「何がいいかな?」
古都子はひとりで、活況な市場に来ていた。
月に一度、他の都市からフィーロネン村へ隊商がやってくる。
村の人々も楽しみにしていて、この数日間はお祭りのような賑やかさだ。
「イルッカおじいさんには麦わら帽子、ヘルミおばあさんにはスカーフにしよう」
古都子がこの世界へ飛んできたときから、ふたりは同じものを使い続けている。
そろそろ新調してもいいはずだ。
「隊商だと、村にはない珍しい形や色のものが、見つかるかもしれないし」
古都子はワクワクしながら、日常とは違う華やかな空気を楽しんだ。
衣服をあつかっている露天の店で、ヘルミおばあさんの瞳の色に似た、赤い花柄のスカーフを見ていると、店主だろう女性に声をかけられる。
「お嬢さん、こちらでは見ない顔ね? もしかして、異世界人かしら?」
びくりと古都子が肩をすくませ、用心したのが分かったのだろう。
女店主は両手を挙げて、何もしないというポーズをする。
「ごめんなさい、怖がらせてしまった? 少し前にも異世界人と話をしたから、つい気軽に声をかけてしまったの」
首を横に振ってしきりに謝るので、古都子も警戒を解く。
「私以外の異世界人を、知ってるんですか?」
「王都の近くで会ったわ。うちの手袋を買ってくれたの」
これよ、と革製の茶色の手袋を見せる。
それは農夫が使うような手袋ではなく、もっと分厚くてゴツゴツとしていた。
しげしげと手袋を眺めていた古都子へ、女店主が説明する。
「これは主に、騎士や兵士が使うのよ。その異世界人も、腰に剣を差していたわ」
「もしかして、異世界人は男性?」
「ええ、あなたくらいの年齢だったわよ」
どきん、と古都子の胸が跳ねる。
(もしかして……)
ずっと諦めていた。
もう会えないのだと。
離れ離れになってしまったのだと。
だが――。
(その異世界人、晴くんかもしれない)
たまらず、古都子は口早に質問をする。
「髪の色は? 瞳の色は? 名前とか聞いてませんか?」
「え? まさか知り合いだったの?」
驚きながらも、女店主は覚えている限りのことを教えてくれた。
「髪も瞳も、色は黒かったわ。お嬢さんと一緒よ。名前は聞いていないの。一緒にいた体格のいい男性からは、『坊主』と呼ばれていたわ」
思い出すように目を瞑り、うんうん唸り出す女店主。
古都子は聞き漏らすまいと前のめりになる。
「そうねえ、背の高さは私よりもちょっと上、声は少年にしては低かったわ」
「その男性、しゃべったんですか? じゃあ、違うのかな……」
晴臣ならば、見知らぬ人へは特に、口を閉ざすはずだ。
途端に、期待で膨らんでいた心が萎む。
「この世界では、女の子にどんな贈り物をするのか、と聞かれたわ」
「女の子への贈り物?」
「ええ、誕生日だって言ってた」
古都子は悩む。
実は、晴臣からは毎年、誕生日にプレゼントをもらっていた。
「それがいつだったか、覚えていますか?」
「五月だったことは確かよ」
古都子の誕生日は五月五日だ。
晴臣のような、そうでないような。
もどかしさでむずむずする。
「女の子に喜ばれるのは、宝飾品が多いわって教えたの。そうしたら、あの前ですごく悩みだして……」
女店主が指さしたのは、髪飾りや首飾り、指輪が並べてあるコーナーだ。
小さな輝石がついていて、いかにも女の子受けしそうである。
これまでに、古都子が晴臣から宝飾品をもらったことはない。
そういうのは、なんだか友だちの一線を越えてしまうんじゃないか、という認識が古都子にはある。
果たして晴臣もどきは、宝飾品を買ったのだろうか。
古都子はドキドキして話の続きを待つ。
「結局、時間切れで手袋だけ買っていったわ」
がくり、と古都子は肩を落とした。
「異世界人って珍しいんですよね?」
「商売であちこちを回るけど、そう出会わないわね」
古都子と同じくらいの年齢で、髪と瞳の色が黒い異世界人。
そして五月が誕生日の女の子のために、贈り物を選んでいた男性。
この条件だけなら、晴臣の可能性が高い。
しかし、初対面の女店主に話しかけるのは、らしくない。
(分からない……今いくら悩んでも、答えの出ない問題だわ)
そう思って、古都子はすっぱり思考放棄した。
もし晴臣がこの世界にいるのなら、来年、魔法学園で会うはずだ。
(億劫だった魔法学園への入学が、少しだけ楽しみになる。それだけでも、良かったと思おう)
古都子は頭を切り替える。
そして、持っていた赤いスカーフを女店主へ差し出した。
「これを買います。大切な人への贈り物にしたいの」
「趣味がいいと思うわ。これは王都で、流行り始めたばかりの柄なのよ」
女店主は、キラキラした刺繍入りのリボンで包んでくれた。
驚かせてしまったからサービスよ、と言いながら。
「その異世界人と知り合いだったのなら、どこかで会えるといいわね」
ありがたくスカーフを受け取った古都子へ、女店主は眉を下げた。
女店主が異世界人について、どれだけのことを知っているか分からないが、古都子と晴臣が離れ離れになったのは、なんとなく伝わったのかもしれない。
「大丈夫です。きっと来年、会えますから」
そう言って、古都子は店を後にした。
女店主が手を振るのに、手を振り返しながら。
「さあ、次はイルッカおじいさんの麦わら帽子よ」
つば広であご紐つきの、大きな麦わら帽子を見つけるまで、古都子は市場をねり歩いた。
晴臣がこの世界にいるかもしれない。
その可能性があるだけで、自然と頬が緩んでいるのを自覚しながら。
◇◆◇
その頃、王都近くにある兵士訓練場で、晴臣は剣の素振りをしていた。
――この世界に飛ばされていたのは、古都子だけではなかった。
理科実験室の爆発によって晴臣が飛ばされた先は、ムスティッカ王国で多くの兵士をたばねる、若き兵団長ウーノの執務室だった。
突如現れた晴臣に、咄嗟に剣を突きつけたウーノだったが、すぐにその刃をおさめる。
「なんだ、坊主、さては異世界人か?」
幸いなことに、ウーノもまた、異世界人の存在を知る者だった。
「初めて見たな、異世界人が飛んでくるところを。何もない所から、突然落ちてくるのか」
ウーノは穴も開いていない天井を見上げる。
訳が分からないという顔をしている晴臣に、ウーノはこの世界について教えてくれた。
そして晴臣は絶望したのだ。
古都子と離れ離れになってしまったことに。
しかし、現実は待ってくれない。
ウーノに誘われ、兵士と一緒に生活を始め、やがて剣の握り方を教わった。
この世界で生きていくのに、晴臣は必死だった。
そんなとき、ウーノがこんな噂を拾ってきた。
「商業ギルドで聞いてきたんだが、坊主以外にも、この世界へ異世界人が飛んできてるらしい」
商業ギルドというのは、王都にある商人たちの組合で、そこには世界中の噂が集まるという。
晴臣のために、わざわざ足を運んでくれたのだろう。
いかつい顔の割に、ウーノはとても面倒見がいい。
「俺以外にも?」
寡黙だった晴臣だが、古都子のいない世界では、しゃべらなければ意思が伝わらない。
否応なしにコミュニケーションをとる必要があり、日本にいるときよりも会話をするようになっていた。
「どうやら女のようだ」
古都子だろうか。
性別だけで判断するのは早計だが、古都子を求める心が騒ぐ。
ドキドキと高鳴る胸に、晴臣はそっと手をあてた。
「坊主よりも、かなり年上みたいだ。魔法の素質があるだろうからと、魔法学園が身柄を引き取ったと言っていた」
「年上……」
古都子の日本人顔とおかっぱ頭では、どう見ても年上に間違われることはない。
晴臣に宿った希望の光は、一瞬で消えた。
「知り合いじゃなさそうだな?」
年上と聞いてがっかりした晴臣を見て、ウーノは心中を察する。
しっかりしているようで、年相応な部分も持ち合わせている晴臣を、ウーノは弟のように思い、心配していた。
「そう気を落とすな。もしかしたら魔法学園で、巡り合うかもしれないだろう?」
異世界人は、この世界の貴族や王族と同じく、魔法がつかえる素質があるとウーノから聞いた。
そうした者は16歳になる年に、魔法学園へ入学して、三年間は魔法について学ぶそうだ。
「同い年なら、なおさらだ。だからそれまで、しっかり剣の腕を磨け。今度こそ、その子を護れるように」
ウーノは晴臣から、この世界へ飛んでくる前の話を聞いている。
幼馴染を護れなかった、と零した晴臣の、無力感の漂う顔がウーノの脳裏を過る。
ウーノは魔法をつかえない。
だが剣なら教えられる。
まだ魔法を発現できない晴臣のために、ウーノは今日も晴臣を訓練に誘う。
古都子はひとりで、活況な市場に来ていた。
月に一度、他の都市からフィーロネン村へ隊商がやってくる。
村の人々も楽しみにしていて、この数日間はお祭りのような賑やかさだ。
「イルッカおじいさんには麦わら帽子、ヘルミおばあさんにはスカーフにしよう」
古都子がこの世界へ飛んできたときから、ふたりは同じものを使い続けている。
そろそろ新調してもいいはずだ。
「隊商だと、村にはない珍しい形や色のものが、見つかるかもしれないし」
古都子はワクワクしながら、日常とは違う華やかな空気を楽しんだ。
衣服をあつかっている露天の店で、ヘルミおばあさんの瞳の色に似た、赤い花柄のスカーフを見ていると、店主だろう女性に声をかけられる。
「お嬢さん、こちらでは見ない顔ね? もしかして、異世界人かしら?」
びくりと古都子が肩をすくませ、用心したのが分かったのだろう。
女店主は両手を挙げて、何もしないというポーズをする。
「ごめんなさい、怖がらせてしまった? 少し前にも異世界人と話をしたから、つい気軽に声をかけてしまったの」
首を横に振ってしきりに謝るので、古都子も警戒を解く。
「私以外の異世界人を、知ってるんですか?」
「王都の近くで会ったわ。うちの手袋を買ってくれたの」
これよ、と革製の茶色の手袋を見せる。
それは農夫が使うような手袋ではなく、もっと分厚くてゴツゴツとしていた。
しげしげと手袋を眺めていた古都子へ、女店主が説明する。
「これは主に、騎士や兵士が使うのよ。その異世界人も、腰に剣を差していたわ」
「もしかして、異世界人は男性?」
「ええ、あなたくらいの年齢だったわよ」
どきん、と古都子の胸が跳ねる。
(もしかして……)
ずっと諦めていた。
もう会えないのだと。
離れ離れになってしまったのだと。
だが――。
(その異世界人、晴くんかもしれない)
たまらず、古都子は口早に質問をする。
「髪の色は? 瞳の色は? 名前とか聞いてませんか?」
「え? まさか知り合いだったの?」
驚きながらも、女店主は覚えている限りのことを教えてくれた。
「髪も瞳も、色は黒かったわ。お嬢さんと一緒よ。名前は聞いていないの。一緒にいた体格のいい男性からは、『坊主』と呼ばれていたわ」
思い出すように目を瞑り、うんうん唸り出す女店主。
古都子は聞き漏らすまいと前のめりになる。
「そうねえ、背の高さは私よりもちょっと上、声は少年にしては低かったわ」
「その男性、しゃべったんですか? じゃあ、違うのかな……」
晴臣ならば、見知らぬ人へは特に、口を閉ざすはずだ。
途端に、期待で膨らんでいた心が萎む。
「この世界では、女の子にどんな贈り物をするのか、と聞かれたわ」
「女の子への贈り物?」
「ええ、誕生日だって言ってた」
古都子は悩む。
実は、晴臣からは毎年、誕生日にプレゼントをもらっていた。
「それがいつだったか、覚えていますか?」
「五月だったことは確かよ」
古都子の誕生日は五月五日だ。
晴臣のような、そうでないような。
もどかしさでむずむずする。
「女の子に喜ばれるのは、宝飾品が多いわって教えたの。そうしたら、あの前ですごく悩みだして……」
女店主が指さしたのは、髪飾りや首飾り、指輪が並べてあるコーナーだ。
小さな輝石がついていて、いかにも女の子受けしそうである。
これまでに、古都子が晴臣から宝飾品をもらったことはない。
そういうのは、なんだか友だちの一線を越えてしまうんじゃないか、という認識が古都子にはある。
果たして晴臣もどきは、宝飾品を買ったのだろうか。
古都子はドキドキして話の続きを待つ。
「結局、時間切れで手袋だけ買っていったわ」
がくり、と古都子は肩を落とした。
「異世界人って珍しいんですよね?」
「商売であちこちを回るけど、そう出会わないわね」
古都子と同じくらいの年齢で、髪と瞳の色が黒い異世界人。
そして五月が誕生日の女の子のために、贈り物を選んでいた男性。
この条件だけなら、晴臣の可能性が高い。
しかし、初対面の女店主に話しかけるのは、らしくない。
(分からない……今いくら悩んでも、答えの出ない問題だわ)
そう思って、古都子はすっぱり思考放棄した。
もし晴臣がこの世界にいるのなら、来年、魔法学園で会うはずだ。
(億劫だった魔法学園への入学が、少しだけ楽しみになる。それだけでも、良かったと思おう)
古都子は頭を切り替える。
そして、持っていた赤いスカーフを女店主へ差し出した。
「これを買います。大切な人への贈り物にしたいの」
「趣味がいいと思うわ。これは王都で、流行り始めたばかりの柄なのよ」
女店主は、キラキラした刺繍入りのリボンで包んでくれた。
驚かせてしまったからサービスよ、と言いながら。
「その異世界人と知り合いだったのなら、どこかで会えるといいわね」
ありがたくスカーフを受け取った古都子へ、女店主は眉を下げた。
女店主が異世界人について、どれだけのことを知っているか分からないが、古都子と晴臣が離れ離れになったのは、なんとなく伝わったのかもしれない。
「大丈夫です。きっと来年、会えますから」
そう言って、古都子は店を後にした。
女店主が手を振るのに、手を振り返しながら。
「さあ、次はイルッカおじいさんの麦わら帽子よ」
つば広であご紐つきの、大きな麦わら帽子を見つけるまで、古都子は市場をねり歩いた。
晴臣がこの世界にいるかもしれない。
その可能性があるだけで、自然と頬が緩んでいるのを自覚しながら。
◇◆◇
その頃、王都近くにある兵士訓練場で、晴臣は剣の素振りをしていた。
――この世界に飛ばされていたのは、古都子だけではなかった。
理科実験室の爆発によって晴臣が飛ばされた先は、ムスティッカ王国で多くの兵士をたばねる、若き兵団長ウーノの執務室だった。
突如現れた晴臣に、咄嗟に剣を突きつけたウーノだったが、すぐにその刃をおさめる。
「なんだ、坊主、さては異世界人か?」
幸いなことに、ウーノもまた、異世界人の存在を知る者だった。
「初めて見たな、異世界人が飛んでくるところを。何もない所から、突然落ちてくるのか」
ウーノは穴も開いていない天井を見上げる。
訳が分からないという顔をしている晴臣に、ウーノはこの世界について教えてくれた。
そして晴臣は絶望したのだ。
古都子と離れ離れになってしまったことに。
しかし、現実は待ってくれない。
ウーノに誘われ、兵士と一緒に生活を始め、やがて剣の握り方を教わった。
この世界で生きていくのに、晴臣は必死だった。
そんなとき、ウーノがこんな噂を拾ってきた。
「商業ギルドで聞いてきたんだが、坊主以外にも、この世界へ異世界人が飛んできてるらしい」
商業ギルドというのは、王都にある商人たちの組合で、そこには世界中の噂が集まるという。
晴臣のために、わざわざ足を運んでくれたのだろう。
いかつい顔の割に、ウーノはとても面倒見がいい。
「俺以外にも?」
寡黙だった晴臣だが、古都子のいない世界では、しゃべらなければ意思が伝わらない。
否応なしにコミュニケーションをとる必要があり、日本にいるときよりも会話をするようになっていた。
「どうやら女のようだ」
古都子だろうか。
性別だけで判断するのは早計だが、古都子を求める心が騒ぐ。
ドキドキと高鳴る胸に、晴臣はそっと手をあてた。
「坊主よりも、かなり年上みたいだ。魔法の素質があるだろうからと、魔法学園が身柄を引き取ったと言っていた」
「年上……」
古都子の日本人顔とおかっぱ頭では、どう見ても年上に間違われることはない。
晴臣に宿った希望の光は、一瞬で消えた。
「知り合いじゃなさそうだな?」
年上と聞いてがっかりした晴臣を見て、ウーノは心中を察する。
しっかりしているようで、年相応な部分も持ち合わせている晴臣を、ウーノは弟のように思い、心配していた。
「そう気を落とすな。もしかしたら魔法学園で、巡り合うかもしれないだろう?」
異世界人は、この世界の貴族や王族と同じく、魔法がつかえる素質があるとウーノから聞いた。
そうした者は16歳になる年に、魔法学園へ入学して、三年間は魔法について学ぶそうだ。
「同い年なら、なおさらだ。だからそれまで、しっかり剣の腕を磨け。今度こそ、その子を護れるように」
ウーノは晴臣から、この世界へ飛んでくる前の話を聞いている。
幼馴染を護れなかった、と零した晴臣の、無力感の漂う顔がウーノの脳裏を過る。
ウーノは魔法をつかえない。
だが剣なら教えられる。
まだ魔法を発現できない晴臣のために、ウーノは今日も晴臣を訓練に誘う。