お前を愛することはないと言われた侯爵令嬢が猫ちゃんを拾ったら~義母と義妹の策略でいわれなき冤罪に苦しむ私が幸せな王太子妃になるまで~【猫殿下とおっとり令嬢】

 ドラベッラは逃げていた。振り返る余裕はない。もしかしたらすぐうしろまで魔女アルチーナの手が迫っているかもしれない。

「何者だ! 止まれ!」

 王家の私有地まで走ってくると、ドラベッラでさえドレスを脱ぎ捨てたら飛び越えられそうな簡易的な柵の前に、見張りが二人立っていた。

「助けて下さい、魔女から逃げているんです!」

 長いスカートの裾は、豪華で重そうな生地には不釣り合いな泥はねで汚れている。決して庶民には見えないものの髪は乱れ、いかにも訳ありな様子の少女に見張りたちは顔を見合わせた。

「魔女だと?」

 もちろん二人とも王宮の地下牢から魔女母娘(おやこ)が脱走した事件については知っていたが、ここは王都から遠く離れている。

「嬢ちゃん、村の教会にでも行ってくんな。ここから先は国王陛下の土地だから、むやみに部外者を入れるわけにはいかねぇんだ」

「王族の方々がいらっしゃるからお願いしているんです! 私、第二王子殿下の居場所を知っていますからっ!」

「何を言っているんだ?」

 見張りは怪訝そうに眉根を寄せた。下っ端の彼らには、王子二人が消えてしまったなどという極秘情報は伝わっていない。

 それを察したドラベッラが、しまったという顔をしたとき、

「おい、そこの小娘」

 湖の方から近付いて来た騎士団の一人が、馬上から声をかけた。

「王子の居場所だと? 貴様、何を知っている?」

「よくぞ訊いてくださいました」

 ドラベッラは侯爵令嬢らしく背筋をぴんと伸ばして、

「私を国王陛下のもとへ案内なさいまし。カルロ殿下の居場所をお伝えしましょう」

 ドラベッラは離宮に国王が来ていないことまでは知らなかった。

 上官らしき男の馬が、一歩進み出た。

「お前が小脇に抱えている、その汚い布包みはなんだ?」

「これこそが、カルロ様につながる重要な証拠ですわ」

 上官は部下の騎士を振り返ると、一言命じた。

「連れて行け」



「ロミルダ様、いらっしゃいますか?」

 離宮に与えられた自室で、紐を振り回して三毛猫ミケを遊ばせていたロミルダは、廊下からかかった声に顔を上げた。侍女のサラが扉を開けると、ミケーレ殿下の侍従が立っていた。道を封鎖するため手の空いている使用人がかり出されたので、どうも人が足りていないようだ。

「ドラベッラを名乗る小娘が捕らえられました」

「えぇっ!?」

 驚いて大きな声を出したら、ミケがぴゅーっと走ってベッドの下に隠れてしまった。

「本人かどうか確認するため、謁見の()へ来ていただきたいとのことです」

「分かりました。すぐ行きますわ」

 立ち上がったロミルダは、手にしていた紐をクローゼットにかけた。

「その紐、どこから持ってきたんですか?」

 こそっと尋ねたサラに、

「私のコルセットの紐よ」

 しれっと答えるロミルダ。

「やっぱり。そんなもので猫を遊ばせないでください」

「いいじゃないの。今、着ているものじゃないんだから」

「そういう問題じゃありません」

 部屋を出るとなぜかしっかりミケもついてきた。

「あの、ミケ――猫ちゃんも一緒で構いませんか?」

「ロミルダ様、ミケーレ殿下みたいですね。猫ちゃんも連れてきて大丈夫ですよ。あ、ついでにサラさんも」

「私をおまけみたいに言わないでください」

 大理石の床に赤いじゅうたんが敷かれた謁見の間は、王都の王宮内のものと比べると半分ほどの広さだった。本来国王が座るべき正面の玉座には誰も座っておらず、一段下がったところに王妃殿下が座しておられた。挨拶(カーテシー)するロミルダに、

「ロミルダ様はあちらへ」

 侍従が王妃殿下のはす向かいの椅子を示した。ロミルダが腰かけると、待ってましたとばかりに、その膝の上にミケが飛び乗ってきた。

(私のお膝は自分専用って顔ね)

 ロミルダは、ぴりっとした空気に配慮して笑いたいのをこらえた。

「入りなさい」

 侍従が声をかけると、うしろの扉が開いて騎士二人に両脇を抱えられ、ドラベッラが引き立てられて入ってきた。

「お久しぶりねえ、お義姉(ねえ)様。小汚い野良猫なんかお膝に乗せちゃって、お似合いよ」

 不敵な笑みを浮かべるドラベッラに、ロミルダはほっと胸をなで下ろした。逃亡生活でやせ衰えているのではないかと心配していたが、悪態をつくほど元気だった。だが大切なミケの悪口を言ったことは、全く許していない。

「小汚さではあなたのお洋服には及びませんわ。でもかわいらしさでは、ミケちゃんの圧倒的勝利ですけれどね、これっぽっちも可愛げのないドラベッラ」

 毒舌を披露するロミルダを、驚いたようにミケが見上げた。

(思わず言い返しちゃった!)

 猫の丸い瞳にまじまじと見られて、ロミルダは気まずくなって目をそらした。

「本人のようですな?」

 椅子に座らず立ったままの侍従が振り返って尋ねる。

「はい、間違いありません」

 ロミルダがしっかりうなずくと、侍従が拘束されたままのドラベッラに向きなおって、

「魔女の娘ドラベッラよ、王太子殿下の婚約者であるロミルダ様への無礼、謝罪せよ!」

 高らかに言いつのった。

「はぁ? その肝心の王太子殿下が行方不明なんでしょう? このまま本人が見つからなければ、お義姉(ねえ)様は婚約者でもなんでもないわ」

 ドラベッラの言葉に、王妃殿下は不愉快そうに眉をひそめた。それに気付いたロミルダ、

「言葉を(つつし)みなさい、ドラベッラ。王妃殿下の御前ですよ」

「お義姉(ねえ)様ったら何よ偉そうに。私はカルロ様の居場所を知っているのよ」

「それを早く言え」

 侍従が先をうながすが、

「私を火あぶりにしないと誓ってください。私は魔女の娘ではなく、モンターニャ侯爵の娘です」

(どっちもでしょうが)

 ロミルダは胸の内でつぶやいた。ドラベッラが実の母親であるアルチーナを裏切ってここへ来たのか、それともアルチーナの差し金なのかは分からない。だが会ったことのない母を慕い続けるロミルダにとって、気持ちの良い言葉ではなかった。

「分かりました」

 王妃殿下の落ち着いた声が響いた。

「ドラベッラ、あなたを火あぶりにしないよう、私から陛下にお願い申し上げます」

「王妃様――」

 侍従が小さくつぶやいた。

「ありがとうございます、王妃様!」

 目をらんらんと輝かせて礼を言うとドラベッラは、脇を押さえる騎士に自分の使用人に対して言うかのように命じた。

「さっき私から奪った懐中時計をお渡しして」

 ムッとしながらも騎士の一人が、麻の布に包まれた懐中時計を侍従に手渡し、それは侍従から王妃に差し出された。

(あれはカルロ殿下の懐中時計? なぜもう一つあるのかしら)

 ロミルダは目をこらして王妃の手の中の時計をみつめる。

(王妃様、懐中時計のまわりに全てのダイヤが嵌まっているか、確かめていらっしゃる?)

「それで、この時計がなんだと言うのですか?」

 懐中時計をじっと見つめていた王妃が、顔を上げてドラベッラに尋ねた。

「驚かないでくださいまし、王妃様。魔女は恐ろしい魔法で、カルロ殿下をその懐中時計に変えてしまったのです!」

 その言葉に、王妃以外の全員が息をのんだ。

(まさか、嘘でしょう!?)

 ロミルダと侍従、騎士二人は目と目で会話する。王妃だけは変わらぬ口調で、

「事の真偽は宮廷魔術師に確認させましょう。あなたにもう一つ尋ねたいことがあります」

「なんでしょうか?」

 訊き返すドラベッラの声が、わずかに緊張する。

「ミケーレ第一王子の居場所は知らないのですか?」
「ミケーレ第一王子の居場所は知らないのですか?」

「申し訳ございません、王妃様。私が存じ上げておりますのは、カルロ殿下がその時計にお姿を変えられてしまったことだけでございます」

 ドラベッラは赤いじゅうたんに視線を落としたまま答えた。

「そう」

 王妃は短く答えると、騎士二人に命じた。

「この娘を連れて行きなさい。逃げられないように拘束しておくこと」

「えっ……」

 顔を上げたドラベッラは狐につままれたような顔をしている。

「「かしこまりました、王妃殿下」」

 騎士二人が声をそろえ、ドラベッラを引きずって広間から出ようとする。

「ちょ、ちょっと待ってよ! あり得ないわ! 私は侯爵令嬢なのよ!?」

 両脚をバタバタと動かして抵抗するドラベッラに、

「モンターニャ侯爵家の娘さんは、優しくて聡明なロミルダ嬢だけで充分です」

 王妃は冷たく言い放った。

「王妃様、どうかお耳をお貸しください! 私は悪い魔女に操られていたのです! お父様と同じですわ!!」

「あんなこと言っているけれど、どう?」

 王妃が突然ロミルダに尋ねたので、

「はいっ」

 ロミルダは驚いて姿勢を正した。

(ほぼ確実に嘘をついていると思うけれど――)

 一瞬迷ったロミルダより先に、膝の上のミケが唸り声を上げた。

「う、うぅぅぅ……」

 騒ぐドラベッラに向かって、全身の毛を逆立てて怒る三毛猫を一瞥した王妃は、

「その娘の言葉に耳を貸す必要はありません。連れて行きなさい」

 はっきりと騎士たちに命じた。

「なんで猫の言うことなんか聞くのよぉぉっ!!」

 絶叫しながらドラベッラは引きずられて行った。

(王妃様も猫ちゃんがお好きなのね!)

 ロミルダは盛大に誤解して、胸をときめかせた。

(ニャンコ好きに悪い人はいないのよっ!)



 離宮に地下牢はない。報告を受けた師団長は考えたすえ、小窓しかない屋根裏部屋にドラベッラを閉じ込めることにした。窓から逃げられる心配はないから、見張りはドアの前に立たせるだけで済む。

「あの魔女の娘、元侯爵令嬢だってな」

「ああ、カルロ第二王子殿下の婚約者だったんだろ」

「なあ俺たち二人しかいないし、ヤっちまっても師団長にはバレないんじゃねぇか?」

「やめておけよ、魔女の娘だぜ? 股間に呪いでもかけられたらどうすんだよ」

「股間に呪い!? なんだよ、それ……」

「分かんねえけどさ、あれが蛇になっちまうとか」

「お、恐ろしい……」

 ドアの向こうで交わされる馬鹿馬鹿しい会話に、ドラベッラは目をつり上げた。

「男性自身が蛇になる魔女の呪いなんてないわよっ! 私のこと完全に魔女扱いして! 悔しい!!」

 こぶしを冷たい石の床に叩きつけて、じぃぃぃんと伝わる痛みに涙目になった。

「王妃様も何よ! 『優しくて聡明なロミルダ嬢』ですって? 腹立つわぁぁ。優しいんじゃなくてあの女はただボーっとしてるだけ。聡明なんてとんでもないわ! 阿呆みたいに人畜無害な笑顔を浮かべたまま、壁の花になるしか能がないくせに!」

 ドラベッラはギリギリと歯を食いしばった。

「あんな間抜けな女が将来の王妃ですって? 許せない。王妃にふさわしいのはこの私、ドラベッラしかいないのに。そのために命を助けてやったのよ、カルロ殿下。あなたは人間に戻って王太子に即位し、私を妻に迎える義務があるの」

 ドラベッラの妄想はふくらむ。本人は綿密な計画だと信じ込んでいるようだが。

「そのためには邪魔者の現王太子を消さないとね」

 背中に手を回すと、服の下から長い筒を取り出した。

「魔法が得意なお母様ほどじゃないけれど、私だって攻撃手段は持ってるんだから」

 胸の間から取り出したのは手のひらサイズの小さな矢。魔女の娘のくせに物理で戦う気満々である。

「お母様特製の毒を塗れば完成よ。猫になってしまった殿下には、少量の毒で充分だわ」

 肝心なところは母任せ。ドラベッラが用意してきたのは吹き矢のようだ。

「離宮に地下牢がなくて良かったわぁ」

 小さな鎧戸を開けて見下ろすと、行き来する衛兵たちがよく見える。

「ここからなら狙い放題ね。ククク……」

 唇をゆがめ、邪悪な笑みを浮かべた。
(王太子ミケーレ視点) 

「ミケちゃん、ブラッシング気持ちいい? うふふ、ご満悦ね」

 上からロミルダのうれしそうな声が降ってくる。

 謁見の間から解放された我々は、ロミルダの部屋に戻って来ていた。張り詰めた空気のせいですっかり疲れてしまった余は、帰ってくるなりソファのはしっこで眠ってしまった。ロミルダとサラの話し声で目を覚ますと、なぜかブラッシングされることになったのだ。

「あの懐中時計がカルロ殿下だなんて、サラ信じられる?」

 余の耳のうしろをさっさっとブラッシングしながら、ロミルダが尋ねた。

「私は魔法に詳しくありませんから、人間が変身すること自体、信じられませんが―― 王妃様はまるで動じていらっしゃらなかったですね」

 母上は表情から何も読み取れないから怖いのだ。

「さすが王妃様、肝が据わっていらっしゃるんだわ」

 ロミルダの操るブラシが、余の目の間から後頭部へとすべってゆく。気持ちよくてまた眠くなってくるぞ……

「なんにせよ、宮廷魔術師が到着すれば全て明らかになるんでしょう」

 サラの言葉に余は一気に覚醒した。

 伝令は王都まで早馬を飛ばした。だが魔術師は馬や馬車を使うのではなく、王宮の魔術の()から離宮内の魔術の間まで、転移魔法陣同士をつないで瞬間移動してくるだろう。余に残された時間はわずかかもしれん。

「どうしたの、ミケちゃん! どこか痛かった?」

 突然目を見開いたために、ロミルダを驚かせてしまった。

 そうじゃないんだ、ロミルダ。余は気付いてしまったのだよ。宮廷魔術師が到着したら、カルロだけじゃなく余も人間に戻されてしまうではないか! このままロミルダに飼われていたいのに!

「ごろごろごろにゃ~ん」
(猫として過ごせる時間を満喫せねば!)

 余はロミルダのやわらかい腹に顔をうずめた。ちょうどよく無駄なお肉がついていて素晴らしい。

「向きを変えてくれてお利口さんね。次はお背中よ」

 しまった。余は自分でグルーミングできない首から上のブラッシングが好きなのに……

「人間を時計に変えてしまうなんて、本当に怖い魔法ですね」

 サラが、丹念にブラッシングを続けるロミルダに話しかける。

「侯爵邸の掃除婦から聞いた話ですけれど、アルチーナ様のお部屋には瓶に入ったいろんな色の粉や薬草が、たくさんあったんですって。そのどれかが恐ろしい魔法薬だったのかしら」

 今回使われた魔法薬は、砂糖そっくりの真っ白い粉だがな。

「あぁぁぁそれ!」

 いきなりロミルダがうんざりとした声を上げた。

「勉強するように言われたんだわ!」

「何をです? 魔法薬の知識を?」

「そう。陛下の決定だから絶対なのよ。王族も身を守るために魔法薬の知識を持つべきだって」

「確かに、その通りですね」

 そう、ロミルダが砂糖と魔法薬の入れ替えに気付いていたら、起こらなかった事件なのだ。魔女アルチーナとその娘ドラベッラの会話を聞いた余が事の真相を伝えたことから、父上は我々も宮廷魔術師と同等の知識を身につけるべきという考えに至った。

「はぁぁ、また勉強する科目が増えてしまったわ。王都に帰ったら宮廷魔術師から授業を受けなければいけないの」

 余も一緒に学ぶように言われている。全く面倒である。猫のままなら一日のほとんどを寝て、毛づくろいして、食べて、ロミルダに甘えて過ごせるのに。

「毎日ミケちゃんに添い寝して、ブラッシングして、お食事してるところながめて、遊んであげるだけの毎日ならいいのに~」

「にゃーお、にゃぁぁ」
(余も完全に同意するっ!)

 ロミルダのおなかに前脚を置いて、顔を上げて訴える余。

「ほら、ミケちゃんも賛成してくれてる」

「ロミルダ様」

 怖い顔でにらむサラ。

「サラはまじめで嫌な子ねぇ」

 ロミルダが余を抱きしめてくれたので、お礼に彼女の耳の下をぺろぺろとなめてやった。

「ロミルダ様、もしこのままミケーレ殿下が見つからなかったら、ロミルダ様はおそらくカルロ殿下と婚約させられるのですよ?」

 サラがぴしゃりと言った。余が見つからなかったら、だと? なんと不謹慎な侍女だ!

「どのみち王妃になる未来からは逃れられません」

 そうか、余が人間に戻らなければ、弟がロミルダと結婚するのか!

「う、ううぅぅうう、シャーッ!」
(そんなの許せん! ロミルダは余だけのものだ!)

「なんでこの猫、私に威嚇しているのかしら」

「サラが私をいじめるからよ」

 うーむ、猫のままロミルダと結婚する方法があればなあ……

 ん? 考えてみたら、魔法薬の知識を手に入れたら、とりあえず人間に戻って結婚したあとで、いつでも猫に戻れるのでは!?

 というわけで余は、婚姻の儀にそなえて人間の姿に戻ることを決意した。とりあえずロミルダを余の(きさき)にせねば、安心できぬからな。



 翌日午後、宮廷魔術師が離宮に着いたとの報告があった。

「ナーン、ナァァン」
(湖畔を散歩せぬか)

 魔術師から逃げるため、少しでも猫としてロミルダにかわいがられる時間を引き延ばすため、余はロミルダを外へ誘った。

「子猫ちゃんみたいに甘えた声出しちゃって。お外に行きたいの?」

「にゃーお」
(そうだ。ついて参れ)

 余が肉球で扉を押そうとすると、その前にロミルダが開けてくれた。

「にゃ」
(ごくろう)

「今日はよく晴れているし、空気が澄んで気持ちいいわね」

 うむ、湖にも青空がよく映って綺麗であろう。

 サラや余の侍従に見つかって小言を言われる前に、我々は屋敷の外へ出た。

「魔術師さんたちの到着、こんなに早いと思わなかったわ」

 屋敷の正門玄関から続く小道を歩きながら、ロミルダが余に話しかける。

「私たち、馬車で五日かけてここまで来たじゃない? でも早馬を飛ばせば王都まで一日半なのね!」

 そのとき、何かが空気を切る耳慣れぬ音に気付いて、余は空をあおいだ。屋敷の一番上の窓から、何かがこちらへ向かって飛んでくる。

「にゃぁっ!」
(危ないっ!)

 余はとっさに飛び上がっていた。小さな矢がロミルダの首に刺さるかと危惧した次の瞬間、それは余の背中を貫いていた。

「えっ? ミケちゃん!?」

 ロミルダの呆けた声が悲鳴に変わる。

 視界が暗くなり、四肢から力が抜けて行く。

「何よこれ!? 吹き矢!?」

 短い人生であったが、愛する者を守って一生を終えられるなら本望である。ディライラ、寂しい思いをさせることになって、すまぬな…… カルロ、我が王国を頼むぞ。

「嫌ぁぁぁっ、誰かーっ!!」

 ロミルダの泣き叫ぶ声を最後に、余の意識は闇の中へと沈んで行った。

 ――余の二十年余りの生は、猫としては長生きであったな……



・~・~・~・~・~・~



三毛猫ミケの運命やいかに!?
吹き矢を吹いた犯人に天罰は下るのか!?

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「はずしたと思ったのに、あの猫みずから当たりに来たわ」

 屋根裏部屋の窓から見下ろすドラベッラは、一人笑い声を上げた。

「お義姉(ねえ)様ったら、うろたえちゃって。いい気味ねぇ。猫しか友達がいない寂しい女!」

 そういう自分は唯一の友達らしき存在であった母親を裏切ってしまったのだが、その事実には思いいたらないようだ。

「侍女が出て来たわ」

 ドラベッラは目をこらして屋敷の玄関を見下ろした。

「あれは――サラじゃないみたいね。もっと老けてるもの」

 窓から首を出すと、風が話し声を運んできた。

「ロミルダ様、王妃様がロミルダ様の猫ちゃんをお連れするようにと―― えっ!?」

「ミケが、何者かに…… 助けて!!」

 宮廷魔術師が到着したことを知らないドラベッラは、聞こえてきた侍女の言葉に首をかしげた。

「なんで王妃様が猫に用なんかあるのかしら。それにしても気が動転してしゃべれないお義姉(ねえ)様なんてめったにお目にかかれないわね。いつも、てろーんと落ち着いて腹が立つって思ってたのよ!」

 まさか今日中に断罪されるとは夢にも思わぬドラベッラは、余裕の笑みを浮かべていた。



 ロミルダは王妃殿下の侍女のあとを追って、早足に離宮の中庭を横切っていた。腕には目を閉じ、ぐったりとした三毛猫ミケが抱かれている。

「こちらです!」

 侍女に案内されたのは、北棟の一階に広がる広間だった。薄暗く肌寒い広間の床には魔法陣が描かれ、壁の燭台では紫色の炎が燃え、戸棚には鏡や水晶、魔術書が所狭しと並んでいる。

「ロミルダさん、猫ちゃん連れてきてくれた? ――って、なにごと!?」

 ロミルダの腕に抱かれた意識のない三毛猫を見た王妃の顔色が変わった。気が動転しているロミルダは疑問に思う余裕もなかったが、侍女は王妃の反応に驚いていた。この猫が何だと言うのだろう?

「一体何があったの!?」

「わ、分かりません! お屋敷を出たら突然、空から吹き矢が飛んできたみたいで――」

 涙まじりに答えたロミルダを落ち着けるように、宮廷魔術師の一人が答えた。

「猫の様態を見るに毒矢でしょう。すぐに聖魔法で処置しますよ」

「助かりますの!?」

 悲鳴まじりに訊いたのは、ロミルダではなく王妃だった。

「ご安心ください。人間にとっては致死量の毒ではありませんから」

 その不思議な回答をロミルダは聞くことなく、ほかの魔術師に指示されて、緋色の布がかかったテーブルの上にそっとミケを寝かせた。

「あとは優秀な魔術師たちに任せましょう」

 固い声で告げると、王妃はロミルダと侍女を外へうながした。

(心配で心配で、ここで見ていたいけれど――)

 ロミルダは後ろ髪を引かれる思いで魔術の間を出た。

(私たちが見ていることで魔術師さんたちの気が散って、魔法が失敗したら困るものね……)

 中庭に出ると、王妃がロミルダに背を向けたまま尋ねた。

「吹き矢はどこから飛んできたのかしら?」

「えっと、私もそれはよく分からなくて――」

「あなたさっき空からっておっしゃったわよね?」

 感情を抑えた王妃の声に、ロミルダは恐れをいだきながらうなずいた。

「はい。上から飛んできたように見えたのですが……」

「どこで? お屋敷を出たら突然、というのは?」

 王妃が、自分の言葉を一言一句正確に覚えていることに驚きながら、ロミルダは途切れ途切れに答えた。

「玄関を出て、階段を下りて、お屋敷の正門へ向かって歩いていたときです」

「吹き矢はどちらの方角から? 湖のほうかしら?」

「いえ、反対です。お屋敷のほうから――」

 自分の答えが義妹を断罪へ導くなどとは、ロミルダは一切考えていなかった。彼女はドラベッラが屋根裏部屋に幽閉されたことも知らないのだから。

「分かりました」

 何かを決意したように王妃は、はっきりと答えた。それからいつもの麗しい笑みを浮かべようとした。

「ありがとう、ロミルダさん。部屋でゆっくり休んでくださいね」

 そんなこと言われたって、とてもゆっくり休める気分ではない。

 自室に戻ったロミルダは、祈るような気持ちでベッドに座り込んでいた。

「聞きました。ミケくんが――」

 沈痛な面持ちで、サラがとなりに座った。ロミルダの肩にそっとブランケットをかける。

「ロミルダ様、私がご一緒すればよかったです。そうすれば矢に当たったのは私だったかもしれません」

 ロミルダは首を振った。

「ミケは私を守ろうとして矢に当たったの」

 言うなり、その頬をはたはたと涙がこぼれ落ちた。

「私の身代わりに――」

 サラがブランケットの上からぎゅっと抱きしめた。

「ああ、私がご一緒していれば、私がロミルダ様をお守りしたのに」

「だめよ、サラ。私はあなたを失うことだってできないわ!」

「ロミルダ様、人間の私なら当たっても致死量の毒ではなかったかも知れません」

 泣きじゃくりながら、ロミルダは頭の片隅で考えていた。

(同じことを魔術師も言っていたような―― なんだったかしら……)



 二人の静かな涙は突如、屋敷中に響いたドラベッラの金切り声に破られた。

「放しなさいよ、無礼者! 私はモンターニャ侯爵家令嬢ドラベッラよっ!」

「ドラベッラ?」

 義妹の名を口にして、ロミルダは涙で濡れたハンカチを膝に置いた。

「おとなしくしろ!」

 野太い声が響く。

「お前は罪人として貴族の身分を剥奪された。下の村に引き渡され、処刑されることになったのだ」

 聞こえてきた騎士団の者らしき声に、ロミルダとサラは顔を見合わせた。

「どういうことなの?」

 ドラベッラが吹き矢を放った犯人とは思いもしないロミルダは立ち上がった。

義妹(いもうと)まで失ってしまう――)

 悲しみで頭の芯がしびれて冷静に考えられないまま、ふらふらと部屋を飛び出した。
「ロミルダ様! 私も行きます」

 サラがそのあとを追う。叫び声と足音のする方へ向かって廊下を渡り階段を下りると、暴れるドラベッラと押さえ込む騎士団を遠巻きに見守る侍従に出会った。

「ドラベッラは王都に連れて行かれるのではないのですか?」

「ロミルダ様」

 侍従は振り返ると声をひそめた。

「王妃殿下が激怒されまして『あんな汚らわしい娘は王都に連れて行きたくないから、貧しい村人たちになぶり殺されておしまい』とおっしゃって――」

「ええっ、王妃様が?」

 感情を表に出さない王妃が、そんな強い言葉を使って怒るところが想像できなかった。

「ドラベッラはなぜ、そんなに王妃様を怒らせてしまったのでしょう?」

 昨日、謁見の間から引き立てられていったあとで、王妃と関わりがあったとは思えない。

「罪状は王太子殿下殺人未遂だそうです」

「王太子殿下――」

 ロミルダは口の中で小さく繰り返した。

(ということは、ミケーレ様を――)

 いつ? どこで? 宮廷魔術師が何かを明らかにしたのだろうか? 悲しみに打ちのめされて回らない頭で考えていると、

「王子殿下お二人の殺人未遂ではないのですか?」

 サラが尋ねた。

「――ではないそうです。宮廷魔術師たちがやってきて突然、断罪されたのですから、きっと彼らが魔法で何かを明らかにしたのでしょう」

 説明する侍従自身も腑に落ちない顔で、自分を納得させるために話しているようだった。

 屈強な騎士たちに手足をつかまれ、こちらにやってきたドラベッラの姿に、ロミルダは顔を覆った。

「どうか義妹(いもうと)に乱暴しないでください!」

「ロミルダ様、我々はそんな――」

「だってドラベッラのドレスが乱れているじゃない!」

 ドラベッラはおそらくコルセットを装着していなかった。その様子を見てロミルダは、彼女が騎士たちに乱暴されたと思ったのだ。

「お義姉(ねえ)様、助けてっ!」

 騎士たちに拘束されたドラベッラが身をよじり、目に涙を浮かべながらロミルダを見上げる。

 ロミルダが口を開く前に侍従が、

「昨日ロミルダ様に対してあんなに無礼な態度をとっていたのに、今さら助けを乞うなんて、ショックでおかしくなったのでは?」

 と冷たいまなざしを向けると、サラもさげすみの表情でうなずいた。

「あれはもともと、ああいう人間ですから」

 戸惑うロミルダの前に、師団長が進み出た。

「ご安心ください。衣服の下を調べたのは王妃殿下の侍女の方々です」

「なぜ衣服の下など――」

「その結果、吹き矢が見つかった。これが動かぬ証拠だと王妃殿下がおっしゃっておいででした」

「吹き矢――」

 つぶやいたロミルダのおもてから、すっと表情が消え失せた。つかつかとドラベッラに歩み寄ると、右手のひらを高くかかげた。

 パン!

 ドラベッラの頬に、ロミルダの平手打ちが炸裂した。

「い、痛ぁぁぁいっ! 何すんのよ! 馬鹿!」

「本来なら、あなたの口をこじ開けて毒を流し込みたいところです」

 わずかに怒りに震えたロミルダの声に、ドラベッラは口をつぐんだ。知っている義姉とあまりに違ったからだ。何をされても怒らない温和な阿呆だと思っていたのに――

「連れて行きなさい。村の処刑人のもとへ」

 ロミルダの静かな声に、騎士たちは敬礼して進み出した。そのうしろ姿を見送って、ロミルダはため息をついた。

「疲れ果てたわ。部屋に戻りましょう」

 侍従と別れ自室に戻ると、部屋の前に王妃の侍女が立っている。

「あ、ロミルダ様、探しておりました! 王妃様から伝言がありまして――」

 侍女はそこで言葉を切ると、悲しげに目を伏せてうつむいた。ロミルダは嫌な予感に胸を締め付けられそうになりながら、

「ミケの――猫ちゃんのことですか?」

 乾いた声で尋ねた。

「はい、残念ながら――」

 涙が込み上げて来て、うしろに立つサラの胸に顔をうずめようとしたとき――

「待て」

 凛とした声がうす暗い廊下に響いた。



・~・~・~・~・~・~



廊下に現れたのは誰?
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 サラの胸から顔を上げたロミルダは、思わず声の主の名を呼んだ。

「ミケーレ殿下――」

 絹糸のようなブロンドを、壁の燭台でゆらめくロウソクの炎がきらめかせる。大理石の彫像かと見まごうばかりに整った顔立ちに、希少石楔石(スフェーン)を思わせる薄い緑の瞳。長い脚でゆっくりと歩いてくると、確信に満ちた声で宣言した。

「ミケは生きている。ただ、今は会えないだけだ」

 侍女二人に驚きのまなざしで見つめられながら、ミケーレはロミルダだけをまっすぐ見下ろしていた。

「ミケーレ様、どこか具合が悪いのでしょうか……?」

 彼の血の気の無い唇を見上げて、ロミルダは心配になった。

「ふ……」

 ミケーレはかすかに苦笑すると、秘密めかして答えた。

「ちと毒にあてられてな」

 彼の微笑が弱々しく見えたロミルダは、自室に招き入れた。

「おかけになったほうが良いのでは? どうぞこちらへ」

 いつもミケと二人で過ごしたソファに座らせる。

「余が戻ってくるより、ミケが助かった方が嬉しかっただろう?」

 悪戯(いたずら)好きの少年のような、それでいてどこか悲しげな笑みを浮かべて、ミケーレが尋ねた。

「いえ、まさかそんな!!」

 いつも正直なロミルダも、さすがに両手を振って否定した。

「無理しなくてよい。そなたが悲しんでいるのはよく分かっているのだ」

 穏やかな彼の声に、ふいに涙があふれそうになるのをぐっとこらえた。目を合わせないように前を向いて、

「どちらにいらっしゃったのですか? お二人の身に何があったのでしょう?」

「それは―― 今はまだ言えぬが、いずれそなたに真実を話す時が来るだろう」

 ミケーレは静かにもう一度、繰り返した。

「すべての真実を――」

 毒に侵され体力を奪われているのか、ソファの背もたれに頬を寄せると、そっとまぶたを閉じた。

(なぜかミケーレ様がとなりにいらっしゃっても私、緊張しないわ――)

 悲しみの霧はまだ心に影を落とすけれど、不思議と落ち着くのだ。

(私が不安なとき、こうやってミケくんも静かにそばに寄り添っていてくれたわね)

 かすかに寝息を立て始めたミケーレの顔をそっと見つめる。さらりと額をすべるブロンドを指先で分けると、長いまつ毛がわずかに震えた。

 サラがブランケットを腕にかけて、足音を立てないように近付いてくる。ロミルダは受け取ったブランケットをミケーレの肩にかけて、その上に優しく手のひらを乗せた。

(ミケは生きているって、ミケーレ様はおっしゃった。私はこの方の言葉を信じよう)

 無防備な寝顔をさらすミケーレを静かに撫でながら、ロミルダは心に誓った。私は王妃となって、この方を支えるのだと――。

 すっかり日が暮れ、夜風が湖面を揺らす頃、

「殿下! ミケーレ殿下はいらっしゃいますか?」

 廊下から侍従の大きな声が聞こえた。ミケーレが目を覚ましたのを確認してから、サラが扉を開けると、

「ああ殿下、こちらにいらっしゃったのですか! 魔術の間から姿を消されて、心配しましたよ!」

 また行方不明にでもなったら大変だと慌てたのか、侍従が胸をなで下ろした。

「ああ――」

 まだちょっと寝ぼけているのか、ミケーレは何度かまばたきしてから、

「ディライラは息災か?」

「ええ、お夕食もしっかりと召し上がっていました。キャリーをお持ちしましょうか?」

「うむ、頼む」

 廊下へ下がった侍従のうしろから王妃が姿を現したので、ミケーレは反射的に姿勢を正した。

「このたびはご心配をおかけしたこと、お詫び申し上げます、母上」

「お前が無事なら良いのです」

 ロミルダは立ち上がり、部屋の入り口に立つ王妃を、

「どうぞおかけください」

 と、ソファへと案内する。

 しかし廊下の方から元気な足音と共に、

「母上! ようやく見つけましたよ!」

 カルロ殿下の声がした。じゅうたんの敷かれた廊下を早足に歩いてくる。左腕を骨折したようで、肩から布で吊っていた。

(まさか、懐中時計のダイヤがはずれた場所が、人間に戻ったら左腕だったのかしら?)

 ロミルダはちらりと疑問に思ったが、訊かないでおいた。前回ミケーレ殿下が行方不明になったときも、冤罪をかけられ大いに巻き込まれたにも関わらず、ロミルダに真相が伝えられることはなかった。王家には機密事項が多いのだ。

(いずれ秘密を共有することは避けられないでしょうけれど、今は気楽な立場でいさせてもらいましょ)

 離宮での王妃殿下の堂々とした振る舞いを見るにつけ、将来自分が求められる働きを想像して気が重くなった。だがそこはロミルダ、まだ起こってもいない未来について考えてもしょうがないので、気にしないことにした。

「兄上のところに行ってしまわれるなんてひどいですよ、母上! 屋敷中探し回ってしまいました!」

「はいはい」

 王妃はソファに腰を下ろすのをあきらめて、カルロの方を振り返った。

「月が綺麗だからテラスで話しましょうよ! 兄上とロミルダ様もいかがです?」

「余は疲れているから結構だ」

「私はミケーレ様のお側におります」

 二人の返事を聞いたカルロは、まるでエスコートするかのように右腕を母親の腕にからませて、

「では母上と僕で行きましょう」

 と笑顔を見せた。扉が閉まる寸前、

「やっぱり猫のときに、威嚇されても引っかかれても、抱きしめてスリスリしておけばよかった」

 王妃がポツンとつぶやいた。

「え、なんです? 母上、僕を抱きしめてスリスリしたいっておっしゃいました?」

 カルロの能天気な声が遠ざかっていく。

 王妃とカルロが去って静かになった室内で、ミケーレは安堵のため息をついた。

「ああやって素直に甘えられる弟を愛しているのさ、母上は」

 自嘲ぎみに笑うミケーレに、ロミルダは首を振った。

「わたくしには……そうは思えませんが――。王妃様はミケーレ殿下を深く愛していらっしゃるように見えます」

「フン、余はそなたに愛してもらいたいのだがな?」

 照れ隠しなのか、目を合わせずにそんなことを言うミケーレに、ロミルダは頬を紅潮させてうなずいた。

「あ……、はい」

 うつむくロミルダに気が付いて、ミケーレは慌てて訂正した。

「今、傷心のそなたに言うべき言葉ではなかったな」

 大きな手のひらが力づけるようにロミルダの肩を優しくつかんだ。それは恋人の肩を抱くというよりも、師団長が部下を激励するようだった。だがミケと会えない悲しみに心がふさいだロミルダは、まだロマンスを楽しむ気分ではなかったから、ミケーレの振る舞いに救われた。

「そなたの心は今、ミケくんにあるだろうからな」

(いけないわ、殿下にこんな気を遣わせては――)

 ふと我に返って、首を振ろうとしたロミルダに、 

「余はそなたの優しさに触れるまで十年近く、猫のディライラだけを愛してきた偏屈な男だぞ?」

 ミケーレは笑いを含んだ声で言った。

「猫ちゃんが大切な家族や恋人のような存在だというのは、よーっく分かっておるから、何も気にする必要はない」

(やっぱりミケーレ様は本当に心の優しい方なんだわ。猫ちゃん好きに悪い人はいないのよ!)

 うつむいていたロミルダが顔を上げると、ミケーレが美しい緑の瞳を細めてふわっとほほ笑んだ。

(なんだかミケーレ様の瞳、ミケくんみたい――)

 ロミルダも包み込むようにほほ笑み返して、膝の上で握られた彼のこぶしの上に自分の手のひらを重ねた。

「あったかい……」

 子供のようにつぶやいて、ミケーレはロミルダの肩にこてんと額を乗せる。彼の絹糸のようなブロンドを手櫛でとかしながら、傷心のロミルダは心の中でこっそりつぶやいた。

(殿下ったらかわいい……けど、ゴロゴロ喉鳴らしてくれたら最高なのに!)



・~・~・~・~・~・~



王子の想いは通じた・・・のか!?

次回は村人に引き渡された義妹ドラベッラのお話です。
 ロミルダとミケーレがサラの視線に気付かず手を握りあっていたころ、湖の下に広がる小さな村では、ドラベッラを押し付けられた村人たちが頭を寄せあって話していた。

「魔女の娘だって? なんと恐ろしい……」
「王太子様を亡き者にしようとしたっていう罪状だろう?」
「そんな重罪人をこんな静かな村に押し付けられてもなぁ……」
「常駐の処刑人なんていないってのに」
「湖の裏の森にでも置き去りにすりゃぁ、狼の餌にでもなるんじゃねえか?」
「魔法を使えるかもしれないんだぞ? 狼なんて操れるかも……」
「それで今、その娘ってのはどこにいるんだ?」
「村長ん()(うまや)に、馬と一緒につながれてるそうだ」
「村長ん()の馬、大丈夫かよ? 今ごろ食い尽くされて骨になってるかもしれねぇぞ!?」

 その心配は全くなかった。魔法の勉強など一切してこなかったドラベッラは、農作業で鍛えられた筋肉質な馬たちに対抗する手段など持っていない。

「くっさ! くっさ! 鼻がもげそうよ!」

「フフン、フン!」

 自分たちのテリトリーに突然現れた小さくてうるさい人間に、馬たちは鼻息荒く不快感をあらわにする。

「私は貴族よ! 家畜ども、私を(うやま)いなさいっ!」

 金切り声を張り上げると、さすがに我慢ならなかったのか、一匹の馬が後ろ足を蹴り上げた。

「キャァァァッ!」

 普段から動かないドラベッラにその攻撃を避ける瞬発力はなく、馬脚の直撃を受けた。ムチムチとした身体が完璧な放物線を描いて厩の中を飛んで行く。

 ぼすっ。

 間の抜けた音を立てて馬糞まみれの(わら)に頭から突っ込むと、

「シーシッシッシ」

 蹴り上げた馬は満足げに上唇をつり上げて笑った。

 罪のないかわいい猫ちゃんに吹き矢なんぞを放ったドラベッラは、しっかり(むく)いを受けるのだった。



 翌朝――

 村長が、陶器というより土器を思わせる無骨な水差しを手に厩へやって来た。うしろには固いパンを持った孫娘の姿も見える。

「遅いわよ、愚民ども! 私を誰だと思っているの!?」

 朝からキンキン声で怒るドラベッラに、小さな孫娘が不思議そうな顔で、

「じいちゃん、この頭の悪そうなオバサン、誰なの?」

 と尋ねた。村長が答える前にドラベッラが叫んだ。

「私は未来の王妃よ! この国の王妃! こんな臭くて汚い馬小屋で鎖につながれるような立場じゃないの! おびただしい数の宝石が縫い付けられたきらびやかなドレスを着て、舞踏会で蝶のように舞っているべき人間なのよっ!」

「本物の王妃様はあんな愚かなことは言わんから安心しなさい」

 村長は孫娘に語りかける。

「そうなの?」

「そうだとも。王妃殿下は国王陛下を支え、社交や外交に忙しくされている方じゃ。贅沢なドレスやきらびやかな舞踏会に憧れるような者が王妃様になったら、国が傾いてしまうじゃろ?」

「っきぃぃぃっ! 愚民のくせに! 偉そうに!」

 ドラベッラが地団駄踏んで、足についた鎖をじゃらじゃら言わせていると、

「村長、川沿いの道を王家の馬車が通って行きます! 金色に輝いてきれいですよ!」

 村人の一人が呼びに来た。

「じいちゃん、わたし見に行きたい!」

「おお、行こうかの」

「ちょっと愚民ども! 水とパンを置いていきなさいよっ!」

 金切り声で命令するドラベッラにうんざりしたのか、そばにいた馬が虫を払う要領で尾を振った。ぴしぃっとぶたれたドラベッラは泣き出した。

「痛ぁぁいっ! 私が黄金の馬車に乗るはずだったのよぉぉ!?」



 王家の紋章がついた黄金の馬車には行きと同様、ロミルダと侍女のサラ、そして三毛猫ディライラが鎮座する特注キャリーと飼い主ミケーレ殿下が揺られていた。

「ディライラちゃん、こんにちは~」

 ロミルダがキャリーに人差し指を差し込んで、猫に自分の匂いを嗅がせていると、

「朝もやの中に佇む村が風情あって素敵ですよ、ロミルダ様」

 サラは車窓の景色を見るようロミルダをうながした。猫に夢中のロミルダよりミケーレ殿下が、朝もやの向こうに立つ教会の鐘楼と、休耕地に放牧される羊たちを眺めながら答えた。

「朝起きたときは霧が立ち込めて、屋敷の窓から見下ろしても湖の反対側の岸が見えないほどだったが、だいぶ晴れてきたな」 

「結局、お義母(かあ)様は見つかっていないのでしょう?」

 猫のディライラに気を取られながらも、ロミルダが尋ねた。

「うむ。村から出る道はすべて封鎖したが、検問には引っかからなかったそうだ」

 ミケーレ殿下の答えにロミルダは猫のキャリーからようやく顔を上げて、ふと車窓から朝の空を見上げた。

「魔女って―― 空を飛んで逃げたりしないのでしょうか?」

 ロミルダは離宮に来るとき見かけた、長い棒のようなものにまたがって空を飛んでいた二人組を思い出していた。 

「さすがに空は飛ばぬと思うが―― 魔女の力の全容が把握できぬ以上、断言できぬな」

「宮廷魔術師なら分かるのでしょうか?」

 サラの質問に、

「彼らが得意とするのは教会が主導する、聖魔法を中心とした正当な魔法だ」

 ミケーレ殿下がすらすらと答えた。

「教会が禁止する錬金術や黒魔術、交霊術などを手あたり次第に身につけた魔女の力の全貌は、彼らも分からぬだろうな。とはいえ、我々よりは知識を持っているだろう」

 サラは納得して大きくうなずいた。

「それで王室の方々に、宮廷魔術師による講習が必要と陛下が判断されたのですね」

「「うっ……」」

 面倒な勉強の予定を思い出して、ロミルダとミケーレは同時に言葉を失った。

(魔法薬について教えてもらったくらいでは、お義母(かあ)様の居場所なんて分からないでしょうね)

 車窓から、小麦畑の間を蛇行する小川を眺めながら、ロミルダは考えていた。十五年以上一緒に暮らしてきた義母が火あぶりになるなんて見たくないが、ずっと魔女の影におびえながら暮らすのも息苦しい。

「お義母(かあ)様が身を寄せそうな親類や、友人のお宅などが分かればよいのですが……。父なら心当たりがあるかもしれません」

「でもロミルダ様、アルチーナ夫人は異国の王族なのでしょう? 国内に知人なんているのでしょうか?」

 サラはまだアルチーナの出自について、偽りの経歴を信じていた。

「ん? アルチーナは高級娼婦の娘で、異国の王族などではないぞ?」

 ミケーレ殿下がしれっと秘密を明かしたので、ロミルダはあたふたと、

「あの、そのお話、王家の門外不出ネタかと思ってサラには黙っていたのですが――」

「サラは嫌な奴だが些細なことにもよく気付くし、知性的な女性だ。その能力を活用したほうがよかろう」

 断言するミケーレ殿下に、サラが不安そうな顔をロミルダに向けた。

「私、嫌な奴でしょうか……?」

 ロミルダは苦笑しつつ、ほとんどサラと接点がないミケーレ殿下が、なぜ彼女を嫌っているのか不思議に思った。まさか猫だったとき白昼のもとに、にゃん玉をさらされたとは夢にも思わない。

 サラの懸念は無視して、ミケーレが身を乗り出した。

「親戚という線なら――」

 何か良いことを思いついた様子で、瞳をきらきらと輝かせている。

「先王の遺品からアルチーナの母親に関するものが見つかるかもしれん。彼女と交わした手紙や先王自身の日記から、手がかりがつかめるかもしれんぞ!」


・~・~・~・~・~・~


――というわけで次回、「先王の遺品調査」を理由に、二人は真夜中の宮殿デート!?
いいね!で作品を応援していただき、ありがとうございます!
 帰り道は往路と違い、各領地の貴族たちに贅を尽くした歓待を受ける必要がなかったので、馬車は四日で王都に戻ってきた。

 うるさがたの侍従や侍女たちが「殿下たちは旅の疲れでぐっすりお眠りに違いない」と思っている深夜、好奇心に瞳をらんらんと光らせたミケーレが手燭片手にロミルダの部屋を訪れた。

「お待ちしておりました、殿下」

「その殿下という呼び方やめぬか? ちと他人行儀かと……」

 不満そうに口をとがらせながら、ミケーレは室内にすべり込んだ。

 数日王宮で休んだらロミルダは侯爵邸に帰ることになっているから、先王の遺品を調べに行くなら早い方がいい。それで二人は帰宅した日の夜中に、計画を実行に移すことにした。

「ミケーレ様とお呼びしましょうか?」

 声をひそめてロミルダが尋ねると、

「ミケくんがよいと所望したはずだが――」

 素直に希望を伝えたミケーレだったが、

「しっ、お静かに」

 ロミルダは人差し指を唇にあてて黙らせた。

「次の()に寝ているサラが目を覚ましてしまいます」

 目を据えて不機嫌そうなミケーレは、仕方なく口をつぐんだ。

 二人は夜勤の衛兵がいないのを確認して廊下に出ると、大階段へ向かった。

 ロミルダは片手で重いスカートを持ち上げ、もう一方の手を大理石の手すりにすべらせて、足音を立てないように階段を降りていく。

「足元に気を付けたまえ」

 口調こそ偉そうだが、ミケーレが手燭をかかげてロミルダの足元を照らしてくれる。

 一階まで降りると、

「こっちだ」

 ロミルダの手を優しく引いて、井戸のある中庭(コルテ・インテルナ)に出た。月明かりに照らされて上階の窓から見つからぬよう建物の壁すれすれを歩くミケーレに、ロミルダは尋ねた。

「先王陛下の遺品が保管されているのは、お城の中からはたどり着けない部屋なのですね」

「西の棟の最上階なのだ。一階から三階までは城内でつながっているが、衛兵が立っているかもしれん」

 外から回る方が、見回りの衛兵に見つかるリスクを軽減できるのだ。

 西棟の入り口には、背の高い錬鉄製(ロートアイアン)の門扉が立ちはだかっていた。ミケーレは手燭をロミルダに手渡すと、ジュストコールのポケットから鍵を取り出した。

「夜になる前に借りておいたのさ」

「用意周到ですこと」

 ロミルダがやわらかくほほ笑むと、ミケーレは嬉しそう。

「ふふふ、褒められてしまったな」

 静寂の底で眠り込んだかのような夜に、カチャンと鍵のはずれる音が響いた。

「最上階までのぼるぞ」

 ロミルダから手燭を受け取るとミケーレは、大理石の階段の一段目に足をかけて振り返った。

「お手をどうぞ、姫様」

 冗談めかしてささやくと、すっと片手を差し出した。ロミルダは頬を染めて、彼の手のひらに指先を乗せる。

(ミケーレ様ってこんな方だったかしら!?)

 前回、行方不明になって戻って来たあとから距離が縮まったのは覚えているのだが――

(お姿が見えなくなって戻っていらっしゃると毎回、以前より親愛の情を示してくださるのはなぜ!?)

 ロミルダは疑問に思ったが、深く考えない(たち)なので、そのまま流してしまった。

「最上階って結構、遠いですわね」

 各階の天井が高いせいで、なかなかたどり着かない。

「急ぐ必要はない。ゆっくり行こう」

 ミケーレは踊り場で立ち止まった。彼のうしろに開いたアーチ窓から三日月がのぞいている。

「私、ご迷惑をおかけして――」

「迷惑? なんのことかな? そなたと城内を探検できて余は楽しいぞ」 

 満足そうに笑うミケーレに、ロミルダはほっとした。

 ようやく最上階に着くと、ミケーレが古めかしい木の扉を押した。

「鍵は掛かっていないのですね」

「うむ。価値あるものは、ここにはないからな」

 貴重品ではないからといって処分するわけにもいかず、屋根裏に放り込んであるのだろう。

「真っ暗ですわね」

「窓が小さくて月明かりが届かぬのだな」

 ミケーレが手燭を高くかかげると、太い梁が低い天井を支えているのが分かった。その下には、白い布のかけられた古い家具や書物が所狭しと並んでいる。

「これは絵画かしら」

 床に置かれた大きな長方形のものを覆う布をそっと持ち上げると、ドレスから片側の胸をあらわにした女性の肖像画があらわれた。

「まあ、きれいな方」

「この女は―― 娼婦であろう」

 ミケーレがすぐに分かったのは、片方の乳房を見せて絵画に収まるのが、高級娼婦(クルチザンヌ)お決まりのポーズだったからだ。

「まさかアルチーナ夫人のお母様ではありませんよね?」

 ロミルダは腰をかがめて、肖像画の女性に目線を合わせてのぞきこむ。

「その、まさかかもしれんぞ」

 ミケーレが額縁を持って絵画を傾け、裏板に手燭の灯りを近付けた。

「日付は今から大体四十年前―― なになに……『我が最愛の女性、ナナと呼ばれしアルミーダ』。まさしく彼女だ」

「そう言われてみれば、どことなくお義母(かあ)様の面影があるような……」

 ロミルダはロウソクのゆらめく炎に照らし出された四十年前の美女に、うっとり見とれた。

「それにしても、ぱっと人目を引く華やかな方。先王陛下が心を奪われたのも納得ですわ」

「何を言っておる。そなたのほうがよっぽど美人であるぞ、ロミルダ」

「まあ、ご冗談を」

 笑いながら見上げると、ミケーレ殿下は真摯なまなざしでまっすぐロミルダを見つめていた。

「余は偽りのあでやかさになど興味はない。そなたの持つ純粋無垢な美しさこそ、史上最高に尊い」

「はい……」

 ミケーレの真面目な告白に、ロミルダは真っ赤になってうつむいた。

(もう、ミケーレ様ったらどうしちゃったのよ!)

 微妙な雰囲気になる二人の耳に、階段を駆け上る複数人の足音が近づいてくるのが聞こえた。閉まっていた扉が開け放たれ、衛兵が手燭を高くかかげて叫んだ。

「何者だ!?」


・~・~・~・~・~・~


コルテ・インテルナ(Corte interna)、もしくはコルティーレ・インテルノ(Cortile interno)は、屋敷の内側にある石畳が敷きつめられた空間。ですので緑はあまりなく「庭」らしさはありませんが、便宜的に「中庭」と表記しています。

日本語だと「パティオ」と言うほうが通りが良いようです。

お暇な方は「corte interna del palazzo」で画像検索していただけると、作者が「これこれ!」って思うような画像がたくさん出てきます。
「何者だ!?」

「余はフォンテリア王国第一王子、ミケーレである!」

「ええっ、殿下!?」

 先頭の衛兵が驚きの声を上げる。

「して、そちらの方は?」

「お騒がせして申し訳ございません。モンターニャ侯爵家のロミルダです……」

「ああ、殿下の婚約者の――」

 衛兵は胸をなで下ろした。

「なぜこの屋根裏部屋に侵入者がいると分かったのだ?」

 悪びれもせず尋ねるミケーレに、

「裏門を見張っている者が、誰もいないはずのアーチ窓に人影が映ったのを目撃したのです」

 衛兵が答えたとき、報告を受けた侍従長が大理石の階段をのぼって来た。寝入りばなを起こされたのが不機嫌な顔で、

「殿下、なぜこのような時間に、このような場所に?」

「魔女アルチーナがつかまっておらぬからな。彼女の逃亡先の手がかりがないか、祖父の遺したナナに関するものを確かめておったのだ」

「そのような雑事は殿下自らなさらず、我々に命じてください」

 胸に手を当て慇懃に頭を下げる侍従長に、ミケーレは涼しい顔で答えた。

「それではつまらぬではないか」

「っ……、殿下――」

「そう難しい顔をするな。ちょっとやんちゃなところもかわいいと思いたまえ」

 ミケーレのふざけた注文に、ロミルダがクスッと笑いをこぼした。

「ほら、ロミルダは優しいから笑って許しておるではないか」

「ロミルダ様はむしろ共犯――、いえ、なんでもございません」

 ミケーレは侍従長の突っ込みを無視してロミルダを振り返り、

「余はかわいいであろう?」

「ええ、かわいいですわ、ミケーレ様!」

「だめだこの二人」

 侍従長はぼそっとつぶやいた。

 

 翌朝ロミルダはまだ眠いのに、サラに起こされた。

「お目覚めください、ロミルダ様。今日は午前中に宮廷魔術師から魔法薬の説明を受ける予定がございます」  

「そうだったわね……」

 枕に顔をうずめるロミルダに、

「まだ旅のお疲れが残っているのでしょうか」

 昨夜、秘密の冒険を決行したことなど知らないサラは、心配そうに首をかしげた。

 当然ながらミケーレも、あくびをかみころしながら魔術の()に姿を現した。

 彫刻の施された大理石の柱の横から、年配の魔術師が歩み出て一礼し、

「本日説明を担当させていただきますゴルドーニでございます。お二人の前に並べておりますのは、魔女アルチーナの部屋から押収した魔法薬になります」

 長い木のテーブルには、さまざまな形をした瓶に入った魔法薬が並んでいた。あるものは粉薬、あるものは揺らぎながら色を変える液体、またあるものはハーブティーのように植物を乾燥させたもの。

「これは『まやかしの粉』。振りかけると見た目の年齢を偽ることができます。こっちは『変身の粉』。別人に変身できる危険なものです」

 宮廷魔術師が一つずつ説明する。ロミルダは、各魔法薬の外見的特徴と効果を手のひらサイズのノートに書き留めた。

「ほほう、『変身の粉』か。では猫にも変身できるのか?」

 ミケーレが期待を込めて質問すると、

「いえ、人間だけです」

 魔術師ゴルドーニは即答した。ミケーレはがっくりと肩を落としつつも、

「だがまあ危険な魔法薬ではあるな。魔女が父上の姿に変身したら厄介だ」

「その心配はないようです。我々で検証したところ、変身したい相手の姿をきちんと記憶している必要があるのです」

 ロミルダはうなずきながら、羽ペンを小さなノートに走らせる。

「相手の姿をはっきりと思い浮かべる必要があるのですね」

「その通りです、ロミルダ様。我々の実験では会ったことのない人物でも、詳細で出来の良い肖像画を目の前に置いて使えば成功しました」

「金貨に彫られた父上の横顔では――?」

 ミケーレの問いに、魔術師は首を振った。

「不可能でしょう。陛下のお顔をありありと思い浮かべられる臣民などおりませんから、魔女が陛下に変身するのは極めて困難かと」

 国王はいつも一段高い玉座に座っており、侯爵夫人といえども間近でじろじろと容貌を確認したことはないだろう。

「万能ではないというわけか」

 ミケーレがうなずくと、魔術師はまた次の瓶を手にした。

「こちらは眠り薬。匂いをかぐだけでたちまち眠りに落ちます。そしてこちらの魔法薬は――」

「砕いた小石が入っておるのか?」

「いいえ、殿下。これは猛獣の骨や牙、乾燥させた爬虫類の身体を砕いたものなどが、混ざっているのです」

 魔術師の言葉にミケーレは眉をひそめて身震いした。一方ロミルダはびっしり書き込んだノートから顔を上げ、

「トカゲの尻尾とか蛇の目玉などでしょうか!? 魔女らしくなってきましたわね!」

 楽しそうに目を輝かせた。

 魔術師はコホンとせき払いしてから、

「この魔法薬を浸した水を飲んだ者はやがて、獣に姿を変えてしまうようです。魔術鑑定をおこなっただけで実験はしておりませんが、恐ろしい薬だと推測されます」

 重々しい口調で告げた魔術師に、ミケーレ殿下が期待をこめたまなざしで尋ねる。

「猫になれるかにゃ?」

「どのような獣に姿を変えるか選ぶことはできません」

 有無を言わさぬ魔術師の返答に、またもや残念そうなミケーレ。

「それからこの砂糖のように見える白い粉は、口にした者の姿を、その者の宝物に変えてしまう効果を持ちます」

「おぉ、それそれ」

 物知り顔のミケーレを不思議そうに見つめながら、ロミルダはノートをぺらぺらと見返した。

「こんなにいろいろな魔法薬が存在するなんて驚きですわ! 姿を変える手段があるなら、騎士団の検問をすり抜けることも可能ですわね」

「全くだな。もう遠くまで逃げているかもしれん」

 だがミケーレの予想に反して、魔女アルチーナは王都に戻って来ていた。のみならず、彼らのすぐ近くまで迫っていたのだ。

「お前たち宮廷魔術師は、魔女に対抗できる力を持っているのか? これらの魔法薬を作り出す知識や技術はあるのか?」

 ミケーレに追求された老魔術師は、額の汗をぬぐいながら(こうべ)を垂れた。

「恥ずかしながら―― 我々の力不足を認めないわけにはいきません。魔女アルチーナは脅威でしょう」

「情けない。――が、教会が禁術としている黒魔術や交霊術など、お前たちが学ぶことのできない知識を身に着けている魔女に太刀打ちするのは、確かに困難かもしれんな」

 ミケーレは腕組みすると眉根を寄せて、ずらりと並んだ魔法薬を見下ろした。

「それでしたら」

 明るい声はロミルダのものだった。

「太刀打ちするのではなく、お義母(かあ)様を説得して改心してもらえばよろしいのではないでしょうか?」

「ええ……」

「いや……」

 ロミルダのポジティブが突き抜けた発言に、ミケーレも魔術師ゴルドーニも二の句が継げない。

「実の娘であるドラベッラにまで裏切られて、きっとお義母(かあ)様は悲しんで孤独な夜を耐えているに違いありませんわ!」

「そうだとしても、だな」

 ミケーレは片手で額を押さえた。

「私たちの愛で包んで差し上げましょう!」

 太陽のような笑顔を浮かべて、ロミルダは両手を大きくひらいた。そのまぶしさに、ミケーレはふと憧れのまなざしを向けた。

「ああ、そなたなら――」

 胸の内でふくれあがる愛おしさを抑えきれなくなったのか、魔術師たちが見守る前でロミルダをひしと抱きしめた。

「それも可能なのかもしれない……」

「殿下まで納得しないでください!」

 慌てて止めようとする魔術師にも、ロミルダは天衣無縫な笑顔を向けて、

「呪文はいつも、愛情愛情、ですわよ!」

 と自信たっぷり。

「ロミルダ様、ミケーレ殿下、くれぐれも危険は冒さず、我々にお任せください」

「はーい」

 心配顔の老魔術師へ適当に良い返事をしながら、ロミルダは胸の内で答えた。

(いじわるなお義母(かあ)様とはいえ、ずっとひとつ屋根の下で暮らしてきた家族も同然の人よ。火あぶりなんて結末は、私が変えてみせる)

 そのためには何ができるか、とロミルダは頭を回転させていた。彼女は、無理かもしれない、とは考えなかった。いつでも、どうすればうまくいくか、を考えるのが(つね)だった。

(あのナナさんという人のために、お義母(かあ)様は王家を敵視しているのよね、きっと)

 ロミルダは昨晩、屋根裏部屋で見た魅惑的な肖像画を思い出していた。

(お義母(かあ)様、過去の復讐になんてとらわれないで。私が解放して差し上げますわ……!)