「そう、30万円だ」


伊吹が頷く。
夏波は両手を強く握りしめた。

そうしていないと、自分の中でなにかが壊れてしまいそうだった。
きつく目を閉じて母親との生活を思い出す。

幼い頃は家族3人で貧しいながらも楽しい生活を続けてきたはずだった。
母親も父親もいつも楽しそうに笑っていて、『夏波、夏波』と、よく名前を呼んでくれた。

けれど父親が会社で後輩の失敗をかぶるたびに母親は嫌な顔をするようになった。


『どうしてあなたが謝罪しないといけなかったの!? それは後輩がやったことなんでしょう?』

『可愛そうじゃないか。あいつはまだ会社になれてないんだから』


母親は独身時代、父親の優しさが好きだと言っていたらしい。
けれど生活していく中でそれはマイナス点となっていった。

『よく聞くのよ夏波。人に優しくしたって自分が踏み台にされるだけなんだから、優しくするのもほどほどにしなきゃダメよ』
いつしか母親は諭すようにそう言うようになった。