毒に侵され体力を奪われているのか、ソファの背もたれに頬を寄せると、そっとまぶたを閉じた。
(なぜかミケーレ様がとなりにいらっしゃっても私、緊張しないわ――)
悲しみの霧はまだ心に影を落とすけれど、不思議と落ち着くのだ。
(私が不安なとき、こうやってミケくんも静かにそばに寄り添っていてくれたわね)
かすかに寝息を立て始めたミケーレの顔をそっと見つめる。さらりと額をすべるブロンドを指先で分けると、長いまつ毛がわずかに震えた。
サラがブランケットを腕にかけて、足音を立てないように近付いてくる。ロミルダは受け取ったブランケットをミケーレの肩にかけて、その上に優しく手のひらを乗せた。
(ミケは生きているって、ミケーレ様はおっしゃった。私はこの方の言葉を信じよう)
無防備な寝顔をさらすミケーレを静かに撫でながら、ロミルダは心に誓った。私は王妃となって、この方を支えるのだと――。
すっかり日が暮れ、夜風が湖面を揺らす頃、
「殿下! ミケーレ殿下はいらっしゃいますか?」
廊下から侍従の大きな声が聞こえた。ミケーレが目を覚ましたのを確認してから、サラが扉を開けると、
「ああ殿下、こちらにいらっしゃったのですか! 魔術の間から姿を消されて、心配しましたよ!」
また行方不明にでもなったら大変だと慌てたのか、侍従が胸をなで下ろした。
「ああ――」
まだちょっと寝ぼけているのか、ミケーレは何度かまばたきしてから、
「ディライラは息災か?」
「ええ、お夕食もしっかりと召し上がっていました。キャリーをお持ちしましょうか?」
「うむ、頼む」
廊下へ下がった侍従のうしろから王妃が姿を現したので、ミケーレは反射的に姿勢を正した。
「このたびはご心配をおかけしたこと、お詫び申し上げます、母上」
「お前が無事なら良いのです」
ロミルダは立ち上がり、部屋の入り口に立つ王妃を、
「どうぞおかけください」
と、ソファへと案内する。
しかし廊下の方から元気な足音と共に、
「母上! ようやく見つけましたよ!」
カルロ殿下の声がした。じゅうたんの敷かれた廊下を早足に歩いてくる。左腕を骨折したようで、肩から布で吊っていた。
(まさか、懐中時計のダイヤがはずれた場所が、人間に戻ったら左腕だったのかしら?)
ロミルダはちらりと疑問に思ったが、訊かないでおいた。前回ミケーレ殿下が行方不明になったときも、冤罪をかけられ大いに巻き込まれたにも関わらず、ロミルダに真相が伝えられることはなかった。王家には機密事項が多いのだ。
(いずれ秘密を共有することは避けられないでしょうけれど、今は気楽な立場でいさせてもらいましょ)
離宮での王妃殿下の堂々とした振る舞いを見るにつけ、将来自分が求められる働きを想像して気が重くなった。だがそこはロミルダ、まだ起こってもいない未来について考えてもしょうがないので、気にしないことにした。
「兄上のところに行ってしまわれるなんてひどいですよ、母上! 屋敷中探し回ってしまいました!」
「はいはい」
王妃はソファに腰を下ろすのをあきらめて、カルロの方を振り返った。
「月が綺麗だからテラスで話しましょうよ! 兄上とロミルダ様もいかがです?」
「余は疲れているから結構だ」
「私はミケーレ様のお側におります」
二人の返事を聞いたカルロは、まるでエスコートするかのように右腕を母親の腕にからませて、
「では母上と僕で行きましょう」
と笑顔を見せた。扉が閉まる寸前、
「やっぱり猫のときに、威嚇されても引っかかれても、抱きしめてスリスリしておけばよかった」
王妃がポツンとつぶやいた。
「え、なんです? 母上、僕を抱きしめてスリスリしたいっておっしゃいました?」
カルロの能天気な声が遠ざかっていく。
王妃とカルロが去って静かになった室内で、ミケーレは安堵のため息をついた。
「ああやって素直に甘えられる弟を愛しているのさ、母上は」
自嘲ぎみに笑うミケーレに、ロミルダは首を振った。
「わたくしには……そうは思えませんが――。王妃様はミケーレ殿下を深く愛していらっしゃるように見えます」
「フン、余はそなたに愛してもらいたいのだがな?」
照れ隠しなのか、目を合わせずにそんなことを言うミケーレに、ロミルダは頬を紅潮させてうなずいた。
「あ……、はい」
うつむくロミルダに気が付いて、ミケーレは慌てて訂正した。
「今、傷心のそなたに言うべき言葉ではなかったな」
大きな手のひらが力づけるようにロミルダの肩を優しくつかんだ。それは恋人の肩を抱くというよりも、師団長が部下を激励するようだった。だがミケと会えない悲しみに心がふさいだロミルダは、まだロマンスを楽しむ気分ではなかったから、ミケーレの振る舞いに救われた。
「そなたの心は今、ミケくんにあるだろうからな」
(いけないわ、殿下にこんな気を遣わせては――)
ふと我に返って、首を振ろうとしたロミルダに、
「余はそなたの優しさに触れるまで十年近く、猫のディライラだけを愛してきた偏屈な男だぞ?」
ミケーレは笑いを含んだ声で言った。
「猫ちゃんが大切な家族や恋人のような存在だというのは、よーっく分かっておるから、何も気にする必要はない」
(やっぱりミケーレ様は本当に心の優しい方なんだわ。猫ちゃん好きに悪い人はいないのよ!)
うつむいていたロミルダが顔を上げると、ミケーレが美しい緑の瞳を細めてふわっとほほ笑んだ。
(なんだかミケーレ様の瞳、ミケくんみたい――)
ロミルダも包み込むようにほほ笑み返して、膝の上で握られた彼のこぶしの上に自分の手のひらを重ねた。
「あったかい……」
子供のようにつぶやいて、ミケーレはロミルダの肩にこてんと額を乗せる。彼の絹糸のようなブロンドを手櫛でとかしながら、傷心のロミルダは心の中でこっそりつぶやいた。
(殿下ったらかわいい……けど、ゴロゴロ喉鳴らしてくれたら最高なのに!)
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王子の想いは通じた・・・のか!?
次回は村人に引き渡された義妹ドラベッラのお話です。