多希は不穏なものを感じて、目を瞬いた。

 オーブンのガラス面から見える中から、赤いものが見えるではないか。

「ちょっと?」

 店は閉めているが、菓子を焼く時は店のオーブンを使っていて、この半年まったく問題はなかった。

「うわ、燃えてる? ヤバい!」

 慌ててスイッチを切ろうと立ち上がった時だった。オーブンがバン! と開き、楕円形の枠の中に虹のような七色の光が浮かび上がり、それがオーロラのように波打っているではないか。

 多希はその現象をはっきり覚えている。

 いや、忘れたくても忘れられない。

(まさか!)

 七色の光に人影が写る。一つは大きく、一つは小さい。

 そのシルエットも覚えている。

 これも忘れたくても忘れられない。

(ウソ!)

 体の奥底から激しくなにかが込み上げてくる。まだ姿は現れていないのに、目の前が滲んでいた。

 多希はふっと自分の世界から音が消えたような気がした。

 無音の中にたたずみ、じっと目を凝らしている感覚だ。

 オーロラのように波打ち、七色の光がさらに大きく揺らめく。その中を、二つの影がゆっくりと歩いてくる。

(……ウ、ソ)

 愛しくて、愛しくて、会いたくて、会いたくて、仕方のなかった人が目の前に立っている。

「タキ!」

 つんざくような大きな声と同時に、アイシスが駆けてくる。多希が両膝を衝いて腕を広げると、ぶつかるように胸の中に飛び込んできた。

「アイシス……ホントに、アイシスだ」
「うん、タキ、会いたかった」

 アイシスの声が涙に裏返った。そして力の限りしがみついてくる。

「会いたかった、私も」
「うわーーーん!」

 耳元での泣き声は痛いくらいの衝撃だが、多希にはうるさいどころか心地いいくらいだ。

 そして、愛しい人が多希の前に立った。アイシスを抱きしめながら、見上げる。

「…………」

 声が出ない。

 ライナスの、いつもと変わらない穏やかな表情。優しいまなざしが多希を見下ろしている。

 ライナスも身をかがめた。目線を合わせて微笑む。

「タキさん」
「…………」
「元気そうでよかった」

 大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。

 ライナスが手を伸ばし、多希の頬にそっと触れつつ、涙をぬぐってくれた。

「ただいま」
「!」

 じっと見つめ、多希は震える唇を動かした。

「おかえりなさい」

 ようやく答えると、ライナスはアイシスごと多希を強く抱きしめた。


 場所をダイニングルームに移し、お茶を淹れて席に着く。一口、二口と飲んでから、ライナスが話を始めた。

「あの時、迎えに来た中に若いのがいただろう? 彼はセルクスというのだが、私がいかにタキさんを想っているか痛感したそうで、なんとか成就させられないかと、いろいろと調べてくれたんだ。それで秘術が辿った軌跡の形跡を見つけてくれて、今回に至ったわけだ。だが、それとは別に、実はね」

 ここまで言って、ライナスは手を伸ばし、多希の左手を取った。そしてそこにある指輪を剥き取る。それは別れ際にライナスが多希に渡した指輪だった。

「この部分は開くんだ」

 上部を回して持ち上げると、確かに外れた。中は空洞で、小さなか欠片が入っていた。

「これは?」
「座標の水晶の欠片だ」
「え? え、まさか、ライナスさん」

「少しだけ削ったんだ。こんなことをやったら、きっと精度が落ちて、ヘタをしたら使えなくなってしまうかもしれないんだが、ここに辿り着ける印をどうしても残して置きたくてね。二度と来られな
い、二度と会えないと覚悟しながら、どうしても最後の最後で、あきらめられなかった」

 驚く多希に、ライナスが苦笑を向ける。だが、まなざしは優しい。

「私のやったことは、うまくいくかどうかもわからない小細工だが、セルクスのおかげで目標地点を定めることができた。で、あとは秘術の力は満ちれば、と思って待っていたんだ」

「僕もおとなしく待っていたんだよ、タキ! 兄上がいい子にしていたら、連れて行ってやるって約束してくれたから、周囲に、うぅん、母上に気づかれないように、ホントにおとなしく、良い子にしていたんだ!」

 アイシスの言葉に、ライナスが用意周到にこの半年を過ごしていたことを察する。

「正直、秘術の力が満ちるのは、いつかわからないもので、数年を覚悟していた。だが、急に大きな光が見えた。これはチャンスだと思った。だから力は満ちきれてはいなかったが、作動させたんだ。偶然だろうけれど、タキさんのアシストのおかげだ。うまくいってよかった」

「そんな……でも、ここに来て、大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ!」

 と、またアイシスが口を挟む。

「父上が許してくれたんだ」
「ホントに?」
「ホントだって。ね、兄上」

 ライナスが、うん、と頷く。