「アンテロはユリウスを妬み、その魔力を永遠に吸い続ける、恐ろしいアイテムをつくり出した。本当に、そういう才能は一流なのだ」
溜め息をつくホランティ伯爵は、憂い顔だ。
褒められたのが嬉しくて、横ではアンテロが頬を紅潮させている。
対比がすごい。
「私がそのことに気づき、アイテムを取り上げ、平手打ちを喰らわせて以来、なぜかアンテロから好意を向けられている。おかげで一時は、婚約者にまでなってしまった」
王家からの打診を親が断れなかったのだ、とホランティ伯爵は付け加える。
「悪いことをしたら、叩いてでも目を覚まさせる。それが我が家の教訓だったばかりに、私とアンテロの縁が結ばれてしまった。仕方がないので、しばらくは様子を見た。アンテロが心を入れ替えて行いを反省するのならば、許そうと思っていた」
そこでホランティ伯爵は、ぎろりと隣を睨みつける。
アンテロがさっと背を伸ばし、真面目な顔付きになった。
さっきまで、デレデレとしていたのが嘘のようだ。
「だが、アンテロは変わらなかったのだ。魔法も才能も、すべて己の欲のためにつかう。王族としての自負を忘れ、弟たちへ執務は丸投げ、好きなことにしか関心を示さない、とんだ爛れっぷりだった」
ホランティ伯爵の沈んだ声音からは、苦労がうかがえた。
「だから私は、ムスティッカ王国の法に基づき、アンテロへ決闘を申し込んだ。私が勝てば、アンテロとの婚約破棄を認めると、当時の国王陛下に言質をいただいたのだ」
「僕は認めてない! あれは父上が勝手に……!」
「そして、私にはまるで手を出せないアンテロ相手に、完全勝利したというわけだ」
それでふたりは別れたのか。
国王がホランティ伯爵の要求を飲まざるを得ないほどの、最悪な状況だったのだろう。
アンテロの自分勝手さに、情に厚いホランティ伯爵さえもが、愛想をつかしたのだ。
それなのにまだ、アンテロはしたい放題を繰り返している。
ホランティ伯爵でなくとも、頭を抱えるはずだ。
「これで縁が切れたと思ったのだが、アンテロの私への執着は続いた。おかげでホランティ伯爵家へ婿入りしてくれる男性が見つからず、国王陛下の計らいで、私はこのムスティッカ王国で初めての女伯爵となった」
「女伯爵だなんて、すごくカッコいいよ、ヒルダ!」
怒られている最中だというのに、アンテロは瞳をキラキラさせている。
こういう場の空気の読まなさは、ミカエルに通じるものがあるな、と古都子は感じた。
「それからも、苦労は続いたのだが、古都子たちの卒業式にまで影響を及ぼすとは。私も腹に据えかねた」
ホランティ伯爵の怒りが伝わったのか、またしてもアンテロはびしっと背筋を伸ばした。
アンテロの世界は、ホランティ伯爵しか存在していないのだろう。
たしか卒業式の会場でも、そのようなことを発言していた。
「あの騒動の後、国王陛下と膝を突き合わせて話し合った。きっとアンテロの、自己中心的な性格は治らない。だが、だからと言って、放置するのも危険だ。古都子たちも見たと思うが、研究者としては優秀なんだ」
ホランティ伯爵はアンテロが照れる前に、「褒めていないぞ」と釘を刺す。
しかし、ホランティ伯爵に話しかけられたのが、嬉しかったのだろう。
アンテロはまたしても、ふにゃっと頬を緩めている。
「そこで、私がアンテロの飼い主となった」
「……え?」
古都子の頭が、言葉の認識を拒んだ。
「正しくは、手綱を握る者だ。幸いにして、アンテロは私の言葉ならば、耳を貸すのだ」
「はあ……そうみたいですね」
「国王陛下から直々に頼まれてしまったからには、しっかりと躾けなくてはならない」
ホランティ伯爵は、お人よし過ぎないか、と古都子は心配になる。
国王は抜け目なく、そこを突いている。
「ホランティ伯爵は、それでいいのですか?」
「拾った子猫は最後まで面倒を見ろ、というのも我が家の教訓なのだ」
ここまで黙って聞いていた晴臣だったが、ホランティ伯爵家は教訓を見直した方がいいと思った。
それが正しく古都子にも伝わったのだろう、こちらを見て頷き返してきた。
「アンテロは子猫なんて可愛いものではないが、それでも王族から外され、ただの人になってしまったのは気の毒だと思う」
「王族から、外されたというのは?」
「王族同士とはいえ、あれだけの事件を起こしたのだ。無罪という訳にはいかない。国王陛下によって、アンテロは身分を剥奪された」
うがった見方かもしれないが、それもホランティ伯爵の同情を買うための国王の作戦ではないか。
古都子は当事者であるアンテロをちらりと見る。
アンテロ自身、王族という身分よりも、ホランティ伯爵に飼われる身分を、ありがたがっている節がある。
つまり、これは罰になっていない。
「なんだかホランティ伯爵は、国王陛下によって、外堀を埋められているだけな気がしますが……」
「そうかもしれない。だが、私は女伯爵になれたことを、心から喜ばしく思っているのだ。領民と触れあい、納得のいく経営をする。もし婿を迎えていれば、私はここまで領地に対して、愛着を持てなかっただろう。この幸せは、アンテロのおかげとも言えなくもないのだよ」
こじつけかもしれないがね、とホランティ伯爵は苦笑する。
ホランティ伯爵なりに、無理やり落としどころを見つけたのだろう。
これ以上は、古都子も口を挟めない。
なにしろ相手は国王だ。
「そういうことなら……」
「一生に一度の卒業式を、台無しにされた古都子たちには、不満の残る裁定かもしれない。私の力が及ばずに――」
「すまなかった」
顔をうつむかせたホランティ伯爵が、謝罪の言葉を口にしようとした瞬間、隣のアンテロが勢いよく頭を下げた。
それまでホランティ伯爵しか見ていなかったのに、今はきちんと古都子と晴臣に向き合っている。
「僕だって、頭を下げるくらいできる。僕のせいで、ヒルダが謝らなくていい」
しかし言動は、やはりおかしかった。
申し訳ないと思ったから謝っているのではなく、ホランティ伯爵が頭を下げるくらいなら、自分がすると言っているだけだ。
だがそれでも、進歩だったのだろう。
ホランティ伯爵がそっと手を伸ばし、アンテロの頭をゆっくり撫でてやる。
まるで、上手にトイレができた子猫を褒めるように。
ドヤ顔で誇らしげにするアンテロに、王兄としてのプライドなど見受けられない。
ホランティ伯爵へ求婚していたはずだが、そばに居られるのならば何でもいいようだ。
古都子も晴臣も、複雑な思いでそれを眺めた。
村役場での接見は微妙な空気のまま終わった。
古都子と晴臣は気を取り直し、温泉施設へと向かう。
馬車はレンニ村長が用意してくれた。
「晴くん、楽しもうね!」
「ん」
もやもやを吹き飛ばすように、古都子はあえて大きな声を出す。
そうしないといつまでも、『飼い主と子猫』の図が頭を過るからだ。
銀山が近づき、湯の花の香りが漂ってくると、古都子の意識もそちらへ移った。
馬車から降りて、古都子は伸びをする。
隣では晴臣が、ふたり分の荷物を持っていた。
そびえ立つ山を見上げれば、相変わらずその雄大さに圧倒される。
「すごく元気がいいみたい。どんどん麓がにぎやかになるのを、楽しんでいるのね」
「それ、山の気持ち?」
「うん。もしかしたら温泉の温度、ちょっと高いかも」
くすりと笑った古都子と腕を組み、晴臣は先に宿泊施設へと足を進めた。
荷物を預けて、ゆっくりと山を散策してから、温泉に入るつもりだ。
王都近辺しか知らない晴臣にとって、この旅は未知との出会いばかり。
そして、古都子がこの世界に飛んできてからの、軌跡を辿る旅だった。
「古都子、頑張ってきたんだな」
「晴くんだって、そうでしょ。兵団に入って、剣を握って、魔物と戦って――」
この後、晴臣が予約した家族湯に辿り着くまで、古都子は終始ご機嫌だった。
入るのが家族湯だと分かった瞬間、真っ赤になってしまって、口を閉じた貝のようになってしまったのだが。
溜め息をつくホランティ伯爵は、憂い顔だ。
褒められたのが嬉しくて、横ではアンテロが頬を紅潮させている。
対比がすごい。
「私がそのことに気づき、アイテムを取り上げ、平手打ちを喰らわせて以来、なぜかアンテロから好意を向けられている。おかげで一時は、婚約者にまでなってしまった」
王家からの打診を親が断れなかったのだ、とホランティ伯爵は付け加える。
「悪いことをしたら、叩いてでも目を覚まさせる。それが我が家の教訓だったばかりに、私とアンテロの縁が結ばれてしまった。仕方がないので、しばらくは様子を見た。アンテロが心を入れ替えて行いを反省するのならば、許そうと思っていた」
そこでホランティ伯爵は、ぎろりと隣を睨みつける。
アンテロがさっと背を伸ばし、真面目な顔付きになった。
さっきまで、デレデレとしていたのが嘘のようだ。
「だが、アンテロは変わらなかったのだ。魔法も才能も、すべて己の欲のためにつかう。王族としての自負を忘れ、弟たちへ執務は丸投げ、好きなことにしか関心を示さない、とんだ爛れっぷりだった」
ホランティ伯爵の沈んだ声音からは、苦労がうかがえた。
「だから私は、ムスティッカ王国の法に基づき、アンテロへ決闘を申し込んだ。私が勝てば、アンテロとの婚約破棄を認めると、当時の国王陛下に言質をいただいたのだ」
「僕は認めてない! あれは父上が勝手に……!」
「そして、私にはまるで手を出せないアンテロ相手に、完全勝利したというわけだ」
それでふたりは別れたのか。
国王がホランティ伯爵の要求を飲まざるを得ないほどの、最悪な状況だったのだろう。
アンテロの自分勝手さに、情に厚いホランティ伯爵さえもが、愛想をつかしたのだ。
それなのにまだ、アンテロはしたい放題を繰り返している。
ホランティ伯爵でなくとも、頭を抱えるはずだ。
「これで縁が切れたと思ったのだが、アンテロの私への執着は続いた。おかげでホランティ伯爵家へ婿入りしてくれる男性が見つからず、国王陛下の計らいで、私はこのムスティッカ王国で初めての女伯爵となった」
「女伯爵だなんて、すごくカッコいいよ、ヒルダ!」
怒られている最中だというのに、アンテロは瞳をキラキラさせている。
こういう場の空気の読まなさは、ミカエルに通じるものがあるな、と古都子は感じた。
「それからも、苦労は続いたのだが、古都子たちの卒業式にまで影響を及ぼすとは。私も腹に据えかねた」
ホランティ伯爵の怒りが伝わったのか、またしてもアンテロはびしっと背筋を伸ばした。
アンテロの世界は、ホランティ伯爵しか存在していないのだろう。
たしか卒業式の会場でも、そのようなことを発言していた。
「あの騒動の後、国王陛下と膝を突き合わせて話し合った。きっとアンテロの、自己中心的な性格は治らない。だが、だからと言って、放置するのも危険だ。古都子たちも見たと思うが、研究者としては優秀なんだ」
ホランティ伯爵はアンテロが照れる前に、「褒めていないぞ」と釘を刺す。
しかし、ホランティ伯爵に話しかけられたのが、嬉しかったのだろう。
アンテロはまたしても、ふにゃっと頬を緩めている。
「そこで、私がアンテロの飼い主となった」
「……え?」
古都子の頭が、言葉の認識を拒んだ。
「正しくは、手綱を握る者だ。幸いにして、アンテロは私の言葉ならば、耳を貸すのだ」
「はあ……そうみたいですね」
「国王陛下から直々に頼まれてしまったからには、しっかりと躾けなくてはならない」
ホランティ伯爵は、お人よし過ぎないか、と古都子は心配になる。
国王は抜け目なく、そこを突いている。
「ホランティ伯爵は、それでいいのですか?」
「拾った子猫は最後まで面倒を見ろ、というのも我が家の教訓なのだ」
ここまで黙って聞いていた晴臣だったが、ホランティ伯爵家は教訓を見直した方がいいと思った。
それが正しく古都子にも伝わったのだろう、こちらを見て頷き返してきた。
「アンテロは子猫なんて可愛いものではないが、それでも王族から外され、ただの人になってしまったのは気の毒だと思う」
「王族から、外されたというのは?」
「王族同士とはいえ、あれだけの事件を起こしたのだ。無罪という訳にはいかない。国王陛下によって、アンテロは身分を剥奪された」
うがった見方かもしれないが、それもホランティ伯爵の同情を買うための国王の作戦ではないか。
古都子は当事者であるアンテロをちらりと見る。
アンテロ自身、王族という身分よりも、ホランティ伯爵に飼われる身分を、ありがたがっている節がある。
つまり、これは罰になっていない。
「なんだかホランティ伯爵は、国王陛下によって、外堀を埋められているだけな気がしますが……」
「そうかもしれない。だが、私は女伯爵になれたことを、心から喜ばしく思っているのだ。領民と触れあい、納得のいく経営をする。もし婿を迎えていれば、私はここまで領地に対して、愛着を持てなかっただろう。この幸せは、アンテロのおかげとも言えなくもないのだよ」
こじつけかもしれないがね、とホランティ伯爵は苦笑する。
ホランティ伯爵なりに、無理やり落としどころを見つけたのだろう。
これ以上は、古都子も口を挟めない。
なにしろ相手は国王だ。
「そういうことなら……」
「一生に一度の卒業式を、台無しにされた古都子たちには、不満の残る裁定かもしれない。私の力が及ばずに――」
「すまなかった」
顔をうつむかせたホランティ伯爵が、謝罪の言葉を口にしようとした瞬間、隣のアンテロが勢いよく頭を下げた。
それまでホランティ伯爵しか見ていなかったのに、今はきちんと古都子と晴臣に向き合っている。
「僕だって、頭を下げるくらいできる。僕のせいで、ヒルダが謝らなくていい」
しかし言動は、やはりおかしかった。
申し訳ないと思ったから謝っているのではなく、ホランティ伯爵が頭を下げるくらいなら、自分がすると言っているだけだ。
だがそれでも、進歩だったのだろう。
ホランティ伯爵がそっと手を伸ばし、アンテロの頭をゆっくり撫でてやる。
まるで、上手にトイレができた子猫を褒めるように。
ドヤ顔で誇らしげにするアンテロに、王兄としてのプライドなど見受けられない。
ホランティ伯爵へ求婚していたはずだが、そばに居られるのならば何でもいいようだ。
古都子も晴臣も、複雑な思いでそれを眺めた。
村役場での接見は微妙な空気のまま終わった。
古都子と晴臣は気を取り直し、温泉施設へと向かう。
馬車はレンニ村長が用意してくれた。
「晴くん、楽しもうね!」
「ん」
もやもやを吹き飛ばすように、古都子はあえて大きな声を出す。
そうしないといつまでも、『飼い主と子猫』の図が頭を過るからだ。
銀山が近づき、湯の花の香りが漂ってくると、古都子の意識もそちらへ移った。
馬車から降りて、古都子は伸びをする。
隣では晴臣が、ふたり分の荷物を持っていた。
そびえ立つ山を見上げれば、相変わらずその雄大さに圧倒される。
「すごく元気がいいみたい。どんどん麓がにぎやかになるのを、楽しんでいるのね」
「それ、山の気持ち?」
「うん。もしかしたら温泉の温度、ちょっと高いかも」
くすりと笑った古都子と腕を組み、晴臣は先に宿泊施設へと足を進めた。
荷物を預けて、ゆっくりと山を散策してから、温泉に入るつもりだ。
王都近辺しか知らない晴臣にとって、この旅は未知との出会いばかり。
そして、古都子がこの世界に飛んできてからの、軌跡を辿る旅だった。
「古都子、頑張ってきたんだな」
「晴くんだって、そうでしょ。兵団に入って、剣を握って、魔物と戦って――」
この後、晴臣が予約した家族湯に辿り着くまで、古都子は終始ご機嫌だった。
入るのが家族湯だと分かった瞬間、真っ赤になってしまって、口を閉じた貝のようになってしまったのだが。