トレーを持って返却口に向かう。ふと、加賀美くんが振り向いた。
「そうだ。俺、仁科との再会ラッキーだと思ってて。いいなって思える貴重な相手なんだけど、そういう意味で誘っていい? 」
「……え」
一瞬、顔が強張ってしまった。そういう意味。
「……彼氏はいないって言ってただろ。じゃあ、好きな人はいる? 」
加賀美くんは動けなくなった私からトレー引き取って返却口へ置くと私の方へ歩いてきて、行こって出口の方へ促してくれる。
「あの、うん」
何て返していいかわからない。けど、好きな人はいることについては正直に頷いた。――浮んだのは栄司の顔。
「ふうん、それって俺が知ってる人? 」
加賀美くんは、にこっと笑った。
冷房の効いた店内から出るとサンサンと容赦ない太陽の光が顔に当たる。私はまたぐっと言葉に詰まった。
「あはははは! そんなわかりやすく目を泳がせるなんて。顔に出すぎじゃない? 」
「だって。まだ、自覚したばっかりで」
「なるほど」
今の私と加賀美くんの共通の知り合いなんて一人しかいなくて、すぐに悟られてしまった。
「あの時も『好きな人がいる』って聞いて『誰? 」って聞けば状況は変わってたんだろうけど、今回はその『好きな人』が俺じゃないなら聞いても仕方ないよな」
「ごめんなさい」
「うん。タイミングってやつで、今なら引ける。ああ、残念ってだけで」
「うん。私は……もう引けない所まできちゃってるから、あの頃の後悔繰り返したくないな」
「そりゃそう。でないとただの学習しないやつだ」
加賀美くんとはそう笑いあって
「まぁ、普通に喋りたりないしもっかい飯くらい行くか。それで、誰か紹介して」
という流れになった。あと、ふと……もし加賀美くんが恋人を求めてるなら奈子とかどうだろうか……と考え巡らせていた。
加賀美くんが待たせていた後輩の女の子と合流し、お待たせして申し訳なかったなと一礼する。と同時にその子と一緒にいた男性が栄司、その人であることに気が付いた。
……栄司は、小柴さんたちと一緒に食事に行ったんじゃないの?何で?
加賀美くんと話したおかげでいくらか軽くなった気持ちがまたすぐに沈んでくる。復讐、だとか。私もほかの子とかわらない存在だとか。加賀美くんの同僚とどうして一緒にいるのとか。一瞬で色んな疑問が浮んで、胸が痛い。栄司はかっこいいから、声をかけられたりしたのかな。テイクアウトに寄っただけって言ったけど、でも……、本当に?
「コーヒー、飲む? 」
私の気も知らないで栄司は呑気に聞いてくる。何も考えてないんだろうなって仕草も顔も腹立たしいのに可愛くて。
感情を押さえて押さえて。それでも醜い嫉妬心が口から出て来る。
「栄司は、今日は小柴さんたちとランチしたんじゃなかったの? 」
「……何で知ってんの」
「あ、その……私が外出る時に見えたからさ」
「うーん……何かあのノリについていけなくてさ。今度から行かないって言って先に帰ってきた。で、一人でコーヒーな。テイクアウトだけど」
「そっか。じゃあ、私が栄司と行けばよかったな」
「そうだね」
感情が溢れて漏れて、コントロール出来ない。
「あの、さっきの、加賀美くんと一緒にいた女の子とは一緒にお茶したりしなかったの? 」
挙句、栄司に焼きもちやいたのかと思った、などと言われてしまう。そうだよ、やきもちだよ。栄司の手から奪ったアイスコーヒーは冷たくて、少しもらうだけじゃ物足りない。
栄司は自分の部署へと階段で戻って行った。物足りない。
全然、物足りないんだよ。
週末が来て欲しいのか、来てほしくないのか。
会いたいのに怖くて尻込みしてしまう。
『いつも通り過ごそうか」のいつもどおりがどういう過ごし方か思い出せずにいた。
――好きだから、会ってもまたすぐに会いたくなるってこと、気づくのにこんなに時間がかかるなんて。この週末、私は告白するつもりでいた。栄司が受け止めてくれるかわからないけど、後悔しないためにそうしようと思っていた。
セフレという関係も失うか、それとも新たな関係を築けるのか。上手くいっても不安が残る。私、付き合うことに向いてないって思ったところだから。ぐるぐると答えの出ないことをずっと考えてしまう。私の悪い癖だ。はぁ、頭が痛い。
この関係を始める時、栄司も『考えすぎるな』って言ってくれたのに。ふーっと息を吐いて仕事に向かった。
「仁科さん、顔赤いけど暑い? 」
そう辰巳主任に声をかけられ、顔を上げた。
「え、そうですか? 」
「……体調悪いんじゃない、もしかして」
「あ、そうかもしれないです。何かさっきから頭痛くて……」
気持ちの問題かと思っていたけど、確かに頭が痛かった。
「仕事、残ってるなら回してくれていいよ」
「大丈夫です。急ぎではないので」
「うん。もう定時だし帰りな」
「はい。そうさせてもらいます」
立ち上がるとふらりとする。心配そうな辰巳主任に作り笑いをして部署を後にした。
これ、まずいな。自分の体調も気づかなかった。念のため薬とちょっとした食料を買い込んだ。家に着くと、カクンと膝をついてしまった。体に力が入らない。関節が痛くなってきて――……これ、熱が出てる。働かない頭でなんとか着替え、ベットに横になった。
――週末の約束、キャンセルしなきゃ。ぼんやりと正常な判断が出来ない頭でそう思ってスマホを握り締めた。
楽しみにしていた多江との週末の予定はキャンセルになった。キャンセルの予定は不明のまま。ただ。週末の予定は無理になったからなしにして欲しいとメッセージが入っただけ。キャンセルされた日に誘うのは無駄だし、いつも会ってる平日にまた誘いがあるだろうと思っていたがそれもなかった。
多江の部署は今週忙しいのだろうと思って、遠慮した。俺と多江は元々普段の何気ないことを電話したりメッセージしたりすることは全くと言っていいほどない。多江からの約束の取り付けとそれに対しての返事、何時に着くとか着いたとか、今どことか、そんな履歴しかなかった。
――金曜。
随分と長く感じた1週間だった。
昼は誰かと行くことは無くなった。やっぱりあのテンションはキツイ。休憩にならないもんな……。イメージを払しょくできたかはわからないけど、多江にさえ伝わればいい。
結局多江と二人でランチに行けなかったことは残念に思いながら、息抜きに会社の人が少なそうな店を選んだ。
席に着いて、注文を終えると一息ついた。……はぁ、一人は楽だわ。
ぼーっとしていると、ちょうど店に入って来た人と目が合った。知らない人でホッとするが、ぺこり会釈され、もう一度顔を確認する。誰、誰だ……あ!認識と同時に会釈を返す。加賀美だ、加賀美と一緒にいた人。え、っと。いいよな声かけて同席とかしなくて。知り合いじゃないし。何となく気まずくてそっちに目を向けないようにしたが、彼女は俺の隣の席に座った。は、何で?店内を見回すと他に空席はなく、不可抗力かと安堵する。自意識過剰だっての、俺。
その通り彼女が話しかけてくることも無かった。そりゃそうだ。そんな関係じゃないのだから。ただ、隣りの席に微妙な知り合いがいるというのはいくらかリラックスできない感がある。
食後のコーヒーは彼女と同じタイミングで到着し、店員は俺と彼女のコーヒーを同時に運んできた。また、ハタと目が合った。気まずさについ声をかけた。
「今日は加賀美、一緒じゃないんだね」
彼女はビクリとした後、アイスコーヒーの入ったグラスを持って俺の前に移動した。
「あの、コーヒーだけ、ご一緒してもいいですか」
もう移動してるじゃん、とは言えなかった。
どうしたものかと思ったが彼女の鬼気迫る表情に頷き、席を勧めると、ホッとしたように腰掛けた。
「加賀美さんとは高校の同級生だとお伺いしましたが。あの一緒にいた女性もそうですか」
いきなりぶっこんでくる様子に若干引いたのが伝わったらしい。彼女はコーヒーを口にしてふうと息を吐いた。
「すみません。もうメンタルがギリギリで。自分でもどうしていいか。でもそうですよね、いきなり怖いですよね。私……」
「まぁ、まぁ、落ち着いて。どうしたんですか」
今にも泣きだしそうな彼女は自分でわかってるほど『メンタルがギリギリ』なのだろう。めんどくさいことになったとは思うが、放置も出来ないし、どのみちもう昼休憩なんでそう長くはかからない。
「私、加賀美さんが好きで、ずっと片思いしてるんです」
「はぁん」
思考停止。あと、知らねえよ。あと、ちょっとうぬぼれて恥ずかしいのと。
「ここ最近加賀美さんの仕事を引き継ぐことになって、二人になれる機会が増えて、同行最後の日にご飯誘って、気持ちを伝えるぞって決めてたんです。今日がその最後の日で……」
「ああ、そうなの。頑張って……」
「でも! お昼は別行動になっちゃって。がっかりしてたら、ちょうど夕方から合流できるようになって。ちょうど良くないですか、金曜の夜――なんて」
「あー、うんうん、そうね」
なんだよ、何聞かされてんだよ。
「もういいや、先にメッセージで誘ってしまおう!と決心して、朝の9時半にメッセージを送ったんです」
「早いね。夜の約束取り付けるにしては早い時間帯だねぇ」
一応相槌を打つことにした。
「加賀美さん、約束あるって。この前から嫌な予感してたんです。綺麗な人だし、再会とか。何でやっと来たチャンスのタイミングで、再会とかそんな運命みたいなことが起こるんですか!? 」
話ぐちゃぐちゃだけど、意味は分かる。これ、俺にとっても状況が変わって来たぞ……。
「加賀美、うちの仁科と食事に行くんだ。今日の夜」
彼女はこくこく頷いた。
「『この前会った同級生の女の人ですかー? 』って無邪気を装って聞いたら『うん』って! その後何て言ったと思います?『そっか。りっかとも最後だったし打ち上げとかすべきだったよな。気が利かなくてごめん』ですって。私の好意全然伝わってなくてこれ以上アピールするの無理。無理です。ってくらい二人の時はアピールしたのに。二ブチン」
……二ブチン。いや、でも何あいつ。後輩の事『りっか』って下の名前で呼んでんのなかなかやべぇな。勘違いさせてんじゃね?
「『じゃあ、改めてご飯連れてってください(ハート)』って返信すりゃよくない? 別に今日じゃなくても」
俺が半投げやりで言うと、この『りっかちゃん』はハッとしてスマホをぽちぽちしだした。
「は、今送んのかよ」
「『ok~! いつにする? 』ですって! きゃあ、いつがいいと思います!? 」
「知らねぇよ。合わせろよ、都合! 」
つい、口調があらくなってしまって、自分でウケる。つか、こんな速攻okすんのかよ、加賀美。これ、よっぽど何も考えてないか、この子をそんな対象に見ていないか――だな。でも、多江とどうにかなりたい時に他の女の子とご飯行くか?い、打ち上げ感覚なら行くか。どうだろ。あ――……わかんねぇ。
加賀美の気持ちはわかんねぇ。わかんねぇけど、わかったことがある。俺は、多江から加賀美と食事に行くこと聞いてないってこと。
でも、加賀美と多江の約束だって今朝りっかちゃんがメッセージするほんの数分前に決まったのかもしんないし?だいぶ朝早いな、とは思うけど。一概に責められないよな。いや、元々責める権利なんてないけど。誰と食事に行こうが多江の自由だ。俺が恋人でない限り。
「今度、食事に行くことになりました。二人で」
りっかちゃんは大層満足そうに俺に加賀美とのやり取りしたスマホ画面を見せて来た。……危うい子だな、この子。だけど、加賀美との同僚の域を出ないシンプルなやりとりに一喜一憂してる姿は微笑ましいものがあった。メッセージの背景はパステルピンクのいかにも意中の相手だとわかる状態で、これを加賀美に見せてやりたい気持ちになった。
その画面を閉じるとりっかちゃんはまた眉を下げてため息を吐いた。
「でも、それも今日次第ですね。待つのしんどいな。私と会う時は彼女いるかもしれないんですよね。再会って縁がある気がしてほんと嫌……」
加賀美とこの子が上手くいったら俺にとっても都合がいい。でも、人の気持ちを自分のために利用するのも違うよなぁ。
「同じ会社で働くっていうのも相当縁があるんだと俺は思うけど」
「……そう、そうですよね! 」
「うん。頑張って」
「告白、何て言ったらいいでしょう」
「素直が一番! 」
俺がそう言うと、りっかちゃんはこちらがドキリとするくらい可愛い笑顔を向けた。そう、それでいいんだよな、それで。
店を出ると灼熱。でも、俺も黙ってさらわれてる場合じゃない。
「そうだ、りっかちゃん。俺も告白しようと思ってるんだ」
「誰にですか」
「……うちの仁科」
「はわぁあ」
りっかちゃんの口から驚きの音が出た。
「うん」
「それ聞いて他力本願的な邪な感情が出て来そうですけど、別口で!純粋に! 応援しています! 」
りっかちゃんは俺にも複雑な激励をくれた。まぁ、そうだよな。
りっかちゃんに言うのが正解かはわからない。けど、言っときたかったからいいか。
「やー、イケメンでも告白するんですね」
「りっかちゃん、面白い子だね。えっと健闘を祈る。いざとなれば加賀美にトーク画面見せなね」
「は? はい。さぁ。週末のためにお仕事! 頑張ります! 」
「……うん」
あの情緒でこの後仕事出来るのか心配したけど、切り替えたのかキリっとした顔で去って行って大丈夫だろ。
『俺と契約中は他のセフレは作らないで』とは言ったけど……。そうだ、言った。あの頃の記憶が蘇ってくる。俺が引き受けなきゃ、他の男が引き受けてたかもしれない『セフレ』
サーッと血の気が引く。多江は本当はセフレとか向いてなくてちゃんと恋人作ったほうがいいと思うし、そう伝わるようにはしたつもりだった。俺たちの契約はもうすぐ終わって、この関係を恋人に――変えるつもりだった。
ずっと片思いしてた加賀美が現れて恋心を思い出したとしたら。もしくは、それでも多江が誰かと付き合うことを望まなかった場合、俺との形上の『セフレ』契約を解除してちゃんとしたセフレをつくるかもしれない。セフレ関係が終わっても俺みたいに同じ会社じゃないんだから、意図せず会って気まずい思いもしない。元々の気心も知れてる加賀美はどちらにしてもうってつけではないのか。そう気づいてしまった。
全然有利でもない状況。
長期戦、とか言ってる場合じゃなかったな。りっかちゃんでも思う通り、何でこのタイミングで現れるんだよ。毎週平日と週末に1日ずつ会っていた。当然、多江からの誘いで……。
先週末の理由なきキャンセル。今週は平日の誘いがなかった。忙しいからだと思っていたが、金曜の今日になってもまだ週末の誘いは無い――。偶然か?加賀美に再会したタイミングで多江からの誘いがなくなるの、それって……偶然ではないんじゃないか。
加賀美との約束が決まったら教えてって言った。
決まったばかりなのかもしれないし、わざわざメッセージするのは憚られたのかもしれない。色々想像して擁護することはできる。俺に都合のいい解釈、かもしれない。でも……。
――この日、社内で偶然会った多江を呼び止めた。
笑顔を交わす前、わずかに多江の顔が強張ったのを見過ごさなかった。苛立ちと焦りが感情的にさせる。たまたま誰かが通りかからなかったら、冷静でいられなかったかもしれない。はぁ、と息を吐く。久しぶりに多江の顔をちゃんと見た気がする。
「久しぶり、だな」
「そうだね。ごめんね。先週ちょっと体調崩してて」
すっと周りをみまわし人気のない所へ移動した。
「もう、治ったんだ? 」
多江の額に手を伸ばすと多江は身体を強張らせ、ぎゅっと目を閉じた。
「ごめん、怖がらせるつもりじゃ……。大丈夫ならそれで」
上げた手は多江に触れることなく下ろした。嫌がられてんじゃん。ふう、と息を整える。多江に祈るような気持ちで尋ねた。
「なぁ、俺に言うことない? 」
「え、何? 」
多江は全然ピンと来てないようだった。加賀美と会う報告、言う気はないんだろうか。それなら、いいよな、俺は加賀美との約束なんて知らないんだから。
「契約覚えてる? 2回だけ、俺の呼び出しにも応じてってやつ」
あの時と同じ、指で2のピースをつくって多江に見せるとコクンと頷いた。
「今日、会ってくれない? 仕事終わってから」
多江は目を見開いた。