施設が出してくれる味付けが薄いと言って、食べないらしいのだ。
長い間、客が喜ぶ料理を作ってきただけに、味が薄くておいしいと思えない食事は許せないのだろう。
だからと言って、文句を言うのは間違いであることもわかっている。口が合わないなら食べなければいいだけのことだ――と祖父が考えてのことだと、多希にはよくわかっていた。
(食べないのはおじいちゃんの勝手……なんだけど、施設の人は困っちゃうよね。買い食いしてるんだろうけど、それではなんのために施設に入ったんだか)
困った祖父だ、と思うが、こればかりは仕方がない。多希が言って聞いてくれるとも思えないが、言わないわけにはいかない。
(……でも、このままでは施設を出てくれと言われかねない。あきらめて食べてくれるか、家に帰ってくるか。私は帰ってきてくれてもいい。あっ!)
ライナスとアイシスのことを思いだして、あちゃーと右手で額を覆った。しかし、はっと顔を上げる。
(そうだ、住み込みアルバイトを雇ったと言えば、おじいちゃん、帰ってきて喫茶店を続けるかもしれない)
と、思った瞬間、ダメだと肩を落とした。
(若い男の人の住み込みだなんて、許すわけがないわ……)
しかも、あの知識だ。絶対に怪しむだろう。いかに子ども連れだといっても、子どもが必ずしも善人だとは限らないし、正直に異世界人だと言うわけにもいかない。
エレベーターが止まったので降り、部屋に向かう。
『吉村大喜』と書かれたネームプレートを見つつ、扉をノックした。
「おじいちゃん、多希よ」
言いつつ、返事を待たずに開けると、祖父の大喜はソファに腰をかけて本を読んでいた。いや、雑誌だろうか。薄くて大きい。おそらく料理関係のものだろう。
「ああ、多希か」
「調子はどう?」
多希は歩み寄り、あいている椅子に腰を下ろした。
「いいよ。もともとどこも悪くないんだから」
「なら家にいればいいのに」
「多希に世話をかけたくないからな」
「またそんなこと。家族なんだから、どれだけ世話がかかってもいいのよ。今までさんざん世話をしてもらったんだし」
「就職先は決まりそうか?」
話を変えられて多希は口をへの字に曲げた。
いつもそうだ。都合が悪くなると、いきなり話題を変えてしまうのだ。そうなると、いくら戻そうとしてもまったく応じず、最後は寝るなり散歩なりと会話を打ち切ってしまう。
「施設の人に泣きつかれたよ。食事を食べてくれないって」
「マズいからな」
「あのねぇ」
大喜は手にしていた雑誌を閉じ、机に置いた。
見ると、やはり料理雑誌だった。しかも、おしゃれなカフェが出しているメニュー本だ。大喜の中には、まだ喫茶店への未練があるのだ。
「病気にかかって、病院食を食わなければならないなら我慢する。が、俺は健康なんだ。あんな味のないもの食えるか」
「自分で進んで施設に入ったくせに。わがまま言っていたら追い出されるわよ」
「…………」
「それに、おじいちゃん、自分が一生懸命作った料理をお客さんがマズいって言って食べなかった時の気持ち、誰よりわかっているはずじゃないの? その言葉、お店を手伝っていた私は、めちゃくちゃ悲しいよ」
「…………」
「いいけどさ、好きにすれば。私はここの人に嫌われて、追い出されて、家に帰ってきても、孫だから大歓迎よ。ねえ、一緒にお店しようよ」
「…………」
大喜が目を逸らせる。家に帰る気はないようだ。認知症が進んで、多希に負担をかけるのが嫌なのだろう。
そんなことは気にせず、むしろ店をしていたほうが進行しないんじゃないかと思うのだが、大喜には通じない。
「おじいちゃん」
「…………」
頑固だ。もうどう説得したらいいかわからない。多希はわざとらしいほど大きなため息をつき、立ち上がった。
「とにかく、施設にいたいならご飯はちゃんと食べて。作ってくれた人を傷つけないで。また来るわ」
「…………」
出入り口に向かって歩く多希に、大喜は最後まで無言を貫いた。
「じゃあね」
手を振って多希が扉を閉めても。
多希はエレベーター近くに置かれている長椅子に腰を下ろし、息を吐きつつ肩を上下に大きく揺らした。
「頑固なんだから」
そんな言葉が口をついてこぼれ落ちる。と同時に、ライナスたちの話をしなかったことを思いだした。
(しまった。ムカついてしまってすっかり忘れてた。けど……やっぱり、どこの誰ともわからない男性を住み込みアルバイトとして雇うなんて、許すわけないよね)
そこまで考え、あ、と声を出す。そして右手で口を覆った。
(おじいちゃんが帰ってきたら彼らを置いておくわけにはいかない。ってことは、おじいちゃんにはここで生活してもらわないといけない。私としては、おじいちゃんが帰ってきて、ライナスさんたちを住み込みアルバイトで雇えたら一番いいけど、それは絶対ない。うん、ない)
せめてライナスたちがこの世界のこと、日本の常識などを身に着けるまでは施設にいてもらわないといけない。覚えさえすれば、近所に部屋を借りて、喫茶店で雇えばいい。
(そうね、それがいい。どんなに無茶やっても、ひと月くらいは引き延ばせる。ひと月もあったら、ライナスさんたちもいろいろわかるだろうし。よし、そうしよう)
多希は立ち上がり、エレベーターのボタンを押したのだった。
長い間、客が喜ぶ料理を作ってきただけに、味が薄くておいしいと思えない食事は許せないのだろう。
だからと言って、文句を言うのは間違いであることもわかっている。口が合わないなら食べなければいいだけのことだ――と祖父が考えてのことだと、多希にはよくわかっていた。
(食べないのはおじいちゃんの勝手……なんだけど、施設の人は困っちゃうよね。買い食いしてるんだろうけど、それではなんのために施設に入ったんだか)
困った祖父だ、と思うが、こればかりは仕方がない。多希が言って聞いてくれるとも思えないが、言わないわけにはいかない。
(……でも、このままでは施設を出てくれと言われかねない。あきらめて食べてくれるか、家に帰ってくるか。私は帰ってきてくれてもいい。あっ!)
ライナスとアイシスのことを思いだして、あちゃーと右手で額を覆った。しかし、はっと顔を上げる。
(そうだ、住み込みアルバイトを雇ったと言えば、おじいちゃん、帰ってきて喫茶店を続けるかもしれない)
と、思った瞬間、ダメだと肩を落とした。
(若い男の人の住み込みだなんて、許すわけがないわ……)
しかも、あの知識だ。絶対に怪しむだろう。いかに子ども連れだといっても、子どもが必ずしも善人だとは限らないし、正直に異世界人だと言うわけにもいかない。
エレベーターが止まったので降り、部屋に向かう。
『吉村大喜』と書かれたネームプレートを見つつ、扉をノックした。
「おじいちゃん、多希よ」
言いつつ、返事を待たずに開けると、祖父の大喜はソファに腰をかけて本を読んでいた。いや、雑誌だろうか。薄くて大きい。おそらく料理関係のものだろう。
「ああ、多希か」
「調子はどう?」
多希は歩み寄り、あいている椅子に腰を下ろした。
「いいよ。もともとどこも悪くないんだから」
「なら家にいればいいのに」
「多希に世話をかけたくないからな」
「またそんなこと。家族なんだから、どれだけ世話がかかってもいいのよ。今までさんざん世話をしてもらったんだし」
「就職先は決まりそうか?」
話を変えられて多希は口をへの字に曲げた。
いつもそうだ。都合が悪くなると、いきなり話題を変えてしまうのだ。そうなると、いくら戻そうとしてもまったく応じず、最後は寝るなり散歩なりと会話を打ち切ってしまう。
「施設の人に泣きつかれたよ。食事を食べてくれないって」
「マズいからな」
「あのねぇ」
大喜は手にしていた雑誌を閉じ、机に置いた。
見ると、やはり料理雑誌だった。しかも、おしゃれなカフェが出しているメニュー本だ。大喜の中には、まだ喫茶店への未練があるのだ。
「病気にかかって、病院食を食わなければならないなら我慢する。が、俺は健康なんだ。あんな味のないもの食えるか」
「自分で進んで施設に入ったくせに。わがまま言っていたら追い出されるわよ」
「…………」
「それに、おじいちゃん、自分が一生懸命作った料理をお客さんがマズいって言って食べなかった時の気持ち、誰よりわかっているはずじゃないの? その言葉、お店を手伝っていた私は、めちゃくちゃ悲しいよ」
「…………」
「いいけどさ、好きにすれば。私はここの人に嫌われて、追い出されて、家に帰ってきても、孫だから大歓迎よ。ねえ、一緒にお店しようよ」
「…………」
大喜が目を逸らせる。家に帰る気はないようだ。認知症が進んで、多希に負担をかけるのが嫌なのだろう。
そんなことは気にせず、むしろ店をしていたほうが進行しないんじゃないかと思うのだが、大喜には通じない。
「おじいちゃん」
「…………」
頑固だ。もうどう説得したらいいかわからない。多希はわざとらしいほど大きなため息をつき、立ち上がった。
「とにかく、施設にいたいならご飯はちゃんと食べて。作ってくれた人を傷つけないで。また来るわ」
「…………」
出入り口に向かって歩く多希に、大喜は最後まで無言を貫いた。
「じゃあね」
手を振って多希が扉を閉めても。
多希はエレベーター近くに置かれている長椅子に腰を下ろし、息を吐きつつ肩を上下に大きく揺らした。
「頑固なんだから」
そんな言葉が口をついてこぼれ落ちる。と同時に、ライナスたちの話をしなかったことを思いだした。
(しまった。ムカついてしまってすっかり忘れてた。けど……やっぱり、どこの誰ともわからない男性を住み込みアルバイトとして雇うなんて、許すわけないよね)
そこまで考え、あ、と声を出す。そして右手で口を覆った。
(おじいちゃんが帰ってきたら彼らを置いておくわけにはいかない。ってことは、おじいちゃんにはここで生活してもらわないといけない。私としては、おじいちゃんが帰ってきて、ライナスさんたちを住み込みアルバイトで雇えたら一番いいけど、それは絶対ない。うん、ない)
せめてライナスたちがこの世界のこと、日本の常識などを身に着けるまでは施設にいてもらわないといけない。覚えさえすれば、近所に部屋を借りて、喫茶店で雇えばいい。
(そうね、それがいい。どんなに無茶やっても、ひと月くらいは引き延ばせる。ひと月もあったら、ライナスさんたちもいろいろわかるだろうし。よし、そうしよう)
多希は立ち上がり、エレベーターのボタンを押したのだった。