吸って愛して、骨の髄まで


この先の不安を感じていた。



そして、玲央奈も無事合格した直後のこと。



自宅療養だと言って学校を休んでいたあの期間が…僕の運命を変えたのだ。



担任以外の教科の先生に呼び出されて学校に行き、よく行っていた今はもう使われていない視聴覚室に立ち寄ろうとして…目を奪われた。



僕より先に視聴覚室へと入っていく黒髪ロングの美少女。



胸が妙にザワついて、血が騒ぐ感覚。



『(…ちょっとだけならいいよね?)』



いけないことだと思いつつ、彼女の動向を伺っていたら…棚から一つの小瓶を取り出した。



恐る恐る蓋を開け、ポケットから白い粉が入った袋をまた取り出してその小瓶の中に移し替える。



『…あともう少しね』



呟き、瓶を元の位置に戻してから視聴覚室を去っていった。



『(あれはなんだったんだろう)』



吸血鬼は人間よりも色々な面で遥かに強いため、多少の毒くらいでは死なない。



疑問に思った僕はさっき彼女が手にしていた小瓶の中身が気になり、迷わずぺろりと舐めた。



『(っ、これは…!)』



白い粉の正体…それは、粉状の睡眠薬だった。

さすがに見逃すことのできない状況を前にして、瞬時に思考を切り替える。



『(…彼女を救おう)』



言うまでもなく、名前も知らないあの子を救済することだけが頭を埋め尽くした。



そもそも自宅療養というのは真っ赤な嘘だ。



玲央奈が引っ越しをするからという理由で手伝いをしたり、寂しくなるから一緒にいる時間を増やしたいという過去最大級の我儘に付き合っていただけ。



生徒や先生たちの目をかいくぐって視聴覚室に行き、小瓶の中身を砕いたラムネに交換する作業が始まった。



最初はどうしてこんなに彼女を救おうとしているのか自分でも分からなかったけど、気がつけば僕は…薫子の虜になっていた。



毎日苦しそうな顔で小瓶に薬を入れるのに、昼休みに姿を見たらそれを微塵も感じさせない笑顔を見せていて。



『(…なんて、不器用なんだろう)』



自分が弱っているところを他人に見せられない。



見せてはいけないと強く思っているから、毎日あんな真似をしているのか。



玲央奈に感じた庇護欲とは全く別の感情。



あの子の本当の笑顔を守りたい…そしてあわよくば、それを僕にだけ向けて欲しいとさえ思った。



そうして薫子が計画を実行しようとした時、僕が止めたんだよね。



それで契約をして…と言いたいところだけど。



「本当は契約なんて無いって言ったら、薫子怒るかなぁ…」



契約だとか言って薫子を引き止めたくせに、実は契約自体が存在しないのだ。



吸血鬼と人間の間に結ばれる秘密の契約なんて、ファンタジーしか有り得ない。



それでも僕は、薫子を繋ぎ止めるのに必死で。



あの白くて綺麗な首筋に、傷をつけた。



…こんなことを知られてしまったら、嫌われてしまうに違いない。



でも、いつかは話さないといけないこと。



それを伝えるはずだったのに、玲央奈があのカフェで働いていたから薫子と変な別れ方をしてしまった。



「…明日ちゃんと話そう」



僕を吸血鬼だと知っても引かず、対等に接してくれる優しくて世界一可愛い薫子。



そんな君を、誰よりも心の底から愛しているって。



わかってもらえるまで、何度でも伝えるから。

「「あ…」」



教室に戻る際、あの子と廊下ですれ違ってしまった。



なんて嫌なタイミングなの…。



上履きを一瞥すると、一年生だということが判明した。



それより何より、同じ高校だったという事実に驚きを隠せない。



「「……」」



二人の間に気まずい沈黙が流れる。



さっきは応援してくれていた翼も、薄情なことにそそくさと去っていった。



このままスルーすべき…?



この場をどう切り抜けるか全く見当もつかないでいると、ずっと目を逸らし続けていた彼女が私を真っ直ぐに見てきた。



「…昨日は、ごめんなさい」



「…え?」



…どういう風の吹き回し?



バツが悪そうに謝罪の言葉を告げる彼女は、昨日とまるで別人。



「初対面で、しかも先輩だったのに…玲央奈、あれから大反省した」



上っ面だけの、取り繕われた言葉を並べただけでは無いとわかる。



ふふ、昨日はあんなにことを言っていたけどいい子じゃない。



少し彼女のことを誤解していたのかもしれない…と私も反省していたら、もう調子を取り戻したと見受けられる彼女が衝撃的事実を口にした。

「私、理央のこと好きとかそんなんじゃないから安心してよね」



「へ…え、は…?」



開いた口が塞がらない。



まさに今、そんな顔をしていると思う。



「拗れる前にさっさと告白でも何でもすれば?ま、どーせ結果は目に見えてるけどー」



「な…そ、それってどういう、」



「じゃ、そゆことだから。頑張ってね?センパイ♡」



い、言い逃げなんて卑怯よ…!



最後は彼女お得意の、語尾にハートがつくくらいの可愛さで有無を言わさず去っていってしまった。



…でも、これで悩む必要は何も無いわ。



昨日から抱いていた不安が一つの無くなり、少し安堵する。



あとは理央に想いを伝えるだけ。



意を決して教室に行くと、先に戻った翼が私を見てほっとしていた。



自分の席に目をやると、着いたばかりの理央がこちらにやって来て。



「おはよう、玲央奈」



いつもと変わらない柔らかな表情で話しかけてきたから、私も同じものを返す。



そして、バクバクうるさい心臓を抑えながら言った。



「理央…私、理央に伝えたいことがあるの」

緊張と不安が混ざり合って、自然と手に汗を握ってしまう。



でも…理央の瞳がゆらりと揺れた後、穏やかな笑顔のまま頷いたから。



「…うん、僕も同じこと言おうと思ってた」



昼休みになるまで、異常なほどに冷静でいられた。





「…ここ、は」



理央に連れられて来た場所は、まさかの旧・視聴覚室。



昼休みに入ったけれど、ここに来るまでお互い無言だった。



少し冷静だったとはいえ、さすがに告白するとなるとそうもいられない。



じゃあ、理央は?



「…ごめんね。薫子にとっては、嫌な場所かもしれないのに」



申し訳なさそうに眉を下げる理央は、大していつもの変わらない…ように見える。



「でも、ここじゃないとダメだと思ったんだ」



「…どういうこと?」



何となくわかるような、わからないような。



理央の言葉を正確に読み取れなくて聞き返すと、彼は唇をきゅっと結び悲しそうに目を伏せた。



「…ごめん、薫子」



…それは、何のことへの謝罪?



この数分間に立て続けの謝罪をされて、余計な不安が募る。



でも、それは杞憂だったらしい。

「吸血鬼の契約なんてものは存在ないんだ。…僕が勝手に作り出した、嘘話だよ」



私の頭は思考を停止してしまったのだろう。



「え…、?で、でも理央が吸血して…」



困惑だらけでちっとも働かない。



「…少し長くなるけど、全部話させて。もう、嘘はつきたくないから」



真剣な顔をする理央の話を、とりあえず聞くことにした。



そして、全て聞き終わる頃には…。



「これでわかってくれた…?薫子を知っていた理由も、玲央奈のことも…僕のことも」



「……わ、かった…わ」



「…ごめん、ちょっと一気に話しすぎたかも」



情報過多で脳が処理できず、ヒート寸前だった。



「つまり…理央は私の計画をずっと前から知っていて、玲央奈さんとは従姉妹で…」



「薫子のことしか眼中にないってこと」



「っ…!!」



理央の口から出てきたその言葉はあまりにも唐突すぎて。



ま、まだ心の準備が出来てないのにっ…って、あら?



私、なんて理央に言おうとして…。



言おうとしていたことが一気に吹っ飛んでいき、頭が真っ白になる。

「…ずっと黙ってて、嘘だらけで本当にごめん。でも、薫子のことを好きな気持ちに変わりはないよ」



「っ…それは、ほんと?」



そんな私にお構い無しで続ける理央の言葉にも、鼓動が高鳴って仕方がない。



もっとちゃんとした確信が欲しくて、欲張ってしまう。



「強く見せようとしてるけど、本当は誰よりも繊細で優しいところも、すぐに真っ赤になって可愛い反応するところも…嫌いなところなんて何一つないくらい、薫子のことが大好き」



「っ…」



言われた瞬間、胸の奥から何か熱いものが込み上げてきた。



胸がつっかえて、すぐに言葉として出せなかったけれど。



「…っ私も、理央のことが好き…っ」



この熱い何かの正体に名前をつけるのなら、それは多分…。



「愛してるのっ…!」



誰かたった一人を想う、愛なのだ。



その刹那、グイッと腕を引っ張られて理央の胸に放り込まれた。



見た目の割に力強くて長い腕が、話さないとでも言うように私の体に巻きついてくる。



「僕も、愛してる。この世の誰よりも、薫子のことが好きで好きで、たまらないんだ」



耳元で響く声が、私の心に心地よく流れた。

「っやめて…これ以上、泣かせないでっ…」



そんな言葉と共に、温かい涙が頬を伝う。



最近私は、身近な人の温かさが身に染みてわかるようになった。



これまで自分に向けられていた好意も善意も、受け取ってはいけないものだと思っていたから、その温度を感じることが出来なかったけれど。



「そうやって僕の言葉で泣いてくれるとか、本当に可愛い。怒ってるときも、照れてるときも、笑ってるときも…。どんな時の薫子だって、愛おしいんだよ」



「〜っ!!理央のバカ…っ」



理央がこうやって私の体温を上げては、気持ちに込められた熱を感じさせてくれる。



私がいらないって拒んでも、変わらず笑顔で渡してくるから。



「ふっ、薫子限定でね」



身体全体を包み込んで、骨身に染み渡るの。




「ね、薫子…いい?」



理央の熱い視線にはきっと、一生慣れることなんてできないのだろう。



「っ…う、ん」



こくりと頷き、これからされるであろう吸血の準備をした。



あまり痛くはないけれど、顔と顔が近づくのはどうしても緊張と恥ずかしさでいっぱいになる。