「これ、テストサンプルができたんです。」
「これは…アイピロー?」
茉白がテーブルに並べたのはワニや他の動物の形のアイピローだった。
どの動物も顔にあてるとうつ伏せのようになるポーズをしている。
「あの…前に言ってたワニの商品、まだ企画の途中なんですけど…せっかくなので雪村専務や他の男性の方も使っていただきやすいものにしたくて。」
茉白が説明する。
「前に使い捨てのアイマスクを気に入ってくれたっておっしゃってたし、これなら家とか出張先のホテルとかで使えるので…。動物の種類はとりあえず色々作ってみたので、評判が良いものを発売するつもりです。」
遙斗は茉白の説明を聞きながらワニのアイピローを手に取った。
「そのままでも少しひんやりする感じで使えるんですけど、レンジで温めたり、冷蔵庫で冷やしたりして温冷どちらも使えて…」
「これ、ワニだけ寝てない。」
遙斗が言った通り、シロクマや猫など他の動物は目を閉じているがワニだけ目をぱっちり明けている。
「あ、本番ではワニも寝てる顔になる予定なんですけど…そのワニは雪村専務用に特別な顔にしてもらったんです…」
「特別?何?俺は寝ないで働けってこと?」
遙斗が苦笑いで言った。
「違います。その逆で…」
「逆?」
「雪村専務はやっぱりお忙しい方だと思うので、なかなか安心して休める時間も無いのかなって思うんですけど…このアイピローを使ってるときは…えっと…そのコが代わりに起きてるので、ゆっくり休んで欲しいなって…思って……」
茉白は自分が作った設定を説明しているうちに恥ずかしくなってしまった。
赤くなる茉白を見た遙斗は嬉しそうにワニを見つめて微笑んだ。
「…てことは、これ貰っていいの?」
「はい。あ、別に差し上げたから注文して欲しいってことではないので!あ、でも注文して欲しくないってわけでもなくて…」
茉白の言葉に遙斗は笑う。
「モデル料として貰っておく。使い心地が良かったら注文するよ。ありがとう。」
(使ってくれるんだ。)
「あの、米良さんには良かったらこのコを…」
そう言って茉白が遙斗に渡したのは眠っているキツネだった。
「キツネ?」
「米良さんは、動物だったら…キツネっぽいかなって…」
———ぷっ
「よくわかってるね。」
遙斗が屈托のない笑顔を見せた。
商談の帰り道
茉白の心は、来たときとはまた違う感情で喉の奥を締め付けられるような息苦しさを感じていた。
(今回は米良さんの婚約者だったけど…雪村専務だってそう遠くない未来に結婚しちゃうんだろうな。)
(リリーさんみたいなアパレル系のお嬢様とか…化粧品大手のご令嬢とか…由緒正しき家柄の人とか…)
——— 俺は別に雲の上の人間なんかじゃなくて…
茉白は遙斗の言葉を思い出して、首を横に振った。
(雪村専務がそう思ってても、周りがそんな風に思ってないもん…)
(憧れるのはOKだけど、本気で好きになったらダメ…)
先程の遙斗の笑顔を思い出して、心がキュ…と切ない音を立てる。
1週間後
株式会社LOSKA
「え、コラボ…?」
茉白は縞太郎に呼び出されていた。
「ああ。茉白がこの前パーティーで名刺交換してきてくれたAmselさんが、雑貨店でうちのポーチやミラーと向こうのコスメ用品を一緒にコーナー展開する企画をしないかって声をかけてくれてね。」
「あ、えっとたしか影沼さん…?」
「うん。影沼常務がとても熱心なんだ。」
縞太郎はニコニコとした顔で言った。
「…でも、お互いよく知らないメーカー同士で店頭展開だけコラボしても、商品がチグハグになっちゃうんじゃない…?」
「なんでも前々からうちの商品を店頭で見てファンでいてくれたそうだよ。」
「そうだったの?」
(…?パーティーのときはそんなこと言ってなかったけど…)
茉白はパーティーの日のやり取りを思い返した。
「先方がうちの商品に合わせて色やデザインの雰囲気が合うものを選んでくれるそうだ。コーナーに付ける店頭POPも向こうで用意してくれる。悪い話ではないから、乗ってみようと思う。」
「ふーん…合わせてくれるならチグハグにはならないかもね。」
(あんなにすぐに連絡くれて、そこまでやってくれるなら…たしかにファンなのかな…?パーティーのときに言ってくれたら良かったのに。)
初めての試みに茉白には不安な気持ちもあるが、なにより縞太郎のニコニコと嬉しそうな顔を見るのが久しぶりだったのでこの企画を応援することにした。
「こんにちは。」
雑貨店の店頭で商品陳列をしていた茉白に声をかけたのは、影沼だった。
この日は縞太郎が言っていた店頭でのコラボコーナーの設営日だ。
「あ、こんにちは。パーティー以来ですね、お久しぶりです。」
「あの時、真嶋さんと名刺交換して良かったですよ。こんなに素敵な企画がすぐに実現した。」
影沼がにこやかな顔で言った。
「こちらこそありがとうございます。POPも作っていただいたのに什器までご用意頂いちゃって…。」
「いえ、うちは社内に什器がいろいろあるので。何よりこちらがLOSKAさんのファンなので協力は厭いませんよ。」
(………)
「それ、パーティーの時に言ってくださったら良かったのに…なんて。」
茉白はニコッと笑って影沼を試すように言った。
「あー、いえ、あの時は酒も入っていて…家に帰って御社のことを検索したら知っている商品がたくさん出てきて、あ、SNSを元々フォローしていたのにもあの場では気づかなかったんですよ。」
「え、そうだったんですか?」
Amselとのコラボは茉白の予想より随分と好評だった。
——— 使えるものはなんでも使う
(使えるツテとかコネとか…あんまり警戒してたらダメなんだな…)
茉白は遙斗に言われた言葉を思い出して反省していた。
「こんにちは。」
店頭コラボの最終日、閉店間際の店内でまた影沼が茉白に話しかけた。
「影沼さん、こんにちは。影沼さんも片付けですか?」
「ええ、什器を持って帰らないといけないので。茉白さんもですか?」
店頭コラボは2週間の期間限定だったものが3週間に延長され、その間に商品の補充で何度か影沼と顔を合わせている。
縞太郎とも頻繁に連絡を取り合っているらしい影沼は、ごく自然に茉白を名前で呼ぶようになっていた。
「はい。でもほとんど売れちゃって、残りの商品も返品じゃなくて店頭に残して普通に並べていいって言われてるので、数だけ数えたら終わりです。お陰で良い実績ができました。」
茉白は笑顔で言った。
「ところで茉白さん、この後お時間ありますか?」
「え…はい。今日はこのまま直帰なので。」
「良かったら食事でもいかがですか?什器を持って帰る都合で車で来てるんです。」
「えっと………」
よく知らない男性と二人、という点で茉白は少し警戒してしまう。
「ああ、安心してください。私は今日中に什器を会社に持って行かなければいけないので、食事をしたらご自宅にお送りしますよ。」
「あ、ごめんなさい、失礼な反応しちゃって…。じゃあ是非お願いします。」
茉白は影沼の車の助手席に乗り込んだ。
影沼の車も常務というだけあって高級車だ。
「何が良いですか?近くに三つ星フレンチがあるみたいですけど…」
「あの、こんな服装なので…全然普通の居酒屋とかでいいですよ。」
「そういうわけにはいかないでしょ。」
影沼は笑った。
(こんな急に、あんまり堅苦しいお店に行きたくないなぁ…)
茉白も一応社長の娘という立場なので、高級店での会食の機会も普通よりは多くそれなりに慣れてはいるが、茉白自身はそういう店を好んではいない。
茉白は遙斗と米良と初めて食事に行ったときのことを思い出した。
(あの時、もしかして私が緊張してたから普通のお店に行ってくれたのかな…。)
なんとなく遙斗はそういう気の回し方をしそうな気がした。
「じゃあ、カジュアル目なイタリアンにしましょうか。」
「あ、はい。じゃあそこでお願いします。」
影沼に連れてこられたのは、カジュアルとは言ってもデートに向いていそうな比較的高めの価格帯の店だった。
「私も子どもの頃から自社製品のサンプルをよく渡されましたよ。コスメがメインなんで中学生の頃からはクラスの女子に配ったりもしてました。」
「私も友だちに配ってました。あるあるですね〜!」
お互いにメーカーの社長の息子・娘ということで、食事が始まると共通の話題で盛り上がった。
話の流れで影沼は現在36歳、独身ということがわかった。
「じゃあ、縞太郎さんは元々デザイナーだったんですね。」
「そうなんです。デザイナーというか、商品の企画とか…売れないものもたくさん作ったみたいですよ。だから営業畑出身の社長さんよりも数字にはちょっと大雑把なところがあって…母が外からサポートしてました。」
「へぇ…」
「だから母の分までカバーしなくちゃって思ってるんですけど、なかなか…」
茉白は困ったように言った。
「でも、茉白さんは頑張ってますよね。」
「え?」
「女性なのに営業としてあちこち飛び回って、シャルドンのパーティーにも招待されるくらい実績を上げている。」
(女性なのに…?)
茉白は影沼の言葉に引っ掛かりを覚えたが、重箱の隅をつつくようだと思い、受け流すことにした。
「あのパーティーはたまたまタイミングが良かっただけです。」
「タイミング?」
「はい、OEMとか…SNSで商品を紹介していただける機会があって、まぁいろいろ…」
「ふーん。ああ、そういえばいつもTwitty見てますよ。あれは茉白さんが?」
「はい、後輩と二人で管理してます。なかなか奥が深くておもしろいです。」
「私は見る専門ですね。いつもLOSKAさんの投稿にこっそりいいねとRTさせてもらってますよ。」
「わぁ、ありがとうございます!」
(あれ?いつもいいねとRT…?)
茉白は莉子が言っていた“クロさん”のことを思い出した。
(影沼…影…黒…ひょっとしてクロさん…だったりする?)
「ところで、茉白さんはLOSKAを継ぐつもりということですけど、ご結婚はまだ考えていないんですか?」
「えっ…結婚ですか?んー…まだ、っていうより、あんまり真剣に考えたことがないかも…年齢的に友だちの結婚式に呼ばれることは多いんですけど。」
茉白は気まずそうに笑った。
「お付き合いしている方とはそういう話にならないですか?」
「え!?いないです、そんな相手。」
「へぇ…でも、好きな相手くらいはいるんじゃないですか?」
影沼の質問に、すぐに遙斗の顔が浮かぶ。
茉白は遙斗の顔のイメージを振り払うように首を横に振った。
「いないです!今は仕事に集中したいので。」
茉白は傍にあったグラス入りの炭酸水をクビっと飲んだ。
「影沼さんこそ、立場的に私よりよっぽどそういうお話が多いんじゃないですか?」
「ええ、まあ。縁談話は多いですね。とはいえ、私も茉白さんと同じような感じです。」
「同じ…」
「あ、私は気になる女性くらいはいますよ。」
影沼はにっこりと笑った。
「今日はありがとうございました。ごちそうになってしまってすみません。」
自宅に送り届けられた茉白は車から降りて、影沼に挨拶した。
「いえ、是非またご一緒しましょう。おやすみなさい。」
「おやすみなさい。」
「ただいま〜。」
茉白が家に入ると、縞太郎が玄関にやって来た。
「おかえり。」
(めずらしい…)
「影沼常務から連絡を貰ったよ。食事に行ったんだって?」
「え、うん。お父さんに連絡なんて丁寧だね。」
「楽しかったか?」
縞太郎が微笑むような顔で聞いた。
「ん?うん、まあ普通に。影沼さん、話しやすい人だね。」
「そうか。」
縞太郎はどこか嬉しそうに言うと、自室に戻っていった。
「本当ですか?嬉しいです!」
ある日の午後、茉白は電話口で明るい声で言った。
『うん。まあ色によってバラつきがあったりはするけど、どの店舗でもよく売れてるよ。このあと米良からメールで実績が行くと思う。』
電話の相手は遙斗だった。
先日納品したポーチとハンカチの店頭での売上実績が発表され、その結果がとても良かったという報告だった。
心なしか、遙斗の声も明るい気がする。
ポーチとハンカチは納品から1週間経った頃にはシャルドングループの店舗での動きが良いことが把握されていて、あのSNSのタイミングの少し前に追加での納品もしていた。
ポーチについては、シャルドングループで取り扱っていることを知った他の雑貨チェーンや小売店からも受注が増え、新規の取り扱い希望もいくつかあったのでLOSKA社内が予想したよりも早く在庫が無くなった。
自分のチェーンでもOEMの商品を作りたいと言ってくれる企業も出てきた。
シャルドングループの信頼の高さと影響力の大きさを茉白は改めて感じていた。
そして、茉白と莉子がLOSKAのSNSを頑張って毎日更新し、商品の紹介を頻繁にするようになってから、LOSKAの直営ECサイトの受注件数と売上金額も伸びてきている。
「最近うちの会社絶好調じゃないですか!?」
莉子が茉白に嬉しそうに言った。
「うん!今度雑誌の特集でうちのコスメポーチも取り上げてもらえるみたい。」
茉白も嬉しそうに答えた。
そんな茉白を見て莉子が「ふふっ」と笑った。
「えーなにー?」
「茉白さんが楽しそうで、私嬉しいです。」
「え?」
「私が入社してから…とくに茉白さんのお母さんが亡くなってから、ずーっとずーっと頑張ってるところを見てたから、やっと茉白さんの努力が報われてきてる感じがして…」
莉子の目が少し潤む。
「やだ莉子ちゃん、どうしたの急に〜!」
莉子の背中をぽんぽんと叩きながら、茉白もつられて泣きそうになる。
「OEMの時にも言ったけど…私一人の努力じゃなくて、莉子ちゃんもみんなも頑張ってくれてるからだよ。莉子先生がいなかったらSNSもよくわからないままだった。」
莉子は茉白の肩で頷いた。
「…でもみんな、そういう風に思ってくれる茉白さんだから頑張れるんです。」
「ふふ 嬉しいこと言ってくれるね。でも、まだまだこれからだよ。」
「え…」
「もっとね、一つ一つのシリーズをちゃんとブランドみたいにしていきたいし、LOSKAの名前ももっと色んな人に知ってほしいなって最近思ってるの。私、欲が深くなっちゃったみたい。だから莉子ちゃんもまた色々教えてね。」
「はい…トレンドのことは教えるので、商品の値段は教えてくださいね。」
莉子は涙目のまま冗談混じりに言った。
(業績が良くなる兆しが見えてきたのも…)
(私の目標が高くなっちゃったのも…)
(もっとみんなの力を借りて頑張りたいって思えるようになったのも…)
全部遙斗に出会ったからだ、と茉白は思った。
(仕事ではちゃんと認められて、ずっと付き合っていってもらえるような会社にしたい。)