「なんてこった、こんな子どもが一人でさ迷い歩いて、大変だったろう」
「頑張ったわね、さあ、お水を飲んで」

 泣きじゃくりながら、古都子が助けを求めた荷馬車には、老夫婦が乗っていた。
 麦わら帽子をかぶったおじいさんと、スカーフを襟元に巻いたおばあさんは、古都子を迷子だと思ったようだ。
 おばあさんが渡してくれた金属製の古びた水筒から、古都子はゆっくり水を飲む。

 しかし、飲みながら、不審に思っていた。
 この二人、顔の彫りが深すぎる。
 流暢に日本語を話しているが、どう見ても日本人ではない。
 海外から移住しているのかな? と考えていたが、おじいさんが麦わら帽子を取った瞬間、古都子は盛大に咽た。
 
「ごっほ、ごっほ」
「あらあら、急いで飲み過ぎたかしら?」

 おばあさんがスカーフを解いて、こぼれた水を拭いてくれる。
 しかし古都子の視線はおじいさんの髪に釘付けだ。

(黄緑色をしている――白髪を染めてるの?)

 いや、それだけではない。
 おばあさんの髪色は茶色だけど、瞳はカラコンを入れたように真っ赤だ。
 ざわざわと古都子の中で、違和感が増していく。

「あの、すみません、親に連絡をとりたいんですけど……」
「親御さんとはぐれてしまったのね。旅の途中だったの?」
「この辺りに次の郵便がくるのは、十日ほど後になる。そのときに手紙を出してみるかい?」

 古都子の常識なら、ここで提案される連絡手段は電話だ。
 スマホを持っていなくても、家になら電話機があるだろう。
 しかし、老夫婦が勧めてきたのは手紙だった。
 じわりと、古都子の眦に涙が浮かぶ。

「この辺に、交番とかありますか? もしくはお巡りさんを呼んでくれるだけでも……」
「コーバンというのが何か分からないけど、誰か近くに知り合いがいるの?」
「その人を訪ねて来たのかい? 私らはこの村に長く住んでいるけど、オマワリさんという人は知らないな」

 おじいさんが首をひねっている。
 決定打だった。
 どっどっと、古都子の鼓動が早くなる。
 日本に住んでいて、交番やお巡りさんを知らないはずがない。

「ここ、日本じゃないんですね?」
「ああ、ここはフィーロネン村だ。ムスティッカ王国の台所を支える、豊かな穀倉地帯だよ」

 古都子の吐きそうな気持ち悪さとは裏腹に、おじいさんが柔和に笑った。
 村の名前も、国の名前も、古都子の知識にない。
 中学校の理科実験室から、いかに飛ばされようとも、日本の外に出るなんてあり得ない。

(何、これ……私、どうしちゃったの?)

 まだ夢の中にいるのかもしれない。
 古都子はそう思うことで、精神を保つしかなかった。

 老夫婦と自己紹介をしている内に、荷馬車はフィーロネン村の中心地へ着いた。
 
「村長のところへ挨拶に行こう。この村は小さいから、見知らぬ人が歩いていると、警戒されてしまうんだ」
「顔見せをしておけば、コトコちゃんも安心して過ごせるわ」

 古都子は、親と連絡がつくまで、イルッカおじいさんとヘルミおばあさんの世話になることになった。
 しかし、古都子には分かっている。
 この村にいても、親と連絡がつくことなどない。
 例え手紙を出したとしても、日本の住所に届くはずがないのだ。

「お~い、カーポ、いるかい?」

 イルッカおじいさんが、ひときわ立派な山小屋のような家の前に荷馬車を停め、呼び鈴の紐を引きながら扉越しに声をかける。
 古都子とヘルミおばあさんは、荷馬車の中で待機だ。

「なんじゃ、イルッカ、何かあったか?」

 山小屋から出てきたのは、ピンク色の髪をしたおじいさんだった。
 もう古都子は驚かない。
 ここは絶対に日本ではない。
 
「うちの田んぼの辺りで、女の子を保護したんだ。どうも親御さんとはぐれたらしい。しばらく預かろうと思ってな」
「そりゃあ大変じゃ。親御さんの居場所は分かっているのか? なんなら領主さまに話を持っていくぞ」
「それが、ニッポンという地名なんだが、知っているか?」

 二人は話しながら荷馬車へやってくる。
 ここで古都子がカーポ村長に、顔を見せればいいのだろう。
 
「ありゃ? お嬢ちゃん、ちょっと見ない顔つきじゃね?」

 古都子の平坦な顔かたちは、ここでは珍しいのかもしれない。
 
「こんにちは」

 古都子はぺこりと頭を下げた。

「いい子なんですよ、村長さん。この村で過ごしやいよう、取り計らってくださいな」

 ヘルミおばあさんが古都子の肩を抱いて、微笑んでくれる。
 優しい人たちに見つけてもらって、良かった。
 古都子の胸が、じんわりと温かくなる。
 しかし、カーポ村長の顔つきが、険しくなっていった。
 何か問題があるのだろうか。

「う~ん、これはもしかしたら……」
「どうした、そんなに悩ましい顔をして?」
「いや、儂も詳しくは知らんのじゃが、ちょっと思い出したことがあってな。もしかして、お嬢ちゃんは異世界人じゃないのかい?」

 イセカイジン。
 古都子の頭の中で、その言葉は『異世界人』と変換された。
 異世界――なんてこの世界に相応しい名前だろうか。
 だが、ここでは古都子の方が、異世界っぽいのだ。

「なんだい、そりゃあ? 異国の人ってことかい?」
「いや、異国どころか、世界が違うんじゃよ。領主さまに聞いたことがあるんじゃ。たまに違う世界から、人が飛んでくるって」
「飛んでくる? 空をか?」
「空じゃなかろう?」

 黄緑色の髪とピンク色の髪が、しきりに頭を傾げている風景は、確かに異世界に違いない。

「私、日本で爆発事故に巻き込まれたんです。そして、気がついたらここにいました」

 古都子は、先ほど老夫婦にしたのと同じ説明をする。
 うんうんとカーポ村長は古都子の話に頷き、確信を深めたようだ。
 異世界人は、元の世界で何らかのきっかけがあって、この世界へ飛んでくるのだそうだ。

「異世界人は、この世界での貴族や王族と同じで、魔法が使えるという。もしも魔法が使えたら、お嬢ちゃんは間違いなく異世界人じゃよ」
「魔法? この世界には魔法があるんですか?」

 いきなりファンタジー色が強まった。
 髪の色がカラフルな以上に、異世界度が上がる。
 カーポ村長が古都子のために、この世界の知識を教えてくれる。

「魔法が使える子は、16歳から魔法学園へ入学しないといけないんじゃ。そこで魔法の適性を見定められて、将来は王国へお仕えするんじゃよ」
「16歳……? 私、まだ13歳です」

 知らない場所へ行くのが怖くて、古都子は俯いた。
 
「お嬢ちゃんに魔法の素質が見られたら、儂から領主さまに伝えて、魔法学園へ入学できるように手配をしてもらおう。それまでは、普通の暮らしをしておればいいはずじゃ」

 古都子の心細さを、カーポ村長は感じ取ったようだ。
 柔らかい笑みを浮かべると、イルッカおじいさんに向き合う。

「お嬢ちゃんがこの村で暮らし始めたと、儂から村民には周知しておこう。イルッカのところは、娘さんが嫁いで家を出たばかりだったろう? お嬢ちゃんが過ごすのに、ちょうどいいんじゃないかね」
「ああ、まだ部屋には娘の服も残っている。コトコの背丈に合わせるくらい、ヘルミなら訳無いよなあ?」
「ええ、任せてちょうだい」

 怯える古都子を怖がらせないように、大人たちが気を遣ってくれる。
 この世界で異端な存在である古都子を、受け入れてくれる懐の深さに感謝するしかなかった。

「あ、ありがとうございます。お世話になります」

 この世界は、どうやら古都子の夢ではなかった。
 カーポ村長いわく、違う世界から異世界人は飛んでくるという。
 しかし、カーポ村長はその逆を口にしなかった。
 つまり異世界人は、元の世界へは帰れないのだろう。
 古都子はこの世界に、留まるしかないのだ。

(お父さん、お母さん、晴くん……)

 ぎゅうと潰されそうな心に、古都子の呼吸は次第に浅くなる。
 そして気がつくと、そのまま倒れて意識を失っていた。