大変なことになった。
 地表に出るための安全な経路だったはずが、まったく安全ではなくなった。

(どうしよう? どうしたらいい? 私がこっちの道を勧めたばかりに――)

 古都子の心臓が、バクバクと激しく脈打つ。
 そうしている間にも、晴臣はゴーレムの攻撃を剣で受け流し、オラヴィは竜巻を起こしてゴーレムの足をすくう。
 だが、決定打に欠けていた。
 このままでは晴臣の体力がもたず、オラヴィは魔力切れを起こすだろう。

(ゴーレムは魔物ではないから、『魔物について』にも載っていない。私がゴーレムだと分かったのは、日本の知識があったせい――)

 そこで、ふっと古都子は冷静になった。

「ソフィアさま、あれの名前を知っていますか?」
「いいえ、大きな操り人形のように見えますが……」
 
 やはりそうだ。
 このゴーレムは古都子が着ているジャージと同じ。
 異世界人の知識で作られている。

(それなら、止め方だって同じじゃないの?)

 エッラが必死で制御している火によって、ゴーレムは下から半分以上が見えている。
 だが肝心の額が暗くて見えない。
 もしも、そこに文字があるのなら――。

「晴くん、ゴーレムの額をよく見て! そこに文字があるなら、一文字だけ削れば、動かなくなるはず!」

 古都子の声が届いたのだろう。
 晴臣は跳躍し、ゴーレムの腕から肩へと飛び移った。
 しかし、ゴーレムはこれを嫌がり、体を震わせる。
 ゴーレムから落下した晴臣は受け身をとると、古都子のそばへ駆け寄った。

「何か文字が書いてあったが、読めなかった」
「最初の一文字だけ、削れそう?」
「やってみる」

 晴臣はゴーレムへ近づく前に、折れたオラヴィの剣を拾う。
 そして疾走した。

 ズン!

 オラヴィの風魔法を受けて、ゴーレムが片膝をつく。
 その瞬間に、晴臣は機敏にゴーレムの体を駆け上がった。
 払い落とそうとゴーレムが腕を振る。
 それを右手の剣で受け流し、左手に握る折れた剣をゴーレムの額へ宛がう。

 ギィイイイイ!

 そして渾身の力を込めて青銅に書かれた文字を引っ掻いた。
 脳が痺れるような、ぞっとする音が空間に響く。
 
 しかし、音が止むと同時に、ゴーレムもまた動きを止めたのだった。
 遺跡の中に静寂が広がった。
 
「やった! すごいぞ、ハルオミ!」

 ミカエルが飛び上がって喝采する。
 ゴーレムの体から飛び降りた晴臣は、肩で息をしている。
 かなり体力の限界だったのだろう。
 オラヴィも膝をついていた。
 ――ギリギリだった。

 エッラがそろりとゴーレムに近づく。
 照らされた額には文字らしきものがあり、正しく頭の文字が削れていた。
 
「これで動かなくなるんだ。不思議ですね、ソフィアさま」
「ええ、よく知っていたわね、コトコ?」

 ソフィアだけでなく、みんなの視線が古都子へ集中した。

「元の世界の知識なんです。あれはゴーレムと言って、主人の命令を聞くように作られていて……」

 説明をしようとした古都子だったが、ふらりと体が傾ぐ。
 それを晴臣が受け止めた。
 そう言えば、ずっと息苦しかったのだった。
 忘れてしゃべり続けたせいで、酸欠になったのかもしれない。

「先にここから出よう」

 晴臣が古都子を横抱きにし、遺跡からの退去を促す。
 元気が有り余っているミカエルが小道を探し、全員でそこから地表を目指した。

 ◇◆◇

「ユリウス先生、狼煙が上がっています。位置的に、三班からです」
「分かりました。すぐに救援に向かってください」

 ユリウスは待機していた仮設テントから出て、野外活動が行われている山を見た。
 稜線を越えて、細長い狼煙が上がっている。

「もう少しで最終地点だったが、力及ばずか」

 三班は異世界人のリリナと、その取り巻きたちで形成されていた。
 そして、狼煙よりも奥にユリウスは視線を移す。

「四班も到着していい頃合いだ。あの班は戦力過多だから……」

 果たしてこの山で訓練になったかどうか、という言葉をユリウスは飲み込んだ。
 四班のコースがある辺りを眺めていたら、それより大きく外れた場所に、黒々とした煙が立ち上がったからだ。

「あれは……もしかしてエッラの火魔法?」

 ユリウスは職員には任せず、自らが救援に向かった。
 いざとなれば、氷魔法で火を消し止めなくてはならない。
 それほど山の奥地ではなかったのが幸いだった。
 駆け付けたユリウスが見たものは――土埃まみれの六人だった。

 黒煙は、本物の狼煙の上げ方を知っていた晴臣が、生木を燃やして作っていた。
 エッラの火魔法の暴走ではなかったことに、ユリウスはひとまず安堵する。

「何があったのか、後で詳しく聞こう」

 地中から出たものの、地図にない場所だったので帰り道が分からず、下山できなかった四班のメンバーはこうして救出された。
 事情聴取が行われたのは、それから数日が経ってからだった。

 ◇◆◇

「なるほど、救難信号を出すアイテムが湿気ていた、と――」

 ユリウスは四班の六人を前にして、時系列で起きた出来事を書き留めている。
 あの山では物足りないだろうと思っていたが、六人は思いもかけない事件に巻き込まれていた。

「みんなが無事で、なによりだった。今後のためにも、あの山はもう少し、調査した方がよさそうだな」
 
 すべてを聞き終えたユリウスは、ペンを置く。
 扉を見つけたのが四班だったから良かったものの、他の一年生なら落下した時点で終わっていた。
 未盗掘の遺跡を見つけるなんて、完全にユリウスの想定外だ。

「ゴーレムと遺跡の研究は兄上に任せるとして、私はアイテムが湿気ていた原因を突き止めよう。君たちは何重苦もの困難を乗り越えた。野外活動の成果としては合格だ」
「やった〜! ソフィア、言っただろう? 叔父上は融通が利くんだ」

 それまで神妙にしていたミカエルが、立ち上がって喜ぶ。
 ソフィアはどうやら、コースから外れたことで不合格になるのを恐れていたらしい。
 懸念がなくなって、ホッとしていた。

「私やミカエルだけならまだしも、コトコやハルオミ、オラヴィやエッラにも関わることだもの。足を引っ張った側として、不合格になったら申し訳ないと……」
「ソフィア殿下、僕とエッラは、護衛として当然のことをしたまでです」
「そうですよ! なんならあれで、私はだいぶん火の制御がうまくなったんですから」

 オラヴィとエッラに激励され、ソフィアはやっと笑った。
 古都子は、不合格になる場合もあったのだ、と今ごろ気がついた。
 とことん、冒険にワクワクしてしまった自分を責めたい。

(それにしても、晴くん、カッコよかったなあ)

 暗がりに不安定な灯りの中、古都子は初めて晴臣が剣を使うところを見た。
 今なお、休みの日のたびに、兵団と一緒になって訓練や魔物討伐に参加している晴臣。
 魔法学園に入学した当初よりも、背が伸びたし筋肉もたくましくなった。

(どうしよう。どんどん好きになる)

 古都子がひとりで悩んでいると、ふいに晴臣がこちらを向いた。
 まさか考えていることが、顔に出ていたのでは――。
 そんな心配をした古都子だったが、晴臣からは素直に感謝された。

「古都子のおかげで助かった。ありがとう」
「そうだそうだ! コトコがゴーレムの止め方を知っていたから!」

 晴臣に絡み、ミカエルも嬉しそうにしている。
 古都子は照れた。
 漫画で読んだ知識が、この世界では意外と役に立つ。
 
「たまたま、だよ」
「異世界人の知識は、この世界の宝だ。だからこそ、私たちは異世界人を大切にする」

 ユリウスの口から、ホランティ伯爵から聞いたのと同じ言葉が紡がれる。
 よほど徹底されている考えなのだと感じた。
 
「だが、今回は処罰される異世界人が、いるかもしれないな」

 続けてぼそりと呟かれたユリウスの声は、古都子には届かなかった。