○その日の夜。翼の部屋

 コンコン、と軽いノック音に続き「翼ちゃん、今いいかな」と綾人の声が聞こえた。
 ベッドの上で本を読んでいた翼は、慌てて扉を開ける。

綾人「もう寝る所だった?」
翼「ううん。もう少ししたら寝ようと思ってたけど、どうかした?」
綾人「じゃあまだ、ハンドクリームは塗ってない?」
翼「? うん。まだだよ」

 よかった、ともらす綾人。

翼「でも、それがどうかし──」

 ずいっと部屋に入ってきた綾人。
 翼の手を引いてベッドに座らせる。

翼「あ、綾人君?」
綾人「これ」

 綾人はなにやららラッピングされた小包を翼に渡した。
 開けて良いか許可を取り、中を確認するとそれはハンドクリームだった。

翼「ハンドクリーム? え、これ貰ってもいいの?」
綾人「俺が見せびらかせにきたとでも?」

 やや不服そうな顔の綾人に、クスッと笑いがもれた翼。

翼「ありがとう。大事に使うね」
翼(綾人君からの善意なんて、明日雪でも降るんじゃない?)
綾人「今日塗らないの? まだなんでしょ」
翼「じゃあ、あとで使うよ。本当にありがとう、綾人君」

 ニコニコと笑みを綾人に向ける翼。

翼「…………」
綾人「…………」

 変な静寂が二人を包む。

翼(なんで綾人君、出ていかないの? まだ何か用があるのかな)
翼「綾人君?」
綾人「塗らないの。今」
翼「へ? あ……そうだね!」

 いそいそと、ハンドクリームのキャップを外す翼。それをひょいっと綾人が奪う。

綾人「俺が塗ってあげる」
翼「え、いいよ、自分で出来る──」

 翼が言い終わるより先に、綾人が自分の手にハンドクリームを出した。
 自身の手に塗り込んでいく綾人から、ふわりとフローラルのいい香りが漂ってくる。

綾人「手、出して」

 おずおずと差し出すと、綾人が翼の手にクリームを塗り込んでいく。
 瑠叶からされたように、マッサージをするようにもまれた。
 ハンドクリームがあるからなのか、肌を滑る指先がなんだかいやらしく感じて、顔を赤くする翼。

綾人「翼ちゃんの手、小さいよね」

 肌の深くまで浸透するように、翼の手の甲を往復する綾人の指先。
 いたたまれななくなって、翼は明るい声を出した。

翼「いっ、いい匂いだねこれ!」
綾人「気に入った?」
翼「うん!」
綾人「毎日、これを塗るたびに思い出してね」
翼「なにを?」
綾人「翼ちゃんのご主人様は俺だって」
翼「はい!?」
綾人「──ん、次は左手出して」

 ぽかんとして動かない翼の左手を取り、丹念にハンドクリームを塗り込んでいく綾人。「よし終わり」と綾人の手が離れていくと、翼はほっとした。

綾人「いつでも呼んでね」
翼「え?」
綾人「俺がまた塗ってあげる」

 色っぽい笑みを浮かべた綾人。
 さらに「ハンドクリームじゃなくて、今度はボディクリームにしようか?」と言った。

翼(〜〜〜〜!?)
翼「結構です!!」

 顔を真っ赤にした翼を見て、クスッと笑った綾人は部屋を出ていく。
 扉が閉まったのを確認して、翼はベッドへ倒れ込んだ。

翼(いい匂い……)

 手からふわりと漂うフローラルの香り。
 と同時に、先程の綾人の手の感触が蘇る。

翼(〜〜!!)

 枕に顔を埋めて、バタバタを足を動かした。