帰郷し、一週間が経った。

 仕事が一段落したライナスは、テラス窓に顔を向け、ぼんやりと外を眺めていた。

 縁談は保留にしたままだ。どうにもいけ好かない王妃の侍女を妻にする気にはなれない。かといって、今の自分は貴族ではあっても爵位を有していないので、子爵家の令嬢を拒むことは礼に反する。

 今になって爵位を辞退したことを後悔した。公爵位をもらっておけば伴侶など自分で好きに選べたものを。

 はあ、と深いため息をついた。

(タキさんは元気にしているだろうか)

 セルクスはそうとう質のいい宝石類を用意してくれていた。だから当面は金に困ることはないだろう。それに、そもそもあれは多希が得るのが正当なのだ。生活できるようにと、多希が衣類やらなにやら相当手配してくれたのだから。

 はあ、もう一度ため息をつく。

 その時、扉がノックされた。返事をすると、アイシスの侍従の一人が忍び込むように入ってくる。

 彼は王妃の息がかかっていない者で、アイシスが王子として暮らすことの弊害を内密にライシスに伝えていた。

「殿下、少々よろしいでしょうか」
「エモスか、どうした」
「アイシス殿下が食事をされません」
「……え? 今、なんと言った?」
「泣いてばかりでお食事をされません。このままでは衰弱死をしてしまいます」
「ボーンはなにをしている?」

 ボーンとは王妃の息のかかったアイシスの侍従頭だ。

「少量を無理やり食べさせていますが、途中で吐いてしまわれます。早く表に出して対応せねばならぬのに、隠ぺいして事態を悪化させています」

 ライナスは唇を噛みしめた。

 戻ってきた時、侍従たちに目覚めたら暴れるかもしれないと伝えておいたが、それは間違っていた。アイシスは暴れるどころか、ろくに口も利かず、部屋に閉じこもってしまったのだ。

 ライナスが訪ねても、話をしようとしない。ライナスは、多希のところに行きたいとゴネたところで不可能であることを承知していると考えていた。実際、座標の水晶が手元にある時は、行き先を定めることは難しい。

(理解しておとなしくしているのだと思っていたが、そこまで思い詰めているのか)

 アイシスにとって多希がどれだけの存在なのか改めて理解し、ライナスはめまいを覚えた。こればかりはどうしようもない。助けてやる手立てがない。

(どうしたものか)

 そこにまた扉がノックされる。入ってきたのはセルクスだった。

「わたくしは失礼いたします。ですが、殿下」
「わかっている。なんとかする」
「早くのご対応を希望いたします。何卒よろしくお願い申し上げます」

 エモスは深く礼をして去って行った。

「殿下。お話があります」

 ずいぶん急いている。ライナスは面倒だと思う気持ちを押し込め、セルクスに向き直った。

「エモスの次はセルクスか。今日はなんだかせわしないな。どうかしたか?」
「恐縮です」

 セルクスはライナスに近づき、耳元に顔を寄せた。

「場所を変えたいと」
「ん?」
「寝室でお願いします」
「しん――」

 セルクスがライナスの肩に触れた。言うなという意味だとすぐに察するが、王族や高位貴族の体に許可なく触れるなど許されないことだ。それがいかに臣籍降下をしてもライナスは王族であり、いち貴族として暮らしている者あってもだ。

 それだけセルクスの話とやらが重い内容であり、彼の意志が強いということだろう。

 ライナスはさっと立ち上がり、寝室に向かった。