「じゃあ、始めようか」

香澄くんはナイフを手に取り、その切先を自分の首筋に当てる。
プツリと皮膚が切れて、赤い血が滲み出す。

「痛くない?」

「大丈夫」

吸血鬼は怪我には強いっていつも言ってる。
本当に私より怪我の治りが早かったりするから本当に大丈夫なんだろうけど、やっぱり心配になってしまう。

「吐いたらごめんね」

鼻血が喉の方にくると気持ち悪いし、人間は口に血が入ると吐く仕組みだって聞いたことがある。
赤ちゃんのために飲まなきゃいけないのにそうなったらどうしようと不安になりつつ、香澄くんの肩に手をかける。

「吸血鬼を妊娠中は体質が変わるらしいから、大丈夫だよ」

私の心配をくすくす笑いながら、香澄くんは私の髪を撫でる。

「僕がいつもどんな気持ちで君の血を吸っていたか、わかってもらえるのかな」

吸血鬼の気持ち、香澄くんの気持ち。
まだまだ、わからないことだらけ。

「まあ、どうぞ」

私が飲みやすいように、香澄くんは首を傾げて首筋をあらわにする。

ゆっくりと、香澄くんの体内から血が滲み出てくる。
血は、今にもこぼれ落ちそう。

「いただきます」

自然と出たその言葉。
私はこれから香澄くんを食べるんだ。
そう思うと高揚した。

香澄くんの血があふれて、首筋から鎖骨に流れていく。
その赤い流れを舌でなぞると、香澄くんの肩が跳ねた。

鉄くさいはずの血は、花のように芳醇でハチミツよりも甘かった。
これは吸血鬼の血だから?
それとも、吸血鬼にとっては人間の血もこんなに特別な食べ物なの?

私の血も、こんなにも特別な味なのかな。
そうだといいな。

香澄くんの首筋をくわえて、傷から血をすする。

長年、彼が私の首筋に顔を埋めながらこの酩酊感を味わっていたのかと思うとクラクラした。

香澄くんの顔を覗き見ると、目をじっと閉じている。
心なしか、頬も赤い気がする。

血を飲みながら香澄くんの顔にふれると、いつもよりも熱い。
なに? と言うように薄く目を開けた香澄くんに、血を飲みながら笑みがこぼれる。

私が血を吸う香澄くんと同じ感覚を味わっているのなら、香澄くんも血を吸われる私と同じ感覚を味わっているのかもしれない。

そう思うと、ゾクゾクした。

学生時代とは逆転した立場に、お互いの知らない一面を垣間見た気がする。
結婚して一緒に暮らし始めたときもそうだったけど、これからパパとママにもなって、まだまだ知らない香澄くんを知って、私も知られていくんだろうな。

そう思うと、怖いような楽しみなような不思議な気持ちになる。

「香澄くん、ごちそうさま」

香澄くんの血は美味しかった。