全てをくれた君に贈る、僕の些細な愛の詩

長くて暗くて寒い夜を終わらせてくれたのは君だった

君はよく「僕がいてくれたから」と言うけれど、本当は、君がいてくれたから、僕は生きていられたんだよ


1 子犬のワルツ

「今日ね、京子たちが箱田さんの悪口言ってて、なのにわたし、また何も言えなかったんだ…。最低だよね、だけど、一人になるほうが、悪口を言うよりいや。もうどうすればいいの〜〜〜」

僕の目の前で頭を抱えている少女は、さくらちゃん。

僕たちは10年来の友達だ。

だけどさくらちゃんは僕の名前を知らない。

「こんなのクマ吉に言っても仕方ないけどさ、女子って大変なんだよ…」

もちろん僕の名前はクマ吉じゃない。本名は春人だ。

なのになんでこんな名前で呼ばれてるかというと、僕が着ぐるみだからだ。

「いいよねクマ吉は。女子のつらさなんて知らなくていいんだもん」

そういいながら、さくらちゃんは僕の頭を撫でまわす。
僕はもう21歳なので、17歳の子に撫でられるのはちょっと恥ずかしいが、動かないよう努力する。

「あっ、やばっ、もうすぐピアノだ。またねクマ吉!」

そう言って、さくらちゃんは慌てて白い椅子から立ち上がり駅のほうへ走って行った。

「ふう」

僕は息をついて”頭”をとった。

ついでに柔らかな”体”も脱いで、春の風を全身で感じる。

僕はしがない大学生。兼、着ぐるみ。
どうして大の大人が着ぐるみの中に入って、しかも現役女子高生の話し相手になっているのか。

下心とかそんなんじゃまったくない。むしろ僕は健全なほうだ。

僕とさくらちゃんの関係を説明するのはとても難しいが、50字以内でまとめてみようと思う。

僕が10歳の時、家業を手伝うために着ぐるみを着てバイトのようなものをしていたら、7歳のさくらちゃんがほぼ毎日人気のないこの公園でお話してくれるようになった。

やっぱり複雑な僕らの関係を50字以内で表すのは難しい。

ほとんど伝わっていないんじゃないか?

今の説明をもっと詳しく言うとする。

まだ10歳だった僕は体力もなく、重い着ぐるみを毎学校終わりに着て「里クマくん」として活動するのは、相当の労力を要するものだった。

だから、ある日の休憩時間、まったく人の来ない、街からかなり離れた公園で休憩をしていた。

その時の僕は、家業の手伝いだとしても着ぐるみのバイトをしていることをクラスメイトにばれたくなくて、あえて遠い公園に来ていたため、疲れ切って着ぐるみを取ることもできなかった。まあ、もしクラスメイトが来たらどうしよう、とも思っていたんだけど。

そしたら、小さな足音と「クマさんだー!」という声が近くから聞こえてきた。

それがさくらちゃんだった。

あの時さくらちゃんはまだ7歳で、そばには上品そうなお母さんもいた。

さくらちゃんは制服で、お母さんは紺のワンピースを着ていたので、きっと入学式の帰りだったんだと思う。

急な展開に固まったまま座っていると、さくらちゃんが目の前の小さな白い椅子にちょこんと座った。

「クマさんこんにちは!!」

さくらちゃんの目はきらきら輝いていて、まるで中に10際のサッカー少年がいるとは思いもしていないようだった。

僕が何も言えずクマのふりをしていると、黒いワンピースを着たお母さんがゆっくり近づいてきた。

「あら、かわいいぬいぐるみ。ずいぶん大きいのね。さくらぐらいあるんじゃない?」

その時僕は、目の前に座る小さな少女の名を知った。

クマが着ぐるみだと気づいていない母娘を目前に、僕は顔が見えていないのをいいことに、余裕な顔で「どうしたものか」と思っていた。

きっと明日には来なくなっているだろうし、正体もばれていないんだから、このまま時が過ぎるのを待っていればいいや…と。

しかし、さくらちゃんはその日から毎日のようにここへやってきた。

ある日は絵本を持って僕に読み聞かせをしてくれたり、ある日は満点のテストを僕に自慢したり、ある日はお母さんに怒られて泣きながら抱きついてきたり。

そのころになると、僕は毎日の重い着ぐるみバイトの休憩時間が楽しみになっていた。

僕の休憩時間以外や休日にも来ていたりするのかな、と思うと、その時のさくらちゃんが見られないのが少し悔しかったけど、いつも満面の笑みを見せてくれるさくらちゃんが、僕は大好きだった。

小学校に入って少し時間がたったころ、さくらちゃんはピアノを始めた。

今でこそさくらちゃんは、「皆よりずっと遅く始めたし、うまくもないから恥ずかしい」と言っているけど、あの頃のさくらちゃんは、本当に嬉しそうにピアノについて話していた。

僕はさくらちゃんのピアノを聴いたことはないが、きっとさくらちゃんのように、明るくて柔らかい音色なんだろうなと思う。

そんなふうに時がたって、僕は高校三年生に、さくらちゃんは中学二年生なった。

ちょうど受験期だった僕は、バイトも休んで勉強ばかりして、なかなかさくらちゃんの話を聞けないまま一年を過ごした。

勉強が落ち着いてきたときなどにまたあの公園に行くと、クマのいない椅子に座ったさくらちゃんが、イヤホンをしながら勉強していた。

僕のことを思ってくれていたわけじゃないだろうけど、まだ来てくれていたことに感動しながら、受験が終わったらすぐに会いに行こう、と心に決めた。

受験が終わってすぐバイトを再開した僕は、休憩時間にはやる気持ちで公園へ向かった。

まださくらちゃんの学校が始まる時間ではなかったので、一年間座れなかった白い椅子に腰かけ、ずっとさくらちゃんを待っていた。

久しぶりにちゃんと見たさくらちゃんは、もうすっかりお姉さんで、でも少しあどけなさが残る、立派な美少女になっていた。

小さいころから僕と一緒に過ごしていいたさくらちゃんは、なぜ僕が時々いないのか、そして最近はずっといなかったのか、深くは考えていないようだった。

それでも久々に表れた僕に、あの笑顔を見せて、さくらちゃんは学校のことを教えてくれた。

ずっとクマ吉がいなくて寂しかったこと、来年から受験生でここに来られないこと、中学最後の音楽祭でピアノの伴奏を弾きたいこと。

僕がいなくて寂しがってくれていたことが嬉しくて、来年から来られないのは寂しくて、応援したい気持ちもあって、ピアノの伴奏については、動かせない体で精一杯エールを送った。

さくらちゃんが受験で公園に来られなくなったころ、僕は高校生なのでバイトを始めた。するとある日、さくらちゃんがお店に入ってきた。

僕はもう本当にびっくりしてしまって、あの時の焦りがさくらちゃんに伝わっていないことを願う。

今まで聞いたことのない、ちょっと緊張したさくらちゃんの声を聞いて、僕は自分の正体を教えたい気持ちを必死に抑えた。

さくらちゃんがコンビニに来るのは不定期で、たまに来たときは眠そうで疲れていて、とても心配だった。

だから僕は、さくらちゃんがコンビニに来るたびに「よければどうぞ」と言って、さくらちゃんにいちごの飴を渡していた。

勝手な行動できっと気味悪がられていたと思うけど、あの時みたいな明るい顔がもう一度見たくて、思わずあげてしまっていた。

僕が自腹で買ったものだし、そんなに後悔はしていない。

最初に飴をあげたとき、さくらちゃんは驚いた顔で「悪いですよ。大丈夫です」と言っていたけれど、そうですよね…と凹みながら飴を戻す僕を見て、「や、やっぱり、もらいます。甘いの好きだし!」と言ってくれた。

名前も知らない店員に気を使えるさくらちゃんはさすがだな、と思いながら、その時からさくらちゃんが来た時には飴を渡すようになった。

僕はスタバの店員じゃないから、飴にメッセージも書けないけど、飴を渡すときの「よければ、どうぞ」にたくさんの気持ちを入れて渡していた。

そうやって一年を過ごしながら、ついにさくらちゃんに会える日が来た。

会えなくなる前さくらちゃんに、「受験が終わるのは二月一日だから、終わったらすぐ来るね!」と言われていたから、僕はいつもより早い時間に、わくわくしながら椅子で待機していた。

すると、さくらちゃんがはにかみながら小走りでやってきた。

椅子に座ったさくらちゃんは、うれしそうに、まだ結果はわからないけど、手ごたえはあった、と教えてくれた。

さくらちゃんが受験に合格してから今日まで、さくらちゃんがバイトを始めたり、僕は大学受験をしたりで、会える日はずっと少なくなったけど、今でも僕はさくらちゃんに会うのが一番の楽しみだ。
「ねえクマ吉、わたし、メイクとかしたほうがいいのかな…?」

真剣な顔で尋ねてくる少女に、僕は見えないけれど、着ぐるみの下で思いっきり「大丈夫だよ」という顔を作る。

さくらちゃんには、僕の大学にいる化粧の濃い女子みたいにはなってほしくない。

「なんかね、京子に『さくらは元がいいのに、メイクしないから残念だよね』って言われたの。確かに周りの子皆メイクしてるし、わたしもしたほうがいいのかなって」

京子ちゃんはさくらちゃんのことを何にもわかっていないな。

さくらちゃんは、きっとさくらちゃんのクラスの誰よりもかわいいと思う。

もし僕がさくらちゃんのことを大学の友達に紹介したら、みんな年の差を気にせず猛アタックするだろう。

くりくりとした大きな目に、桜色に火照った頬と唇。そんな顔にベールをかけるようにまとわれた栗色のふわふわした髪の毛。

さくらちゃんが椅子にふわっと座るたび、僕はいつも、まるで春の妖精みたいだ、と思う。もちろんそんな気持ち悪いこと言わないし、言えないけど。

「メイクってね、自分の顔のいやなところを消せるんだって。京子が言ってた」

さくらちゃんは語尾によく「ね」がつく。

京子ちゃんには、そんな可愛いさくらちゃんを汚さないでほしい。

さくらちゃんの話によく出てくる京子ちゃんは、悪口好き、恋バナ好き、おしゃれ好きで勝気な女の子だ。

僕の大学にもたくさんいるタイプで、ついでに言うと僕の苦手なタイプ。

高校に入学したとき、優しくてかわいいさくらちゃんは獲物にされてしまったらしい。

正直言うと、さくらちゃんにはもっと優しくてケバくない子と仲良くなってほしいけど、僕は着ぐるみだし、さくらちゃんの人生に口出しはできないので何も言えない。

「わたしここのそばかすが嫌で、メイクしてみようかなって思ってるんだ。だけど、お母さんが許してくれるかなあ……」

何度かさくらちゃんのお母さんを見たことがあるけど、品があって素敵な人だった。

あのお母さんがメイクをすることを許してくれるかはわからないけど、さくらちゃんのそばかすはチャームポイントなんだから、気にすることないのに。

「あ!そういえばね、京子が見せてくれた雑誌の女の子がすっごく可愛かったの!みてみて」

僕が着ぐるみなのにも関わらず、さくらちゃんは僕に見やすいように雑誌を広げてくれる。

さくらちゃんが見せてくれた雑誌の子は、確かに”いまどき”で可愛かったけど、僕は全然惹かれなかった。

さくらちゃんの方が何倍も可愛い。

「この人こんなに肌きれいでうらやましいなあ……。私もこんな肌になりたいなあ」

さくらちゃんはとても優しくてかわいいが、そのやさしさ故に、他人優先で自己肯定感が低い傾向にある。

ピアノであっても、自分の顔であっても、友達関係であっても。

だからよく悩むし、たまに泣く。

そんなさくらちゃんを笑わせてあげたいけど、僕にできるのは、せいぜい話を聞いてあげることだけだ。

あとたまに飴をあげるとか。

もう十年来の友達になるけど、何の助けもできない自分に嫌気がさす。

「大学にはこんなかわいい子が山ほどいるんだって。友達になれるといいな!」

大学生の着ぐるみからの忠告だけど、さくらちゃんのあこがれてるような顔をした女性は皆怖いから、なるべく怒らせないほうがいい。

それから友達になるなら、いつも遅刻せずに一限を受けるタイプの人がいいよ。

「あと、かっこいい人もいっぱいいるんだってね」

まさかさくらちゃん面食い……?

「わたしにも彼氏ができちゃったりしてー。そうなったらクマ吉に一番早く教えるね!」

一番早く教えてくれるのは嬉しいけど、聞きたくない報告だなあ……。

さくらちゃんを恋愛対象として見ているかと聞かれたら、わからない。

もしさくらちゃんに彼氏ができたら一週間は落ち込む自信がある。

だけど、どちらかというと妹みたいな感覚だ。

僕はシスコンな兄で、兄の顔も知らない妹を影でずっと応援している感じ。

「いいよね、きらきらな恋愛」

大学生の恋愛を「きらきら」と儚く言える時点で、さくらちゃんに大学の派手な人間はもったいない。

絶対に保育士希望の大学生と恋愛したほうがいいと思う。

「クマ吉はいつも私の夢物語を聞いてくれて、ほんと優しいね。やっぱり信じるべきはぬいぐるみだよ」

残念、中の人はうるさい大学生だよ。

「それじゃあ帰るね!ばいばいクマ吉!また明日」

そう言って、さくらちゃんは鞄を取って小走りで走って行った。

些細な幸せの時間が終わったその時、”大原春人”としての人生が始まる。

僕は、この瞬間が世界で一番大嫌いだ。
着ぐるみを脱いで腕時計で時間を確認すると、五時十分。

さくらちゃんが公園へやってくるのはだいたい四時半で、四十分くらい自由に過ごした後帰っていく。

昔はもっと長くいられたけど、今では宿題やピアノの練習に追われてなかなかいられないらしい。

そして僕も。

苦手な飲み会に誘われたり、課題を終わらせなきゃいけなかったりで、さくらちゃんとの時間が終わると、すぐに動き出さなければいけない。

なのに。

僕は椅子から動けなかった。膝に手を置いて、大きくため息をつく。

僕は、クマ吉じゃない。

そんなこととっくのとうに知っているが、毎日のように、クマ吉になれればいいのにと願ってしまう。

そうすれば、何もつらいことは考えないで、さくらちゃんの話だけを聞いてあげられるのに。

「……はっ」

バカなことを考えている間に時間は流れていく。

六時から六本木で飲み会に誘われていた。

強引に誘ってくる山之内の誘いを断れず、渋々行くことになったのだ。

僕が十年も、クマ吉ではなく人間であることをさくらちゃんに言っていない理由は、僕の性格にあった。

僕はさくらちゃんのことを「優柔不断」だとか「他人優先」だとかいうけど、実のところは、ほかでもない僕こそ、優柔不断で他人優先な人間なのだ。

いつも笑って断ることができないから、みんな僕のことを「ノリがよくて優しいやつ」と言う。

だけどそれは大きな間違いで、僕もさくらちゃんのように悩む。起きられない朝もある。

息を吸うことさえ怖い時もある。

それでも、今日もさくらちゃんと会える、と思うと、なんとか生きていられる。

だから受験期は本当につらかった。

生きる意味がびっくりするほど見当たらなかった。

正直なところ、今だって生きる意味なんてわからない。

今「死んでしまえ」と言われたら死んでしまうかもしれない。

そんな僕を、さくらちゃんという存在が引き留めている。

春の花のように笑うあの笑顔を見ると、ああ、まだ頑張ってみよう、と思えるのだ。

昔、自殺未遂をした十六歳の少年のブログを見たことがある。

少年のブログには、「今さっき自殺しようとしました。だけどできませんでした。

死ぬ理由が見当たらなかったから。

大きな理由もないのに死んで家族に迷惑をかけたくなかった。

そんなふうにいつまでたっても死ねない自分が大嫌いです。」と綴ってあった。

その少年のブログを見たのはその時が初めてだったけど、ものすごく記憶に残っている。

これは僕だ、と思ったから。

家族にも愛されている。

金銭的余裕もある。

友達もいる。

なのに毎日息をすることが怖くてたまらない。

消えてしまいたいと何度も願う。

理由なんてないのに。

せめて、何がつらいのかだけでも分かれば、まだ落ち込みようがあるのかもしれないけど。

そう思っていると、ポケットに入れていたスマホが振動した。

山之内からだった。

『お前いまどこー?オレはいま加奈子と合流した』
そんなメッセージとともに、ピースした二人の写真が送られてくる。

加奈子とは、さくらちゃんがあこがれていたような顔をした女性だ。

大きな猫目にあざとく歪められた赤い唇。

僕は加奈子が苦手だった。

昔から自分の意見を言うのが苦手な僕に、この人は遠慮なくきつい言葉を投げかけてくる。

そのたびに笑いながら刺されたような痛みを感じるのだ。

『ごめん、三十分ぐらい遅れるから先やってて』

メッセージを送信して、歩く速度を少し上げた。

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