「顔を見せろ。俺が好きか」
「好きです……」
「なら見せろ」
「ひどい」
「なにがひどいんだ。俺のほうがあさひを好きなのだから、問題ないだろう」

 あさひは顎をつかまれて、強引に凌士のほうを向かされた。
 潤んだ目で凌士を見つめたあさひに、凌士が相好を崩す。

「好きだ、あさひ」
「わたしもです……」
「俺のほうがさらに入れこんでいる。まいったな」

 凌士が苦笑する。唇を貪られ、肌を合わせられ、あさひは凌士の手によってとめどない快楽に導かれる。

 頭が痺れてふわふわとした浮遊感を覚える。これが多幸感なのかもしれない。
 凌士の鋭くも溶けそうな目に見つめられて、溺れていく。

(やっと、ほんとうの恋人になれたのかも)

 あさひはもう、凌士をそう呼ぶことにためらわなかった。戸惑いもない。むしろ、迷いなく凌士を好きだと思えるのが幸せで。

(好きです)

 その思いが強くなるにつれて、体の反応も艶を増していく。凌士がますます甘くあさひを責め苛む。
 あさひは声がかすれるほど凌士を呼びながら、恋人としての時間を積み重ねていく甘い予感に胸を躍らせる。
 けれど、凌士の思いが甘い予感より先のたしかな未来にあったとあさひが知るのは、それからひと月と経たないうちだった。
 
     *

 まだ社員もまばらな早朝は、貴重な仕事時間だ。
 始業してしまえば、凌士の時間は基本的に部下や仕事相手に使われる。
 そのため、なににも邪魔されずに純粋に自分の仕事ができる時間は、凌士にとってなくてはならないものだった。
 冬の早朝はまだフロア内に空調がいき渡っておらず、しんと冷える。窓の外が白み始めるなか、自席で資料に目を通していると、珍しく役員フロアではなく事業本部のフロアに顔を出した本部長が、凌士の席に目を留めた。

「凌士くんも栞を使うんだ。珍しいね」

 社員からは菩薩と称されている本部長の視線の先には、とんぼ玉のついたブックマーカー。先日、あさひからもらったものだった。

「ええ。最近、使い始めました。本部長もですか?」
「僕じゃなくて、奥さんがね。君のと似た、女性らしい飾りのついたものを愛用しているよ。どれどれ……」

 本部長がブックマーカーを取りあげかけるのを、凌士は横から手を出して阻止する。
 凌士は手元に引き寄せたそれを眺めた。ここ最近のあさひの様子を思い返す。

「おやおや。誰にも触られたくないって、顔に書いてあるね。大事な女性からのプレゼントというわけだ」
「狭量でした」

 否定する気もなく凌士が謝ると、本部長は菩薩の顔をさらに笑みで崩した。