吸って愛して、骨の髄まで


幼稚園の時、自分が吸血鬼であることを明かしてから周りの態度が変わった。



化け物を見るような目が幼い僕を突き刺さして、いないものとして扱われる日々。



幼稚園生にして人間関係が嫌になった。



それは小学校に入っても特に変わらなくて。



あまり人と関わらないように、自分が傷つかないように…必死に心を守っていた。



それから一年が経って二年生になった頃、玲央奈と出会った。



僕の両親は吸血鬼ではなかったけど、祖父がそうだったたから隔世遺伝というやつだろう。



叔父の子供…従姉妹の玲央奈も同じだった。



友達に自分の正体がバレてしまったことから、虐められるようになったらしい。



僕と玲央奈は吸血鬼であり、境遇もほとんど一緒。



『ううん、僕は玲央奈の事が好き。だって、僕も玲央奈と同じだもん』



僕が自分の境遇を話して、彼女の味方であることを伝えたら…それはもう、すぐに懐いてきて。



『ほんとっ?えへへっ、嬉しい!』



年相応な可愛らしい少女の笑顔が、僕を照らした。



でもそれは、やっぱり保護対象でしかなかった。

この子を守ろう、という僕なりの決意。



僕の家とは一駅分の距離くらいしか離れていなかったため、玲央奈は度々僕に会いに来るようになった。



玲央奈は自分を変えると言い出して、見た目はもちろん、中身も徐々に変わっていったような気がする。



あれは…玲央奈が中学に上がってすぐのことだったかな。



『理央っ、見て見て!玲央奈のとこの制服めっちゃ可愛くない!?ってゆーか、似合いすぎて自分でびっくりしたんだけど!』



今とほとんど変わらない、彼女が追い求めていた「理想の女子」。



背筋はピンと伸びていて、胸を張って歩くその姿は自信に満ち溢れている。



髪もメイクも服装も、何もかもが完璧で。



『…おめでとう玲央奈。よく似合ってるよ』



あぁ、この子はもう僕の手なんて握る必要もなくなったのだと感じた。



でも、寂しさよりも嬉しさが上回ったから、普通に喜ばしいことだと思っていたんだけど。



『でしょー?これで理央が、玲央奈といて恥ずかしい思いすることも無くなるの。超頑張っちゃった』



『…え?』



頭が真っ白になった。

玲央奈が変わったのは、全て自分のためだと思っていた。



もういじめられないように、もっと可愛い自分になるために。



でも…蓋を開けたらどうだろう。



自分のためではなく、あくまで“僕のため”だと言っているように聞こえた。



しかも、僕は玲央奈を元々妹のように可愛がっていたつもりだし、迷惑なんてかけられた覚えはさらさらない。



『中学は別々だったけど、高校は一緒になれるよねっ?勉強も頑張るから、理央に教えて欲しいなぁ』



彼女が離れていくとか、もうそういうレベルの話じゃなくて。



僕から“離れられなくなっていく”の、間違いだった。



それからというもの、行動範囲が増えた玲央奈はほぼ毎日僕の家に来ていた気がする。



宣言通り猛勉強をする玲央奈に教えしたり、ゲームをしたり。



そんなふうに過ごしていたら、いつの間にか僕が高校に上がっていて、玲央奈が同じところに受験を決めた。



こんな生活がいつまで続くのだろうか。



玲央奈の依存を止めないといけないのに、中々できない日々。

この先の不安を感じていた。



そして、玲央奈も無事合格した直後のこと。



自宅療養だと言って学校を休んでいたあの期間が…僕の運命を変えたのだ。



担任以外の教科の先生に呼び出されて学校に行き、よく行っていた今はもう使われていない視聴覚室に立ち寄ろうとして…目を奪われた。



僕より先に視聴覚室へと入っていく黒髪ロングの美少女。



胸が妙にザワついて、血が騒ぐ感覚。



『(…ちょっとだけならいいよね?)』



いけないことだと思いつつ、彼女の動向を伺っていたら…棚から一つの小瓶を取り出した。



恐る恐る蓋を開け、ポケットから白い粉が入った袋をまた取り出してその小瓶の中に移し替える。



『…あともう少しね』



呟き、瓶を元の位置に戻してから視聴覚室を去っていった。



『(あれはなんだったんだろう)』



吸血鬼は人間よりも色々な面で遥かに強いため、多少の毒くらいでは死なない。



疑問に思った僕はさっき彼女が手にしていた小瓶の中身が気になり、迷わずぺろりと舐めた。



『(っ、これは…!)』



白い粉の正体…それは、粉状の睡眠薬だった。

さすがに見逃すことのできない状況を前にして、瞬時に思考を切り替える。



『(…彼女を救おう)』



言うまでもなく、名前も知らないあの子を救済することだけが頭を埋め尽くした。



そもそも自宅療養というのは真っ赤な嘘だ。



玲央奈が引っ越しをするからという理由で手伝いをしたり、寂しくなるから一緒にいる時間を増やしたいという過去最大級の我儘に付き合っていただけ。



生徒や先生たちの目をかいくぐって視聴覚室に行き、小瓶の中身を砕いたラムネに交換する作業が始まった。



最初はどうしてこんなに彼女を救おうとしているのか自分でも分からなかったけど、気がつけば僕は…薫子の虜になっていた。



毎日苦しそうな顔で小瓶に薬を入れるのに、昼休みに姿を見たらそれを微塵も感じさせない笑顔を見せていて。



『(…なんて、不器用なんだろう)』



自分が弱っているところを他人に見せられない。



見せてはいけないと強く思っているから、毎日あんな真似をしているのか。



玲央奈に感じた庇護欲とは全く別の感情。



あの子の本当の笑顔を守りたい…そしてあわよくば、それを僕にだけ向けて欲しいとさえ思った。



そうして薫子が計画を実行しようとした時、僕が止めたんだよね。



それで契約をして…と言いたいところだけど。



「本当は契約なんて無いって言ったら、薫子怒るかなぁ…」



契約だとか言って薫子を引き止めたくせに、実は契約自体が存在しないのだ。



吸血鬼と人間の間に結ばれる秘密の契約なんて、ファンタジーしか有り得ない。



それでも僕は、薫子を繋ぎ止めるのに必死で。



あの白くて綺麗な首筋に、傷をつけた。



…こんなことを知られてしまったら、嫌われてしまうに違いない。



でも、いつかは話さないといけないこと。



それを伝えるはずだったのに、玲央奈があのカフェで働いていたから薫子と変な別れ方をしてしまった。



「…明日ちゃんと話そう」



僕を吸血鬼だと知っても引かず、対等に接してくれる優しくて世界一可愛い薫子。



そんな君を、誰よりも心の底から愛しているって。



わかってもらえるまで、何度でも伝えるから。

「「あ…」」



教室に戻る際、あの子と廊下ですれ違ってしまった。



なんて嫌なタイミングなの…。



上履きを一瞥すると、一年生だということが判明した。



それより何より、同じ高校だったという事実に驚きを隠せない。



「「……」」



二人の間に気まずい沈黙が流れる。



さっきは応援してくれていた翼も、薄情なことにそそくさと去っていった。



このままスルーすべき…?



この場をどう切り抜けるか全く見当もつかないでいると、ずっと目を逸らし続けていた彼女が私を真っ直ぐに見てきた。



「…昨日は、ごめんなさい」



「…え?」



…どういう風の吹き回し?



バツが悪そうに謝罪の言葉を告げる彼女は、昨日とまるで別人。



「初対面で、しかも先輩だったのに…玲央奈、あれから大反省した」



上っ面だけの、取り繕われた言葉を並べただけでは無いとわかる。



ふふ、昨日はあんなにことを言っていたけどいい子じゃない。



少し彼女のことを誤解していたのかもしれない…と私も反省していたら、もう調子を取り戻したと見受けられる彼女が衝撃的事実を口にした。

「私、理央のこと好きとかそんなんじゃないから安心してよね」



「へ…え、は…?」



開いた口が塞がらない。



まさに今、そんな顔をしていると思う。



「拗れる前にさっさと告白でも何でもすれば?ま、どーせ結果は目に見えてるけどー」



「な…そ、それってどういう、」



「じゃ、そゆことだから。頑張ってね?センパイ♡」



い、言い逃げなんて卑怯よ…!



最後は彼女お得意の、語尾にハートがつくくらいの可愛さで有無を言わさず去っていってしまった。



…でも、これで悩む必要は何も無いわ。



昨日から抱いていた不安が一つの無くなり、少し安堵する。



あとは理央に想いを伝えるだけ。



意を決して教室に行くと、先に戻った翼が私を見てほっとしていた。



自分の席に目をやると、着いたばかりの理央がこちらにやって来て。



「おはよう、玲央奈」



いつもと変わらない柔らかな表情で話しかけてきたから、私も同じものを返す。



そして、バクバクうるさい心臓を抑えながら言った。



「理央…私、理央に伝えたいことがあるの」

緊張と不安が混ざり合って、自然と手に汗を握ってしまう。



でも…理央の瞳がゆらりと揺れた後、穏やかな笑顔のまま頷いたから。



「…うん、僕も同じこと言おうと思ってた」



昼休みになるまで、異常なほどに冷静でいられた。





「…ここ、は」



理央に連れられて来た場所は、まさかの旧・視聴覚室。



昼休みに入ったけれど、ここに来るまでお互い無言だった。



少し冷静だったとはいえ、さすがに告白するとなるとそうもいられない。



じゃあ、理央は?



「…ごめんね。薫子にとっては、嫌な場所かもしれないのに」



申し訳なさそうに眉を下げる理央は、大していつもの変わらない…ように見える。



「でも、ここじゃないとダメだと思ったんだ」



「…どういうこと?」



何となくわかるような、わからないような。



理央の言葉を正確に読み取れなくて聞き返すと、彼は唇をきゅっと結び悲しそうに目を伏せた。



「…ごめん、薫子」



…それは、何のことへの謝罪?



この数分間に立て続けの謝罪をされて、余計な不安が募る。



でも、それは杞憂だったらしい。