「はずしたと思ったのに、あの猫みずから当たりに来たわ」
屋根裏部屋の窓から見下ろすドラベッラは、一人笑い声を上げた。
「お義姉様ったら、うろたえちゃって。いい気味ねぇ。猫しか友達がいない寂しい女!」
そういう自分は唯一の友達らしき存在であった母親を裏切ってしまったのだが、その事実には思いいたらないようだ。
「侍女が出て来たわ」
ドラベッラは目をこらして屋敷の玄関を見下ろした。
「あれは――サラじゃないみたいね。もっと老けてるもの」
窓から首を出すと、風が話し声を運んできた。
「ロミルダ様、王妃様がロミルダ様の猫ちゃんをお連れするようにと―― えっ!?」
「ミケが、何者かに…… 助けて!!」
宮廷魔術師が到着したことを知らないドラベッラは、聞こえてきた侍女の言葉に首をかしげた。
「なんで王妃様が猫に用なんかあるのかしら。それにしても気が動転してしゃべれないお義姉様なんてめったにお目にかかれないわね。いつも、てろーんと落ち着いて腹が立つって思ってたのよ!」
まさか今日中に断罪されるとは夢にも思わぬドラベッラは、余裕の笑みを浮かべていた。
ロミルダは王妃殿下の侍女のあとを追って、早足に離宮の中庭を横切っていた。腕には目を閉じ、ぐったりとした三毛猫ミケが抱かれている。
「こちらです!」
侍女に案内されたのは、北棟の一階に広がる広間だった。薄暗く肌寒い広間の床には魔法陣が描かれ、壁の燭台では紫色の炎が燃え、戸棚には鏡や水晶、魔術書が所狭しと並んでいる。
「ロミルダさん、猫ちゃん連れてきてくれた? ――って、なにごと!?」
ロミルダの腕に抱かれた意識のない三毛猫を見た王妃の顔色が変わった。気が動転しているロミルダは疑問に思う余裕もなかったが、侍女は王妃の反応に驚いていた。この猫が何だと言うのだろう?
「一体何があったの!?」
「わ、分かりません! お屋敷を出たら突然、空から吹き矢が飛んできたみたいで――」
涙まじりに答えたロミルダを落ち着けるように、宮廷魔術師の一人が答えた。
「猫の様態を見るに毒矢でしょう。すぐに聖魔法で処置しますよ」
「助かりますの!?」
悲鳴まじりに訊いたのは、ロミルダではなく王妃だった。
「ご安心ください。人間にとっては致死量の毒ではありませんから」
その不思議な回答をロミルダは聞くことなく、ほかの魔術師に指示されて、緋色の布がかかったテーブルの上にそっとミケを寝かせた。
「あとは優秀な魔術師たちに任せましょう」
固い声で告げると、王妃はロミルダと侍女を外へうながした。
(心配で心配で、ここで見ていたいけれど――)
ロミルダは後ろ髪を引かれる思いで魔術の間を出た。
(私たちが見ていることで魔術師さんたちの気が散って、魔法が失敗したら困るものね……)
中庭に出ると、王妃がロミルダに背を向けたまま尋ねた。
「吹き矢はどこから飛んできたのかしら?」
「えっと、私もそれはよく分からなくて――」
「あなたさっき空からっておっしゃったわよね?」
感情を抑えた王妃の声に、ロミルダは恐れをいだきながらうなずいた。
「はい。上から飛んできたように見えたのですが……」
「どこで? お屋敷を出たら突然、というのは?」
王妃が、自分の言葉を一言一句正確に覚えていることに驚きながら、ロミルダは途切れ途切れに答えた。
「玄関を出て、階段を下りて、お屋敷の正門へ向かって歩いていたときです」
「吹き矢はどちらの方角から? 湖のほうかしら?」
「いえ、反対です。お屋敷のほうから――」
自分の答えが義妹を断罪へ導くなどとは、ロミルダは一切考えていなかった。彼女はドラベッラが屋根裏部屋に幽閉されたことも知らないのだから。
「分かりました」
何かを決意したように王妃は、はっきりと答えた。それからいつもの麗しい笑みを浮かべようとした。
「ありがとう、ロミルダさん。部屋でゆっくり休んでくださいね」
そんなこと言われたって、とてもゆっくり休める気分ではない。
自室に戻ったロミルダは、祈るような気持ちでベッドに座り込んでいた。
「聞きました。ミケくんが――」
沈痛な面持ちで、サラがとなりに座った。ロミルダの肩にそっとブランケットをかける。
「ロミルダ様、私がご一緒すればよかったです。そうすれば矢に当たったのは私だったかもしれません」
ロミルダは首を振った。
「ミケは私を守ろうとして矢に当たったの」
言うなり、その頬をはたはたと涙がこぼれ落ちた。
「私の身代わりに――」
サラがブランケットの上からぎゅっと抱きしめた。
「ああ、私がご一緒していれば、私がロミルダ様をお守りしたのに」
「だめよ、サラ。私はあなたを失うことだってできないわ!」
「ロミルダ様、人間の私なら当たっても致死量の毒ではなかったかも知れません」
泣きじゃくりながら、ロミルダは頭の片隅で考えていた。
(同じことを魔術師も言っていたような―― なんだったかしら……)
二人の静かな涙は突如、屋敷中に響いたドラベッラの金切り声に破られた。
「放しなさいよ、無礼者! 私はモンターニャ侯爵家令嬢ドラベッラよっ!」
「ドラベッラ?」
義妹の名を口にして、ロミルダは涙で濡れたハンカチを膝に置いた。
「おとなしくしろ!」
野太い声が響く。
「お前は罪人として貴族の身分を剥奪された。下の村に引き渡され、処刑されることになったのだ」
聞こえてきた騎士団の者らしき声に、ロミルダとサラは顔を見合わせた。
「どういうことなの?」
ドラベッラが吹き矢を放った犯人とは思いもしないロミルダは立ち上がった。
(義妹まで失ってしまう――)
悲しみで頭の芯がしびれて冷静に考えられないまま、ふらふらと部屋を飛び出した。
屋根裏部屋の窓から見下ろすドラベッラは、一人笑い声を上げた。
「お義姉様ったら、うろたえちゃって。いい気味ねぇ。猫しか友達がいない寂しい女!」
そういう自分は唯一の友達らしき存在であった母親を裏切ってしまったのだが、その事実には思いいたらないようだ。
「侍女が出て来たわ」
ドラベッラは目をこらして屋敷の玄関を見下ろした。
「あれは――サラじゃないみたいね。もっと老けてるもの」
窓から首を出すと、風が話し声を運んできた。
「ロミルダ様、王妃様がロミルダ様の猫ちゃんをお連れするようにと―― えっ!?」
「ミケが、何者かに…… 助けて!!」
宮廷魔術師が到着したことを知らないドラベッラは、聞こえてきた侍女の言葉に首をかしげた。
「なんで王妃様が猫に用なんかあるのかしら。それにしても気が動転してしゃべれないお義姉様なんてめったにお目にかかれないわね。いつも、てろーんと落ち着いて腹が立つって思ってたのよ!」
まさか今日中に断罪されるとは夢にも思わぬドラベッラは、余裕の笑みを浮かべていた。
ロミルダは王妃殿下の侍女のあとを追って、早足に離宮の中庭を横切っていた。腕には目を閉じ、ぐったりとした三毛猫ミケが抱かれている。
「こちらです!」
侍女に案内されたのは、北棟の一階に広がる広間だった。薄暗く肌寒い広間の床には魔法陣が描かれ、壁の燭台では紫色の炎が燃え、戸棚には鏡や水晶、魔術書が所狭しと並んでいる。
「ロミルダさん、猫ちゃん連れてきてくれた? ――って、なにごと!?」
ロミルダの腕に抱かれた意識のない三毛猫を見た王妃の顔色が変わった。気が動転しているロミルダは疑問に思う余裕もなかったが、侍女は王妃の反応に驚いていた。この猫が何だと言うのだろう?
「一体何があったの!?」
「わ、分かりません! お屋敷を出たら突然、空から吹き矢が飛んできたみたいで――」
涙まじりに答えたロミルダを落ち着けるように、宮廷魔術師の一人が答えた。
「猫の様態を見るに毒矢でしょう。すぐに聖魔法で処置しますよ」
「助かりますの!?」
悲鳴まじりに訊いたのは、ロミルダではなく王妃だった。
「ご安心ください。人間にとっては致死量の毒ではありませんから」
その不思議な回答をロミルダは聞くことなく、ほかの魔術師に指示されて、緋色の布がかかったテーブルの上にそっとミケを寝かせた。
「あとは優秀な魔術師たちに任せましょう」
固い声で告げると、王妃はロミルダと侍女を外へうながした。
(心配で心配で、ここで見ていたいけれど――)
ロミルダは後ろ髪を引かれる思いで魔術の間を出た。
(私たちが見ていることで魔術師さんたちの気が散って、魔法が失敗したら困るものね……)
中庭に出ると、王妃がロミルダに背を向けたまま尋ねた。
「吹き矢はどこから飛んできたのかしら?」
「えっと、私もそれはよく分からなくて――」
「あなたさっき空からっておっしゃったわよね?」
感情を抑えた王妃の声に、ロミルダは恐れをいだきながらうなずいた。
「はい。上から飛んできたように見えたのですが……」
「どこで? お屋敷を出たら突然、というのは?」
王妃が、自分の言葉を一言一句正確に覚えていることに驚きながら、ロミルダは途切れ途切れに答えた。
「玄関を出て、階段を下りて、お屋敷の正門へ向かって歩いていたときです」
「吹き矢はどちらの方角から? 湖のほうかしら?」
「いえ、反対です。お屋敷のほうから――」
自分の答えが義妹を断罪へ導くなどとは、ロミルダは一切考えていなかった。彼女はドラベッラが屋根裏部屋に幽閉されたことも知らないのだから。
「分かりました」
何かを決意したように王妃は、はっきりと答えた。それからいつもの麗しい笑みを浮かべようとした。
「ありがとう、ロミルダさん。部屋でゆっくり休んでくださいね」
そんなこと言われたって、とてもゆっくり休める気分ではない。
自室に戻ったロミルダは、祈るような気持ちでベッドに座り込んでいた。
「聞きました。ミケくんが――」
沈痛な面持ちで、サラがとなりに座った。ロミルダの肩にそっとブランケットをかける。
「ロミルダ様、私がご一緒すればよかったです。そうすれば矢に当たったのは私だったかもしれません」
ロミルダは首を振った。
「ミケは私を守ろうとして矢に当たったの」
言うなり、その頬をはたはたと涙がこぼれ落ちた。
「私の身代わりに――」
サラがブランケットの上からぎゅっと抱きしめた。
「ああ、私がご一緒していれば、私がロミルダ様をお守りしたのに」
「だめよ、サラ。私はあなたを失うことだってできないわ!」
「ロミルダ様、人間の私なら当たっても致死量の毒ではなかったかも知れません」
泣きじゃくりながら、ロミルダは頭の片隅で考えていた。
(同じことを魔術師も言っていたような―― なんだったかしら……)
二人の静かな涙は突如、屋敷中に響いたドラベッラの金切り声に破られた。
「放しなさいよ、無礼者! 私はモンターニャ侯爵家令嬢ドラベッラよっ!」
「ドラベッラ?」
義妹の名を口にして、ロミルダは涙で濡れたハンカチを膝に置いた。
「おとなしくしろ!」
野太い声が響く。
「お前は罪人として貴族の身分を剥奪された。下の村に引き渡され、処刑されることになったのだ」
聞こえてきた騎士団の者らしき声に、ロミルダとサラは顔を見合わせた。
「どういうことなの?」
ドラベッラが吹き矢を放った犯人とは思いもしないロミルダは立ち上がった。
(義妹まで失ってしまう――)
悲しみで頭の芯がしびれて冷静に考えられないまま、ふらふらと部屋を飛び出した。