多希は扉が開いているだけで壊れてもいなければ、黒ずんでもいないオーブンレンジをじっと見つめ、それから突如現れた二人に視線をやった。

 コスプレでもしているかと思うようないでたち。黒い煙にまみれたはずなのに、まったく汚れていない状態。なにもかもがおかしすぎる。

 多希は無傷のオーブン、無傷の二人を眺め、ある仮説を思いついた。

(いやいや、それは変でしょう! 二人がオーブンの中からやってきたなんて! だったら、どこからオーブンに入ったんだって問題が新たに発生するんだから。ありえなさすぎる)

 二人がじっとこちらを見ている。なんと返せばいいのか、さっぱりわからない。

「これがなにか?」

 男性が聞いてきたので、顔をそちらに向ける。

「えーっと、このオーブン、調子が悪かったんです。いきなり爆発して、煙が充満して、それで、気づいたらあなたたちがいて、えーっと」

 男性はじっとオーブンを眺め、そして立ち上がった。

「どうやら、このオーブンの不調と秘術の力が共鳴を起こして道を作ったようだ」
「…………」

 なにを言っているのか、さっぱりわからない。そればかりか、この超イケメンの頭の中を疑ってしまう。

「いや、いい。とにかく君に怪我がなくてよかったし、この家を壊すことにならなくてよかった。我々の目的も果たせたし、いつまでもここにいては迷惑だろう。失礼する」

 ぽかんと見つめる多希とは異なり、少年のほうは男性の長上着をぎゅっと握りしめた。

「どこに行くの? ここにいたほうがいいよ」
「ここは彼女の家だ」
「でも、行くあてなんてないじゃないか! 危ないよ」

 男性がひょいっと少年を抱き上げ、さり気なく口を塞いだ。

「君、出口は?」
「え……あ、えっと、こっちです」
「そうか」

 歩きだした男性を、多希は慌てて追いかけた。彼の腕の中では、口を塞がれた少年がもごもごとなにかを言っている。

 多希は解錠して扉を開けた。

「では、失礼する」

 礼儀正しく頭を下げ、去っていく二人を、多希は半ば呆然と見送る。小さくなっていく背中にいろいろな考えが湧いてくる。

(警察に通報すべき、だよね? でも……)

 西洋系の外国人、礼儀正しく、身分というかセレブっぽい感じ、コスプレ的だが高価そうな衣装、特に首元の大きな宝石とか。いや、ピンだけではない。シャツにつけられたボタンも宝石だったような気がする。

 そう思ったら気づいたことはまだあった。彼の耳や指にもアクセサリーがあった。イヤーカフスや指輪も、輝きの深い宝石がついていたように思う。

 アイシスと呼ばれていた子どもの服装だって、同様だ。いったいどこの貴族様だろうと思ういでたちだった。

 多希はそこまで考えて、あっとなった。

(あの人も子どもも、日本語ペラペラだった)

 子どものほうは、ここを異世界とかなんとか言っていた。

 まさか異世界からオーブンを通してこちらの世界にトリップしてきたとか?
 オーブンがこの世界と異世界を繋ぐ道? 門? だと言うのか?

(待て待て待てっ、漫画の読みすぎでしょ!)

 とはいえ、ご近所様ではないことは間違いないだろう。

(大丈夫なのかな?)

 日本語が話せるのだから困りはしないだろうが。いや、困るだろう。

(そうよ、困るでしょ。だってあの子、行くあてがないし危険だから、ここにいようとゴネてたじゃない)

 多希はエプロンをとって、外へ出た。そして二人が消えていった方角に向けて歩き始める。

(どこ行ったんだろう)

 きょろきょろと周囲を見渡しながら進むが、姿は見えない。あの目立つ衣装なら、いたらすぐに見つけられそうなのだが。

 このまま進めば多摩川に出る。この辺りは住宅街で、商店街のある駅は反対方向だ。道がわかる気もしないし、スマートフォンなんて持っている様子もないから地図を確認することもできないだろう。

 多希はなんだか次第に不安になってきて、足を速めた。

 前が開け、ゆったりと流れる多摩川の河川敷に到着した。

 見渡すけれど、あの目立つ格好をした兄弟の姿はない。

(どこ行っちゃったんだろう)

 そう思う多希は、同時にあの二人を見つけてどうしようと思っているのか自分に疑問を抱いた。

 勝手に人の家に入ってきたのだから、普通に考えれば警察に通報すべきだ。喫茶店だった場所しか確認していないが、もしかしたら二階の窓から侵入したのかもしれない。

 オーブンレンジが異世界と繋がって、そこからやってきたなど冷静になって考えたら、人をバカにしているとしか思えない言い訳だ。小さな子どもがいるからと侮ってはいけないこともわかっている。子どもを使った詐欺だってあるのだ。

 でも、と思う。

 彼らの様子からはどうしても泥棒とは思えないし、気になって仕方がない。

 あの礼儀正しさ、紳士の振る舞い、言葉遣い、醸し出ているセレブ感。

 多希は自分の中にあるあきらめにも似た気持ちに対し、気づかないふりをするのをやめた。