(王太子ミケーレ視点)
「ミケちゃん、ブラッシング気持ちいい? うふふ、ご満悦ね」
上からロミルダのうれしそうな声が降ってくる。
謁見の間から解放された我々は、ロミルダの部屋に戻って来ていた。張り詰めた空気のせいですっかり疲れてしまった余は、帰ってくるなりソファのはしっこで眠ってしまった。ロミルダとサラの話し声で目を覚ますと、なぜかブラッシングされることになったのだ。
「あの懐中時計がカルロ殿下だなんて、サラ信じられる?」
余の耳のうしろをさっさっとブラッシングしながら、ロミルダが尋ねた。
「私は魔法に詳しくありませんから、人間が変身すること自体、信じられませんが―― 王妃様はまるで動じていらっしゃらなかったですね」
母上は表情から何も読み取れないから怖いのだ。
「さすが王妃様、肝が据わっていらっしゃるんだわ」
ロミルダの操るブラシが、余の目の間から後頭部へとすべってゆく。気持ちよくてまた眠くなってくるぞ……
「なんにせよ、宮廷魔術師が到着すれば全て明らかになるんでしょう」
サラの言葉に余は一気に覚醒した。
伝令は王都まで早馬を飛ばした。だが魔術師は馬や馬車を使うのではなく、王宮の魔術の間から離宮内の魔術の間まで、転移魔法陣同士をつないで瞬間移動してくるだろう。余に残された時間はわずかかもしれん。
「どうしたの、ミケちゃん! どこか痛かった?」
突然目を見開いたために、ロミルダを驚かせてしまった。
そうじゃないんだ、ロミルダ。余は気付いてしまったのだよ。宮廷魔術師が到着したら、カルロだけじゃなく余も人間に戻されてしまうではないか! このままロミルダに飼われていたいのに!
「ごろごろごろにゃ~ん」
(猫として過ごせる時間を満喫せねば!)
余はロミルダのやわらかい腹に顔をうずめた。ちょうどよく無駄なお肉がついていて素晴らしい。
「向きを変えてくれてお利口さんね。次はお背中よ」
しまった。余は自分でグルーミングできない首から上のブラッシングが好きなのに……
「人間を時計に変えてしまうなんて、本当に怖い魔法ですね」
サラが、丹念にブラッシングを続けるロミルダに話しかける。
「侯爵邸の掃除婦から聞いた話ですけれど、アルチーナ様のお部屋には瓶に入ったいろんな色の粉や薬草が、たくさんあったんですって。そのどれかが恐ろしい魔法薬だったのかしら」
今回使われた魔法薬は、砂糖そっくりの真っ白い粉だがな。
「あぁぁぁそれ!」
いきなりロミルダがうんざりとした声を上げた。
「勉強するように言われたんだわ!」
「何をです? 魔法薬の知識を?」
「そう。陛下の決定だから絶対なのよ。王族も身を守るために魔法薬の知識を持つべきだって」
「確かに、その通りですね」
そう、ロミルダが砂糖と魔法薬の入れ替えに気付いていたら、起こらなかった事件なのだ。魔女アルチーナとその娘ドラベッラの会話を聞いた余が事の真相を伝えたことから、父上は我々も宮廷魔術師と同等の知識を身につけるべきという考えに至った。
「はぁぁ、また勉強する科目が増えてしまったわ。王都に帰ったら宮廷魔術師から授業を受けなければいけないの」
余も一緒に学ぶように言われている。全く面倒である。猫のままなら一日のほとんどを寝て、毛づくろいして、食べて、ロミルダに甘えて過ごせるのに。
「毎日ミケちゃんに添い寝して、ブラッシングして、お食事してるところながめて、遊んであげるだけの毎日ならいいのに~」
「にゃーお、にゃぁぁ」
(余も完全に同意するっ!)
ロミルダのおなかに前脚を置いて、顔を上げて訴える余。
「ほら、ミケちゃんも賛成してくれてる」
「ロミルダ様」
怖い顔でにらむサラ。
「サラはまじめで嫌な子ねぇ」
ロミルダが余を抱きしめてくれたので、お礼に彼女の耳の下をぺろぺろとなめてやった。
「ロミルダ様、もしこのままミケーレ殿下が見つからなかったら、ロミルダ様はおそらくカルロ殿下と婚約させられるのですよ?」
サラがぴしゃりと言った。余が見つからなかったら、だと? なんと不謹慎な侍女だ!
「どのみち王妃になる未来からは逃れられません」
そうか、余が人間に戻らなければ、弟がロミルダと結婚するのか!
「う、ううぅぅうう、シャーッ!」
(そんなの許せん! ロミルダは余だけのものだ!)
「なんでこの猫、私に威嚇しているのかしら」
「サラが私をいじめるからよ」
うーむ、猫のままロミルダと結婚する方法があればなあ……
ん? 考えてみたら、魔法薬の知識を手に入れたら、とりあえず人間に戻って結婚したあとで、いつでも猫に戻れるのでは!?
というわけで余は、婚姻の儀にそなえて人間の姿に戻ることを決意した。とりあえずロミルダを余の妃にせねば、安心できぬからな。
翌日午後、宮廷魔術師が離宮に着いたとの報告があった。
「ナーン、ナァァン」
(湖畔を散歩せぬか)
魔術師から逃げるため、少しでも猫としてロミルダにかわいがられる時間を引き延ばすため、余はロミルダを外へ誘った。
「子猫ちゃんみたいに甘えた声出しちゃって。お外に行きたいの?」
「にゃーお」
(そうだ。ついて参れ)
余が肉球で扉を押そうとすると、その前にロミルダが開けてくれた。
「にゃ」
(ごくろう)
「今日はよく晴れているし、空気が澄んで気持ちいいわね」
うむ、湖にも青空がよく映って綺麗であろう。
サラや余の侍従に見つかって小言を言われる前に、我々は屋敷の外へ出た。
「魔術師さんたちの到着、こんなに早いと思わなかったわ」
屋敷の正門玄関から続く小道を歩きながら、ロミルダが余に話しかける。
「私たち、馬車で五日かけてここまで来たじゃない? でも早馬を飛ばせば王都まで一日半なのね!」
そのとき、何かが空気を切る耳慣れぬ音に気付いて、余は空をあおいだ。屋敷の一番上の窓から、何かがこちらへ向かって飛んでくる。
「にゃぁっ!」
(危ないっ!)
余はとっさに飛び上がっていた。小さな矢がロミルダの首に刺さるかと危惧した次の瞬間、それは余の背中を貫いていた。
「えっ? ミケちゃん!?」
ロミルダの呆けた声が悲鳴に変わる。
視界が暗くなり、四肢から力が抜けて行く。
「何よこれ!? 吹き矢!?」
短い人生であったが、愛する者を守って一生を終えられるなら本望である。ディライラ、寂しい思いをさせることになって、すまぬな…… カルロ、我が王国を頼むぞ。
「嫌ぁぁぁっ、誰かーっ!!」
ロミルダの泣き叫ぶ声を最後に、余の意識は闇の中へと沈んで行った。
――余の二十年余りの生は、猫としては長生きであったな……
・~・~・~・~・~・~
三毛猫ミケの運命やいかに!?
吹き矢を吹いた犯人に天罰は下るのか!?
続きが気になる方は、いいね!やレビューで応援していただけると大変うれしいです!
「ミケちゃん、ブラッシング気持ちいい? うふふ、ご満悦ね」
上からロミルダのうれしそうな声が降ってくる。
謁見の間から解放された我々は、ロミルダの部屋に戻って来ていた。張り詰めた空気のせいですっかり疲れてしまった余は、帰ってくるなりソファのはしっこで眠ってしまった。ロミルダとサラの話し声で目を覚ますと、なぜかブラッシングされることになったのだ。
「あの懐中時計がカルロ殿下だなんて、サラ信じられる?」
余の耳のうしろをさっさっとブラッシングしながら、ロミルダが尋ねた。
「私は魔法に詳しくありませんから、人間が変身すること自体、信じられませんが―― 王妃様はまるで動じていらっしゃらなかったですね」
母上は表情から何も読み取れないから怖いのだ。
「さすが王妃様、肝が据わっていらっしゃるんだわ」
ロミルダの操るブラシが、余の目の間から後頭部へとすべってゆく。気持ちよくてまた眠くなってくるぞ……
「なんにせよ、宮廷魔術師が到着すれば全て明らかになるんでしょう」
サラの言葉に余は一気に覚醒した。
伝令は王都まで早馬を飛ばした。だが魔術師は馬や馬車を使うのではなく、王宮の魔術の間から離宮内の魔術の間まで、転移魔法陣同士をつないで瞬間移動してくるだろう。余に残された時間はわずかかもしれん。
「どうしたの、ミケちゃん! どこか痛かった?」
突然目を見開いたために、ロミルダを驚かせてしまった。
そうじゃないんだ、ロミルダ。余は気付いてしまったのだよ。宮廷魔術師が到着したら、カルロだけじゃなく余も人間に戻されてしまうではないか! このままロミルダに飼われていたいのに!
「ごろごろごろにゃ~ん」
(猫として過ごせる時間を満喫せねば!)
余はロミルダのやわらかい腹に顔をうずめた。ちょうどよく無駄なお肉がついていて素晴らしい。
「向きを変えてくれてお利口さんね。次はお背中よ」
しまった。余は自分でグルーミングできない首から上のブラッシングが好きなのに……
「人間を時計に変えてしまうなんて、本当に怖い魔法ですね」
サラが、丹念にブラッシングを続けるロミルダに話しかける。
「侯爵邸の掃除婦から聞いた話ですけれど、アルチーナ様のお部屋には瓶に入ったいろんな色の粉や薬草が、たくさんあったんですって。そのどれかが恐ろしい魔法薬だったのかしら」
今回使われた魔法薬は、砂糖そっくりの真っ白い粉だがな。
「あぁぁぁそれ!」
いきなりロミルダがうんざりとした声を上げた。
「勉強するように言われたんだわ!」
「何をです? 魔法薬の知識を?」
「そう。陛下の決定だから絶対なのよ。王族も身を守るために魔法薬の知識を持つべきだって」
「確かに、その通りですね」
そう、ロミルダが砂糖と魔法薬の入れ替えに気付いていたら、起こらなかった事件なのだ。魔女アルチーナとその娘ドラベッラの会話を聞いた余が事の真相を伝えたことから、父上は我々も宮廷魔術師と同等の知識を身につけるべきという考えに至った。
「はぁぁ、また勉強する科目が増えてしまったわ。王都に帰ったら宮廷魔術師から授業を受けなければいけないの」
余も一緒に学ぶように言われている。全く面倒である。猫のままなら一日のほとんどを寝て、毛づくろいして、食べて、ロミルダに甘えて過ごせるのに。
「毎日ミケちゃんに添い寝して、ブラッシングして、お食事してるところながめて、遊んであげるだけの毎日ならいいのに~」
「にゃーお、にゃぁぁ」
(余も完全に同意するっ!)
ロミルダのおなかに前脚を置いて、顔を上げて訴える余。
「ほら、ミケちゃんも賛成してくれてる」
「ロミルダ様」
怖い顔でにらむサラ。
「サラはまじめで嫌な子ねぇ」
ロミルダが余を抱きしめてくれたので、お礼に彼女の耳の下をぺろぺろとなめてやった。
「ロミルダ様、もしこのままミケーレ殿下が見つからなかったら、ロミルダ様はおそらくカルロ殿下と婚約させられるのですよ?」
サラがぴしゃりと言った。余が見つからなかったら、だと? なんと不謹慎な侍女だ!
「どのみち王妃になる未来からは逃れられません」
そうか、余が人間に戻らなければ、弟がロミルダと結婚するのか!
「う、ううぅぅうう、シャーッ!」
(そんなの許せん! ロミルダは余だけのものだ!)
「なんでこの猫、私に威嚇しているのかしら」
「サラが私をいじめるからよ」
うーむ、猫のままロミルダと結婚する方法があればなあ……
ん? 考えてみたら、魔法薬の知識を手に入れたら、とりあえず人間に戻って結婚したあとで、いつでも猫に戻れるのでは!?
というわけで余は、婚姻の儀にそなえて人間の姿に戻ることを決意した。とりあえずロミルダを余の妃にせねば、安心できぬからな。
翌日午後、宮廷魔術師が離宮に着いたとの報告があった。
「ナーン、ナァァン」
(湖畔を散歩せぬか)
魔術師から逃げるため、少しでも猫としてロミルダにかわいがられる時間を引き延ばすため、余はロミルダを外へ誘った。
「子猫ちゃんみたいに甘えた声出しちゃって。お外に行きたいの?」
「にゃーお」
(そうだ。ついて参れ)
余が肉球で扉を押そうとすると、その前にロミルダが開けてくれた。
「にゃ」
(ごくろう)
「今日はよく晴れているし、空気が澄んで気持ちいいわね」
うむ、湖にも青空がよく映って綺麗であろう。
サラや余の侍従に見つかって小言を言われる前に、我々は屋敷の外へ出た。
「魔術師さんたちの到着、こんなに早いと思わなかったわ」
屋敷の正門玄関から続く小道を歩きながら、ロミルダが余に話しかける。
「私たち、馬車で五日かけてここまで来たじゃない? でも早馬を飛ばせば王都まで一日半なのね!」
そのとき、何かが空気を切る耳慣れぬ音に気付いて、余は空をあおいだ。屋敷の一番上の窓から、何かがこちらへ向かって飛んでくる。
「にゃぁっ!」
(危ないっ!)
余はとっさに飛び上がっていた。小さな矢がロミルダの首に刺さるかと危惧した次の瞬間、それは余の背中を貫いていた。
「えっ? ミケちゃん!?」
ロミルダの呆けた声が悲鳴に変わる。
視界が暗くなり、四肢から力が抜けて行く。
「何よこれ!? 吹き矢!?」
短い人生であったが、愛する者を守って一生を終えられるなら本望である。ディライラ、寂しい思いをさせることになって、すまぬな…… カルロ、我が王国を頼むぞ。
「嫌ぁぁぁっ、誰かーっ!!」
ロミルダの泣き叫ぶ声を最後に、余の意識は闇の中へと沈んで行った。
――余の二十年余りの生は、猫としては長生きであったな……
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三毛猫ミケの運命やいかに!?
吹き矢を吹いた犯人に天罰は下るのか!?
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