「菊乃、迷わず話してくれてありがとう。……怖かっただろう、大丈夫か」
「平気です。奥様が戻ってきたとき変に思われないように普通にしていたんですけど、博已さんの顔を見たら緩んじゃいました」

菊乃は青ざめて見えるし、俺に事情を話す声はかすかにふるえていた。怖かったに違いない。

「伊藤に送ってもらうつもりだったが、俺が休憩を取ってきみを送る。大使館内は安全だから、エントランスで待っていてくれないか」
「お仕事中なのに」
「きみの安全が優先だ」

菊乃を待たせ、俺は一度抜ける旨を上司に話しに行った。
マンションへ菊乃を連れ帰り、部屋まで送る。菊乃は顔色こそ優れないが終始落ち着いていた。いじらしいくらいの気丈さだ。

「送ってくれてありがとう、博已さん」

俺を見上げて謝る菊乃を抱き寄せた。

「気にしなくていい。きみを守ると言いながら、不安な目に遭わせてしまった」
「大丈夫。例の人たちがああいう形で接触してきたってことは、黙っていれば何もしないって意味でしょう」

菊乃は逆に俺の背を撫で、力強く言う。

「だんだん、この状況にも慣れてきたところです。こんな経験、日本にいたらできなかったと思うし」
「無理やりポジティブな思考にしなくてもいいんだぞ」
「ポジティブになりますよ。私は博已さんとのイタリア生活をこのまま続けたいんだもの」

俺だってそうだ。だから、この生活を守るためにも、菊乃の危険を排除したい。
今は極力菊乃を世間にさらさないようにすることしかできないが、何か解決の糸口があればいいのに。