「タキさん」
逆に名前を呼ばれてドキリとする。
「アイシスがわがままを言ってすまなかった」
「とんでもない! すごくうれしかったです。本当です。私って一人っ子でしょ。それに子どもの時から喫茶店を手伝っていたから、友達とかあんまりいなくて。その……なんというか、自分から輪に入って行かなかったんだけど、お客さんとかにかわいがってもらっているのを快く思わない子もいて……それに、母が相手のことを言わずに私を産んだものだから、けっこう避けられたりして……」
「…………」
「あんなふうに傍にいたいって誰かに強く言われたことなくて、すごくうれしかった。だからライナスさん、お願い、気にしないでほしいし、私からアイシスを遠ざけないでほしいです」
ライナスは少し首をひねるように動かした。
「遠ざける?」
「だから、その、甘えちゃいけないとか言うとか」
「私の危惧はタキさんの迷惑になることだ。あなたが問題ないと言うならそれでいい。私が常にあなたに感謝し、恩を返したいと思っていることを理解していてほしい」
言いつつライナスは腕を伸ばし、多希の右手を取った。そしてゆっくりと持ち上げ、甲に口づけを落とした。
「!」
「なにか困ったことがあったら、いつでもなんでも言ってもらえないだろうか。あなたのためにできることはなんでもする。あなたには本当に感謝している」
じっと見つめてくるライナスに多希は顔を真っ赤に染めて俯き、それからゆっくり頷いた。
「ありがとうございます。頼らせてもらいます」
耳まで真っ赤だ。ライナスが手を離すと、多希は口づけされた右手の甲を左手で覆った。
「それでは今日の仕事に取りかかろう」
「……はい」
それぞれのポジションにつくと、まるで見ていたかのように客が来た。常連客数名と一般の客だ。
今日もいつもと変わらない一日の始まりだが、多希にはなんだか輝いているような気がしたのだった。
大喜が訪ねてきた日から一週間が経った昼下がり。
『喫茶マドレーヌ』は今日ものどかで、ほんわかとした空気が漂っている。特に昼時は客が少ない。深田がカウンターテーブルの一角を陣取り、コーヒー一杯でねばっているのもこの時間帯では愛嬌だ。
「おじいちゃんにライナスさんのことを話したのは、深田さんだったのね?」
「てっきり知ってると思ってさ」
「でも深田さん、それって施設まで行って話したってことよね?」
多希の問いに深田は照れたように笑った。
「俺も暇だからさ。時々見舞いがてら差し入れにな。大喜さんも退屈だろうよ。あぁいう施設は女が多いからさ」
「そっか。ありがとう」
「いやいや、多希ちゃんに感謝されるようなことじゃない。俺が好きでやってることでさ」
大喜が安心するように、多希のことを伝えているのだろう。
カランと扉に掛けている鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは前川だ。案内しなくてもいつも愛用している窓際のテーブル席に腰を落ち着ける。ライナスが注文を取りに横に立つと、睨むように見上げた。
二人の様子を多希はカウンターテーブルの内側から見ているが、レンジが鳴ったので作業の続きに取りかかった。
できたのはグラタンだ。それを木製プレートに置き、粉末のパセリを振って完成させる。多希の様子を見て、アイシスも作り置きのアイスコーヒーをグラスに注いで完成のタイミングを合わせると、ライナスが客のもとに運んでいった。
次に取りかかる。沸騰している鍋の中にスパゲッティを入れ、キッチンタイマーをセットすると、食パンを取りだしてマヨネーズで和えている潰したゆで玉子を載せて挟む。次にレタス、トマト、きゅうり、数枚重ねた薄切りハムでサンドイッチを作ると、玉子サンドを重ねて一気に二つに切った。それを皿に盛りつける。
アイシスがそのサンドイッチにパセリを載せてライナスにパスしている間に、多希はフライパンをガスコンロに置いて火をつけ、油を流し入れた。
それとほぼ同時にキッチンタイマーが鳴り、湯切りしたスパゲッティを投入する。バチバチという音と湯気があがるのを菜箸でかき混ぜて全体に油を馴染ませたら、鍋の中にあるカレーをお玉二杯分流し入れ、フライパンを煽りながらさらに混ぜる。まんべんなく混ざったら皿に盛った。
アイシスがサイフォンのコーヒーをカップに注いでトレーに載せると、ライナスが前川のいるテーブルに持っていく。
「アイシス?」
多希はアイシスが眉間にしわを寄せて一点を見ていることに気がついた。
「どうしたの?」
聞きつつアイシスの視線を追うと、ライナスの背に行きあたった。
「ライナスさんがどうかした?」
「なんでもない。次は?」
「洗い物を片づけましょう」
「わかった」
食洗器の中には洗い終わった食器が入っている。手がすいたらすぐに片づけないと、あっという間に使用済みの食器がシンク内に増えてしまうのだ。
アイシスは割らないように気をつけながら食器を棚に仕舞っていった。
逆に名前を呼ばれてドキリとする。
「アイシスがわがままを言ってすまなかった」
「とんでもない! すごくうれしかったです。本当です。私って一人っ子でしょ。それに子どもの時から喫茶店を手伝っていたから、友達とかあんまりいなくて。その……なんというか、自分から輪に入って行かなかったんだけど、お客さんとかにかわいがってもらっているのを快く思わない子もいて……それに、母が相手のことを言わずに私を産んだものだから、けっこう避けられたりして……」
「…………」
「あんなふうに傍にいたいって誰かに強く言われたことなくて、すごくうれしかった。だからライナスさん、お願い、気にしないでほしいし、私からアイシスを遠ざけないでほしいです」
ライナスは少し首をひねるように動かした。
「遠ざける?」
「だから、その、甘えちゃいけないとか言うとか」
「私の危惧はタキさんの迷惑になることだ。あなたが問題ないと言うならそれでいい。私が常にあなたに感謝し、恩を返したいと思っていることを理解していてほしい」
言いつつライナスは腕を伸ばし、多希の右手を取った。そしてゆっくりと持ち上げ、甲に口づけを落とした。
「!」
「なにか困ったことがあったら、いつでもなんでも言ってもらえないだろうか。あなたのためにできることはなんでもする。あなたには本当に感謝している」
じっと見つめてくるライナスに多希は顔を真っ赤に染めて俯き、それからゆっくり頷いた。
「ありがとうございます。頼らせてもらいます」
耳まで真っ赤だ。ライナスが手を離すと、多希は口づけされた右手の甲を左手で覆った。
「それでは今日の仕事に取りかかろう」
「……はい」
それぞれのポジションにつくと、まるで見ていたかのように客が来た。常連客数名と一般の客だ。
今日もいつもと変わらない一日の始まりだが、多希にはなんだか輝いているような気がしたのだった。
大喜が訪ねてきた日から一週間が経った昼下がり。
『喫茶マドレーヌ』は今日ものどかで、ほんわかとした空気が漂っている。特に昼時は客が少ない。深田がカウンターテーブルの一角を陣取り、コーヒー一杯でねばっているのもこの時間帯では愛嬌だ。
「おじいちゃんにライナスさんのことを話したのは、深田さんだったのね?」
「てっきり知ってると思ってさ」
「でも深田さん、それって施設まで行って話したってことよね?」
多希の問いに深田は照れたように笑った。
「俺も暇だからさ。時々見舞いがてら差し入れにな。大喜さんも退屈だろうよ。あぁいう施設は女が多いからさ」
「そっか。ありがとう」
「いやいや、多希ちゃんに感謝されるようなことじゃない。俺が好きでやってることでさ」
大喜が安心するように、多希のことを伝えているのだろう。
カランと扉に掛けている鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは前川だ。案内しなくてもいつも愛用している窓際のテーブル席に腰を落ち着ける。ライナスが注文を取りに横に立つと、睨むように見上げた。
二人の様子を多希はカウンターテーブルの内側から見ているが、レンジが鳴ったので作業の続きに取りかかった。
できたのはグラタンだ。それを木製プレートに置き、粉末のパセリを振って完成させる。多希の様子を見て、アイシスも作り置きのアイスコーヒーをグラスに注いで完成のタイミングを合わせると、ライナスが客のもとに運んでいった。
次に取りかかる。沸騰している鍋の中にスパゲッティを入れ、キッチンタイマーをセットすると、食パンを取りだしてマヨネーズで和えている潰したゆで玉子を載せて挟む。次にレタス、トマト、きゅうり、数枚重ねた薄切りハムでサンドイッチを作ると、玉子サンドを重ねて一気に二つに切った。それを皿に盛りつける。
アイシスがそのサンドイッチにパセリを載せてライナスにパスしている間に、多希はフライパンをガスコンロに置いて火をつけ、油を流し入れた。
それとほぼ同時にキッチンタイマーが鳴り、湯切りしたスパゲッティを投入する。バチバチという音と湯気があがるのを菜箸でかき混ぜて全体に油を馴染ませたら、鍋の中にあるカレーをお玉二杯分流し入れ、フライパンを煽りながらさらに混ぜる。まんべんなく混ざったら皿に盛った。
アイシスがサイフォンのコーヒーをカップに注いでトレーに載せると、ライナスが前川のいるテーブルに持っていく。
「アイシス?」
多希はアイシスが眉間にしわを寄せて一点を見ていることに気がついた。
「どうしたの?」
聞きつつアイシスの視線を追うと、ライナスの背に行きあたった。
「ライナスさんがどうかした?」
「なんでもない。次は?」
「洗い物を片づけましょう」
「わかった」
食洗器の中には洗い終わった食器が入っている。手がすいたらすぐに片づけないと、あっという間に使用済みの食器がシンク内に増えてしまうのだ。
アイシスは割らないように気をつけながら食器を棚に仕舞っていった。