「たまにはサボっても許されるって。体調不良とでも言っとけば、先生も薫子に免じて許してくれると思うけど?」
「えぇっ!?だ、ダメよそんなの…!」
そんなことしたら不良じゃない!
「これだから真面目ちゃんは…。いい?嘘も方便!これ常識だから」
「もうっ、翼!!」
断固反対の私は、また無理やり引っ張られてしまったのである。
…翼の馬鹿力。
翼の腕力を侮らないようにしようと、心に刻みながら大人しく連れていかれた。
*
「言うのが遅すぎなんだよ薫子のバカ!」
「ば、バカ…!?」
全てを翼に話し終え、聞こえた第一声はそれだった。
「話し合いしな。これ一択」
簡潔な解決案がすぐに出てきて、私は目をパチパチと瞬かせる。
「話し合い…?」
話し合うって言ったって、何をどう話し合えっていうのかしら。
「…だって、薫子は御影が好きなんでしょ?」
「そ、それは…そう、だけど」
う…改めてこう聞かれると少し恥ずかしいわね…。
翼の直球な質問に狼狽えてしまい、顔が熱くなる感覚がした。
「それで、御影も薫子のことを好きって言ってる」
「でもあの玲央奈って子が…」
あんな可愛い子がそばにいて、私を選ぶなんて有り得ないと思ってしまう。
「今は御影の言葉を信じるしかないんじゃない?」
「……」
たしかに、翼の言うことはもっとも。
私があの二人の関係を想像したところで、問題解決にはならない。
直接聞いて確かめることが最優先なのかも。
「…そうね、翼の言う通りよ。理央と話し合ってみるわ」
「ん、それがいいと思う」
翼が相槌を打ったところで、ちょうど一限目が終わるチャイムが鳴った。
でも、翼は言い足りなさそうにこちらをじっと見てくる。
…?どうしたのかしら?
「…あと一個、これだけ言わせて」
「え、まだ何か……って痛っ!?」
突如襲った頭の痛みに、思わず声を上げてしまった。
「ちょっと何す──」
翼からげんこつをされたのだと気づき、抗議しようとしたけれど…出来なかった。
翼が目尻に涙を溜めて、唇をきゅっと結んでいたから。
翼の怒りを、瞬時に察した。
「御影が吸血鬼とか、玲央奈って子が凄い可愛い子だとか、心っ底どうでもいいけどさ!」
初めて聞いたであろう、怒りをあらわにしている感情のこもった声が脳天に響く。
「っ薫子がいなくなるだなんて、私が絶対許さないから!!」
「…っ!」
その怒りは、これ以上ないくらいの”愛“だった。
「薫子がそんなこと思ってたなんて全然気づかなかった。それが、悔しい。毎日一緒にいたのに…っ」
目から零れ落ちた涙が頬を伝って、ぽたぽたと地面に落ちていく。
震える翼を引き寄せて、ぎゅっと強く抱き締めた。
「翼…ごめんなさい。でも、もう大丈夫よ。翼をこれ以上悲しませたくないもの」
「うぅ〜っ、約束だかんね!?破ったら針千本どころじゃなくて、百万本飲ますから!!」
「ひゃくま…えぇ、約束するわ」
嗚咽をあげながら泣く翼の背中をさすり、強く頷く。
結局私たちは、二限目が終わるまで授業をサボって移動してきた屋上にいた。
そして、翼が泣き止んだ頃。
「あれ…もしかして、御影じゃない?」
「っ!」
屋上から見えたのは、玲央奈さんと歩く理央の姿。
授業はもうとっくに始まっているというのに、二人揃って遅刻してきている。
「…頑張れ薫子。ちゃんと話し合うんだよ」
「…頑張るわ」
これから教室に戻って理央に話を聞かないとね。
そして…昨日言えなかった理央への気持ちを伝えたい。
貴方のことが大好きだって。
「ねぇ理央?明日も一緒に登校してくれるよね?」
猫なで声を出して僕の腕に絡みつく彼女は、小鈴玲央奈。
「ちょっと、聞いてる?」
気分の浮き沈みが激しく、相手によって態度を変える。
自分の思い通りにいかないと駄々をこねるような我儘っぷりは、昔から相変わらずだ。
「…もうやめよう、玲央奈」
「…は、何言ってるの理央。私がどうなってもいいわけ?」
今いる場所は玲央奈のマンションの入口前。
玲央奈の声がワントーン下がった。
…その手は通じないよ、玲央奈。
今までだったら、きっと彼女の望むままにしていただろう。
でも…僕には愛してやまない人がいる。
玲央奈を避けるのに、それ以外の理由など必要ない。
「これ以上一緒にいたって苦しいだけ。本当は気づいてるんでしょ?」
「っ…」
玲央奈は顔を酷く歪ませ、伏せるように俯いた。
“あの頃”から俯くことを良しとしなかった従姉妹が、泣きそうな顔で歯を食いしばっている。
そう…小鈴玲央奈は、僕の従姉妹にあたるのだ。
*
帰り際「明日だけは一緒にいて」とあの表情で言われてしまったため、仕方なく了承した。
正直、長く続いたこの関係に終止符を打つ事が出来てほっとしている。
帰路に着く僕の口から、小さなため息がこぼれたのがその証拠。
薄情かな?でも…これは紛れもない本音。
だって、玲央奈は僕に依存していたから。
玲央奈が僕を、異性として「好き」だと言ってきたことは今までで一度もない。
甘えた声で触れてきたりなんてことはよくあったけど、本当にそれだけ。
僕に告白してくる子たちとは、視線も言葉も何もかもが違うんだ。
そして…そういう風にしてしまった原因は、他の誰でもない僕にある。
日が沈み、夕日が傾くのを見届けながらふと昔のことを思い返した。
『…みんなね、玲央奈のこと嫌いなんだって』
俯き気味で、背中を丸めながら。
『理央兄も…玲央奈のこと、嫌い…っ?』
小学一年生の小さな身体を震わせて、目に涙をいっぱい溜めたまま聞いてきた。
一つ年上である僕の庇護欲が、初めて湧いた瞬間だったと思う。
幼稚園の時、自分が吸血鬼であることを明かしてから周りの態度が変わった。
化け物を見るような目が幼い僕を突き刺さして、いないものとして扱われる日々。
幼稚園生にして人間関係が嫌になった。
それは小学校に入っても特に変わらなくて。
あまり人と関わらないように、自分が傷つかないように…必死に心を守っていた。
それから一年が経って二年生になった頃、玲央奈と出会った。
僕の両親は吸血鬼ではなかったけど、祖父がそうだったたから隔世遺伝というやつだろう。
叔父の子供…従姉妹の玲央奈も同じだった。
友達に自分の正体がバレてしまったことから、虐められるようになったらしい。
僕と玲央奈は吸血鬼であり、境遇もほとんど一緒。
『ううん、僕は玲央奈の事が好き。だって、僕も玲央奈と同じだもん』
僕が自分の境遇を話して、彼女の味方であることを伝えたら…それはもう、すぐに懐いてきて。
『ほんとっ?えへへっ、嬉しい!』
年相応な可愛らしい少女の笑顔が、僕を照らした。
でもそれは、やっぱり保護対象でしかなかった。
この子を守ろう、という僕なりの決意。
僕の家とは一駅分の距離くらいしか離れていなかったため、玲央奈は度々僕に会いに来るようになった。
玲央奈は自分を変えると言い出して、見た目はもちろん、中身も徐々に変わっていったような気がする。
あれは…玲央奈が中学に上がってすぐのことだったかな。
『理央っ、見て見て!玲央奈のとこの制服めっちゃ可愛くない!?ってゆーか、似合いすぎて自分でびっくりしたんだけど!』
今とほとんど変わらない、彼女が追い求めていた「理想の女子」。
背筋はピンと伸びていて、胸を張って歩くその姿は自信に満ち溢れている。
髪もメイクも服装も、何もかもが完璧で。
『…おめでとう玲央奈。よく似合ってるよ』
あぁ、この子はもう僕の手なんて握る必要もなくなったのだと感じた。
でも、寂しさよりも嬉しさが上回ったから、普通に喜ばしいことだと思っていたんだけど。
『でしょー?これで理央が、玲央奈といて恥ずかしい思いすることも無くなるの。超頑張っちゃった』
『…え?』
頭が真っ白になった。
玲央奈が変わったのは、全て自分のためだと思っていた。
もういじめられないように、もっと可愛い自分になるために。
でも…蓋を開けたらどうだろう。
自分のためではなく、あくまで“僕のため”だと言っているように聞こえた。
しかも、僕は玲央奈を元々妹のように可愛がっていたつもりだし、迷惑なんてかけられた覚えはさらさらない。
『中学は別々だったけど、高校は一緒になれるよねっ?勉強も頑張るから、理央に教えて欲しいなぁ』
彼女が離れていくとか、もうそういうレベルの話じゃなくて。
僕から“離れられなくなっていく”の、間違いだった。
それからというもの、行動範囲が増えた玲央奈はほぼ毎日僕の家に来ていた気がする。
宣言通り猛勉強をする玲央奈に教えしたり、ゲームをしたり。
そんなふうに過ごしていたら、いつの間にか僕が高校に上がっていて、玲央奈が同じところに受験を決めた。
こんな生活がいつまで続くのだろうか。
玲央奈の依存を止めないといけないのに、中々できない日々。