沿道で魔女がほくそ笑んでいることなど知らず、ロミルダたちを乗せた馬車は最初の宿場町を通り過ぎて行った。

 今夜の宿泊場所は、王妃殿下のいとこであるプリムローゼ公爵邸。ロミルダはまだ婚約者の立場だというのに、まるで王族のように歓待を受けて恐縮していた。

 案内された賓客用寝室で一息つき、すぐに次の間を与えられた侍女サラを呼んだ。

「ねえサラ、ディナーまでまだ時間がありますから、バルコニーで持ってきたクッキーでもいただきましょうよ」

 城下町を一望できる広いバルコニーでは、夕日に染められたテーブルセットが二人を待っていた。

「ミケーレ殿下ったらロミルダ様に甘々でしたわね!」

 サラにしては珍しく、いたずらっぽい笑みを浮かべ、

「悪いものでも召し上がったのでなければよいのですが」

「サラったら!」

 ロミルダは口もとを隠してひとしきり笑ってから、

「でも実は私も変だなぁとは思っていたのよ。やっぱり愛情入りクッキーが効いたのかしら!?」

「ないない」

 ぱたぱたと手を振る侍女を無視して、

「殿下は私が愛情を込めて焼いたことに気付かれて、このようにふんだんな愛をいだく娘なら、将来の王妃にふさわしいと認めてくださったんだわ! 国民全員に愛をそそげるって!」

「愛情愛情って唱えながら国中を視察するとかやめてくださいね」

 いつもの冷静さに戻って釘を刺すサラに、ロミルダはぐっとこぶしをにぎりしめた。

「それなら馬に乗って『元気! 活力!』って唱えながら国中回った方が、みんな楽しく働けそうですわ!」

「別の意味で革命が起こりそうなのですが……? 『こんな王妃は嫌だ』のネタじゃないんですから」

 ロミルダはぷーっと頬をふくらませた。

「冗談に決まってるでしょ。サラって本当にノリが悪いわね」

「ロミルダ様がおっしゃると冗談に聞こえないんです」

 すました様子で紅茶を飲む。それから真面目な口調に戻って、

「王太子殿下は、ある意味ロミルダ様のおっしゃるように、将来の国王としてのご自覚を持たれたのでしょうね」

「どうして急に?」

「魔女が国を乗っ取るべく、自分の婚約者を陥れようとしたからでございましょう」

「それで国を導くパートナーとして、将来の妃である私を愛そうと努力して下さっているのね! なんてまっすぐな方!」

 ロミルダの瞳がきらきらと輝いた。流されないサラは思案顔で、

「それにしても殿下が一時的に行方不明になられていたというのは、どういうことだったのでしょうね?」

「そうねぇ……」

 ロミルダも首をかしげた。王太子がいつ王宮にお戻りになられたのか、どこへ行かれていたのか、ロミルダは父モンターニャ侯爵から聞かされていなかった。三毛猫に姿を変えて侯爵邸をうろついていたなど王族の権威に傷が付くから、関係者には他言無用の旨が言い渡されていたのだ。

 ロミルダは殿下の様子を思い浮かべながら、ぽんっと手を打った。

「脱走したディライラちゃんをお探しになっていたとか?」

「あ、きっとそれですわ。王宮の庭園で迷子にでもなっていらっしゃったのよ」

 深々とうなずいたサラは、自信に満ちた口調で、

「あの広大な庭園は高低差もあるし、人口の滝や池も配置されて、まったく見通しが効きませんもの」

「殿下ったらお気の毒に。一晩中ご自宅の庭をさまよっていらっしゃったなんて!」

 すっかり我が家で迷子になったことにされている気の毒なミケーレ。

 そのとき扉を叩く音が聞こえて、二人は口をつぐんだ。

「ロミルダ様、いらっしゃいますか?」

 外から聞こえるのは従者らしき男の声。

「ミケーレ殿下がいらっしゃいました。もしよろしければ少しお話しされたいそうです」

 今の今までミケーレ殿下の噂話に花を咲かせていたロミルダとサラは、顔を見合わせる。

「開けて差し上げて」

 サラに声をかけながら、ロミルダは手櫛で髪を整えた。

(七年前からずっと婚約しているのに、ミケーレ様が急にお優しくなるから、私まで調子が狂ってしまうわ!)

 広い寝室を足早に横切ってサラが扉を開けると、ミケーレが従者を追い払っているところだった。

「そちは廊下で待っておれ。ロミルダが気を遣うといかんからな」

 その腕には三毛猫ディライラが鎮座する金細工キャリーが抱かれている。会話が続かず間が持てないときも、かわいい猫さえいれば安心である。

「殿下、わたくしの部屋になどおいでいただき、感謝申し上げます」

 ロミルダは礼儀正しくミケーレを迎えたが――

「ハッ! ディライラちゃんも連れてきて下さったんですね!!」

「ロミルダ、そなたは余が来たことより、ディライラが一緒であることのほうが嬉しそうだな」

 ちょっと恨みがましい目で見られて、ロミルダは焦った。

「いえ、そのっ、殿下がいらっしゃらなければ、ディライラちゃんもいらっしゃいません!」

 よく分からないことを口走る。

「まあよい。お猫様を愛する者同士、我々は気が合いそうだ」

「ですよねっ!」

 渡りに船とばかりに力強くうなずくロミルダ。

「だがそなたが会いたいのは、本当はディライラではなくミケくんなのだろう?」

 うなずきそうになったロミルダは、内心首をかしげた。

(ミケーレ様にお話ししたんでしたっけ? うちのお屋敷に迷い込んだ三毛猫ちゃんに、ミケって名付けたこと――)

 まあきっと話したのだろう、殿下は猫についての記憶力が抜群だから自分が忘れていることも覚えておいでなのだろうと、ロミルダはあまり気にしなかった。

「ロミルダ、ミケくんのどこがかわいかったのか、余に話してみよ!」

 バルコニーに案内されたミケーレ殿下は、華奢な白い椅子に長い足を組んで腰かけると、偉そうに尋ねた。

「そうですわね――」

 ロミルダは優しいまなざしでミケを思い出しながら、

「野良猫とは思えないくらい、すぐになついてくれたのです。しかも、まるで人間の言葉が分かっているかのように賢かったのですわ」

「ふむ。それは分かっているのだろう」

 さらりとブロンドをかきあげて、満足そうなミケーレ殿下。

「シャンプーやブラッシングなどのお手入れも、嫌がらずに気持ちよさそうにしてくれて」

「うむ。そなたの耳掃除は格別であったな」

「え? なぜ耳掃除したことをご存知で――」

「いや、知らぬ。余は何も知らぬ。ただそなたなら、耳掃除くらいしただろうと思ったのだ!」

「ええ、ご明察の通りですわ! よくお分かりになりましたわね!」

 驚いて声が高くなるロミルダに、

「心優しいそなたなら、野良猫にどう接するか考えてみたまでさ」

「まあ――」

「そなたは愛に満ちあふれた女性だ」

 真摯なまなざしで見つめるミケーレの様子に、ロミルダは胸の中でガッツポーズをしたい気分だった。

(やっぱり愛情入りクッキーが成功したんだわ!)

「そなたのような女性と結婚できるとは、余は幸せ者だな」

 黄金(こがね)色に輝く夕日に照らされたミケーレは、屈託のない笑みを浮かべてロミルダの手を優しくにぎった。その瞳は希少石楔石(スフェーン)のごとく淡い緑に輝いていて、ロミルダはふと、

(なんだか殿下のおめめってミケくんみたいだわ)

 と思ってしまった。

(猫ちゃんだと思えば、殿下ってかわいいかもしれない!)

 うっかり失礼なことを思いついて、ロミルダは我ながら不思議に思った。



 一行を乗せた馬車は次第に山あいの領地へ登っていく。

「なんて涼しいのかしら。まるで秋のように爽やかな風が吹いていますわ!」

 ロミルダは馬車の窓から首を出して、頬をなでる高原の風に歓声を上げた。

 ミケーレ殿下の膝の上では、金のかごから三毛猫ディライラが空を見上げている。

「カカカ……」

 空をにらんでいたディライラが、獲物でも見つけたのか声を発した。

「鳥か?」

 ミケーレが太陽に目を細めて青空を見上げた。

「何か飛んでいるな」

「カ、コカカ……」

 鳴きながらディライラはいら立ったように尻尾をばんばんと叩きつけている。

「確かに何か飛んでいますね。鳥でしょうか?」

 侍女サラの言葉にロミルダは首を振った。

「長い棒みたいなものに、人が二人またがっているように見えますわ」

「どういう状況だ? それは」

「少なくとも人ではありませんでしょう、ロミルダ様?」

 ミケーレ殿下とサラの二人から問われてロミルダは口をつぐんだ。

(絶対に鳥なんかじゃないのに。二人とも目が良くないのよ!)

 一番目が悪いはずのディライラは、野生の勘で何かを察したようで、怪しい影が見えなくなるまでクラッキングしていた。

「我々の行く方へ飛んで行ったな……」

 不吉な予言でもするかのように、ミケーレがぽつんとつぶやいた。



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「うちの猫も窓の外を飛ぶカラスやハトにクラッキングしてるよー」
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