吸って愛して、骨の髄まで


「じょ、冗談言わないで…!私のことなんて、なにも知らないくせに…っ!」



「だから言ってるんじゃん。まずはお互いのことを知るべきだよ。話はそれから」



「必要ないのよそんなもの…!だいたい貴方に話す義理なんてな───」



「なら作ろうか。その義理ってやつを…今、ここで」



彼は言葉を遮り、頬にあった手のひらを滑らせて私の髪の毛をサラリと持ち上げた。



「な、なに言って──…っ!」



ハッとした時にはもう、遅かった。



首にチクリとした痛みが一瞬襲い、柔らかい何かが押し当てられている。



「…っな、にを…してるの…っ?」



「……」



返事はない。



その代わり、彼の方からごくごくと喉越しが伝わってくる。



ただわかるのは、首に感じる僅かな痛みと。



「…美味しかったよ、薫子。ごちそーさま。これで晴れて契約ができるよ」



彼が…御影理央が、吸血鬼だということだけだった。

私の両親はどちらも、エリート街道を突っ走ってきたような人達だった。



小さい頃から成績優秀だったらしく、真面目な性格と努力を買われて有名企業に入社。



その後父は専務取締役、母は常務取締役にまで上り詰めた後に私を授かった。



それは二人が昇格して間もない頃。



これからどう上手く働くかで今後の出世にも関わる…そんな大事な時期だったという。



母は育児休業を余儀なくされ、父だけが働くこととなった。



…多分、そこから二人は変わってしまったのだと思う。



そもそも父と母は、恋愛結婚ではなくお見合いを経て結婚に至った。



二人の間に愛はなく、互いがいることによって生まれる利益だけを求めていた。



…もうその時点で私には理解ができない。



とにかく、祖母たちに「まだ結婚はしないのか」と言われるのを避けるために、上手くやっているはずだったのだけど。



『だから言ったのよ!私は子供なんか欲しくないって…!』



幼かった私の耳に入ってきたあの言葉は、今でも覚えてる。



泣き崩れる母の姿を冷たく見下ろす父。

それを扉の隙間から除く小さな私。



自分が望まれた子ではなかったということを、その時に知った。



そして悟った。



あぁ、この二人は私を愛していないのだ…と。



育児休業を終えて会社に復帰しても、母は以前のように働くことが出来なくなり、父はそんな母を激しく責めた。



今思えば、母よりも父の方に原因があったのだろう。



やがて母はホストに逃げて貢ぎまくり、父は父で外に女を作った。



家庭は徐々に崩壊していき、私が幼稚園に通っている頃。



『薫子ちゃんのお母さんとお父さんが事故にあったって…』



青ざめた先生の顔もきっと忘れられない。



その時の私の心情も、忘れてなどいない。



(お母さんとお父さん、死んじゃったんだ…でも…なんでだろう?ぜんぜん悲しくないな)



家庭が壊れて行くにつれて、私の中の親という存在すらもが崩れていたの。



それから私は地元を離れ、母の遠い親戚の家に預けられた。

私の親代わりとなって育ててくれた“お母さん”と“お父さん”は、私を本当の子供のように大切に育ててくれた。



もちろんそれは今も変わらず、愛されていると自覚できるほどに家族として接してくれている。



子供ができないことを悩んでいた二人は、喜んで私を家族に迎え入れてくれた。



小学校でも中学校でも周りに恵まれ、今では親友と呼べる友人だっている。



あの冷たい空気を纏った場所にいた事が嘘のよう思えるくらい幸せな日々。



不満なんて何一つないこの生活が、これからもずっと続いていくのだと確信できる。



でも…日を追う事に私を追い詰めていく。



嫌でも感じる、あの二人の血が。



物心ついた時から大抵の事はなんでも上手くやってこれた。



勉強に運動や芸術…なんでもそう。



コツをつかめば一通りのことはすぐ出来るようになり、要領も良よく、いつしか委員長を任されることが当たり前となっていた。



それだけでは無い。



そっくりなの、あの二人と私。

艶やかな黒髪と白い肌を持ち合わせ、小さく整った顔の母。



高身長でスタイルが良く、つり目が特徴の同じく綺麗な顔立ちの父。



美男美女を絵に描いたような二人の容姿を、そのままそっくり受け継いだ。



私はあんな二人のようには絶対にならない…なりたくない。



でも、そう思っている以上に二人の血は濃くて、それは間違いなく私の中にも流れている。



今はまだ大丈夫と思っていても、いつか二人のような人間になってしまうのかもしれない…って。



そう思うだけで、震えが止まらない。



私を必要としてくれる人たちがいるのは知っているし、私もそれに応えたいと心から思っているけれど。



私がいくら頑張ったって、この血だけはどうしても無くならない…この身体の中から消えてはくれないでしょう…?



それならもういっそのこと…なんて。





「…本気で、そう思っていたの」



「薫子…」



全て話し終えた頃には、私たちの周りだけ重たい空気に包まれていた。



全部話しちゃうなんて…私って馬鹿なのかしら。



あんな渋っていたのに、結局それも水の泡。

でももう、ここまで来てしまったのだから後悔したって後の祭りよね。



「…それで?貴方はこんなつまらない話を聞いてどうするつもり?時間の無駄だった、なんて抜かすんじゃないでしょうね」



そう言いながら彼に視線を向けると、心外そうな顔をして「まさか」と零した。



「そんなこと言うわけないでしょ?話してくれてありがとう、薫子。辛かった…よね」



そして、私よりも苦しそうに顔を歪ませる。




…どうして、貴方がそんな顔するのよ。



「別に…もう過去のことよ」



そう…全部ぜんぶ、もう過去のこと。



今さら過去に囚われるなんて、我ながらどうかしてる。



どうか、してるわっ…。



「っ…」



視界がぼやけ、自分が泣いていることに気がついた。



塞き止めるものは何も無く、目からぼろぼろ溢れる水を拭うことしか出来ないでいたら。



「…薫子は嘘をつくのが下手だなぁ」



暖かい腕の温もりに包み込まれていた。



ムスクの香りが鼻腔を掠め、あまりの甘さにクラクラする。

頭を撫でる優しい手つきも、抱きしめる腕に込められた力強さも…私を弱らせていく気がした。



「っ…や、めて…優しく、しないでっ…!」



抵抗しようと声を振り絞っても、どうしたって敵わない。



顔を上げれば、愛おしいものを見るように私を見る彼がそこにいて。



「…頑張ったね、薫子。今日この日まで、生きていてくれてありがとう。今日からは僕が、薫子を愛すよ。いなくなりたいなんて思わなくなるくらい、大切にさせて欲しい」



「っぅ…ふ、っ…」



嘘とは到底思えないほどに優しい甘さで、私を溶かした。



凍りついた心がゆっくり解れていくような…そんな感覚がした。



「私…怖いの…っ。嫌、なのっ…」



「うん」



「この血が、怖い…っ」



「…大丈夫。僕が吸ってあげるから。嫌な記憶も怖い気持ちも…ぜんぶ、僕が塗り替えてあげる」



「っ…ほんと?」



恐怖と不安を吐き出して、彼の言葉にすがってしまう。



たとえそれが、私をダメにするものだとしても…。



「契約を交わそう。きっと、薫子のためになるはずだから」



「っ、うん…」



頷くことしか出来なかった。

「あ、薫子おはよ…って、何そのクマ。随分と酷い顔してるけど」



「…おはよう翼。ちょっと色々あったのよ」



「ふーん…色々、ね」



いつも通りに登校して教室に向かうと、親友が訝しげな表情でこちらを覗いてきた。



…さすが翼、鋭いわね。



彼女の名前は朝生翼(あそうつばさ)



我が親友ながら洞察力に長けていて、何事にも動じない冷静さを持つ。



良くも悪くも達観している人…といった感じかしら。



あまり人付き合いが好きな方ではなく、私以外と話しているところを見ることは滅多にない。



中学からの付き合いということもあり、彼女は感情が表に出にくいだけというのは勿論わかりきっているため、特に何も思わないけれど。



何を考えているのかわからない、怖そう、付き合いにくい…そう言われることもしばしばある。



私的にはもう少し笑ったりした方が誤解も晴れるし…何より可愛いと思うのだけれど。




「…なに?私の顔も、なんか変なとこある?」

「いえ…なんでもないわ。少し寝不足なのかも」



「今日一限目自習っぽいし寝ちゃえば?まぁ、怒られても自己責任でよろしく」



「……」



といった感じで、私に対してもつっけんどんだったりする。



でも…そんなところが翼らしくて、可愛いところのひとつでもあるの。



ずっとこんな私のそばにいてくれて、悲しい時にはそっと肩を支えてくれる…本当に大好きで大切な親友。



…私、そんな親友を置いて行こうとしていたのね。



自分の席に着いてから、もう一度昨日のことを思い返す。



彼と…理央と契約を交わした昨日のことを。





「…うん。これで薫子は、晴れて僕の契約者だよ。身体に変化はない?大丈夫?」



「えぇ…特に何もないと思うわ」



理央の腕の中でみっともなく泣きはらした後、もう一度吸血された。



24時間以内に同じ人間の血を吸うことで、彼ら吸血鬼たちと人間との間に契約が結ばれると言う。



契約と言われて何をされるのかと思っていたけれど、それは案外あっさり結ばれて少し拍子抜け。