そう考えた多希の判断は間違っていた。
常連客が帰る時刻に現れた前川は、注文が遅いと文句をつけたのだ。この日は多希が謝ると帰っていったが、翌日では皿が汚れていると言いだした。その翌日はカレーの味がおかしいとクレームをつけた。
必ずなにかにつけて文句を言うのだが、言い続けることはしない。多希が謝ると愚痴りながら引き下がる。警察に相談するほどでもなく、かといって注意してくれそうな常連客のいない時間帯なので、店内にいる客たちは居心地悪そうにしている。
そんな日が一週間続いた。
さすがに多希も滅入ってきたようで、ランチタイムが終わろうとする時刻になると浮かない顔になった。
そして今日も同様だった。前川はコーヒーがマズいと文句を言い、多希が深く頭を下げて謝ると、精算をして出て行った。
だが、今日はライナスが行動に出た。前川を追いかけて行ったのだ。
「前川さん、すみません」
「お前と話すことなんてない」
「私はあります。私はあなたに決闘を申し込みたい」
「け? ……ええ!?」
仰天する前川の正面にずいっと踊り出、ライナスは右腕を胸に当てた。
「わが国では想いを寄せる女性に対し、他にも同様の男がいる場合、決闘を申し込んで、勝った者が告白の権利を得る。あなたはタキさんが好きなのだろう? であれば、私はあなたに決闘を申し込み、あなたに勝ち、告白の権利を得なくてはならない。この戦い、受けて立っていただこう」
「はあ? なにを言ってるんだ、お前」
ライナスがかぶりを振る。
「極めて真面目な話だ。あなたが勝って私を殺せば、私は死に、あなたはタキさんに交際を申し込むことができる。これは心に想う女性を懸けた、男の戦いだ」
「死ぬって……」
「決闘だから当然だ。道具は剣だから、頭や胸を刺せば、当然死ぬ」
見る見る前川の顔から血の気が失せていく。命がけの決闘というとんでもない話に対してでもあるが、わけのわからないことを言うライナスに対する恐怖からでもあった。
「このライナス・ラドスキア、神の御名において、前川殿への決闘の申し込みを宣言する」
「じょっ、冗談じゃない! お前、頭がおかしいだろう! なにが決闘だ!」
「私の頭がおかしいなら、あなたはどうなのだ」
「なに!? お前、客の僕になんて無礼を!」
「正々堂々決闘を申し込む私の頭がおかしいと言うなら、必要以上に女性のあとを追いまわし、想いが実らないとなるとクレームをつけて困らせる。これは頭がおかしい行為ではないのか?」
次第にライナスの声音が低く鋭くなっていくのを前川も感じているようで、顔色が悪くなっていく。
「タキさんを好きだと言うなら、堂々受けて立ったらどうだ。本当に想っているのなら戦えるだろう。今は白手袋がないからハンカチを投げる。それを受け取れば決闘だ」
ライナスがエプロンのポケットから白いハンカチを取り出し、腕を振り上げた。
「バカ言ってんじゃない! つきあってられるか!」
前川は吐き捨て、駆けだした。だが、少し行くと立ち止まり、振り返る。
「二度と僕に関わるな!」
そう叫んで、今度こそ走り去って行った。
ライナスが、はあ、と息を吐く。
「まったく根性のない。その程度で女性に迫るなど言語道断だ」
いつも穏やかなライナスの口調に強い苛立ちがあった。
一方、多希もまたライナスを追って二人の様子を窺っていた。
心臓がバクバクとうるさいくらいに騒いでいる。とんでもないワードがいくつも飛び出して、多希を焦られた。
想いを寄せる女性、告白の権利、男の戦い――ライナスが多希のことが好きだとはっきりと言ったのだ。
まさか、と思う多希に、
「兄上、タキのこと好きだよ!」
と、アイシスがまた大変なことを勝手に断言しているし。
「ねえ」
「あれは……前川さんを撃退するための口実よ」
「え?」
「実際、撃退に成功したし。そりゃビビるわよ、決闘なんて。日本じゃ考えられないもの」
「タキ、それは」
「それよりもお店! ほったらかしだわ!」
照れを隠すように言い、多希は急いで店に戻った。
「そんなことないよー!」
背後からアイシスの声が追いかけてくるが、多希はそれどころではなかった。自分の心が大混乱を起こしている。
(一国の王子様が、私みたいな平凡な女を好きになるはずがないって! 美人でもないし、セクシーでもないし、上流階級じゃなくて普通の家庭だし。あれは私を守るための口実。噓も方便。信じちゃダメだって)
でも、と思ってしまう。
(おじいちゃんが嫁入り前の娘が男を~とか変なことを言うから、ただでさえ意識してたのに、こんなこと。ああ、心臓痛いっ。お仕事しなきゃ!)
あわあわしながら店に戻り、食器を取ろうとして、多希は食器棚のガラスに映る自分の顔に気づいた。
(私……私は? 私はライナスさんのことどう思ってる? 王子様だからとか、異世界の人だからとか、言い訳並べているけど……好き、よね? やっぱり、惹かれてるよね? 自分に嘘はつけないもの。だけどライナスさんは、いずれ自分の世界に帰るわ。好きになってはいけない人で……本物の王子様で……)
カランと鈴の音がしてライナスが戻ってくる。
どんな顔をしたらいいのか、なんて思うものの、いつもと変わらない態度でいることしかできなかった。
常連客が帰る時刻に現れた前川は、注文が遅いと文句をつけたのだ。この日は多希が謝ると帰っていったが、翌日では皿が汚れていると言いだした。その翌日はカレーの味がおかしいとクレームをつけた。
必ずなにかにつけて文句を言うのだが、言い続けることはしない。多希が謝ると愚痴りながら引き下がる。警察に相談するほどでもなく、かといって注意してくれそうな常連客のいない時間帯なので、店内にいる客たちは居心地悪そうにしている。
そんな日が一週間続いた。
さすがに多希も滅入ってきたようで、ランチタイムが終わろうとする時刻になると浮かない顔になった。
そして今日も同様だった。前川はコーヒーがマズいと文句を言い、多希が深く頭を下げて謝ると、精算をして出て行った。
だが、今日はライナスが行動に出た。前川を追いかけて行ったのだ。
「前川さん、すみません」
「お前と話すことなんてない」
「私はあります。私はあなたに決闘を申し込みたい」
「け? ……ええ!?」
仰天する前川の正面にずいっと踊り出、ライナスは右腕を胸に当てた。
「わが国では想いを寄せる女性に対し、他にも同様の男がいる場合、決闘を申し込んで、勝った者が告白の権利を得る。あなたはタキさんが好きなのだろう? であれば、私はあなたに決闘を申し込み、あなたに勝ち、告白の権利を得なくてはならない。この戦い、受けて立っていただこう」
「はあ? なにを言ってるんだ、お前」
ライナスがかぶりを振る。
「極めて真面目な話だ。あなたが勝って私を殺せば、私は死に、あなたはタキさんに交際を申し込むことができる。これは心に想う女性を懸けた、男の戦いだ」
「死ぬって……」
「決闘だから当然だ。道具は剣だから、頭や胸を刺せば、当然死ぬ」
見る見る前川の顔から血の気が失せていく。命がけの決闘というとんでもない話に対してでもあるが、わけのわからないことを言うライナスに対する恐怖からでもあった。
「このライナス・ラドスキア、神の御名において、前川殿への決闘の申し込みを宣言する」
「じょっ、冗談じゃない! お前、頭がおかしいだろう! なにが決闘だ!」
「私の頭がおかしいなら、あなたはどうなのだ」
「なに!? お前、客の僕になんて無礼を!」
「正々堂々決闘を申し込む私の頭がおかしいと言うなら、必要以上に女性のあとを追いまわし、想いが実らないとなるとクレームをつけて困らせる。これは頭がおかしい行為ではないのか?」
次第にライナスの声音が低く鋭くなっていくのを前川も感じているようで、顔色が悪くなっていく。
「タキさんを好きだと言うなら、堂々受けて立ったらどうだ。本当に想っているのなら戦えるだろう。今は白手袋がないからハンカチを投げる。それを受け取れば決闘だ」
ライナスがエプロンのポケットから白いハンカチを取り出し、腕を振り上げた。
「バカ言ってんじゃない! つきあってられるか!」
前川は吐き捨て、駆けだした。だが、少し行くと立ち止まり、振り返る。
「二度と僕に関わるな!」
そう叫んで、今度こそ走り去って行った。
ライナスが、はあ、と息を吐く。
「まったく根性のない。その程度で女性に迫るなど言語道断だ」
いつも穏やかなライナスの口調に強い苛立ちがあった。
一方、多希もまたライナスを追って二人の様子を窺っていた。
心臓がバクバクとうるさいくらいに騒いでいる。とんでもないワードがいくつも飛び出して、多希を焦られた。
想いを寄せる女性、告白の権利、男の戦い――ライナスが多希のことが好きだとはっきりと言ったのだ。
まさか、と思う多希に、
「兄上、タキのこと好きだよ!」
と、アイシスがまた大変なことを勝手に断言しているし。
「ねえ」
「あれは……前川さんを撃退するための口実よ」
「え?」
「実際、撃退に成功したし。そりゃビビるわよ、決闘なんて。日本じゃ考えられないもの」
「タキ、それは」
「それよりもお店! ほったらかしだわ!」
照れを隠すように言い、多希は急いで店に戻った。
「そんなことないよー!」
背後からアイシスの声が追いかけてくるが、多希はそれどころではなかった。自分の心が大混乱を起こしている。
(一国の王子様が、私みたいな平凡な女を好きになるはずがないって! 美人でもないし、セクシーでもないし、上流階級じゃなくて普通の家庭だし。あれは私を守るための口実。噓も方便。信じちゃダメだって)
でも、と思ってしまう。
(おじいちゃんが嫁入り前の娘が男を~とか変なことを言うから、ただでさえ意識してたのに、こんなこと。ああ、心臓痛いっ。お仕事しなきゃ!)
あわあわしながら店に戻り、食器を取ろうとして、多希は食器棚のガラスに映る自分の顔に気づいた。
(私……私は? 私はライナスさんのことどう思ってる? 王子様だからとか、異世界の人だからとか、言い訳並べているけど……好き、よね? やっぱり、惹かれてるよね? 自分に嘘はつけないもの。だけどライナスさんは、いずれ自分の世界に帰るわ。好きになってはいけない人で……本物の王子様で……)
カランと鈴の音がしてライナスが戻ってくる。
どんな顔をしたらいいのか、なんて思うものの、いつもと変わらない態度でいることしかできなかった。