それから何日か経った昼下がり、十和くんが部屋のドアを開けた。
「芽依、ケーキ食べよ?」
自分の分とわたしの分、同じロールケーキを持っている。
(そっか、今日は休日?)
曜日感覚などとっくに失ってしまったから分からない。
彼が休んでいるだけで平日なのかもしれない。
そんなことを考えていると、小皿に載ったフォークが目に入る。
はっとしてしまった。
それを手にする手段を、今のわたしは見失っていた。
「あ、うん。ありがとう」
誤魔化すように笑いつつ、両手を差し出す。
十和くんは小さな丸いテーブルにケーキを置くと、ポケットから鍵を取り出した。
────このテーブルは数日前に持ち込まれたものだ。
“食べさせてあげる”と言われたあの日から、彼と一緒に夕食をとる羽目になって。
宣言通り、わたしは彼に否応なく食べさせられている。
メニューによらず、何だかわざと箸を持ってきているような気がしている。
……余計なことを言うんじゃなかった。
結果的にフォークも遠のいたし、自分の嘘に苦しめられている。
かちゃかちゃと音を立て、手錠が外れた。
手も足も、邪魔になる枷は外れた。
「…………」
思わずフォークを見やる。
しかし、すぐに思い直した。
(今はどうにも出来ない……)
可能性を目の前にしてもどかしいことこの上ないが、今これを使って出来るのは、ケーキを食べることだけだ。
そっと手首を撫でつつ、わたしは大人しくフォークを持った。
ひとくち食べると、その様子を眺めていた彼が嬉しそうに微笑む。
「……何?」
「ううん。芽依ってさ、甘いもの好きだよね」
なんてことのない言葉だが、警戒してしまった。
何か仕込まれているのではないか、と。
「それ、が……どうしたの?」
「もし芽依とデートしたら、カフェ巡りとかするのかなぁって想像しただけ。それともスイーツ食べ放題とかかな」
ああ、と思った。
そういう想像はわたしもしたことがある。
わたしの場合、一緒にいるのは彼ではなく先生なのだけれど。
「……してみたいなぁ、そういうの」
気付いたら、ぽつりとこぼしていた。
先生が、好きな人が隣で笑ってくれるのって、どんな感じなんだろう。
好きな人がわたしだけを見てくれるって、どんな世界なんだろう。
「……したことないの? 芽依の好きな人と」
かちゃん、と小皿にフォークを置いて、十和くんが問うてくる。
「ないよ。だって、そんなこと出来る相手じゃないし。そもそもわたしなんて眼中にないって」
先生にとっては、わたしは数多くいる生徒のうちのひとりに過ぎないだろう。
言いながら、ずきんと胸が痛んだ。
自嘲気味に笑った頬が強張る。
先生を好きになった時点で、そんな痛みは百も承知のはずだったのに。
最初から叶わぬ恋だって、分かっていたはずなのに。