「呼んでくだされば、迎えにいくのに。ちょうど、そうしかけたところだったんですよ。もしくは雨が止んでからにするとか、コンビニで傘を買うとかして……」
「なにを言ってる。待たせたのだから、早く行ってやりたいだろう」

 だしぬけに、胸がきゅうっと甘やかな音を立てた。あさひは凌士の腕をつかんだまま定食屋の軒下まで引っ張る。
 今度は凌士もおとなしくついてくる。軒下に入るとほっとした。

「そんなの、気にしなくてよかったのに」

 あさひは傘を畳んでハンカチを取りだす。腕を伸ばして凌士の顔を拭くと、凌士が頭を屈めた。
 おかげで拭きやすくはなったものの、ハンカチで拭いたくらいでは焼け石に水だ。

「凌士さんのお仕事は理解してますし、これくらいで怒りませんよ」
「そこは怒れ」

 なぜか凌士のほうが不機嫌そうで、あさひは笑いを漏らした。

「必要なときは、ちゃんと怒ります。でも今はそうじゃないですから」
「だが、不安にさせただろう。悪かった」

 濡れ鼠になった凌士が、自分をかまうこともせず眉を曇らせる。背の高い凌士がそうすると、普段の威圧感や堂々とした振る舞いが嘘のようだ。
 まるで、弱った小動物みたいだった。まさか、そんな顔が見られるとは。

 ――とたん、あさひの胸の内を衝動に似た感情がこみ上げた。

 その感情の名前も、もう見て見ぬふりはできないくらいに強くて。

「不安はなかったですけど、心配はしました。だからこれからはちゃんと傘を買うか、わたしを呼ぶかしてください。好きなひとが困ってるかもしれないのに、ただ待つだけなのは嫌です」

「――今なんと言った?」

「だから、傘を買うかわたしを呼んでくださいと」
「その次だ」

 たった今まで力をなくしてうなだれていた凌士の目が、獲物を捕らえた獣のように鋭くあさひを見据えた。
その変わりように驚き、次いであさひはつい笑ってしまう。愛おしい気持ちがあふれてくる。

「好きなひと、です。凌士さん。……好きです。急いでくださって、会えて嬉しい」

 凌士が息をのむ。
 あさひを抱きしめようとして寸前で止め、

「やっと言ったな」

 頭だけ屈めてあさひにキスをした。