ぼんやりとしている場合じゃなかった。
彼を理解している余裕もなかった。
理解なんて出来るはずもなかったのだ。
誘拐犯どころか、殺人犯だったのだから。
(何とかしなきゃ……)
殺される前に、ここから逃げ出すしかない。
『大丈夫。言ったよね、俺は芽依ちゃんのことが好きなの。ふたりで仲良く暮らしたいだけ』
嘘つき、と再び思った。
それともまさか、ワンピースの持ち主の遺体はこの家のどこかに眠っている……?
それを“仲良く暮らす”なんて言っているの?
ぞっとした。
こんな服をわたしに着せるなんて、彼はどういう神経をしているのだろう。
「どうしよう……」
すぐにでも血のことを問いただしたい。
しかし、それが得策だとは思えない。
そもそも十和くんはこの染みに気付いているのだろうか。
もし知っていて着せたのなら、またフォークのときみたいに試されている可能性がある。
だとしたら血のことを口にした途端、わたしは殺されかねない。
(今度は何を望んでるの?)
何があっても疑うな、ってこと?
どんなときでも無条件で信じろ、ってこと?
「…………」
この血が偽物で、そのための細工だったらどんなにいいだろう。
本当のところなんて分からないが、とても平気ではいられなかった。
どんな顔をして十和くんと接すればいいのだろう。
どんなふうに話していたっけ?
目の前が霞む。
頭の中に黒い靄がはびこる。
かき乱された感情が渦を巻いてぐちゃぐちゃに混ざり合った。
早鐘を打つ心臓が痛い。
(今まで通りでいた方がいい、よね……)
何も知らないふり、何にも気付いていないふりをするべきだ。
もしワンピースの彼女が本当に殺されていたとして、その理由は十和くんの偏愛や狂愛の果てとは限らない。
もしかするとこんなふうに、彼の重大な秘密を知って迫ったのかもしれない。
あるいはこの前のわたしみたいに、彼から逃れようとして失敗した……。
そうやって、十和くんの思惑を潰したり機嫌を損ねたりした結果なのかもしれない。
「わたしも危ない」
それらの一歩手前、もしくは同じ地点に立っている。
もう、いつ殺されてもおかしくないのかもしれない。
(慎重にならなきゃ……)
露骨な拒絶を続けていたら、逆上した彼に殺されるかも。
かと言って媚びても、それはそれで彼の意に沿わない。
(ちゃんと向き合うしかない)
十和くんと十和くんの想いに────。
死にたくないなら、もう失敗は許されない。