吸って愛して、骨の髄まで


とにかく今は、私が“いなくなろうとしていた”という事実を消さなくてはならない。



ここで誰かにバレてしまえば、次の計画は難しくなるだろう。



だから、この男には黙っていてもらうしかないのだけれど…。



「嫌だ」



「っ…!」



もう、無理なの…?私はこのまま生きていくしか…。



足の力が抜けて、膝から崩れ落ちそうになったとき。



「…って言うと思った?」



いつの間にか目の前に来ていた彼の手によって、よろめく私は支えられた。



「薫子が良かったら、こうなるまでの話を聞かせてくれないかな?もしかしたら、僕達は良いパートナーになれるかもしれない…そう思うんだ」



「パートナー…?」



私の質問には何も答えず、ただ笑った。



「僕の名前は御影理央。人の血を吸う吸血鬼…そう言ったら、君は笑う?」



───きゅう、けつき…?



「……は?」



彼は何を言っているのかしら…?



あまりにも常識外れな答えが返ってきて、思わず口がぽかんと開いてしまう。

「あははっ、開いた口が塞がらないって顔してる。まぁ普通はそうだよね〜うんうん」



こっちはこんな驚いているというのに、彼は可笑しそうに笑うだけ。



さっきからずっとそう。



私の反応を面白がっているみたいで、なんだか居心地が悪い。



「僕が吸血鬼だって事は誰にも言ってないよ。だからこのことは、僕と薫子だけのヒミツ。ね、これでフェアでしょ?」



「そういう問題じゃ…」



それに、この人を信頼していいのかも分からないのに事情を話すのはリスクが高すぎる。



話すことを躊躇っていると、彼の顔がすぐ近くにあることに気がついた。



「ならバラしちゃおっかなぁ…薫子の友達や先生たちに。薫子がさっきしようとしていたこと…」



耳元で囁かれたその言葉に、肩がビクッと跳ねる。



「っそ、それは…!」



それだけは絶対、何があってもダメ。



必死になって顔を上げると、自信に満ち溢れた表情とぶつかった。



「それならなおのこと、僕に話すべきだと思うな。僕なら君の…薫子の助けになれるよ」



「っ…」

思わず頷きそうになってしまいそうになるほど、彼が眩しく映って仕方がない。



…でも、やっぱりまだ確証が持てないの。



私と彼は赤の他人。



なのに、なんで…。



「…なんで、私を救おうとするの?」



ポロリとこぼれた小さな呟き。



小さすぎて、もしかしたら届いていないかもしれない。



…臆病者ね、私は。



思えば私は、いつもそうだった気がする。



手を伸ばせば助けてくれる人がいるのに「巻き込みたくないから」、「心配させたくないから」…そう言い訳して口を固く結んでしまう。



でもそれは、結局自分の都合でしか無かった。



私が“私自身”の救済を許さなかったから。



今日、この世からいなくなるつもりだった。



そうなるまでの経緯を、理由を…見ず知らずの人に話すのはかなり抵抗がある。



大事な人達にだってまだ話したこともない。



…きっと話したところで、助ける価値のない人間だと思われて終わり。



そんなふうに思っていたし、今でもそれは変わらない。

それならこのまま聞き返されずに、この場を逃げた方がよっぽどマシだわ。



これからここをどう切り抜けるかを考える方が得策…。



「っえ?な、に…」



思考を切りかえて次はどう動くか考え始めていたら、頬に彼の手のひらが落ちてきた。



そして、ゆっくり口を開いてこう言った。



「僕が、薫子に惚れちゃったからだよ。もう、薫子が好きで好きでたまらないんだ」



熱の篭った声と視線。



その全てが向けられているのは、紛れもなくこの私で。



「っ…!?」



「ふっ…薫子の顔、すっごく真っ赤。林檎みたいで…美味しそうだね?」



「っ〜!!」



触れられた頬が熱くて、恥ずかしくて…どうにかなってしまいそうだった。



この男が本当に吸血鬼と言うのなら、それはきっと何かの間違い。



獲物を狩りとろうと目をギラギラ光らせる、凶悪なオオカミの方が絶対合ってる。



こんな男に好かれる理由なんて、何一つないわ…!



このままいたら食べられてしまいそうで、彼の胸板を必死に押し返す。

「じょ、冗談言わないで…!私のことなんて、なにも知らないくせに…っ!」



「だから言ってるんじゃん。まずはお互いのことを知るべきだよ。話はそれから」



「必要ないのよそんなもの…!だいたい貴方に話す義理なんてな───」



「なら作ろうか。その義理ってやつを…今、ここで」



彼は言葉を遮り、頬にあった手のひらを滑らせて私の髪の毛をサラリと持ち上げた。



「な、なに言って──…っ!」



ハッとした時にはもう、遅かった。



首にチクリとした痛みが一瞬襲い、柔らかい何かが押し当てられている。



「…っな、にを…してるの…っ?」



「……」



返事はない。



その代わり、彼の方からごくごくと喉越しが伝わってくる。



ただわかるのは、首に感じる僅かな痛みと。



「…美味しかったよ、薫子。ごちそーさま。これで晴れて契約ができるよ」



彼が…御影理央が、吸血鬼だということだけだった。

私の両親はどちらも、エリート街道を突っ走ってきたような人達だった。



小さい頃から成績優秀だったらしく、真面目な性格と努力を買われて有名企業に入社。



その後父は専務取締役、母は常務取締役にまで上り詰めた後に私を授かった。



それは二人が昇格して間もない頃。



これからどう上手く働くかで今後の出世にも関わる…そんな大事な時期だったという。



母は育児休業を余儀なくされ、父だけが働くこととなった。



…多分、そこから二人は変わってしまったのだと思う。



そもそも父と母は、恋愛結婚ではなくお見合いを経て結婚に至った。



二人の間に愛はなく、互いがいることによって生まれる利益だけを求めていた。



…もうその時点で私には理解ができない。



とにかく、祖母たちに「まだ結婚はしないのか」と言われるのを避けるために、上手くやっているはずだったのだけど。



『だから言ったのよ!私は子供なんか欲しくないって…!』



幼かった私の耳に入ってきたあの言葉は、今でも覚えてる。



泣き崩れる母の姿を冷たく見下ろす父。

それを扉の隙間から除く小さな私。



自分が望まれた子ではなかったということを、その時に知った。



そして悟った。



あぁ、この二人は私を愛していないのだ…と。



育児休業を終えて会社に復帰しても、母は以前のように働くことが出来なくなり、父はそんな母を激しく責めた。



今思えば、母よりも父の方に原因があったのだろう。



やがて母はホストに逃げて貢ぎまくり、父は父で外に女を作った。



家庭は徐々に崩壊していき、私が幼稚園に通っている頃。



『薫子ちゃんのお母さんとお父さんが事故にあったって…』



青ざめた先生の顔もきっと忘れられない。



その時の私の心情も、忘れてなどいない。



(お母さんとお父さん、死んじゃったんだ…でも…なんでだろう?ぜんぜん悲しくないな)



家庭が壊れて行くにつれて、私の中の親という存在すらもが崩れていたの。



それから私は地元を離れ、母の遠い親戚の家に預けられた。

私の親代わりとなって育ててくれた“お母さん”と“お父さん”は、私を本当の子供のように大切に育ててくれた。



もちろんそれは今も変わらず、愛されていると自覚できるほどに家族として接してくれている。



子供ができないことを悩んでいた二人は、喜んで私を家族に迎え入れてくれた。



小学校でも中学校でも周りに恵まれ、今では親友と呼べる友人だっている。



あの冷たい空気を纏った場所にいた事が嘘のよう思えるくらい幸せな日々。



不満なんて何一つないこの生活が、これからもずっと続いていくのだと確信できる。



でも…日を追う事に私を追い詰めていく。



嫌でも感じる、あの二人の血が。



物心ついた時から大抵の事はなんでも上手くやってこれた。



勉強に運動や芸術…なんでもそう。



コツをつかめば一通りのことはすぐ出来るようになり、要領も良よく、いつしか委員長を任されることが当たり前となっていた。



それだけでは無い。



そっくりなの、あの二人と私。

艶やかな黒髪と白い肌を持ち合わせ、小さく整った顔の母。



高身長でスタイルが良く、つり目が特徴の同じく綺麗な顔立ちの父。



美男美女を絵に描いたような二人の容姿を、そのままそっくり受け継いだ。



私はあんな二人のようには絶対にならない…なりたくない。



でも、そう思っている以上に二人の血は濃くて、それは間違いなく私の中にも流れている。



今はまだ大丈夫と思っていても、いつか二人のような人間になってしまうのかもしれない…って。



そう思うだけで、震えが止まらない。



私を必要としてくれる人たちがいるのは知っているし、私もそれに応えたいと心から思っているけれど。



私がいくら頑張ったって、この血だけはどうしても無くならない…この身体の中から消えてはくれないでしょう…?



それならもういっそのこと…なんて。





「…本気で、そう思っていたの」



「薫子…」



全て話し終えた頃には、私たちの周りだけ重たい空気に包まれていた。



全部話しちゃうなんて…私って馬鹿なのかしら。



あんな渋っていたのに、結局それも水の泡。