男は明らかに場慣れしていない。

初めてこのホテルに来たか、もしくはビギナーか?

『どこをお探しかな?』黒沢が尋ねた。
『あ、フランス料理の店なんです』男が照れくさそうに応えた。

『それならば同じだ。ここは初めてかい?』

『ええ』

男ははにかんだ笑みを浮かべながら頷いた。

黒沢が先導するように歩き出し、男が続いた。

『あの、お一人ですか?』

男の問いに、黒沢は立ち止まる。

『ああ、私は1人だよ』

『よろしければ、ご一緒していただけませんか?』

意外な申し出に黒沢が戸惑う。

『この手の店は不慣れでして、テーブルマナーを勉強中なんですよ』

男が照れくさそうに言った。

『構わないよ、予約はしてあるのかい?』

『はい、あ、桐山と申します』

男が嬉しそうに名乗った。

『私は黒沢です』

黒沢は名乗ると歩き出し、桐山が続いた。

店に入ると、顔見知りのフロアマネージャーがにこやかに出向いた。

『あ、偶然知り合いと一緒になったんだが、一緒の席にしたいんだが…彼は桐山の名で予約してある』

『かしこまりました。黒沢様。すぐに準備致します』

店内は広いが、客は少ない。フロアの中央にはグランドピアノがあり、生演奏が始まっていた。