今は、放課後です。
 日に日に暖かくなってきました。
 外の景色を見るとちょうちょが飛んでいて、ほんわかのどか。
 冬が去って明るい時間が増えてきてるよね。陽射しがだんだんと梅雨や夏に向かって熱を帯びてくる。

 学校の教室でも窓際は、ちょっと蒸し暑くなってくる時間帯があるよ〜。
 だからか、私の目はとろーん。眠くなっちゃう。
 ちゃんと授業を聞かないとって思うのに、私は頭の中も春でお花畑が広がる。

 えへへっ、隣りの相澤くんのことをちらちら気にして見てしまってるうちに、今日も時間が過ぎちゃった。

「おいっ、神楽。もう掃除の時間だぞ」

 ぼやーっとしてたから、急に相澤くんに声を掛けられて、ドキッとする。

 近頃は特に相澤くんとのアルバイトでのあれこれがフィードバックしてきて恥ずかしくなったり、たまに相澤くんが言ってくるイケメンなセリフが甦っては、ちょっと反芻してしまいます。
 いつも塩対応なはずの相澤くんはどういうつもりで、時々甘い言葉を私に言ってくるんだろう?

 ――やっぱりからかってるのかな。
 私ってよっぽど、からかわれてテンパってしまう姿が、他人には面白いのかもしれない。

 あんまりアセアセしないようにしようっと。

「聞いてる? 《《神楽》》」
「ああ、うんっ」

 ――相澤くんには『咲希』って呼ばれたい。
 ……ええっ、私! 今なんてことを思っちゃったんだろう。
「咲希」って下の名前で呼んでもらいたいだとか……、なんで?

 うん、そうか。
 だって……、相澤くんが咲希って呼んでくれると胸がきゅっと痛んで苦しいのにそれにドキドキして、なのに嬉しくって。

「ぼーっとしてどうした? 大丈夫かよ。本好きのお前のことだ。どうせ遅くまで少女漫画か乙女小説でも読んでたんじゃねえの? ほら、お前! そうだ、例えばこの間入荷した『素敵な麗しの王子様と貧乏で健気な娘のベタな恋物語全集』とかいうやつとかか?」
「あ、あれは名作のリメイクなんだから! 何度読んでも楽しいよ」

 相澤くんってば、うちの本屋さんでやってるアルバイトのこととかさ、学校では話すんじゃねえとか言っておいて。
 まあ、近くにはクラスメートの姿はいないけど、聞かれたら困るって言ってたくせに。

「はいはい。掃除の時間だかんな。お前、ぼやぼやしてんじゃねえ。掃除をしっかりやれよ。まったくお前のせいで帰るのが遅くなったらどうしてくれんだ」

 むうーっ。そんな言い方ないじゃない!

「掃除好きだもん。私は自分ちの本屋さんでだって掃除の静かな時間が好きなんだから。本に囲まれてそっと耳を澄ますとね、物語の息遣いが聴こえるんだよ」
「はあーっ? ぷぷっ、お前大丈夫かよ。本から声がするわけねえだろうが。下駄箱で上履きやスニーカーと対話してる時間はねえんだ。お前、春だからって放課後も寝てんの? 普段は夢見がちでも今は起きてしっかりやれ」
「し、しっかりやるわよ。相澤くんのイジワル! 鬼! 塩!」

 そう。私、今日は掃除当番なんだ〜。
 椅子から立ち上がる。

 必要な掃除用具を体育館横の道具倉庫に取りに行こうかなって思ってたら、相澤くんが「俺が取ってきてやる。それまで寝てろ」ってぼそっと言って行っちゃった。

 掃除担当は班や隣り同士の席ごとになっていて、私は相澤くんと同じ班なんだ。
 うちの班は今週は昇降口の担当だよ。
 そして、二年生の下駄箱の場所が私と相澤くんの掃除するエリアです。

 周りのクラスメートたちは、お喋りをしながら思い思いの放課後の時間を過ごすために移動していく。
 放課後には掃除もあるけど、部活やデートにアルバイト、図書室に行ったり、自習室に行ったりとかするんだよね。

 私は去年は仲の良い友達とファーストフードにたまに行ったりとかしたのが楽しかったな。
 家のお手伝いもあって、そんなに友達からのお誘いに参加は出来ないけど。
 クラスの離れてしまった仲の良かった友達……、うちの家庭事情に気を使ってくれてるみたいで。
 この間も遠出したらしいけど、声は掛からなかった。
 私もなんだか誘いづらくなっちゃったなあ。
 自分の都合ばかりで相手に合わせてもらうのは申し訳ないもん。
 だからか、ちょっと疎遠ぎみかもしれない。
 ううん、みんな、私のこと、忘れちゃったわけじゃないもん。

 今は……、相澤くんとのアルバイトの時間がとっても楽しみになっている。

 なんだかんだ、優しいよね……、相澤くんって。
 私はふとスキー旅行のことを思い出してしまいました。

 相澤くんと一緒に遠くまでお出掛けしたあの日。
 パパの運転する車のなかで、……あ、相澤くんと手を繋いだり、肩に寄り添って寝ちゃったりしてた。

 ……きゃあ〜っ!
 思い出したら、顔がカァーって熱くなってきちゃったよ。

 私が席で相澤くんが戻ってくるのを待っていると、にわかに廊下が騒がしくなって。
 ――なんだろう?
 なんかきゃあきゃあって、女子たちの叫び声が聴こえる。
 その騒々しさは、私のクラスの教室の方にまでやって来た。

「咲希、いる〜?」

 ぬっとドアを覗くように入ってきたのは、陸斗兄だった。

「キャーッ! 陸斗先輩! ジャージ姿なのに、どこかキマってる!」
「凛々しいです、神楽先輩〜!」
「素敵っ! 神々しい」

 ああ、忘れてました。
 陸斗兄って女子生徒に人気があるんだった。

 私と陸斗兄って親戚で血が繋がっているのに、地味な私と違って陸斗兄は華やかな雰囲気で異性にも同性にもモテるんだよね。

「咲希、いるかな?」

 陸斗兄は女子生徒たちに囲まれて少しだけ困った顔をしたけど、モテモテの場馴れしてるからか、ニコォッってキザな微笑みをばらまいた。

 ……あれは、あの微笑みは営業スマイルとでも言う感じの笑顔。たしか陸斗兄が長年の経験から女子に対してあみだした、感じの良いあしらい方法の一つだった。

 ええっ?
 いっせいに私の方に女子生徒たちの鋭い視線が向いてくる。
 まさに「ギロッ」って効果音がしそうな、怖い視線!

「あっ、ええっ! な、なんで神楽さんに?」
「ええー! 陸斗先輩が神楽さんとなにっ!?」
「陸斗せんぱぁい。神楽さんと話すより、ワタシとお喋りしましょうよぉ〜」

 やだ〜、だから、陸斗兄とは学校であんまり近づかないようにしてるのに。

「ごめんね。ボクは咲希に用事があるから。ああ、あと、咲希はボクの大事な『はとこ』だからね、みんな仲良くしてくれると嬉しいなあ」

 また、あのキラースマイルを陸斗兄がして、女子生徒たちが甘い吐息をつく。

「「はあーい」」
「神楽さんって陸斗先輩と親戚なんだ〜」
「へえ、そういや。だからか同じ苗字」

 えっと、珍しめの苗字なので察してくれると嬉しいな。
 はは……、はあーっ。
 まあ、相澤くんの下の名前を聞いてもピンとこなかった私が言えることではないかあ。

「良いな、良いな。陸斗先輩と親戚とかって役得じゃない」
「神楽さんと仲良くしようかな」
「あんな地味子、コネでもなくっちゃ仲良く出来な〜い」
「ふふふっ」
「しぃー、聞こえるよ、悪いよ」
「陸斗先輩のはとこなのに普通すぎでなんかがっかり」

 おいおい、下心まるだしの心の声がダダ漏れですよ。
 そんな、陸斗兄を出汁《ダシ》にして、友達作るとか、仲良くなるとか、私はなんだか嫌だなあ。

 私を見てもらえない気がして。
 だってそれは、本当に仲良くなりたいのは私とじゃなくって、陸斗兄となんだよね。
 そのきっかけって本物の友情にはならないって気がする。

 あと……、私みたいな地味で普通な子といたら『がっかり』って陸斗兄が言われちゃうのも忍びなくって。
 元々学年は違うから、私から積極的に陸斗兄に関わらないようにすれば良いだけ。学校ではあんまり接点はないしね。

「咲希、いたー」
「なに? 陸斗兄。どんな用事ですか?」
「ぷっ、はははっ。咲希、そんな顔すんなよ。あーあ、敬語まで使っちゃって。むすくれた咲希もかわいいけど」

 クラスメートたちはじとっとした目でこっちを見ていて、鋭い攻撃力の視線が痛いな、とほほ。
 陸斗兄と私の動向を伺っていて、そわそわしてる。

「あのね。陸斗兄、私、これから掃除当番で掃除に行かなくちゃなんだけど」
「咲希。じゃ、その後だめ? 咲希は時間ない?」
「まあ、ちょっとなら……。でも陸斗兄の用事ってなにかな?」
「うん、咲希にお願いしたいんだよね」
「私にお願いかあ……。他の人ではなくって私じゃないとだめなことなの?」

 私がまっすぐに陸斗兄を見ると、ほわあっとした微笑みを返してくる。
 この笑顔は本心から笑ってる顔だよね。
 親しい人にだけ見せる笑顔。
 陸斗兄は、時々勉強をみてくれたり、夏休みの宿題を手伝ってくれたり、私をいじめっこから陸斗兄は助けてくれた。
 優しくて面倒見がいい陸斗兄。
 陸斗兄にそんな表情されちゃったら、私はお願いを断れないなあ。

「どうしても私になんだ」
「ああ、うん。ボクは咲希が良い。手伝ってもらいたいことあるんだ。じゃ、あとで」

 陸斗兄が教室を出ていくと、話したいのか数人の女子生徒たちもついて行っちゃう。
 海の波が引くみたいに、サーッと女子生徒の集団が陸斗兄と共に移動していった。