冷徹エリート御曹司の独占欲に火がついて最愛妻になりました

「…はい…」

『真嶋さん、今電話大丈夫?まだ会社?』

「はい、あ…いつもお世話になっており—」

『あ、仕事の電話じゃないから挨拶とかいらない。』

「え、じゃあ…」
仕事ではないと言われ、茉白は戸惑う。

『真嶋さんに返してもらいたいものがあるんだけど』

「え」

『前に貸したハンカチ、返して欲しいんだけど。今持ってたりする?』

「あ…そうですよね…ずっと返さなきゃって思ってたのに忘れてて…今あります!」
茉白は返しそびれたハンカチをずっと会社のデスクに置いていた。

『じゃあ今から取りに行くから、ついでに食事でもどう?仕事忙しい?』

「え…仕事は…大丈夫ですけど…」
今日はもう仕事に集中できそうにないから帰ろうとしていた。

『じゃあ決まり。今から向かうからこの間のところで待ってて。20分くらいで着く。』

「え、あの」
遙斗は電話を切ってしまった。

(今日は服装がイマイチだし…さっき莉子ちゃんと泣いたからメイクもなんか微妙だし…)

それでも心のどこかで今この瞬間に遙斗に会いたいと思っていた。


先日と同じ場所で待っていると、遙斗の車が現れた。

「あの、これ…長い間すみませんでした。」
茉白は車に乗るとすぐ、ハンカチを返した。

「こんなの口実だから、別に返さなくてもいいんだけどね。」

「え…?」

「まぁいいや。ハンカチのお返しってことで、今日は俺の行きたい店に付き合ってもらおうかな。」

「で、でもこんな格好なので…それにあんまり高いお店はご馳走できそうにないです…」
茉白が恐縮して言うと、遙斗は笑った。

「たまには何も言わずに格好つけさせてよ。」
そう言って車を走らせた遙斗がまず向かったのは、シャルドン系列のアパレルショップだった。

「え…!?」

(ここって、シャルドンの高級ラインのお店…)

戸惑う茉白を無視して遙斗が店の前に立つとドアが開いた。
思わぬ遙斗の来店に店員も一瞬驚いたような表情を見せたが、プロらしくすぐに笑顔になった。

店内は明るい照明に、華やかなものからシックなものまで高級そうな服が並んでいる。
外の暗さとの対比で、どこか幻想的だ。

「彼女に似合う服、一式選んでもらえる?そのまま着てくからついでにメイクも服に合わせてしてあげて。」

(え…)(え…?)(え…!)

この店の店長らしき女性を中心に、ワンピース、靴、アクセサリー、そして小さなバッグまで一式があっという間にコーディネートされ、メイクだけでなくヘアメイクまで施された。
茉白が着せられたアイスブルーのAラインのワンピースは、上見頃がレースのレイヤードになっていて大人っぽさと可愛らしさの両方を感じるデザインだ。生地の質感から茉白でも上質なものだとわかる。

「…あの…これは一体…」
茉白は状況を飲み込めない。

「いいね。真嶋さんはブルー系が似合うよね。」
変身したかのように変わった茉白を見た遙斗が満足気に言うと、茉白は頬を赤らめた。

「じゃあ行こうか。」

「え、あのお金…」

「いや、うちの店だし。」
答えになっていないような答えで茉白を黙らせると、遙斗は茉白を車にエスコートした。
遙斗が次に訪れたのは高級フレンチレストランだった。
茉白は本来遙斗が来るべき店だ、と妙に納得したが自分自身には不釣り合いだとも思った。

「雪村専務…あの、もう少しなんていうかカジュアルなお店の方が…」

「席は個室だし、ドレスコードにも合ってるからそんなに緊張しなくて大丈夫だよ。」
茉白を落ち着かせるように、遙斗は微笑んで言った。

個室に通されると、飲み物も料理も茉白の好みに合わせて遙斗がオーダーした。

「…今日も米良さんはいらっしゃらないんですね。」
居酒屋とは比べ物にならないくらい緊張してしまい、無難な話題をさがす。

「新婚旅行に行ってる。」

「そういえばこの前お会いしたときに、もうすぐ行くって言ってました。」

「米良がいた方が良かった?」

「い、いえ…そういうわけでは…」

「じゃあ二人きりの方が良い?」
遙斗がイタズラっぽく笑って聞いた。

「え!?えっと…」

「俺は二人きりが良いよ。」
遙斗が急に落ち着いた声で言うので、茉白の心臓のリズムが早くなる。

(………)


「電話のときからなんか元気ないけど。」

「…………はい。ちょっと仕事がうまくいってなくて…」
いつもなら相手に心配させまいと否定する茉白だが、今回は素直に頷いた。

「会社を守るって、難しいですね…」
茉白はそれだけ言って困り顔で笑った。
「そういえば、LOSKAってどういう意味?真嶋さんがそんなに守りたがる会社の名前。」
遙斗が聞いた。

「LOSKAは…雪村専務の名字にちょっと関係があります。」

「雪?」

茉白は頷いた。
「フィンランドの言葉で“()けかけの雪”って意味です。」

「へぇ…」

遙斗の顔を見て、茉白は小さく笑った。

「何?」

「雪村専務、今“雪が()けて春が来る”みたいな…きれいな景色を想像したんじゃないですか?」

「え、うん。」
遙斗は不思議そうな顔をする。

「普通は社名にするならそういうきれいな言葉にしますよね。でも、LOSKAって画像検索してみてもらうと、水っぽくなってドロドロの雪が出てくるんですよ。そういう溶けかけの雪、なんです。」
茉白は笑って言った。

「父が北欧の言葉がかっこいいからって、よく調べずにLOSKAって付けるって決めて母に報告したそうです。母はしっかりした人だったからちゃんと意味を調べたみたいで、そしたら水っぽい雪のことだってわかって。」

「それでお母さんは反対したってこと?」
茉白は首を横に振った。

「その逆で、父はもっときれいな名前にしようとしたみたいなんですけど、母はドロドロで泥が混ざったような雪が素敵だって。気持ちが溶け合って、きれいなだけじゃない本音で語り合うみたいな感じが良いって言って、そういう会社、そういう空気を作れるモノづくりをする会社になって欲しいって…そういう理由でLOSKAに決めたそうです。父と母が一緒に付けた感じがして、意味も好きなので大好きな名前なんです。」
茉白は誇らし気な笑顔で言った。

「へえ、良い名前だな。」
「でも…しばらくして私が生まれるときには会社の名前はドロドロだけど、子どもの名前はキレイな名前にしようって…」

「ああ、だから—」


「茉白—か。」


ふいに遙斗が自分の名前を口にして、瞬間的に茉白の耳が熱くなった。

「…は、はい…そういうことです。」


——— マシマもマシロも大して変わらないし

(私、なにもわかってなかった…)

(…雪村専務の声で言われたら全然違う…)

それだけ遙斗が特別、遙斗のことが好きなのだと自覚する。
茉白の喉の奥がキュ…と息苦しく、熱くなる。


「会社を守るのは確かに難しいよな。名前だってただ残せば良いってもんじゃない。」
遙斗がつぶやいた。

「………」
莉子、佐藤、綿貫、そして、影沼と父の顔が浮かぶ。


「少しは気晴らしになりましたか?」
食事を終えた車の中で遙斗が冗談めかして言った。

「気晴らしには贅沢すぎです…」
なぜか不機嫌そうに言う茉白に、遙斗は笑う。

「今日もドライブに付き合ってよ。」

「…でも…私は…」

「まだ正式には婚約してないって米良に聞いたけど?」

「………」

「ハンカチのお礼がまだ足りてない。」

そう言って笑うと、遙斗は車を走らせた。
遙斗が向かったのはこの前と同じ展望公園だった。

「なんとなくわかってるだろ?ここに来た理由。」

「…会社のこと、ですか…?」

遙斗は頷いた。

「困ったことがあったら連絡しろって言ったはずだけど、一向に連絡が来ないから。」

「…困ったことがないから…です。」
茉白は目を逸らすように俯いた。

「さっきは仕事がうまくいってないって言ってた。」

「……気にかけていただけるのはありがたいですが…連絡するほどは困ってないんです…」

———はぁ…

遙斗は小さく溜息を()いた。

「もうそうやって意地を張って大丈夫な振りをするのはやめないか?」

「………」

「君が一番、LOSKAの意味を理解してないみたいだな。」

「………」

「いつも本音を隠してる。」

「…でも、会社のことは…社内の問題なので…」

「じゃあなんでSNSにあんな投稿をした?」

「え…?」

「社外の誰かに聞いて欲しかったんじゃないのか?」

「待ってください…!あんなの一瞬で消したのに…なんで…」
茉白は困惑した表情で遙斗の顔を見上げた。

「たしかに、フォロワーが5人と6人じゃ全然違うかもな。」
遙斗は笑って言った。


「……クロさん…?」

——— 遙斗はあなたが思っている以上にずっと茉白さんとLOSKAのことを気にかけていますよ

「どうして…」
茉白はいつも聞けずにいた言葉を口にした。


「俺は…あのパーティーに君を招待したことを後悔してる。」

「後悔…?」

「あのパーティーが無ければ、君が影沼に会うことは無かっただろ?」

「そんな…後悔なんて言わないでください…!あの日のことは私にとっては…夢、みたいな…宝物みたいな…大切な思い出です…」
茉白が言うと、遙斗は右手の指の背で茉白の頬に触れた。
茉白の心臓がトクン…と大きく脈打つ。

「俺は誰かの思い出になるためにいるわけじゃないよ。」
遙斗の目が寂し気に笑う。

「………」

「あの日、あのままドライブに連れ出してれば良かったな。」

「………え、えっと……」

遙斗が触れる頬が熱を帯び、茉白の鼓動がどんどん早くなる。

「どうして、なんて…単純な理由だよ。」


「君のことが好きだから、いつも君のことを考えてる。」


時間が止まってしまったように、遠くから聞こえていた車の走る音や木が騒めく音が聞こえなくなった。


「……う、うそ…そんなことあり得ないです…」


「嘘だな。君だって本当は気づいてただろ?」

茉白は首を大きく横に振る。


「…だって、だめです…そんな…シャルドンの雪村専務が—」


茉白の言葉を遮るように、遙斗は茉白を抱きしめた。


「だめとかいいとか、そんなんじゃなくて、君の本音が聞きたい。」


「………」


茉白は遙斗の背中に恐る恐る手を回し、遠慮がちにギュ…と力を入れる。


「……すき…です…」


遙斗が抱きしめる腕の力を強くする。

「茉白」

遙斗に呼ばれた名前が耳元から胸に響く。
茉白は心の中の踏み固められた雪が溶けていくような感覚を覚えた。
気づくと茉白は、遙斗の胸の中で堰を切ったように泣いていた。

「ごめ…なさ…ジャケットが…」

「余計なことは気にしなくていい」
遙斗は茉白の頭を撫でて優しく言った。

「…きょお…」

「うん?」

「…莉子ちゃんが辞めるって…言って…」
茉白はまとまらない言葉でポツリポツリと話し始めた。

「佐藤…さんも辞めちゃうんです…」
「うん」
遙斗には佐藤が誰だかわからないはずだが、茉白の言葉を相槌をうちながら静かに聞いた。

「莉子ちゃんのことは…妹みたいに思ってて…でもいろいろ教えてもらって…」
「うん。莉子先生だもんな。」
茉白は胸の中で小さく頷いた。

「影…沼さんは…数字が全てって言って…」
「…うん」

「Amselの人は…企画書、見てもくれなくて…」
「うん」

「…わたしの絵じゃ…何もわからないって…」
「それはちょっとAmselに同情するけど…」

「………」
「うそうそ」

「……いままで大事にしてきたことが…全部…だめって言われて…」
「うん」

「…でもたしかに数字は…伸びてて…でもそれ…もよくわからなくて…」
「…うん」

「父は…」
茉白が言葉を詰まらせる。

「お父さんが?」

「…父は…LOSKAは影沼さんが継ぐって…」
茉白の手が遙斗のジャケットをギュと強く掴む。

「……どこかで、LOSKAは私が継ぐって…思ってたんです…娘だからとか、そんなんじゃなくて…LOSKAが好きで、誰よりも努力してきたつもりだから…でも…そんなの……わたしの…思い込みだったみたいで…」
そこまで言うと、茉白は言葉を失くしてまた泣き出した。

「……そっか」

遙斗はしばらくそうして茉白を抱きしめながら、時々宥めるように頭を撫でた。
「茉白はどうしたい?」

しばらくして茉白が泣き止むと、遙斗は茉白の目を見て言った。

「え…」


「茉白が助けて欲しいって言えば、俺なら助けられるよ。」


「………だ、だめ…です…それは…」
茉白は慌てたようにまた首を横に振った。

「なんで?」

「だってそれは…シャルドンには…雪村専務にはマイナスでしかないから…ご迷惑はおかけできないです…」

「頑固だな…」
遙斗は困ったように苦笑いをした。

「なら…影沼と結婚するの?」

「………そんな質問……ひどい……です…」

想いが通じ合っても遙斗と結婚できるとは思えない以上、茉白の選ぶ道は同じだ。

「じゃあ質問を変えようか。」

「………」


「影沼と結婚したい?」


遙斗は茉白の目をまっすぐ見据えた。

「………」
茉白は目を潤ませて首を横に振った。

「…たくない…したくない…です…」

遙斗はまた茉白を抱きしめた。


「……雪村専務以外のひとに…」

「うん」


「……触れられたくない…です…」


———はぁ…

遙斗は溜息を()いた。

「煽るのが上手いな…」

遙斗は茉白のほつれた前髪を避け、頬に触れた。
「そんな表情(かお)でそんなこと言われたら、俺だって理性が保てなくなる…」

茉白はコク…と小さく頷いた。

遙斗は恥ずかしくなって俯いた茉白の顔を自分の方に向かせると、唇に触れるようなキスをした。

「俺は“専務”なんて名前じゃない。」
遙斗が茉白の耳元で囁くように言った。

「……は…ると…さん…」

「可愛いな」

茉白の(まなじり)に落とされた遙斗の唇は、ついばむように茉白の唇に触れ、次第に吐息ごと()むようなキスに変わっていく。

「…っ…んっ……」

キスが深くなり、混ざり合った吐息が熱を帯びる。
茉白の手が不安気に遙斗の服を掴む。


「申し訳ないけど、今夜は家まで送れそうにない」