異世界の魔法学園には事件がいっぱい!?~無口な幼馴染ヒーローと美少女のいじめっ子が同級生なんて聞いてません~

 それから晴臣は、兵士たちと一緒に研鑽を積み、そこそこの剣の腕前になった。
 そして15歳を前にして、初めて魔物の討伐へ参加したのだ。

「いいか、坊主、決して無理はするな。駄目だと思ったら、引くことも大事だ」

 ウーノに檄を飛ばされ、晴臣は剣の柄を握り直す。
 王都の周りには、ときおり大きなサソリ型の魔物が現れて、隊商や旅人を襲っていた。
 それを退治するため、兵士たちは隊を組んで、王都の郊外へと向かう。

 結果として、ウーノが率いる兵団は勝利を収めた。
 初陣だった晴臣も、なんとか魔物に一太刀を浴びせることができた。
 そしてこの世界に来て初めて、自ら稼いだ報酬を手にしたのだった。

「助けた隊商たちが、近くで露天の店を出している。せっかくだから、破れた手袋を買い直したらどうだ?」

 配られた金貨を、じっと見つめているだけだった晴臣に、ウーノが声をかける。
 兵士たちは家族へのお土産などを、店で見繕っているようだ。
 それを見て、ふと晴臣は思い出す。
 今日は古都子の誕生日だった。

 手袋を売っていた店の店主に、女の子への贈り物には何がいいのか聞いてみる。
 思いがけず本気度の高いものを勧められ、戸惑いつつも並ぶ宝飾品を見てみた。
 古都子の黒い髪に似合いそうな髪飾りを探していると、ウーノから招集がかかる。
 もっと時間があればよかった。
 仕方なしに手袋だけを買い、晴臣は走る。
 きっと古都子も、この世界のどこかにいる。
 晴臣が16歳になる年に、魔法学園で会えるはずだ。
 それまでには必ず、誕生日プレゼントを用意しようと決めた。

 ◇◆◇

 秋になり、古都子はサイッコネン村へ、再度赴いた。
 銀山の隣では、半年ほどかけて建てられた温泉施設が、古都子を出迎えてくれる。
 
「きらびやかですね。まるでホランティ伯爵の馬車みたい」
「温泉施設に来た人に、どうしたら喜んでもらえるだろうか、と考えたらこうなった」

 お城のような温泉施設に、古都子は目を丸くする。
 これは日本でいう、アミューズメントパークに近い。
 非日常を楽しむ場所だ。
 
「温泉だけなのは、もったいないですね。長期滞在のための、旅館とかあるといいのに」
「村長からもそういう意見があったので、検討しているところだよ」

 温泉施設の裏手に周ると、そこには地下から湧き出る温泉を、風呂場へ通すパイプがあった。

「噴き出しそうな水を温めて、この温泉と繋げたらいいんですね?」
「坑道内に噴き出さず、無事にパイプから温泉となって出てきてくれれば、すべての計画がうまくいく」
「誘導するために水の道を作りつつ、坑道の補強もしてみます」
「しばらく見ぬ間に、ずいぶん複雑な土魔法がつかえるようになったね」
 
 ホランティ伯爵が古都子の言葉に驚く。

「私が失敗したら、これまでの皆さんの頑張りが、台無しになってしまいますから」

 だから、古都子はフィーロネン村の田畑をつかって、ひたすら魔法のレベル上げをしてきた。
 土との親和性を高め、相互理解を深めた古都子は、サイッコネン村の銀山へ語りかける。

(坑道へ噴き出しそうな水を導く道を作るよ! 同時に、水がなくなって脆くなりそうな坑道を補強して!)

 古都子のお願いが土に伝わり、粘土のようにぐにゃりと地層が動き出す。
 ホランティ伯爵はそれを興味津々で見ていた。
 土に導かれ、地下水は地熱の届く場所を目指す。
 深さ数キロに及ぶ水の道を正確に作ると、温まった水を今ある温泉の水脈に繋げる。
 かさの増えた温泉水は、勢いよくパイプから噴き出し、温泉施設の風呂場へと向かっていった。
 
「おお、素晴らしい」

 ホランティ伯爵の感嘆の声が聞こえて、温泉水の誘導は成功したのだと分かる。
 次は坑道の補強だ。
 水を抜く段階である程度は固めているが、細部の確認を始める。
 足元、側面、天井――。
 地中に崩れそうな穴はないか、新たな水が入り込んでないか。
 銀の鉱脈へと続く長い坑道を、古都子は丁寧にスキャンした。

(大丈夫みたいね。それにこの銀山、なんだか嬉しそう)

 ふっと土から意識を放し、古都子は遥か先に見える頂を見上げた。
 土にも性格があるのだろうか。
 この銀山は、麓で人が賑やかにしているのを、喜んでいる様子があった。
 
(サイッコネン村の人たちを、どうぞよろしくお願いします)

 古都子は、心の中で、そっと祈った。
 そうして任された仕事をやり切った古都子は、久しぶりに魔力切れを起こして目を回したのだった。

 ◇◆◇

 大麦の種を撒き終わると、フィーロネン村は冬支度を始める。
 古都子はヘルミおばあさんから、丸い焼き菓子の作り方を教わっていた。
 日本にいたときから、製菓にはあまり興味がなかった古都子だったが、このお菓子への愛着に負けた結果だ。
 なにしろ春からは、魔法学園での生活が始まる。
 この焼き菓子は家庭でつくるもので、お店には売っていないという事実を知った古都子は、どうにかして食べ続けるために頑張っていた。

「簡単だから、大丈夫よ。すぐに覚えられるわ」

 優しいヘルミおばあさんに励まされ、古都子は卵と蜂蜜と砂糖をへらで混ぜている。
 先ほど、ヘルミおばあさんに、お手本を見せてもらった。
 見ているときは出来そうだと思ったのに、やらせてもらうと難しい。
 あちこちに飛び跳ねる生地を相手に、古都子は奮闘する。

「次は小麦粉ね。これはふるってから入れると、ダマにならないのよ」

 混ぜるよりは切るようにへらをつかってね、とヘルミおばあさんに言われたが、切るようにへらを動かすと、いつまでも生地が混ざらない。

「ヘルミおばあさん、これ混ざらないよ?」
「貸してちょうだい。こうするのよ」

 古都子からへらを受け取ったヘルミおばあさんは、手早く生地を切り始める。
 その手の動きの早さに、菓子作りは重労働なのだと古都子は認識を改めた。
 
「すごい……あっという間に生地が混ざった」
「最初は手が疲れるでしょうけど、慣れるのよ。そのうち目を瞑っていても、作れるようになるわ」
「ヘルミおばあさんは、もう何度も作ってきたんだよね?」
「そうねえ、シスコが小さいときから、手軽なおやつと言えばこれだったわね」
 
 ふふふ、とヘルミおばあさんは笑った。
 
「シスコは、ジャムをたっぷりのせて食べるのが好きでね。特に焼きたては格別なのよ」

 古都子のいた日本では、バターを乗せてリベイクしたり、アイスクリームを乗せて食べたりしていた。
 焼き菓子自体が素朴で、ほのかな甘さだから、アレンジの伸びしろだらけなのだ。
 
「コトコちゃんも、いつか自分の子どもに作ってあげる日が、くるかもしれないわね」

 熾火で温められた石窯に、丸く生地を落とした天板を滑り込ませる。
 しばらくして香ばしい甘い匂いがしてきたら、完成なのだそうだ。
 
「手順は覚えたけど、自分ひとりで作れるかどうか……」

 まだ不安が残る。
 険しい顔をしている古都子に、ヘルミおばあさんは温めた牛乳を渡してくれる。

「魔法と一緒よ。何度も作っているうちに、上達するわ」
「うん、確かに!」

 ヘルミおばあさんの助言に、古都子は顔を明るくする。
 古都子がフィーロネン村で過ごすのも、残り数か月だ。
 異世界へ飛んできたことに絶望し、元の世界で死んだことに呆然とした日もあった。
 両親や晴臣との別れに泣いた日もあった。
 だが、ここで暮らした多くの日は、喜びと笑いに満ちていた。

「ヘルミおばあさん、ありがとう。私、これからも頑張るね」

 古都子はたくさんの意味を込めて、感謝の言葉を口にした。

 そして、いよいよ春がやってくる。
 古都子を王都にある魔法学園へ送るため、ホランティ伯爵が馬車に乗って迎えにきた。
「イルッカおじいさん、ヘルミおばあさん、これまでお世話になりました」

 深々と頭を下げてお礼を言った古都子は、大きな麦わら帽子と赤いスカーフをふたりへ贈る。
 ヘルミおばあさんはずっと泣くのを我慢していたのに、古都子からの贈り物を前に、ついに泣き出してしまった。
 それをイルッカおじいさんが慰める。

「コトコが大きくなって羽ばたいていくんだ。これは目出度いことなんだよ」
「分かってます、分かってますけど……」

 エプロンで涙を拭うヘルミおばあさんの姿に、古都子ももらい泣きしてしまう。
 そんな古都子の肩に、ホランティ伯爵がぽんと手を置いた。

「魔法学園を卒業したら、一度、顔を見せにくるといい」
「はい、そうします!」

 古都子の元気のよい返事に、ヘルミおばあさんもやっと泣き止んだ。

「コトコちゃん、頑張り過ぎないでね。疲れて倒れる前に、焼き菓子を食べてね」

 最後まで心配性だったヘルミおばあさんと抱き合って、古都子はフィーロネン村を後にする。
 家を出て、停めてあるホランティ伯爵の馬車に乗りこむと、村民が総出で見送りにきていた。

「コトコちゃん、元気でね!」
「また遊びにおいでよ」
「土魔法、かっこよかったぞ!」

 シスコの声もする。
 古都子は馬車の窓から身を乗り出し、大きく手を振った。

「皆さん、ありがとうございました!」
 
 御者が馬に鞭を入れ、馬車が動き出した。
 すると雪解けでぬかるんでいるはずの道が、するすると平らに整っていく。

「ここへ来るときは、轍に車輪を取られて揺れたものだが、コトコの土魔法かな?」
 
 ホランティ伯爵に聞かれたが、土魔法をつかった覚えのない古都子は、目をパチクリとさせた。
 
「いいえ、私は何も……」
「伯爵さま、なんだか道が輝いていますよ」

 すると御者が驚いた声を出した。
 ホランティ伯爵と古都子が、窓から顔を出して道を見ると、道の表面がキラキラと光を反射している。

「わあ、綺麗!」
「これは……雲母だ」

 ホランティ伯爵によると、塗料にも使われる鉱物で、光沢があるのが特徴なのだそうだ。

「それがどうしてこんなに?」
「これは私の考えだが――道を平らに均したのも、美しく輝かせたのも、土の意思じゃないだろうか。きっとフィーロネン村の土が、コトコの門出を祝っているのだよ」
「っ……!」

 古都子は、もう一度、窓から顔を出して道を見る。
 夜空にかかる天の川のように、道は古都子の行く先まで白く輝いていた。
 これまで土と一緒に、魔法のレベルあげをした日々が思い出される。
 きゅっと、古都子の下唇に力が入る。

「ありがとう……これまで一緒に頑張ってくれて、ありがとう!」

 古都子は相棒だった土にも感謝を伝えて、約三年間を過ごしたフィーロネン村を旅立った。

 ◇◆◇

 数日かけて向かう王都の魔法学園への道中、古都子はホランティ伯爵からこんな話を聞いた。
 
「どうやらコトコ以外にも、異世界人が入学するらしい」

 もしかして晴臣ではないだろうか。
 古都子の緊張感が高まる。

「サイッコネン村で崩落が起きた原因となった、愚かな貴族がいただろう? あの貴族を調べている内に、コトコと同い年の異世界人を、養女に迎えたことが分かった」
「養女……つまり、女の子ですか」
「そうだ。そしてその養女から、『私が魔法をつかえないのは、杖がないせいだ』と言われ、銀の杖を仕立てるためにサイッコネン村を訪れたらしい」

 情報量が多すぎる。
 取りあえず、晴臣ではないのは分かった。
 がっかりしながらも、古都子はこの世界の常識を確認する。
 
「杖がなくても魔法はつかえますよね?」
「もちろん、つかえる」
「それなのにその貴族は、養女の言うままに杖を仕立てようとしたのですか?」
「だから愚かなのだ」

 ホランティ伯爵の言葉には容赦がない。
 大切な領民に怪我をさせられたのだから、当たり前だ。

「その貴族が、異世界人を養女にした魂胆は分かっている。コトコもそうだが、年齢が関係している」
「年齢? 私も?」

 思いもよらない共通点を挙げられた。

「今年の魔法学園は、少し特別なんだ。双子の王女殿下と王子殿下が入学される」
「王女殿下と王子殿下が……」
「王族と同学年になるというのは、貴族にとって利点でしかないのだ。うまく取り入れば、後々、美味しい目に合える。だからその貴族は、双子の王族と同い年の異世界人を養女として囲い込み、我が儘を聞いてでも魔法学園へ送り込みたいのだよ」

 急に、汚い大人の世界が垣間見えた。
 息を飲んだ古都子に、ホランティ伯爵は安心させるよう微笑んだ。

「コトコはそのままでいい。何も気負わず、魔法の学びを得て欲しい」
「私、王族なんてすごい人に会うのは、初めてです。失礼なことをしてしまうかも……」

 別の意味で、心臓がドキドキし始める。
 
「王族だって、同じ人だ。何も変わらない。コトコは誰とだって、とても丁寧に接しているだろう。だから今のままでいいんだよ。むしろ……」

 そこで口をつぐんだホランティ伯爵だったが、少しだけ目をさ迷わせて、しかし古都子のためを思って口を開いた。

「むしろ、コトコのほうが驚くかもしれない。ソフィア王女はそうでもないのだが、弟のミカエル王子はかなりやんちゃだと聞く」
「やんちゃ……王族なのに?」

 黙ったまま、ホランティ伯爵がこくりと頷いた。

「私の領地の穀物収穫高が倍増した理由として、国王陛下にはコトコの土魔法の説明をしてある。それにミカエル王子が興味を持ったそうだ。おそらく……コトコに話しかけてくるだろう」

 これまで地味に生きてきた古都子にとって、王族との接触なんて一大事だ。
 
「コトコには災難かもしれないが、当たり障りなく接していればいい」
「なんだか別世界です。私、ずっと普通の学校にしか通ってなくて」
「コトコの制服や教科書は、すでに寮に用意してある。入学式まではしばらく時間があるから、環境に慣れるためにも、予習をしておくといいかもしれない」

 古都子は、寮での一人暮らしも初めてだ。
 王都に到着するまで、古都子はホランティ伯爵から、魔法学園での生活について、話をたくさん聞かせてもらえた。
 そうして分かったことだが、フィーロネン村の生活基準と王都の生活基準は異なっていて、熾火で温める石窯ではなくガスのオーブンが普及しているそうだ。

「……石窯じゃないんですね」
「ちなみに電灯もある。コトコは少し、文明に慣れる必要があるかもしれないな」

 ふふふ、とホランティ伯爵が笑うので、古都子もなんだか可笑しくなった。

 笑うと心が軽くなる。
 馬車の窓から見える空は、今日も青い。
 古都子は空を見上げるたびに、両親へ思いを馳せる。
 
(お父さん、お母さん、私は元気だからね。魔法学園で始まる新しい生活にも、きっと馴染めるから安心してね)

 人見知りが激しかった古都子は、この世界で成長した。
 中学校では先生相手に失望していたが、この世界で出会った大人は、古都子を一人前として扱ってくれる。
 まだ大人ではないから護ってくれるが、古都子の意思を尊重してくれるのは嬉しかった。
 
 同じ空の下に、もうすぐ異世界人が揃い立つ。
 
 ◇◆◇

「これって……あのとき、理科実験室にいた生徒たちよね?」

 中学校教師だった結月は、手にした新入生名簿を見て驚愕した。
 
「私だけじゃなかったんだ、この世界に飛んできてたのは」

 約三年前、理科実験室で何かに躓いた拍子に、結月は光と爆風に包まれ、気がついたらこの世界にいた。
 それから、異世界人ならば魔法がつかえるだろうと言われ、有無を言わさず魔法学園の職員にされてしまったのだ。
 元々、教師という立場だったので悪くはないと思ったが、ここで結月が教えられる魔法の知識は何もなかった。
 結局、まだ魔法が発現しない結月は、雑用をさせられていて、日々の鬱憤がたまっている。
 
「ちょうどいいわ。まずは、泉リリナからよ。上下関係ってものを、ちゃんと教えてあげなくちゃ」

 結月はリリナからされた仕打ちを、忘れていなかった。
「制服はブレザーなんだ、可愛い!」

 ホランティ伯爵と別れ、案内された寮の部屋へ入った古都子は、荷解きをしていた。
 そして備え付けのクローゼットにかけられた、深緑色の制服を見つけたのだ。
 シスコの服を古都子の体形に直してくれていたヘルミおばあさんのおかげで、前もって制服の仕立て屋に古都子のサイズは伝えられている。
 袖を通してみると、それがオーダーメイドなのが分かった。

「ぴったりだ。けっこうスカートは長めなんだね」

 日本の女子高校生のような、膝上丈ではない。
 ふくらはぎまで隠れる長さは、ちょっと新鮮だった。

「中学校の制服より、うんと大人っぽいな」

 姿鏡の前で、古都子はくるくる回ってみる。
 三日後の入学式が待ち遠しい。
 もしかしたら晴臣に会えるかもしれない、という期待もある。
 だが、浮かれてばかりもいられない。

「ホランティ伯爵に言われたように、予習をしておこう」

 魔法学園に入学が決まった当初、古都子はこちらの世界の文字が分かるのか不安だったのだが、ホランティ伯爵いわく、話し言葉が通じるのと同じで、文字も異世界人にはなぜか母国語のように理解できるらしい。
 
 勉強机の上には、8冊の教科書と辞書が積まれていた。
 古都子が分かり易いように、ここに置いてくれたのだろう。
 横には腰高の本棚もあって、さっそく教科書と辞書をそこへ並べた。
 次いでホランティ伯爵が道中で買ってくれた文房具や、ヘルミおばあさんが持たせてくれたお小遣いなどを、机の引き出しに仕舞う。

「よし、荷物の整理も終わったし、どの教科書から読もうかな? 『魔法基礎学1』、『魔法の歴史』、『魔物について』……魔物? この世界には魔物なんているの?」

 興味をひかれた古都子は、辞書の次に分厚いそれを手に取る。
 そして木の椅子に腰かけると、最初のページをめくった。
 挿絵もあって分かり易い『魔物について』を、古都子は夢中で読みふける。
 夕食の時間になっても食堂へこない古都子を心配し、寮母さんが部屋へ呼びに来て、初めて辺りの薄暗さに気づくまで。

 それから古都子は三日間、部屋にこもって教科書ばかり読んで過ごした。
 これまで、のどかな田舎のフィーロネン村で過ごした古都子にとって、教科書と言えども本は紛れもなく娯楽だったのだ。
 そのせいで、女子の間にできた派閥からすっかり取りこぼされていたが、古都子はまったく気がついていなかった。

 ◇◆◇

「緊張するわ。どうか晴くんがいますように!」

 ぎゅっと手を組み合わせ祈ると、古都子はそろりと入学式の会場へと足を踏み入れた。
 先ほどから、新入生たちが先輩に案内されて、次々と席についている。
 それを見ながら、古都子も新入生たちの集団へ近づいていくと――。

「古都子!」

 まだ誰にも自己紹介をしていないのに、背後から名前を呼ばれた。
 そして古都子が後ろを振り返るより早く、その体が晴臣の両腕の中に囲い込まれた。

「え? 晴くんなの?」
「よかった……やっぱり古都子も、こっちの世界に飛んできてたんだな」

 古都子は、晴臣に名前を呼ばれたのがいつぶりなのか、覚えていない。
 そして晴臣は、こんなに流暢にしゃべるキャラではなかったはずだ。
 そろりと見上げると、かなり背が高くなった晴臣が、嬉しそうに古都子を見つめていた。
 顔だちからは少年らしさが抜け、髪が長く精悍になっていたが、古都子の知る晴臣の面影がある。

「間違いない……晴くんだ」
「そうだ、俺だ」

 古都子の目に、じわりと涙が浮かぶ。
 声変わりしたらしい晴臣の低い声が、ふたりが離れていた年数を物語る。

「晴くん、大きくなって、声も変わって……」
「古都子は変わってないな。おかげですぐに見つけられた」
 
 笑う晴臣に、たまらず古都子は抱き着いた。
 会えた。
 会いたかった晴臣に会えた。
 嬉しくて、心臓がぎゅっとなる。
 再会を喜ぶふたりだったが、ここは入学式の会場で、周りには多くの生徒がいる。
 そんな場所で抱き合うふたりは、間違いなく注目の的になっていたのだろう。

「ちょっと、早く席に着きなさい!」

 注意を受けてしまった。
 すみません、と謝ろうとした古都子だったが、声の方を見て硬直する。

「ゆ、結月先生?」
「飛んできたのは、あなたたちだけじゃないってこと。泉さんもいるわよ」

 結月が顎で示したほうを見ると、すでに新入生の集団に馴染んでいるリリナがいた。
 
「あの理科実験室にいたメンバーが、この世界に飛ばされたってこと。分かったら、さっさと着席してちょうだい。この場を任されているのは私なんだから」

 飛んだ先でも、先生をしているらしい結月には驚かされた。
 それに、ホランティ伯爵から聞いた貴族の養女となった異世界人が、リリナだったことも判明した。
 促されて、古都子と晴臣は大人しく席に着く。
 順番は決まっていないようだったので、ふたりは並んで座った。
 さっきまで抱き合っていたが、今になってそれが恥ずかしくなる。

「晴くん、あとでゆっくり話そうね」
「ん」

 頬が赤らんでいるのは、古都子だけではない。
 周りが見えていなかった晴臣もまた、自分の行いの大胆さに、今さら恥ずかしさを感じていた。
 もじもじするふたりは、ときおり腕が触れあう距離で、入学式が始まるのを待った。

 ◇◆◇
 
 学園長の祝辞に続いて先輩たちの歓迎の言葉も終わり、新しく赴任する先生の紹介が始まる。
 すると、どこからか「きゃー!」という黄色い声がした。
 原因はすぐに分かった。
 登壇した新任の先生というのが、水も滴る麗人だったからだ。
 流れるような長い銀髪に、印象的な赤い瞳、姿勢の良さが完璧なスタイルをさらに際立たせている。
 本人が爽やかに自己紹介をしたことで、国王の弟ユリウスであると分かる。
 こんなに身分の高い人が、教職に就くのかと古都子は驚いた。

「ユリウス先生には、新一年生を担当してもらいます」

 学園長の朗々とした声が響く。
 がっかりした先輩たちの声に混じって、新入生のひそひそ話も聞こえてきた。

「ミカエルさまとソフィアさまの警護ために、就任されたって噂よ」
「おふたりとも、護衛つきで入学されたのに?」
「護衛と言っても彼らも生徒だしね。先生のほうが都合がいい場面もあるでしょ?」
「おかげで私たちは役得よ。王弟殿下をユリウス先生って呼べるんだもの」

 静かにしなさい! と結月がおしゃべりな新入生を注意して回る。
 大胆な新入生は、それでもまだ口を閉じない。

「三年生にいる姉から聞いたのだけど、あの異世界人の先生、要注意らしいわ」
「どういうこと?」
「すぐ生徒に八つ当たりするんですって。それに正確には、先生でもないらしいのよ」
 
 それが聞こえた古都子は、思わず首をすくめた。
 結月はこちらの世界でも、以前の中学校と同じことをしているようだ。
 
「30歳になって、結婚を焦ってるんですって。だからあの先生の前で、うっかり婚約者と仲良くしたら、目をつけられるって噂よ」
「やだあ、気を付けなくちゃ。私の婚約者、二年生にいるのよ」

 古都子と晴臣は、そんな結月の前で再会を喜び、抱き合ってしまった。
 ただでさえ絡まれやすい地味属性の古都子にとって、幸先が思いやられる展開だった。
 
 ◇◆◇

 入学式が終わり、教室への移動が始まった。
 古都子は晴臣と並んで、列の最後尾あたりを歩く。

「クラスがひとつしかなくて良かったね」
「ん」

 ふたりとも、こちらの世界に来てから人見知りは治っている。
 それでも、できるだけ一緒にいたいという気持ちは変わらない。
 理由が、独占欲や心細さではないのは、もう古都子にも分かっている。
 
「晴くん、よかったら今日――」

 一緒に寮まで帰ろう、と誘いかけた古都子を、大きな声で呼び止める者がいた。
「コトコ・シラツチというのはお前か?」

 言葉遣いは尊大だが、声音には親しみやすさがある。
 すでに教室へ入りつつある先頭集団から、ひょっこりと飛び出してきたのは、金髪に金目という派手な外見の男子生徒だった。
 名指しされて、古都子はきょとんとする。
 ホランティ伯爵から忠告されていたのを、晴臣に会えた興奮ですっかり忘れていた。

「はい、私です」
「ふ~む、異世界人というのは、幼い顔付きをしているのだな」

 不躾にジロジロと顔を眺められ、いい気持ちはしない。
 そんな古都子を護るように、晴臣がさっと前に立ちふさがる。

「お! コトコにも護衛がついているのか? さすが、希代の土使いだ!」

 なぜか手を叩いて喜ばれる。
 状況が分からず戸惑っていると、男子生徒の後ろから助けの手が差し伸べられた。

「ミカエル、名乗りを忘れているわ。コトコさんを困らせては駄目でしょう」

 こちらも同じく、美しい金髪と金目の持ち主で、並ぶとふたりの面差しがよく似ているのが分かる。

「あ、もしかして……」
「ごめんなさいね、私はソフィア、こちらは弟のミカエル。どうぞよろしく」

 双子であるのが分かると、さすがに古都子も思い出す。
 慌てて晴臣の後ろから出て、頭を下げた。

「王女殿下、王子殿下、失礼しました」
「もっと楽にしてちょうだい。それに、悪いのはミカエルだわ」
「俺の顔を知らないなんて、本当に異世界人なんだな」

 おかしそうに笑っているミカエルに、悪気はなさそうだ。
 
「俺のことは、ミカエルと呼んでくれ」
「私のことも、ぜひソフィアと」

 双子の王族にそんな無理を言われて、古都子は恐縮するしかない。

「では、ミカエルさまとソフィアさまと、呼ばせてもらいます」
「呼び捨てにしても、いいんだぞ?」

 ミカエルが無茶を言う。
 教室からこの様子を窺っている貴族の令息令嬢たちが、苦虫をかみつぶした顔をしているのが古都子には見える。
 ここで頷く蛮勇はしない。
 しかし、いい断りの言葉も浮かばない。
 困り切った古都子の後ろから、涼やかな声が通る。

「どうした? みんな、教室へ入りなさい」

 高い位置から聞こえた声の持ち主は、ユリウスだった。
 助かった。
 古都子は、双子の王族へ頭を下げると、晴臣と一緒に教室の入り口へと向かう。
 じっとりとした妬みの視線が絡みつくのを感じながら。
 
(あ~、やってしまった。ホランティ伯爵から教えてもらっていたのに)

 結月に続いてミカエルまでも、古都子の安寧な学園生活をおびやかす要素となった。

(まだ初日なのにな。……きっと絡まれやすい星の元に生まれてるのね、私)

 この世界へ飛んできて、前よりも腹が据わるようになった古都子は、いろいろ諦めることにした。

 ◇◆◇

「なによ、あれ。白土さんのくせに、生意気だわ。黒柳くんだけでなく、ミカエルさまとも仲良しだなんて」

 整えられた爪を噛んでいるのは、泉リリナだ。
 ハーカナ子爵家の養女となったリリナは、なるべく王家の双子と仲良くなってくれと、両親から念押しされている。
 ゆくゆくはそれが、リリナの地位も押し上げると分かっているから、やる気を見せていたのだが。

「初っ端から出鼻を挫かれちゃったわ。あの地味顔の、どこがいいのよ?」

 日本より彫りの深いこの世界でも、リリナの可愛さは健在だった。
 ハーカナ子爵によって、すでに社交界へのデビューも済ませているが、取り巻く男性には事欠かない。
 この調子なら、ミカエルを落とすのも、難しくないとリリナは思っていた。
 それなのに――。

「目障りね。またいじめて排除してやろうかしら」

 すでにリリナは、下位貴族の令嬢たちをまとめ、そのトップに立っている。
 それより上位の令嬢はみな、ソフィアの取り巻きだ。
 孤立している古都子を嵌めるのは、簡単だろう。

「見ていらっしゃい。チヤホヤされているのも、今の内よ」

 ほくそ笑んでいたリリナだったが、己が煽った結月の存在を忘れている。
 リリナに対して目を光らせている結月が、ことごとく計画の邪魔をしてくるとは、このときは想像だにしていなかった。

 ◇◆◇

 見えぬところでリリナと結月がしのぎを削っているとは知らず、古都子は晴臣との学園生活を満喫していた。
 ちょいちょいミカエルから声をかけられ、そのたびに妬みの視線を浴びるが、今のところ表立った被害はない。
 いつも隣に晴臣がいるから、古都子に何かを仕掛けられないだけかもしれないが。

「晴くん、今日も一緒に帰ろう」
「ん」

 魔法学園と学生寮の間には、遊歩道がある林があって、生徒たちはいくつかのルートを通って行き来をしている。
 そのルートの途中には、休憩もできるベンチが設置してあり、古都子と晴臣はその日に習ったことを、ここへ座って復習していた。

「晴くんはまだ、魔法が発現していないんだよね?」
「異世界人は、こちらの世界の貴族や王族と違って魔法がない世界にいたから、感覚がつかみにくいんだってユリウス先生に言われた」
 
 晴臣はこの世界に飛んできてからも、魔法がつかえない兵士たちに囲まれて、過ごしていたという。
 おかげで剣はつかえるが、いまだ己の魔法がどんなものか、分からないのだそうだ。
 ホランティ伯爵から魔法を見せてもらって、なんとなくイメージができた古都子は運が良かったのだ。
 
「私が魔法をつかってみるから、見ててね。土魔法だから、ちょっと地味だけど」

 そう言って、古都子は意識を、足元の土に集中させる。
 
(晴くんのために、どんな魔法をつかおう。ホランティ伯爵は、私に風が渦巻く姿を見せてくれたけど、私は無から有を生み出すことは出来ない)
 
 しばらく考えてから、古都子はきゅっと口角を持ち上げた。
 そして林の土に気持ちを伝える。

(晴くんに、雲母の道を見せてあげて。綺麗なキラキラが、たくさん集まった姿を)

 すると、じわじわと、地中で何かが集合する気配がする。

「っ!」

 隣に座る晴臣が、息を飲んだ。
 林に続く遊歩道が、白く輝き出したのだ。
 古都子の願いに応じて地表に出てきた雲母は、パールのような柔らかい光沢を放っている。

「全然、地味じゃないよ。古都子の魔法、とても綺麗だよ」
「私がフィーロネン村を旅立つとき、その地の土たちが、こうやって祝ってくれたの」
「すごいな。土と意思疎通ができるの?」
「なんとなくだけどね」

 それから、古都子がホランティ伯爵から聞いた魔法に関する話や、田んぼを耕してレベル上げを頑張った話をした。
 
「魔法は誰かのためにつかうもので、繰り返すことで、魔法も本人も強くなるのか……剣と一緒だな」
「だから発現さえすれば、そこからは自主練ができるんだよ」

 一年生の中で、魔法が発現していないのは晴臣だけだ。
 これから授業でも魔法をつかい始めるから、なるべく早く発現させたい、と晴臣が願っているのを古都子は知っている。

「私は蕪を抜きながら、土が柔らかくなったらいいのにって思ったの。おそらくだけど、魔法っていうのは何かを願ったら発現するんじゃないかな?」
「何かを願う……」

 晴臣が木々の間から空を見上げた。
 古都子はその真剣な表情にドキリとした。

「ずっと願っていた。古都子に会いたいって。こうやって空を見ながら、きっと同じ空の下にいると信じていた」

 哀愁を含む声が、風にのって古都子の耳に届く。
 
「そうしたら、目の端に何かが映った。ずっと気のせいだと思っていた。でも……」

 晴臣の目が、古都子を射貫く。

「もしかしたら、それが俺の魔法だったのかもしれない」
「きっと、そうだよ!」

 古都子は前のめりになり、目を輝かせる。
 そして晴臣の言葉の続きを待つが、その口は閉ざされたままだ。
 どうしたのだろう、と古都子は首をかしげる。

「晴くんは、何を見たの?」
「……幽霊」
「え?」

 古都子の顔が青ざめる。
 ホラー系は苦手なのだ。
 だから晴臣は一度、口を閉じたのか。

「古都子の、幽霊を見た」
「わ、私の……?」

 温かい春の陽気に包まれていたはずが、晴臣の台詞で一気に冷えた。
「正確には、古都子っぽい形をした影だ」
「影? 幽霊じゃなくて?」
「ちらっとしか見えなかったから、よく分からなくて」

 晴臣の眉間に皺が寄る。
 必死に思い出そうとしているのだ。

「幽霊の正体は、枯れたススキだと言うだろう? だから俺も、何かを見間違えたのだと、最初は思った」

 古都子は、うんうんと頷いて話を促す。

「だけど、古都子に会いたいと願うたびに、それは現れた。次第に、これは古都子の生霊なんじゃないかと……」
「いやああああ!」

 途端に怖さが増した。
 
「やだ、晴くん、私の生霊なんて召喚しないで!」
「多分、生霊じゃないよ。話を聞いて分かった。それが魔法だったんだって」
 
 そうだ、魔法の話をしていたのだった。
 古都子も、はっと気を取り直す。
 
「影とか生霊とか、私たちじゃはっきり属性が分からないから、今度ユリウス先生に聞きに行こうよ」
「ん」

 魔法が発現していないと思われていた晴臣だったが、どうやら知らぬ間につかっていたらしい。
 しかもそれが、古都子に会いたいと願ったからだなんて、嬉しくてしょうがなかった。
 古都子は初めての魔法で、蕪を抜いた話をしてしまった自分が恥ずかしい。

(女子高生になったのに、私の中身って中学生のまんまじゃない? 16歳になれば、自然と女らしくなるかと思ってたのにな)

 ちょっぴり反省していた古都子へ、晴臣が何かを差し出す。

「これ、誕生日プレゼント。ちょっと早いけど」
「え!」

 俯いていた古都子は、がばりと晴臣へ向き直る。
 晴臣の手のひらの中には、ビロードの青い巾着がある。

「初めて魔物討伐に参加して、稼いだお金で買ったんだ」
「魔物討伐? 晴くん、そんなことしてたの?」

 すでに古都子は、『魔物について』を読み尽くしている。
 いかにこの世界の魔物が、危ない存在なのか知っているのだ。
 古都子の顔色を見て、晴臣は安心させるように言葉を続ける。

「ちゃんと戦うときは、兵団長たちに護られていたよ。俺の面倒を見てくれた人なんだ」
 
 晴臣の表情から、それがいい出会いだったのだと分かる。
 肩から力を抜き、古都子は改めて晴臣の手のひらを見た。

「ありがとう。毎年、晴くんからの誕生日プレゼント、楽しみにしてるんだ」
 
 そっと、巾着を受け取る。
 小学生のときは文房具が多かった。
 一度だけ、小さなうさぎのぬいぐるみをくれて、古都子はそれを枕元に飾っていたものだ。

「開けてみてもいい?」
「ん」

 柔らかな感触がするビロードの口を開く。
 中から出てきたのは――。

「これ、髪飾り、だよね?」
「ん」

 市場で会った女店主が話していた宝飾品だ。
 やっぱり、あの話に出てきたのは、晴臣だったのではないか。
 薄紫色をした小さな輝石が、たくさん散りばめられている髪飾りは、きっと古都子の黒髪に映えるだろう。

「ありがとう、すごく嬉しい」
「この髪飾りを見てたら、紫陽花を思い出した。古都子が好きだと、言っていたから……」

 恥ずかしくなったのか、晴臣が小声になる。
 やはり宝飾品は、プレゼントの中でも特別な気がする。
 幼馴染から一歩、関係が進んだのではないだろうか。

「晴くん、私、これ毎日つける」
「ん」

 顔を赤くしたふたりは、それからぎくしゃくと復習の続きを始めた。
 そんなふたりの周りを、雲母に反射した優しい光が、取り巻いていた。

 ◇◆◇

「ユリウス先生、私、ずっと魔法が発現しなくってえ……」

 古都子と晴臣が、放課後にユリウスの教務室を訪ねると、どうやら先に相談者がいるようだった。
 古都子と晴臣は互いの顔を見合わせる。

「どうしよう、出直す?」
「ん」

 そしてふたりがその場を後にしてからも、相談者の声は続いた。
 
「おかしいですよね? 異世界人だからでしょうか? よかったら魔法のことを、私に教えてもらえませんか?」

 いつもより、一オクターブは高い声だったので、古都子たちは気がつかなかったが、この声の持ち主は結月だ。
 新年度から赴任してきたユリウスの顔の良さと地位の高さに目をつけた結月は、こうして頻繁にユリウスに声をかけては色目をつかっていた。

「ユヅキさん、少し離れてください」

 しな垂れかかっていた結月を、ユリウスは冷静に押し戻す。
 何度も話しかけられているうちに、ユリウスにもなんとなく、結月の目的が分かっていた。
 ユリウスにはすでに婚約者がいるのだが、それでも諦めない女性は多い。
 結月に期待を持たせないよう、ユリウスは落ち着いた声音で話す。

「ユヅキさんには、わずかですが魔力の残り香があります」
「どういうことですか?」

 ユリウスの教務室へ相談に来たのは建て前で、本気で悩んでいた訳ではなかったのだが、結月は魔法がつかえないことには劣等感を抱いていた。
 もしも魔法がつかえるならば、雑用係なんて閑職から解放される。
 だからユリウスの言葉に、結月は期待を高まらせた。
 
「おそらく以前、魔法をつかったのでしょう。ですが――」

 ユリウスが言葉を詰まらせる。
 結月は嫌な予感がした。

「今は魔力が空っぽです」
「空っぽ? でも、この世界の人は、魔力切れを起こしても、また、溜まりますよね?」

 結月もこの世界で三年間を過ごしている。
 魔法に関する知識がないわけではないのだ。

「分かり易く言います。魔力が器のようなものに溜まると想定しましょう。魔力を使い切ってしまっても、時間経過や気力体力の回復によって、ふたたび器に魔力は溜まります。ですがユヅキさんの場合、器が割れているのです」
「割れて……」
「何か、大きな魔法をつかった代償でしょう。思い当たる節はありませんか?」

 結月は回想する。
 この世界に飛んできたのは、結月が何かにつまずいたせいで起きた、大爆発が原因だ。
 理科実験室にはガス管があったから、これまではガス爆発だと思っていた。
 だが、あの日、室内でガスの匂いはしなかった気がする。

「もしかして……あれが私の魔法だった?」
 
 白い光が視界いっぱいに広がった瞬間、ものすごい爆風で飛ばされた。
 結月はそれをユリウスに説明する。

「光の大魔法かもしれません。どうして異世界でユヅキさんに魔法がつかえたのかは不明ですが、そのせいでこちらの世界と繋がったのでしょう」
「じゃあ、私の魔法は、それっきり……」

 ユリウスは慎重に頷いた。
 呆然自失の結月を哀れだとは思うが、ユリウスに出来ることはもうない。
 このままここで泣き出されては、あらぬ噂が立ってしまう。
 そっとユリウスは結月を支え、教務室の外へと導く。

「こちらの世界でも、たまにあることです。魔法がつかえなくても、生きていくのに困ることはありません。どうか気をしっかり持ってください」

 そしてゆっくりと扉を閉めた。
 しばらく結月は、ユリウスの教務室の前から動けずにいた。
 すると、犬猿の仲であるリリナとその取り巻きたちが通りかかる。

「やだ、結月先生ったら、ユリウス先生に媚びを売ってるって噂、本当だったんですね」
 
 教務室から追い出されたと分かる結月を、嘲笑するリリナ。
 それをギッと睨みつけるが、結月は衝撃をうけたばかりで覇気がない。
 興が乗ったのか、リリナは調子づく。

「教務室にまで押しかけるなんて、はしたない。みなさん、そう思いますよね?」

 リリナに促されて、取り巻きたちはここぞと囀りだす。

「とても私たちには真似できませんわ」
「そもそも、ユリウス先生には、婚約者がいらっしゃるのに」
「隣国の王女さまですよね。身分的にも相応ですわ」
「年増の異世界人なんて、相手にされるはずもないでしょう」

 クスクスと笑う取り巻きたちに、リリナは満足げに頷いた。
 そして結月へと、最終通告を言い渡す。

「結月先生、これ以上、私の邪魔をするなら、両親へ言いつけますから。ただの異世界人と、子爵家の養女になった私と、どちらが上なのか分かりますよね?」

 上下関係を教えてやると意気込んでいた結月だが、結果は逆転した。
 一回りも年下のリリナに愚弄されて、結月のこめかみに青筋が浮かぶ。
 しかし、何もできなくて、下唇を噛みしめた。
 そんな結月の悔しがる顔を舐めるように眺めてから、リリナは高笑いと共に去っていく。

「許さない。あいつ、絶対に許さない」
 日にちを置いて、古都子と晴臣はユリウスの教務室を訪れる。
 相談に来た生徒たちを、ユリウスは温かく出迎えた。
 晴臣は自分の見た古都子の影が、魔法なのではないかと質問する。
 ユリウスはしばらく顎に手をあて考えた。

「話を聞かせてもらった限りで判断すると、魔法である可能性が高い」

 古都子も晴臣も、笑顔で顔を見合わせる。
 良かったね、と手を取るふたりに、続くユリウスの声は明るくはなかった。

「ハルオミ、ここで発現させられるか? 見てみないことには、なんとも確信が持てないのだが……」

 渋い顔をしたユリウスに、晴臣は頷く。

「やってみます。でも……古都子はここにいるから、なんて願えばいいのか」
「そうだね、影に会いたいと願ってみて欲しい。誰でもなく、ただ『影』と呼びかけてみてくれ」

 それを聞いて、晴臣は目を閉じた。
 集中するためだろう。
 隣で古都子も邪魔にならないよう、呼吸を止めた。
 これから何が起きるのか。
 じっと待つだけの時間が過ぎる。
 すると――。

「っ!」

 古都子たちの正面に座っていたユリウスが、息を飲む音がした。
 しかし、まだ何も起こっていない。
 ユリウスは一体、どうしたのだろうか。

「ユリウス先生?」

 古都子の問いかけに、ユリウスはゆっくりと指をさす。
 それは晴臣の背後へと向かっていて、その指を辿るように古都子も視線を後ろへ動かす。
 
「っ!!」
 
 そして古都子も驚愕した。
 大声で叫ばなかったのを褒めてもらいたいくらいだ。

 ゆらりと、黒い影が、晴臣の足元から立ち上がっている。
 幽霊の正体は、晴臣自身の影だった。
 そしてその影を操る力こそ、晴臣の魔法だったのだ。
 
「これは驚いた。まさか本当に闇属性だったとは……」
「闇属性?」

 目を開けた晴臣が、ユリウスの指さす先を振り返る。
 そしてそこに立っている自分の影に瞠目した。

「影? これが俺の魔法?」
「ハルオミ……おそらく、君の将来は王家預かりとなるだろう」
「どういうことですか? 俺の魔法、良くない魔法なんですか?」

 古都子は、晴臣の手を握る。
 ユリウスが何を告げようとしているのかは不明だが、どんなときでも晴臣の側にいる。
 そう思って、冷たくなっている晴臣の手に熱を分け与えた。
 
「闇魔法は、強すぎるんだ。今はまだ、操れるのは己の影だけだろう。だが、これからハルオミが成長すれば、どんな影も操れるようになる」

 この意味が分かるか? とユリウスが問いかける。
 古都子と晴臣は、首をかしげた。

「例えば、国王陛下の影を操り、国王陛下を暗殺することも可能だ」
「そんなこと、俺は――」
「望んではいないだろう。それは分かっている。だが出来てしまうという点が、問題視される」
 
 この教務室を訪れたときとは、空気の色が変わったようだった。
 
「自分を護るためにも、魔法について学びなさい。闇使いは他国からも狙われる。王家預かりになるのは、その身を保護する目的もあるのだ」
「王家預かりって、具体的にはどうなるんですか?」

 ようやく事態が飲み込めてきた古都子が、ユリウスへ疑問をぶつける。

「王家へ忠誠を誓う職へ、就くことになるだろう。ハルオミは剣が使えたね? それならば年齢的にも、ミカエルの近衛騎士あたりが有力だろうか」
「近衛騎士……」

 古都子にも晴臣にも、騎士の種類など分からない。
 ただ闇使いの晴臣に、人生の選択肢がないのは理解できた。
 閉塞的な状況に、首を絞められているように感じて、晴臣は喉をさする。

「悪く考えないで。近衛騎士は、すべての騎士が憧れる、出世コースだ」
「でも俺は、実力でそこに行くわけではないですよね?」
 
 晴臣の言葉に、ユリウスは目を見張る。
 誰しもが望む職だと言うのに、晴臣にとっては用意された席でしかなく、魅力的ではないのだ。
 ユリウスは感心した。
 晴臣の高潔な矜持に。

「ならば実力をつけなさい。闇使いだからなったのではなく、実力で勝ち取ったのだと、誰にも文句を言わせないように。近衛騎士はエリートだけあって、高給取りだと聞く。家族を養いたいのなら、なって損はない職だ」

 いまだ握られたままのふたりの手を見て、ユリウスが付け加えた。
 突然、こちらの世界へ飛んでくる異世界人たちは、バックボーンを持たない。
 魔法がつかえる優位性はあるが、それ以外は何もないのだ。
 魔法にしろ何にしろ、自ら力をつけて、のし上がっていくしかない。
 それが異世界人の厳しい現実だった。

 ユリウスの言葉に、晴臣はぎゅっと手に力をこめる。
 手を握り返された古都子は、それが晴臣の返事のような気がした。
 
「分かりました。やれるだけ、やってみます」

 晴臣の魔法の属性は分かったものの、沈んだ気持ちでふたりは寮へ帰る。
 何かを一生懸命考えているらしい晴臣の邪魔をしないように、古都子は黙って隣を歩いた。
 
「古都子、俺、学園が休みの日は兵団に戻るよ」

 別れ際、晴臣がそう切り出した。

「少しでもいいから剣の訓練をしたい。そして魔物の討伐にも参加したい。強くなるには、それが近道だと思う」
「晴くん……」

 覚悟を決めた晴臣を、止められはしない。

「気を付けてね。怪我しないでね」

 古都子に言えるのは、それだけだった。

 それから休みのたびに王都近くの兵団へ行く晴臣へ、古都子はせめてと思って自作の丸い焼き菓子を渡す。
 いびつな形のそれを、晴臣はことのほか喜んだ。

「懐かしいな、これ。幼稚園でもよく、おやつに出てきた」
「牛乳と一緒にね。私もこの世界に同じものがあるって知って、嬉しかったんだ」
 
 食堂でオーブンを借りて作らせてもらった焼き菓子は、まだ温かい。
 それを晴臣は大事に胸元へ忍ばせると、行ってくると手を振って出かけた。
 古都子はその背を見送りながら、自分に何ができるのかを考える。
 
(晴くんが近衛騎士になるのなら、私は? ずっと一緒にいたいのなら、どうしたらいい?)

 卒業まで二年と数か月。
 長いようで意外と短い。
 古都子は、ホランティ伯爵へ手紙を出そうと決めた。
 こういうとき、親身になって相談にのってくれる存在がいるのは、古都子の強みだ。

「晴くん、私も頑張るね」

 そっと髪飾りに手をやり、古都子は誓うのだった。
 
 ◇◆◇

 気温が上がり、日差しが強くなると、制服も夏仕様へと変わった。
 そろそろ、毎年恒例の学校行事として、山で野外活動をするそうだ。
 班ごとに決められたコースを進み、そこで提示される問題を協力して解決する。
 そのための班づくりで、一年生の教室は盛り上がっていた。

「俺は絶対、コトコと組みたい!」

 駄々をこねるミカエルと、宥めるソフィアの図は、最近のお馴染みだ。
 そして古都子といつも一緒にいるため、なぜか晴臣もミカエルに絡まれていた。
 
「六人組なら、ちょうどいいだろう? なあ、コトコ、ハルオミ、うんと言ってくれ!」
 
 ミカエルの言う六人とは、ミカエルとソフィア、それぞれの護衛、そして古都子と晴臣だ。
 ミカエルには、青い前髪で黒い瞳を隠したオラヴィという護衛がついていて、ソフィアには、ポニーテールにした赤い髪と切れ長の赤い瞳をしたエッラという護衛がついている。
 ふたりは王子や王女と同じく16歳でありながら、護衛という任務上、常に帯剣していた。
 古都子は護衛という存在を知らず、ふたりをただのクラスメイトだと思っていたのだが、学園へ通う王族に同学年の護衛がつくのは、こちらの世界では常識のようだ。
 
「晴くん、どうしよう? ミカエルさまやソフィアさまと同じ班でも、大丈夫?」
「ん」

 晴臣が頷いたのをみて、ミカエルが飛び上がって喜ぶ。

「やったあああ! これで、コトコの土魔法が見られるぞ!」

 これまで、実技の授業でも古都子は土魔法をつかっていたのだが、ミカエルいわく、そうではないらしい。

「もっと大規模なのがあるだろう? でっかい山をバーンと動かしたり、ひっろい田んぼをボーンと耕したり! そういうのが見たいんだよ」

 涙目で乞われたが、学園にある実技場では、多くの生徒が魔法をつかっている。
 そんな中、土のトンネルを掘ったり、フカフカの畝を作るのは、なんだか違う。
 
(なにより、みんなの邪魔になってしまうしね)

 ホランティ伯爵から聞いていた通り、入学したての一年生がつかう魔法は初歩の初歩だった。
 小さな変化を見逃さないよう、みんな魔法に集中している。
 そのそばで、土木工事なみの魔法が発動しては迷惑だろう。
 
「コトコ、山の中なら、気兼ねせずにやってくれるよな?」

 キラキラした期待の目を向けられて、古都子は頷くしかなかった。
「この世界にも、ジャージがあるんだね」
「動きやすくていいな」

 いよいよ野外活動の日、ユリウス先生から着替えを渡された。
 それがあまりにも中学校のジャージと同じで、古都子も晴臣も驚く。
 
「これは、異世界人の発案だそうだ。それまでは制服もなかったし、野外活動というのもなかった」

 ミカエルが話に割り込んでくる。
 その後ろからやってきたソフィアが、班のメンバーに山の地図を広げて見せてくれた。

「私たちのコースが決まりました。出発は四番目で、最後になります」

 くじ引きで決まったコースは、蛇行の多いルートだった。
 それを見た、ソフィアの護衛エッラが眉をひそめる。

「ソフィアさま、これはけっこう歩きますよ。きつかったら、いつでも背負いますからね」
「これは学校行事だから、そういうのは駄目なんじゃない?」

 笑うソフィアに、エッラは力こぶをつくって見せている。
 
「筋肉量ならオラヴィには負けませんよ! そうだ、ハルオミ、ちょっと腕の筋肉を触らせてよ」
「嫌だ」

 近寄ってくるエッラを、晴臣は華麗に避ける。
 エッラは晴臣の剣の腕前に興味津々で、ときおり手合わせを申し込んでは断られていた。
 古都子はエッラと晴臣の距離感の近さに、心臓がしくりと痛むときがある。
 だが、晴臣の幼馴染でしかない古都子に、文句を言う権利はない。
 
「エッラは脳筋だな。魔法がつかえるなら、剣なんてなくても戦えるでしょ」

 そう言うオラヴィは、腰に剣を差しているが、実際に戦うときは風をつかう。
 王子の護衛だけあって、風魔法のレベルも相当に上げているらしく、風は下手な剣よりも切れ味がよいのだそうだ。
 逆に火使いのエッラは、火魔法のレベルを上げ過ぎて制御が困難らしい。
 山火事になるから、野外活動中は魔法禁止と、ユリウス先生に念を押されていた。
 
「俺の雷魔法も、ソフィアの草魔法も、まだ大したことないからなあ」

 ミカエルは唇をとがらせ、つまらなさそうに呟く。
 魔法学園では、二年生から本格的な魔法のつかい方を学ぶ。
 だから一年生の間は、地味な初歩の魔法を連発して、経験値を稼ぐしかないのだ。
 この野外活動を行う山には、小さい魔物が点在する。
 その魔物に魔法を当てるのも、レベルを上げる訓練の一つだ。
 魔法がひとつでも的中すれば逃げていく程度の魔物だが、古都子は緊張していた。

「小さいと言えども魔物ですから、気を引き締めていきましょう」

 古都子はぐっと拳をにぎる。
『魔物について』はすっかり古都子の愛読書だ。
 だが古都子は、これまで本物の魔物を見たことがない。
 逆に魔物について詳しいからこそ、怖いのだ。
 そんな気持ちが晴臣にバレたのか、そっと震える拳に手を添えられた。
 
「大丈夫だ、絶対に護るから」
「あ、ありがとう、晴くん」
「ハルオミ~、コトコは強いんだぞ? むしろ護られるのはハルオミ゛ッ!」

 茶化している最中に、ミカエルはソフィアから脳天に手刀を打ち込まれていた。

「ふたりの邪魔をしては駄目よ。さあ、私たちも列に並びましょう」

 他のクラスメイトたちが班ごとに分かれ、登山口へ集まっている。
 先頭の班はもう、スタートをしたようだ。
 古都子たちが最後尾についていると、ひとつ前の班からただならぬ視線を感じた。
 顔を上げた古都子を、三白眼で睨みつけていたのはリリナだった。
 リリナは古都子にだけ聞こえるように、ぼそりと呟く。

「これ以上、ミカエルさまと仲良くしたら、許さないからね」

 ミカエルと特段に仲良くなろうと思ってはいない古都子は、思わずブンブンと縦に首を振った。
 リリナは鼻をふんと鳴らすと、ユリウスの指示にしたがって山へ入っていった。
 ほっと肩を落とす古都子へ、ソフィアが声をかける。

「コトコ、大丈夫? 今、リリナさんが――」
「ただの牽制ですから。むしろ的がずれてくれて、助かったというか」
「的?」

 きょとんとしているソフィアに、古都子は苦笑いを返す。
 リリナから釘を刺されたのは、ミカエルについてだけだった。
 ということは、晴臣はリリナの射程外になったのだろう。
 
(中学校時代は、泉さんから陰湿な嫌がらせをされたもんね。あれは面倒くさかったな)

 相談相手に選んだ結月も、役に立たなかった。
 だから古都子は晴臣から離れる選択をしたのだが。

(思っていた以上に、きつかった。やっぱり私、晴くんを好きなんだ。ずっと昔から)

 古都子にとって、ヒーローだった晴臣。
 幼稚園のころから古都子が抱く恋心は、変わらない。

(一時は私のせいで疎遠になったけど、今はまた仲良くなれた。そして……もっと仲良くなりたい)
 
 古都子は自分の考えに頬を赤らめる。

「お~い、コトコ、行くぞ~」

 古都子たちの班の番になったようだ。
 満面の笑顔のミカエルが、先頭で手を振っている。
 今は野外活動を頑張ろう。
 そう思って古都子は、小走りで登山口へ向かった。

「さて、これですべての生徒が山へ入りました」

 名簿をチェックしていたユリウスが、補佐をする職員へ次の指示を出す。

「生徒たちには班ごとに、救難信号を出すアイテムを配布しています。狼煙が見えたら、すぐに私へ連絡をしてください」

 頷く職員たちの中には、結月がいる。
 こうした誰にでもできる仕事を、いつもなら嫌々しているのだが、今日の結月はいつもよりやる気を漲らせていた。
 それに気づかず、ユリウスは場をまとめる。

「私は最終地点で生徒たちを待ちます。では、それぞれ配置についてください」

 ◇◆◇

「魔物~、魔物はいないか~?」
「ミカエル、そんなに声を出していたら、魔物は逃げていくわ」
「あ~あ、早く魔物と会いたいなあ」

 ソフィアに注意をされて、ミカエルは分かり易く拗ねる。
 山に入ってかなりの距離を歩いたが、まだ一体も魔物を見かけない。
 
「オラヴィとエッラが強いから、魔物が逃げてるんじゃないの? ふたりとも、ちょっと離れてついてきてよ」

 ミカエルの矛先が、護衛のふたりへ向く。
 だがそんなことには慣れっこなのか、ふたりは余裕の笑顔を崩さない。

「今回のコースを決めたのは、ユリウス先生です。どのルートでも必ず、魔物と遭遇できるように考えられていますよ」

 オラヴィが、ユリウスをだしに使ってミカエルを宥める。
 ミカエルは叔父であるユリウスを尊敬している。
 それはユリウスが氷使いとして、国内随一の実力者だからだ。
 ユリウスの名前を出されて、仕方なしにミカエルも諦めて、とぼとぼ歩き出した。
 が、しばらくすると――。
 
「あれ? オラヴィ、あそこ見てよ! あそこに何かある!」

 しょんぼりしていたミカエルが、何かを見つけて嬉しそうな声を上げた。
 崖下を覗き込んでいるミカエルの視線の先を、古都子も追う。
 苔むした木々の間に、確かに何らかの人工物がある。
 しかしそれは緑にまみれ、パッと見ただけでは、誰も存在に気づかなかっただろう。

「よく見つけましたね、ミカエル殿下」

 オラヴィが感心している。
 ソフィアやエッラも、そうっと崖下を見ると、ミカエルと同じものを目にした。

「何かの扉? 随分と古いものみたいね」
「行ってみよう! 絶対に面白いよ!」

 崖下へ続く緩やかな道を見つけ、すでにミカエルは走り出している。
 オラヴィが慌ててその後を追っていった。

「もう、ミカエルったら。そっちに行ったらコースから外れるのに」

 ソフィアがぷりぷりしながら、それでも道を下りていく。
 古都子と晴臣も、付いていくことにした。
 なんだか冒険が始まるみたいで、ワクワクしてしまったのは否定できなかった。

「う~ん、開かないなあ」

 辿り着いた先の人工物は、長方形をした両開きの扉だった。
 ミカエルがすでに取っ手を引っ張っているが、ビクともしない。
 周りを岩で固められた中に、青銅色の古びた扉は静かに佇む。
 それは恐れ多く、神秘的な光景だった。
 古都子の腕に、寒くもないのに鳥肌が立つ。
 この扉は開けてはいけないのではないか、ホラーに過敏な古都子が、そう提案しようとしたが――。

「エッラ、力自慢だろ? 試しに開けてみてくれないか?」

 もうミカエルが、取っ手の場所をエッラへ譲っていた。
 指名を受けたエッラが、腕まくりをして扉に挑む。

「いきますよ! せ~の~」

 腰を落としたエッラが、両手を取っ手にかけ、引っ張ろうとしたら――。
 
 がらがらがら!

 足場の岩が崩れた。

「あ!」

 六人全員の体が宙に浮く。
 晴臣が古都子へ手を伸ばし、その体を腕の中に包み込む。
 コマ送りのようにゆっくりと見える視界では、エッラがソフィアを、オラヴィがミカエルを、同じように腕の中で護っていた。
 そして、地表に空いた穴から差し込む陽光によって、薄暗い地底が近づいてくるのが分かる。
 古都子は、土に柔らかくなるように願ったが、魔法が届くよりも落下速度のほうが早い。

(ぶつかる!)
 ぎゅっと目を瞑った瞬間、ふわっと風が吹いて、六人の体を受け止めた。
 そうして勢いを殺してから、地底に降り立つことができたのだ。
 晴臣に抱き締められたまま、古都子は呆気に取られる。

「今のは……?」
「あ~助かった! 今のはオラヴィの風魔法だよ」

 やれやれ、と立ち上がったのは、尻もちをついていたミカエルだ。
 隣にいたオラヴィも、自らについた土埃をはたき落とす。
 
「ミカエル殿下はよく、木登りをしては落下していたので、この魔法は得意なんです。ですが、間に合ってよかった」
「生きた心地がしなかった! ソフィアさま、大丈夫ですか?」

 エッラが腕の中に匿ったソフィアの無事を確認する。
 ソフィアは目を回しながらも、こくりと頷いていた。
 古都子を護っていた晴臣の腕も解かれる。

「ありがとうね、晴くん」
「ん」

 晴臣は宣言した通り、ちゃんと古都子を護ってくれた。
 それを見たミカエルは、やるな~ハルオミ! と感心しきりだ。
 
「それにしても、ここは一体?」

 上空にぽっかり空いた穴を見上げて、ソフィアが呟く。
 それに合わせて、他の五人も空を見上げた。
 暗い地底からうかがえる青い空は、かなり遠い。

「もとから、地中にあった空間へ落ちてしまったのでしょう」

 オラヴィが推察する。
 横ではエッラが深々と頭を下げた。

「私が足を踏ん張ってしまったばかりに! 申し訳ありません!」
「エッラは何も悪くないわ。誰もそれを止めなかったのだから」

 落ち込むエッラをソフィアが慰める。
 確かにその通りだった。
 ワクワクした気持ちを抑えられず、コースから外れて探検してしまった。
 古都子も、反省する。
 その隣では晴臣が、背負い袋から何か筒状のものを取り出していた。

 カシュ、カシュ!

 擦り合わせる音がするが、それだけだ。

「晴くん、何をしているの?」
「ユリウス先生から配られた、狼煙を上げるアイテムだ。救援が必要になったら、こうやって使うようにと教わった」
「狼煙? でも上がらないね」
「なんだか湿気ている。そのせいで着かないんだと思う」
 
 先端を見ると、わずかに濡れた跡がある。
 これでは狼煙は上がらない。

「参りましたね。さすがにこの高さを、殿下を背負って登れる気がしません」

 オラヴィが土の壁を見上げる。
 古都子が手を挙げた。

「私が階段を作ってみましょうか?」
「けっこうな高さがあるわよ? コトコの魔力がもつかしら?」

 ソフィアが古都子の魔力切れを心配する。
 腰袋の中から、古都子は自作の丸い焼き菓子を取り出す。

「これがあるから、少しは回復できます」
「何だ、それは?」

 覗き込むミカエルに、古都子はひとつ手渡した。

「私の故郷の焼き菓子なんです。魔力切れをしたときは、食べたり寝たりするといいんですよ」
「へ~!」

 魔力切れを起こしたことのないミカエルは、目を見開いて驚いた。
 オラヴィとエッラは頷いているので、このふたりは経験済みなのだろう。
 ミカエルがソフィアと分けあって焼き菓子を食べている間に、古都子は周囲の土と意識を通わせる。

(この穴から脱出したいの。縦穴に沿って、階段を作れる?)

 ざわざわ……

 この山の土が、古都子の呼びかけに応えようとしている。
 しかし初めての接触なので、複雑なことは読み取れない。
 やがて古都子の頭の中に、周囲の土の状況が、なんとなく浮かび上がった。
 
(そう、ここが……うん。分かったわ、教えてくれてありがとう)

 古都子は土との対話を終えると、みんなを振り返る。

「ここの土は脆く、階段を作るには適さないようです。代わりに、あちら側に抜けた方がいいと、教えてくれました」
 
 古都子は、さらに奥へと続く暗闇を指さした。

「あちら側には、何があるのだろう?」

 オラヴィの質問に、古都子は答える。

「ここと同じような、地中の空間があるそうです。そしてその空間からは、地表へ続く小道が伸びていて、そこを通るのが最も安全だと」
「なるほどね、ここは土使いのコトコの案を、採用するのが良さそうだ」

 オラヴィの意見に、みんなは頷き合う。
 そして六人は、暗闇へ向かって歩き出した。

「ユリウス先生から駄目出しされたけど、ここは私の火魔法をつかうべきじゃない? この先は真っ暗だもの」
「手のひらサイズの、小さな火にしておけよ。万が一にも、投げつけたりするな」

 オラヴィの忠告を受けたエッラが、慎重に小さな火を手の上に灯す。
 火魔法で暗闇を照らしている護衛組が、列の先頭を行く。
 その後ろをミカエルとソフィア、しんがりを古都子と晴臣が務めた。
 古都子は歩きながらも、周囲の土の状況を確かめる。
 脆いと教えられた通り、あちこちに今にも落下しそうな土塊があった。
 それらを見つけるたびに、古都子は固着させて道中の安全を保つ。

「大丈夫か?」

 古都子が魔法をつかっているのに気がついたのか、晴臣が心配する。

「うん、今のところは。ここは初めての場所だから、ちょっと手こずってるだけ」

 以心伝心だったフィーロネン村の土と違って、慣れない土だとつかう魔力の量は多い。
 だが、それでも古都子にはまだ余裕があった。
 
「お~い、オラヴィが何か見つけたって~!」

 ミカエルが後ろを振り返り、古都子たちに教えてくれる。
 どうやら目的の空間に辿り着いたようだ。
 
 ◇◆◇

「これは……遺跡でしょうか?」

 古都子たちの目の前には、巨大な壁画があった。
 エッラが手を掲げて、火で照らしてくれているが、すべてを見ることは叶わない。
 土が教えてくれた空間とは、忘れ去られた古代遺跡の祭壇だった。
 
「見事だわ。この遺跡は盗掘を免れたのね」
 
 ソフィアがうっとりして壁画と祭壇を眺め、溜め息をもらす。

「もしかしたら、あの扉は盗掘避けの罠だった可能性がありますね」

 オラヴィがじっとりとミカエルを見る。

「な、なんだよ、扉があれば開けたくなるのが人情だろう?」
「ミカエル殿下は、もっと考えてから行動する癖をつけましょうね」

 オラヴィの説教は長い。
 くどくどとミカエルが注意を受けている間に、古都子たちは遺跡の探索を続けた。
 早く地表へと続く小道を見つけたい。
 暗がりに居続ける圧迫感からか、古都子は少し息が苦しくなってきていた。
 足元に気を付け、頭上に気を付け、大きな壁画に沿って歩く。

 すると、エッラの火が大きく揺れた。

「空気の流れがある。きっと小道はこっちよ!」

 エッラが先を指さした。
 しかし――。

 ズウンッ!

 揺れたのは火だけではなかった。
 地面からの振動に、古都子たちはよろめく。

「な、何……地震?」

 土からの予兆はなかった。
 古都子は、晴臣からぐいと体を引き寄せられる。

「気配がないが、この先に何かいる」

 晴臣の言葉に、剣を抜いたオラヴィが前に出た。
 それと同時に、ぬうんと立ち上がる大きな者がいた。
 古都子たちの背の倍はあろうかと思われるそれは、青銅色をしたゴーレムだった。
 この祭壇の護りを、任されていたのだろう。
 エッラの火魔法に照らされて、今やその無機質な図体を古都子たちに露わにしている。

「ひえ! なんだよ、こいつ!」

 驚いたミカエルが声をあげると、ゴーレムの体がそちらを向いた。

「殿下、騒がないで! エッラはそのまま、火を灯せ。こいつは暗闇でも見えるだろうが、僕たちが視界を奪われたらおしまいだ」
「分かった。ハルオミ、私の腰の剣を抜け。魔法に集中している間は、私は動けない。代わりにソフィアさまを護ってくれ」
 
 晴臣がエッラの腰から剣帯を取り、己の腰に装着した。
 そして背に、古都子とソフィアを庇う。

「この者は、私たちの敵なのでしょうか?」

 ソフィアが恐る恐る尋ねる。

「私たちは盗掘をしに来た訳ではありません。このまま素通りすれば……」

 しかし、その言葉を言い終わる前に、ゴーレムの腕が振り下ろされる。

 ガキンッ!

 受け止めようとしたオラヴィの剣が、真っ二つになった。
 相当な威力だ。

「ソフィア殿下、どうやらこいつは、僕たちを敵と認識しているようです。倒さなければ、ここからは出られないでしょう」
 大変なことになった。
 地表に出るための安全な経路だったはずが、まったく安全ではなくなった。

(どうしよう? どうしたらいい? 私がこっちの道を勧めたばかりに――)

 古都子の心臓が、バクバクと激しく脈打つ。
 そうしている間にも、晴臣はゴーレムの攻撃を剣で受け流し、オラヴィは竜巻を起こしてゴーレムの足をすくう。
 だが、決定打に欠けていた。
 このままでは晴臣の体力がもたず、オラヴィは魔力切れを起こすだろう。

(ゴーレムは魔物ではないから、『魔物について』にも載っていない。私がゴーレムだと分かったのは、日本の知識があったせい――)

 そこで、ふっと古都子は冷静になった。

「ソフィアさま、あれの名前を知っていますか?」
「いいえ、大きな操り人形のように見えますが……」
 
 やはりそうだ。
 このゴーレムは古都子が着ているジャージと同じ。
 異世界人の知識で作られている。

(それなら、止め方だって同じじゃないの?)

 エッラが必死で制御している火によって、ゴーレムは下から半分以上が見えている。
 だが肝心の額が暗くて見えない。
 もしも、そこに文字があるのなら――。

「晴くん、ゴーレムの額をよく見て! そこに文字があるなら、一文字だけ削れば、動かなくなるはず!」

 古都子の声が届いたのだろう。
 晴臣は跳躍し、ゴーレムの腕から肩へと飛び移った。
 しかし、ゴーレムはこれを嫌がり、体を震わせる。
 ゴーレムから落下した晴臣は受け身をとると、古都子のそばへ駆け寄った。

「何か文字が書いてあったが、読めなかった」
「最初の一文字だけ、削れそう?」
「やってみる」

 晴臣はゴーレムへ近づく前に、折れたオラヴィの剣を拾う。
 そして疾走した。

 ズン!

 オラヴィの風魔法を受けて、ゴーレムが片膝をつく。
 その瞬間に、晴臣は機敏にゴーレムの体を駆け上がった。
 払い落とそうとゴーレムが腕を振る。
 それを右手の剣で受け流し、左手に握る折れた剣をゴーレムの額へ宛がう。

 ギィイイイイ!

 そして渾身の力を込めて青銅に書かれた文字を引っ掻いた。
 脳が痺れるような、ぞっとする音が空間に響く。
 
 しかし、音が止むと同時に、ゴーレムもまた動きを止めたのだった。
 遺跡の中に静寂が広がった。
 
「やった! すごいぞ、ハルオミ!」

 ミカエルが飛び上がって喝采する。
 ゴーレムの体から飛び降りた晴臣は、肩で息をしている。
 かなり体力の限界だったのだろう。
 オラヴィも膝をついていた。
 ――ギリギリだった。

 エッラがそろりとゴーレムに近づく。
 照らされた額には文字らしきものがあり、正しく頭の文字が削れていた。
 
「これで動かなくなるんだ。不思議ですね、ソフィアさま」
「ええ、よく知っていたわね、コトコ?」

 ソフィアだけでなく、みんなの視線が古都子へ集中した。

「元の世界の知識なんです。あれはゴーレムと言って、主人の命令を聞くように作られていて……」

 説明をしようとした古都子だったが、ふらりと体が傾ぐ。
 それを晴臣が受け止めた。
 そう言えば、ずっと息苦しかったのだった。
 忘れてしゃべり続けたせいで、酸欠になったのかもしれない。

「先にここから出よう」

 晴臣が古都子を横抱きにし、遺跡からの退去を促す。
 元気が有り余っているミカエルが小道を探し、全員でそこから地表を目指した。

 ◇◆◇

「ユリウス先生、狼煙が上がっています。位置的に、三班からです」
「分かりました。すぐに救援に向かってください」

 ユリウスは待機していた仮設テントから出て、野外活動が行われている山を見た。
 稜線を越えて、細長い狼煙が上がっている。

「もう少しで最終地点だったが、力及ばずか」

 三班は異世界人のリリナと、その取り巻きたちで形成されていた。
 そして、狼煙よりも奥にユリウスは視線を移す。

「四班も到着していい頃合いだ。あの班は戦力過多だから……」

 果たしてこの山で訓練になったかどうか、という言葉をユリウスは飲み込んだ。
 四班のコースがある辺りを眺めていたら、それより大きく外れた場所に、黒々とした煙が立ち上がったからだ。

「あれは……もしかしてエッラの火魔法?」

 ユリウスは職員には任せず、自らが救援に向かった。
 いざとなれば、氷魔法で火を消し止めなくてはならない。
 それほど山の奥地ではなかったのが幸いだった。
 駆け付けたユリウスが見たものは――土埃まみれの六人だった。

 黒煙は、本物の狼煙の上げ方を知っていた晴臣が、生木を燃やして作っていた。
 エッラの火魔法の暴走ではなかったことに、ユリウスはひとまず安堵する。

「何があったのか、後で詳しく聞こう」

 地中から出たものの、地図にない場所だったので帰り道が分からず、下山できなかった四班のメンバーはこうして救出された。
 事情聴取が行われたのは、それから数日が経ってからだった。

 ◇◆◇

「なるほど、救難信号を出すアイテムが湿気ていた、と――」

 ユリウスは四班の六人を前にして、時系列で起きた出来事を書き留めている。
 あの山では物足りないだろうと思っていたが、六人は思いもかけない事件に巻き込まれていた。

「みんなが無事で、なによりだった。今後のためにも、あの山はもう少し、調査した方がよさそうだな」
 
 すべてを聞き終えたユリウスは、ペンを置く。
 扉を見つけたのが四班だったから良かったものの、他の一年生なら落下した時点で終わっていた。
 未盗掘の遺跡を見つけるなんて、完全にユリウスの想定外だ。

「ゴーレムと遺跡の研究は兄上に任せるとして、私はアイテムが湿気ていた原因を突き止めよう。君たちは何重苦もの困難を乗り越えた。野外活動の成果としては合格だ」
「やった〜! ソフィア、言っただろう? 叔父上は融通が利くんだ」

 それまで神妙にしていたミカエルが、立ち上がって喜ぶ。
 ソフィアはどうやら、コースから外れたことで不合格になるのを恐れていたらしい。
 懸念がなくなって、ホッとしていた。

「私やミカエルだけならまだしも、コトコやハルオミ、オラヴィやエッラにも関わることだもの。足を引っ張った側として、不合格になったら申し訳ないと……」
「ソフィア殿下、僕とエッラは、護衛として当然のことをしたまでです」
「そうですよ! なんならあれで、私はだいぶん火の制御がうまくなったんですから」

 オラヴィとエッラに激励され、ソフィアはやっと笑った。
 古都子は、不合格になる場合もあったのだ、と今ごろ気がついた。
 とことん、冒険にワクワクしてしまった自分を責めたい。

(それにしても、晴くん、カッコよかったなあ)

 暗がりに不安定な灯りの中、古都子は初めて晴臣が剣を使うところを見た。
 今なお、休みの日のたびに、兵団と一緒になって訓練や魔物討伐に参加している晴臣。
 魔法学園に入学した当初よりも、背が伸びたし筋肉もたくましくなった。

(どうしよう。どんどん好きになる)

 古都子がひとりで悩んでいると、ふいに晴臣がこちらを向いた。
 まさか考えていることが、顔に出ていたのでは――。
 そんな心配をした古都子だったが、晴臣からは素直に感謝された。

「古都子のおかげで助かった。ありがとう」
「そうだそうだ! コトコがゴーレムの止め方を知っていたから!」

 晴臣に絡み、ミカエルも嬉しそうにしている。
 古都子は照れた。
 漫画で読んだ知識が、この世界では意外と役に立つ。
 
「たまたま、だよ」
「異世界人の知識は、この世界の宝だ。だからこそ、私たちは異世界人を大切にする」

 ユリウスの口から、ホランティ伯爵から聞いたのと同じ言葉が紡がれる。
 よほど徹底されている考えなのだと感じた。
 
「だが、今回は処罰される異世界人が、いるかもしれないな」

 続けてぼそりと呟かれたユリウスの声は、古都子には届かなかった。