吸って愛して、骨の髄まで


「あ、薫子おはよ…って、何そのクマ。随分と酷い顔してるけど」



「…おはよう翼。ちょっと色々あったのよ」



「ふーん…色々、ね」



いつも通りに登校して教室に向かうと、親友が訝しげな表情でこちらを覗いてきた。



…さすが翼、鋭いわね。



彼女の名前は朝生翼(あそうつばさ)



我が親友ながら洞察力に長けていて、何事にも動じない冷静さを持つ。



良くも悪くも達観している人…といった感じかしら。



あまり人付き合いが好きな方ではなく、私以外と話しているところを見ることは滅多にない。



中学からの付き合いということもあり、彼女は感情が表に出にくいだけというのは勿論わかりきっているため、特に何も思わないけれど。



何を考えているのかわからない、怖そう、付き合いにくい…そう言われることもしばしばある。



私的にはもう少し笑ったりした方が誤解も晴れるし…何より可愛いと思うのだけれど。




「…なに?私の顔も、なんか変なとこある?」

「いえ…なんでもないわ。少し寝不足なのかも」



「今日一限目自習っぽいし寝ちゃえば?まぁ、怒られても自己責任でよろしく」



「……」



といった感じで、私に対してもつっけんどんだったりする。



でも…そんなところが翼らしくて、可愛いところのひとつでもあるの。



ずっとこんな私のそばにいてくれて、悲しい時にはそっと肩を支えてくれる…本当に大好きで大切な親友。



…私、そんな親友を置いて行こうとしていたのね。



自分の席に着いてから、もう一度昨日のことを思い返す。



彼と…理央と契約を交わした昨日のことを。





「…うん。これで薫子は、晴れて僕の契約者だよ。身体に変化はない?大丈夫?」



「えぇ…特に何もないと思うわ」



理央の腕の中でみっともなく泣きはらした後、もう一度吸血された。



24時間以内に同じ人間の血を吸うことで、彼ら吸血鬼たちと人間との間に契約が結ばれると言う。



契約と言われて何をされるのかと思っていたけれど、それは案外あっさり結ばれて少し拍子抜け。

他に何か大事なことがあったりしたら、聞いておいた方がいいわよね?



契約というには、何かしらの縛りがあったりするはず。



「えっと、御影…だったかしら」




さっき彼が自己紹介した時に口にしていた名を思い出してそう呼んだら、やれやれと肩をすくめた。



「やだなぁ、契約を交わした相手を苗字呼びなんて。理央って呼で欲しいなぁ…」



し、下の名前…ってこと?



私は男性経験がほとんど皆無のため、異性を下の名前で読んだことは小学生の時以来一度もない。



吸血までされたのに何を言っているのだと言われても、それはそれ、これはこれである。



「なんで…」



「ね、いいでしょ?」



「ぅ…」



期待に満ちた眼差しを向けられ、断わろうとした言葉を飲み込んでしまった。



こ…こんなキラキラした目で見られたら、断るなんてできっこないじゃない…!



「り、りお…」



断る術はなく、勇気を振り絞って声を出した。

慣れないことをしているからか、恥ずかしさのあまり顔に熱が集中していく。



は、恥ずかしすぎて死んじゃう…!



俯き気味だったけれど、なんとか呼ぶことができてよかった…と安堵していたら。



「ん〜?聞こえないよ?今度はもうちょっと大きい声で言ってみよっか」



悪魔のような意地悪い笑みを浮かべた理央が言った。



絶対聞こえてたくせに、この男…!



さっきはもっと小さい声を拾ったくせして、何をほざいているのかしら…!?



怒りと羞恥心が沸点に達して、元々熱かった頬がさらに熱を帯びる感覚がした。



もう、どうにでもなればいいわ…!



「〜っ理央…!!これで満足!?」



自分の状態など気にしていられなくなった私は、ヤケクソ気味に叫んだ。



かなり大きい声を出したから、もう「聞こえなかった」なんてほざけないはず。



そう思っていても、内心何を言われるか少し不安で、なかなか理央の顔が見れずにいると。



「っあー…うん、大満足です…」



一瞬目を見開いてから、すぐに顔を手で覆い隠してしまった。

……え?なによ、その反応…。



どうせニコニコ笑って私をからかうのだとばかり思っていたのに…。



隠しきれていない長めの耳は、ほんのり赤く染っている。



そんな理央が心配になって近づいてみると…



「り、理央?一体どうし…って──…っ!?」



いきなり引っ張られて、またもや彼の腕の中にすっぽり収まってしまった。



わけがわからず、意味のわからないことをする理央に段々と腹が立ってくる。



さすがに自由人すぎるわ…!



何か一言言ってやらないと気が済まない!



そう思いながら理央を見上げて口を尖らしたのが、いけなかったのかもしれない。



「もう!いきなり何して…!」



「ねぇ、薫子」



私を呼ぶ声に、色を感じた。



「さっき僕…言ったよね。薫子に惚れちゃったって。好きで好きでたまらない…って」



今までとは比べ物にならないくらいに、言葉に熱が篭ってる。



「でも僕、気づいちゃったんだけどさ…」



理央の目を見るのが怖いのに、寸分たりとも逸らすことが出来なくて。

「好きとかそういうのを全部飛び越えて…愛してるんだ、薫子のこと。だから多分、もう一生手放せない。何があっても、必ず僕のものにしてみせるから…覚えておいてね」



もう、理央しか見えなかった。



それはまるで、魔法にかけられたみたいに…理央しか見たくないと、全身が叫んでいるようだった。



「っ…なに、言って…」



「そういうことだから…また明日ね、薫子」



動けなかった私の頬にキスを落として、どこかに消えてしまった理央。



「っ…なんなのよ、もう…」



結局なにも聞くことが出来ず、わからないことだらけのまま帰路についたのだった。





理央があんなこと言ってきたおかげで、昨日は全く眠れなかった。



「愛してる」だとか…簡単に言わないで欲しい。



だって…“愛”は脆いから。



神父の前で、神様の前で愛を誓っても…それは単なる口約束に過ぎない。



約束なんて、破ろうと思えばいくらでも破ることが出来るもの。



私はそれを、誰よりも知ってる。

…少し悲観しすぎかしら。



女子高生とは思えないほどに現実的思考をしてしまう自分に嫌気がさして、自然とため息がこぼれる。



「はぁ…」



「幸せ逃げちゃうよ?」



「そんなのとっくに逃げて…」



……え??



「なっ…り、理央…!?」



「あははっ、おはよう薫子。驚いた顔もかわいーね?」



上から声が降ってきて顔を上げると、そこにはニッコリ微笑む理央がいた。



「な…んでここに理央が…!?」



浮かんだ疑問がそのまま飛び出し、クラスメイトたちは理央の存在にザワつく。



理央一人だけが平然とそこに佇んでいた。



「なんで…って、もしかして知らなかったの?」



「知らなかった…?それってどういう…」



さっきから理央の言っていることの意味が全くわからなくて戸惑いを隠せない。



それは私だけではなくて、クラスメイトたちも皆同じなのだろう。



私たちへの視線がこれでもかというくらい突き刺さる。



そんな時、教室の前の扉がガラッと開いた。

「みんなおはよう〜。SHR始めるから席に着いてねー…って、あら…?そこにいるのって、もしかして御影くん?」



入ってきたのは私たちのクラスの担任教師だったのだけれど、何か違和感を覚える。



…先生が理央のことを知ってるのはどうして?



「まぁ!やっぱり御影くんなのね!お家で療養中とだけしか聞いていなかったから、とても心配していたのよ?」



「すみません、先生…心配をおかけしました。でももう大丈夫です。少し貧血気味なだけなので」



「そう?ならいいけど…何かあったら言ってね?」



「はい、ありがとうございます」



先生と理央の2人だけで話が完結してしまい、私含めてその場にいる全員が困惑する。



でも…どういう状況なのか何となくわかった気がするわ。




会話の端々から聞き取れたこと…それは僅かなものだったけれど。



お家で療養中、貧血気味。



理央はもしかしたら…

「あ、そういえば皆にはまだ話せてなかったわね!彼は御影理央くん。私たちのクラスメイトよ!」




「…え?ウソ!?」



「このイケメンが!?!?」




「なんかよくわかんないけどやったー!」




先生の言葉に皆は一瞬ぽかんとしてから、次々と歓喜の声を上げ始めた。



本当に、理央が私たちのクラスメイト…なのね。



未だに信じることができない中、理央は微笑を浮かべて口を開いた。



「みなさんはじめまして。少し体が弱くて自宅療養中だったんですけど、今日から登校が可能になったのでようやく来ることが出来ました。これからよろしくお願いします」



絵に書いたような優等生を演じる理央を見た女子たちの黄色い悲鳴が、より一層湧き上がる。



でも、私は正直違和感しかない。



だって理央…ものすごい猫被ってない?



たしかに、理央を初めて見た時はとても驚いた。



絵本から飛び出してきた王子様を彷彿とさせる甘いフェイスに、スラリと伸びた長い手足と白い肌。



はたから見たら、どこかのアイドルかモデルに間違われてしまいそう。