吸って愛して、骨の髄まで


「好きとかそういうのを全部飛び越えて…愛してるんだ、薫子のこと。だから多分、もう一生手放せない。何があっても、必ず僕のものにしてみせるから…覚えておいてね」



もう、理央しか見えなかった。



それはまるで、魔法にかけられたみたいに…理央しか見たくないと、全身が叫んでいるようだった。



「っ…なに、言って…」



「そういうことだから…また明日ね、薫子」



動けなかった私の頬にキスを落として、どこかに消えてしまった理央。



「っ…なんなのよ、もう…」



結局なにも聞くことが出来ず、わからないことだらけのまま帰路についたのだった。





理央があんなこと言ってきたおかげで、昨日は全く眠れなかった。



「愛してる」だとか…簡単に言わないで欲しい。



だって…“愛”は脆いから。



神父の前で、神様の前で愛を誓っても…それは単なる口約束に過ぎない。



約束なんて、破ろうと思えばいくらでも破ることが出来るもの。



私はそれを、誰よりも知ってる。

…少し悲観しすぎかしら。



女子高生とは思えないほどに現実的思考をしてしまう自分に嫌気がさして、自然とため息がこぼれる。



「はぁ…」



「幸せ逃げちゃうよ?」



「そんなのとっくに逃げて…」



……え??



「なっ…り、理央…!?」



「あははっ、おはよう薫子。驚いた顔もかわいーね?」



上から声が降ってきて顔を上げると、そこにはニッコリ微笑む理央がいた。



「な…んでここに理央が…!?」



浮かんだ疑問がそのまま飛び出し、クラスメイトたちは理央の存在にザワつく。



理央一人だけが平然とそこに佇んでいた。



「なんで…って、もしかして知らなかったの?」



「知らなかった…?それってどういう…」



さっきから理央の言っていることの意味が全くわからなくて戸惑いを隠せない。



それは私だけではなくて、クラスメイトたちも皆同じなのだろう。



私たちへの視線がこれでもかというくらい突き刺さる。



そんな時、教室の前の扉がガラッと開いた。

「みんなおはよう〜。SHR始めるから席に着いてねー…って、あら…?そこにいるのって、もしかして御影くん?」



入ってきたのは私たちのクラスの担任教師だったのだけれど、何か違和感を覚える。



…先生が理央のことを知ってるのはどうして?



「まぁ!やっぱり御影くんなのね!お家で療養中とだけしか聞いていなかったから、とても心配していたのよ?」



「すみません、先生…心配をおかけしました。でももう大丈夫です。少し貧血気味なだけなので」



「そう?ならいいけど…何かあったら言ってね?」



「はい、ありがとうございます」



先生と理央の2人だけで話が完結してしまい、私含めてその場にいる全員が困惑する。



でも…どういう状況なのか何となくわかった気がするわ。




会話の端々から聞き取れたこと…それは僅かなものだったけれど。



お家で療養中、貧血気味。



理央はもしかしたら…

「あ、そういえば皆にはまだ話せてなかったわね!彼は御影理央くん。私たちのクラスメイトよ!」




「…え?ウソ!?」



「このイケメンが!?!?」




「なんかよくわかんないけどやったー!」




先生の言葉に皆は一瞬ぽかんとしてから、次々と歓喜の声を上げ始めた。



本当に、理央が私たちのクラスメイト…なのね。



未だに信じることができない中、理央は微笑を浮かべて口を開いた。



「みなさんはじめまして。少し体が弱くて自宅療養中だったんですけど、今日から登校が可能になったのでようやく来ることが出来ました。これからよろしくお願いします」



絵に書いたような優等生を演じる理央を見た女子たちの黄色い悲鳴が、より一層湧き上がる。



でも、私は正直違和感しかない。



だって理央…ものすごい猫被ってない?



たしかに、理央を初めて見た時はとても驚いた。



絵本から飛び出してきた王子様を彷彿とさせる甘いフェイスに、スラリと伸びた長い手足と白い肌。



はたから見たら、どこかのアイドルかモデルに間違われてしまいそう。

理央の方をチラリと見ると、まだ爽やかイケメン風のオーラを纏っていた。



…なんだか気味が悪いわね。



全くの別人のように話す理央を見て、若干鳥肌が立つ。



「じゃあみんな、これでSHRは終わりね?いつもならこれから私の授業だけど、この後出張だから自習になるの。御影くんは…そうね、何か困ったことがあったら委員長の美崎さんに聞くといいわ。席も美崎さんの隣にしておくわね?」



え?ちょっと、先生なに言って…。



さも当たり前といった感じで先生は私の方を見てきて、ギョッとする。



「はい、わかりました」



理央は理央で、今までで一番と言えるほど満足気にニッコリしている。



…私としては、ほくそ笑んでいるようにしか見えないのだけれど。



そうしてSHRの終わりを告げるチャイムが鳴り、先生は足早に教室を出ていった。



それからまた約五分後、一限目が始まる合図のチャイムが鳴ってすぐ。




「ねぇねぇ薫子、今日の放課後って暇だったりしない?」

「……」



「ほら、あの駅前に新しく出来たっていうカフェあるでしょ?行ってみたいんだよね〜」



先生が言っていた通り自習となったため、黙々と自習をする生徒や机に突っ伏して寝始める生徒がいる中、理央はベラベラ喋りまくっていた。



さっきの猫はどこに行ったのよ!?



普通に勉強をしたい私にとって、今この状況は地獄。



理央がひっきりなしに話しかけるせいで、捗るものも捗らないのだから。



しかも、周りの席の生徒たちが寝ているから油断しているのか、爽やかイケメンオーラも消え去っている。



…何よ、一人で好き勝手話しちゃって。



周りの目も気にせず喋る理央を横目に、私は不満を募らせていた。



その原因は他でもない理央にある。



どうして?だなんて、聞く方が野暮だわ。



さっき先生が言っていた自宅療養中だとか、理央本人の貧血気味という発言。



今は被っていない猫をクラスメイトの前で被る理由も、何もかもわからないことだらけで話したいことは山ほどあるというのに…。

「それともやっぱり、学校近くにある喫茶店がいい?チーズケーキが美味しいって有名なんだって。薫子はどこがいいと思う?」



そんな私に気づきもせず、カフェや喫茶店に誘ってくる始末。



私のことは散々話せと言ってきたくせに、自分のことは一向に話そうとしないし。



『好きとかそういうのを全部飛び越えて…愛してるんだ、薫子のこと』



昨日のことだって…無かったことにしようとしてるんじゃないの?



そう思うと、何故だか胸が締め付けられて、無性にイライラして…。



「…貴方は、何も話してくれないのね」



どうしようもなく、哀しくなったの。



「…薫子?」



「っ…」



自分で言って後悔した。



何を言っているのだろう、と。



そう頭ではわかっているのに、ひとつ零れてしまったらどんどん溢れてきてしまう。



「だって、理央のこと…私は何も知らないじゃないっ…。そんなの不公平よ…っ」



誰かに聞かれたら不味いということだけは頭にあり、幸か不幸か、理央にしか聞き取れないくらいの小さな声が僅かに漏れた。

「…それってもしかしなくても…僕のこと、知りたいって思ってくれてるの?」



まさに青天の霹靂、と言わんばかりの顔で聞き返してきた理央。



「っはぁ…?貴方、それ本気で言って…」



「本気で言ってるの?」と言いかけて、口を噤んだ。



「…へへっ、嬉しいなぁ」



私を翻弄してからかう理央でも、猫を被って優等生を演じる理央でもない。



自分に興味を持って貰えて喜ぶような“年相応の男子高校生”が、私の目に映る。



「っ…!」



目尻を下げてはにかむ理央を、とても愛おしく感じてしまって。



…この気持ちは、なんなの?



胸の奥のがきゅんと疼いて、理央を見つめるだけでもドキドキうるさい。



だけど、どこか心地いいと思えるほどに落ち着いている自分もいる。



誰かのことを愛おしいと思ったことは、生まれてこの方一度もない。



まさか、これが…?



私の知らない感情が、芽生える音がした。



自分の中に芽生え始めた気持ちを自覚しそうになったとき、穏やかな理央と目が合った。



胸がぎゅっと締め付けられて、心拍数が上がる感覚。

なんとか平然を装い、話し出す雰囲気の理央をじっと見つめた。



「薫子が知りたいのなら、なんでも話してあげる。でも…一つだけ、お願いがあるんだ」



理央の瞳がゆらりと揺れて、僅かに曇る。



でも、その瞳に宿る光が私を照らしてくれてることは確かで。



「…お願い?」



「何を知っても、僕から離れていかないで」



どんなことを言われたとしても守りたいと、心から思った。



昨日はこの世から消え去ろうとしていた私が、誰かを恋しく想っているのだとしたら…。



「だから放課後は、ちゃーんと空けといてね?一緒に放課後デートしよ」



きっと、どう足掻いたって貴方の傍を一生離れられなくなる気がする。



…そんな予感がするって言ったら、笑われてしまうかしら。