*
そうして薫子が計画を実行しようとした時、僕が止めたんだよね。
それで契約をして…と言いたいところだけど。
「本当は契約なんて無いって言ったら、薫子怒るかなぁ…」
契約だとか言って薫子を引き止めたくせに、実は契約自体が存在しないのだ。
吸血鬼と人間の間に結ばれる秘密の契約なんて、ファンタジーしか有り得ない。
それでも僕は、薫子を繋ぎ止めるのに必死で。
あの白くて綺麗な首筋に、傷をつけた。
…こんなことを知られてしまったら、嫌われてしまうに違いない。
でも、いつかは話さないといけないこと。
それを伝えるはずだったのに、玲央奈があのカフェで働いていたから薫子と変な別れ方をしてしまった。
「…明日ちゃんと話そう」
僕を吸血鬼だと知っても引かず、対等に接してくれる優しくて世界一可愛い薫子。
そんな君を、誰よりも心の底から愛しているって。
わかってもらえるまで、何度でも伝えるから。
「「あ…」」
教室に戻る際、あの子と廊下ですれ違ってしまった。
なんて嫌なタイミングなの…。
上履きを一瞥すると、一年生だということが判明した。
それより何より、同じ高校だったという事実に驚きを隠せない。
「「……」」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。
さっきは応援してくれていた翼も、薄情なことにそそくさと去っていった。
このままスルーすべき…?
この場をどう切り抜けるか全く見当もつかないでいると、ずっと目を逸らし続けていた彼女が私を真っ直ぐに見てきた。
「…昨日は、ごめんなさい」
「…え?」
…どういう風の吹き回し?
バツが悪そうに謝罪の言葉を告げる彼女は、昨日とまるで別人。
「初対面で、しかも先輩だったのに…玲央奈、あれから大反省した」
上っ面だけの、取り繕われた言葉を並べただけでは無いとわかる。
ふふ、昨日はあんなにことを言っていたけどいい子じゃない。
少し彼女のことを誤解していたのかもしれない…と私も反省していたら、もう調子を取り戻したと見受けられる彼女が衝撃的事実を口にした。
「私、理央のこと好きとかそんなんじゃないから安心してよね」
「へ…え、は…?」
開いた口が塞がらない。
まさに今、そんな顔をしていると思う。
「拗れる前にさっさと告白でも何でもすれば?ま、どーせ結果は目に見えてるけどー」
「な…そ、それってどういう、」
「じゃ、そゆことだから。頑張ってね?センパイ♡」
い、言い逃げなんて卑怯よ…!
最後は彼女お得意の、語尾にハートがつくくらいの可愛さで有無を言わさず去っていってしまった。
…でも、これで悩む必要は何も無いわ。
昨日から抱いていた不安が一つの無くなり、少し安堵する。
あとは理央に想いを伝えるだけ。
意を決して教室に行くと、先に戻った翼が私を見てほっとしていた。
自分の席に目をやると、着いたばかりの理央がこちらにやって来て。
「おはよう、玲央奈」
いつもと変わらない柔らかな表情で話しかけてきたから、私も同じものを返す。
そして、バクバクうるさい心臓を抑えながら言った。
「理央…私、理央に伝えたいことがあるの」
緊張と不安が混ざり合って、自然と手に汗を握ってしまう。
でも…理央の瞳がゆらりと揺れた後、穏やかな笑顔のまま頷いたから。
「…うん、僕も同じこと言おうと思ってた」
昼休みになるまで、異常なほどに冷静でいられた。
*
「…ここ、は」
理央に連れられて来た場所は、まさかの旧・視聴覚室。
昼休みに入ったけれど、ここに来るまでお互い無言だった。
少し冷静だったとはいえ、さすがに告白するとなるとそうもいられない。
じゃあ、理央は?
「…ごめんね。薫子にとっては、嫌な場所かもしれないのに」
申し訳なさそうに眉を下げる理央は、大していつもの変わらない…ように見える。
「でも、ここじゃないとダメだと思ったんだ」
「…どういうこと?」
何となくわかるような、わからないような。
理央の言葉を正確に読み取れなくて聞き返すと、彼は唇をきゅっと結び悲しそうに目を伏せた。
「…ごめん、薫子」
…それは、何のことへの謝罪?
この数分間に立て続けの謝罪をされて、余計な不安が募る。
でも、それは杞憂だったらしい。
「吸血鬼の契約なんてものは存在ないんだ。…僕が勝手に作り出した、嘘話だよ」
私の頭は思考を停止してしまったのだろう。
「え…、?で、でも理央が吸血して…」
困惑だらけでちっとも働かない。
「…少し長くなるけど、全部話させて。もう、嘘はつきたくないから」
真剣な顔をする理央の話を、とりあえず聞くことにした。
そして、全て聞き終わる頃には…。
「これでわかってくれた…?薫子を知っていた理由も、玲央奈のことも…僕のことも」
「……わ、かった…わ」
「…ごめん、ちょっと一気に話しすぎたかも」
情報過多で脳が処理できず、ヒート寸前だった。
「つまり…理央は私の計画をずっと前から知っていて、玲央奈さんとは従姉妹で…」
「薫子のことしか眼中にないってこと」
「っ…!!」
理央の口から出てきたその言葉はあまりにも唐突すぎて。
ま、まだ心の準備が出来てないのにっ…って、あら?
私、なんて理央に言おうとして…。
言おうとしていたことが一気に吹っ飛んでいき、頭が真っ白になる。
「…ずっと黙ってて、嘘だらけで本当にごめん。でも、薫子のことを好きな気持ちに変わりはないよ」
「っ…それは、ほんと?」
そんな私にお構い無しで続ける理央の言葉にも、鼓動が高鳴って仕方がない。
もっとちゃんとした確信が欲しくて、欲張ってしまう。
「強く見せようとしてるけど、本当は誰よりも繊細で優しいところも、すぐに真っ赤になって可愛い反応するところも…嫌いなところなんて何一つないくらい、薫子のことが大好き」
「っ…」
言われた瞬間、胸の奥から何か熱いものが込み上げてきた。
胸がつっかえて、すぐに言葉として出せなかったけれど。
「…っ私も、理央のことが好き…っ」
この熱い何かの正体に名前をつけるのなら、それは多分…。
「愛してるのっ…!」
誰かたった一人を想う、愛なのだ。
その刹那、グイッと腕を引っ張られて理央の胸に放り込まれた。
見た目の割に力強くて長い腕が、話さないとでも言うように私の体に巻きついてくる。
「僕も、愛してる。この世の誰よりも、薫子のことが好きで好きで、たまらないんだ」
耳元で響く声が、私の心に心地よく流れた。
「っやめて…これ以上、泣かせないでっ…」
そんな言葉と共に、温かい涙が頬を伝う。
最近私は、身近な人の温かさが身に染みてわかるようになった。
これまで自分に向けられていた好意も善意も、受け取ってはいけないものだと思っていたから、その温度を感じることが出来なかったけれど。
「そうやって僕の言葉で泣いてくれるとか、本当に可愛い。怒ってるときも、照れてるときも、笑ってるときも…。どんな時の薫子だって、愛おしいんだよ」
「〜っ!!理央のバカ…っ」
理央がこうやって私の体温を上げては、気持ちに込められた熱を感じさせてくれる。
私がいらないって拒んでも、変わらず笑顔で渡してくるから。
「ふっ、薫子限定でね」
身体全体を包み込んで、骨身に染み渡るの。
「ね、薫子…いい?」
理央の熱い視線にはきっと、一生慣れることなんてできないのだろう。
「っ…う、ん」
こくりと頷き、これからされるであろう吸血の準備をした。
あまり痛くはないけれど、顔と顔が近づくのはどうしても緊張と恥ずかしさでいっぱいになる。
「薫子、目瞑って」
「…?わ、わかったわ…」
言われた通り目を瞑った。
これなら緊張することも恥ずかしがることも軽減される気がして、ほっとした…次の瞬間。
「…ほんと、素直すぎ」
理央の一言を疑問に思い、思わず目を開けて後悔する。
「へ──!?…んっ、んん…っ…」
本来なら首筋にあてがわるはずの唇が、私の唇と重なっていた。
触れる程度の軽いものから、どんどん角度を変えて深くなっていく。
ほんのり香る理央の匂いとキスの甘さで、クラクラする。
大量に降り注ぐキスの雨が私の酸素を奪っていき、酸欠状態に陥って理央の胸を叩いた。
「っ、も…むり…っ」
「…涙目とか、ほんとかわい」
最後にちゅ、とリップ音を立てて理央のそれが離れていった。
身体に力が入らなくって、ぐったり理央にもたれかかってしまう。
っ…なに?今の、キス…。
身体ごと支配されてしまいそうになるあの感覚が、まだ離れてくれない。
吸血された時よりも苦しかったのに、こんなにも理央のキスは私を満たしてくれる。
こんなことを思うなんて、と自分で恥ずかしくなるけれど…。
「…ごめんね、止まれなくて。もう当分しないから…」
もう、手遅れ。
「…嫌」
「え…?」
「き、キスっ…もっと、してよ」
気がついたら、口から飛び出していた。
「っ…それ、本気で言ってる?」
理央の心の揺れが、こちらまで伝わってくる。
…本気も何も、何言ってるのよ。
私はいつだって、貴方にたくさんの気持ちと言葉をもらって揺らされてきた。
「…愛して、くれるんでしょう?」
だから…私は、いつまでも貴方の心を揺らしたい。
「っ…敵わないな、薫子には」
「ふふ、お互い様よ」
人生を諦めようとしていた時に、貴方と出会った。
きっとそれは、運命よりももっと深くて、それに等しいもの。
貴方がどんな存在であろうと、私の想いは決して変わることは無い。
「薫子のこと…骨の髄まで、愛させてね」
私に流れるこの血が沸騰してしまうくらい、貴方への愛が止まらないから。