亮平と長谷川がレトワールを訪れたのはお昼を少し過ぎた頃。

「陽茉莉ちゃーん、車椅子の君がご来店よ」

カウンターに立っていた結子がいち早く気づき、厨房の陽茉莉へ声をかけた。
陽茉莉は嬉しそうに顔をヘラっとさせ、そそくさと出迎えに行く。

「亮平さん、長谷川さん、いらっしゃいませ」

「陽茉莉、今日は制服が違う?」

亮平は以前に陽茉莉に車椅子を押して貰ったときのことを思い出す。その時は確かベージュとブラウンの制服を着ていたような気がする。今日の陽茉莉は白いズボンに白いエプロン、そして髪はしっかりとベレー帽の中に収まっている。

「えへへ。今日は私、パティシエです。どうですか? 様になっているでしょう?」

「うん、とても。すごくよく似合ってる」

「では今日は陽茉莉さんがケーキを作られたんですね?」

「そうなんですよー」

いつの間にか長谷川も、陽茉莉のことを「陽茉莉さん」と呼ぶようになった。矢田様では仰々しすぎると陽茉莉が断ったからだ。

和気あいあいと楽しそうにおしゃべりする様子をカウンターから眺めていた結子は、後輩の幸せそうな笑顔に何だか微笑ましい気持ちになってくる。

「陽茉莉ちゃーん、そろそろケーキ選んでもらったら?」

「あっ、そうでした。ではこちらへどうぞ」

陽茉莉はショーケースの前まで二人を案内する。
ピカピカに磨かれたショーケースにはたくさんのケーキが並び、色鮮やかで目移りしてしまいそうだ。

「お決まりでしたらお申し付けくださいね」

結子がニコリと微笑めば、亮平はペコリと頭を下げ長谷川は「ありがとうございます」と丁寧に答えた。

「亮平さん、長谷川さん。こちらは私の先輩の結子さんです。とっても頼りになる素敵な方なんですよ。それからこっちが――」

陽茉莉は厨房から覗き見ていた遥人をカウンターまで引っ張り出す。急に腕を引っ張られた遥人は「うわっ」とバランスを崩しながら陽茉莉にのしかかった。

「長峰くん、重い~」

「俺のせいにしないでください。矢田さんが急に引っ張っるのがいけないんでしょう? まったく……」

やれやれ困ったものだとため息ひとつ、遥人はささっと陽茉莉から距離を取った。なんとなく、亮平の視線が刺さるというか、後ろめたいようなそんな気持ちに心がざわっと揺れる。

「もうっ、可愛くないんだから。えっと、私の後輩の長峰くんです。パティシエの腕前はピカイチです」

「どもっス」

遥人がペコリと軽く頭を下げれば亮平も「よろしく」と小さく笑みを浮かべながら手を差し出した。軽く手を添えればぐっと握り返される。

「陽茉莉、ケーキはどれがおすすめ?」

「そうだなぁ――」

和気あいあいとケーキを選ぶ陽茉莉と亮平の姿を眺めながら、遥人は小さく息を吐く。

「どした、長峰?」

「いや、ちょっと牽制されたかもと思って」

「牽制?」

「めっちゃ強く握られた……」

「あはは! あんたの出る幕はないってことよ!」

結子は可笑しそうに遥人の背中をバシバシと叩く。そんなんじゃないのにと思いつつも、亮平の陽茉莉に対する独占欲に些か怯んだことも事実。

「あー、羨ましいっすね、仲良くて」

ボソリと呟いた言葉に、結子と長谷川だけがクスリと微笑んだ。

「亮平さん、今日はお仕事何時まで?」

「そうだな、今日は会議の予定もないし十九時には終わろうかな」

「じゃあ一緒に帰れる?」

「いいよ。迎えに来たらいい?」

「私の方が早く終わるから、そっちまで行くね。ふふっ、楽しみ」

ニコニコと屈託のない表情で微笑まれると、亮平の心は何でもないのにすうっと晴れていく。そして自分の器の小ささに若干自己嫌悪に陥り、振り切るように頭を振った。

「亮平さん、どうかした?」

「いや、帰りが楽しみだな」

「うん!」

会計を済ませた亮平は長谷川と共に店を出ていく。
二人の姿が見えなくなるまで、陽茉莉は「また来てくださーい」とブンブンと大きく手を振っていた。

「今生の別れじゃないんだからさぁ」

ボソッと呟く遥人に、結子はぶふっと吹き出す。

「今が楽しくて仕方ないのよ。長峰だって恋人ができればそうなるわよ」

「……岡島さんも?」

「私は……そんな歳はもうとっくに過ぎ去ったわ」

「寂しいっすね」

「うっさい」

結子のジャブが遥人のみぞおちにヒットし、遥人は一人悶えることになったのだった。