学校宿泊は三学年合同の大イベントだ。
 しかも、夏休み寸前。
 楽しみな学校行事に生徒たちは浮き足立っていて、周りがざわざわと落ち着かない。
 騒々しい雰囲気が学校全体に漂っている。

 咲希に言わせりゃ、三年生が本格的に受験や進路の追い込みに入るちょっと前で、告白のチャンスを窺っている二年生の女子が多いそうだ。
 卒業したら会えなくなるんだもんな。
 偶然とか必然とか、そんな奇跡、期待するより、動いたほうが良い。
 って、俺もさんざん思い悩んだけど、この高校に受験して良かった。
 ――咲希に会えた。
 もう一回、会いたかった。
 ……直接、神楽書店に行けば良かったんだけど、中三までの俺にはそこまでの勇気はなかった。
 咲希にどんな顔して、どんな話をしたら良いのか分からなかったから。
 小学生の俺には遠くなっちまった距離も、中三になる頃には一人で行けなくはない距離になってたわけだし。
 でも、もう一度会ってお礼が言いたかった。
「あの時、助けてくれてありがとう。また友達になってくれる?」って。
 何度も思い描いた再会は、いざ、咲希を目の前にしたら、声がなかなか出なかった。

 ばあちゃん家から、電車で通う俺。
 母さんが死んで父さんと引っ越して、ばあちゃん家に移り住んだ。
 小学生の時には世界の果てみたいに遠く離れちゃったと感じた咲希が住む街。
 高校で再会して、俺はすぐにあいつだって、咲希だって分かった。
 もっと可愛くって綺麗になっていたけど、咲希の屈託のない明るくって弾けるような笑顔は変わらなかった。

 咲希の笑顔は周りを幸せにする。
 あいつの笑顔は不思議と、周りも笑顔にして、元気にさせちまう。


 今年は俺たち二年生が校庭にテント組で、二年生は体育館にテントを張って三年生は各教室で寝袋で寝ることに決まった。

 これから夕食作りに入る。
 メニューはすいとん入りのとん汁かカレーライスのどちらか。
 俺の班はすいとん入りのとん汁に決定した。
 ちょっと前にあった行事の海浜キャンプではカレーライスを作ったので、今回はすいとん入りのとん汁ってことになった。
 あとで、焚き火でマシュマロを焼くのを咲希が楽しみにしていたなあ。
 ……マシュマロを楽しみにする咲希、……うん、可愛い。
 俺は咲希の笑顔を思い出した。
 すぐそこにいるのに、いろんな顔する咲希を思い出す。
 どんだけ、俺はこいつのことを好きなんだろうか。
 あーっ、めっちゃ好き。
 俺、心んなかも頭んなかも咲希でいっぱいなんだな。

 俺は班が咲希と一緒なのは嬉しいんだが、あとは瀬戸と生徒会長と鎌田ニコラってやつと……。

「で、なんでここに『倉セン』がいんだよ」
「倉山先生はワタシのカレシなので」
「はあ――っ!?」
「ニコラが心配で、偵察に来た」

 咲希と最近友達になった鎌田ニコラはハーフのちょっと天然な感じ、ほわほわした雰囲気は咲希と似ているので、気が合いそうっちゃ合いそうだけど。
 まさか、国語の教師の倉山先生《くらせん》と付き合っているとは。

「相澤くん、今始めて知ったんだ?」
「咲希は知ってたのか?」
「うん。お似合いだよね〜」

 俺はぴったりくっついてごぼうを切っている倉センと鎌田を見た。

「いやいやいや、まずいだろ。まだ成人前だぜ? 教師と生徒だし、バレたらどーすんだよ、倉セン。簡単に俺らに言ったりして軽率じゃねえか?」
「大丈夫大丈夫。ノープロブレム! お前ら喋らんだろう? 俺だって口の堅そうな人を簡単に裏切らなそうな生徒を選んで喋ってるよ。それに俺とニコラは幼馴染みの親公認の付き合いで婚約者だ」
「ねー。ワタシ、ハーフでいじめられたりしてたら、恭吾が助けてくれたの。いつでもピンチに駆けつけてくれる恭吾はニコラだけの王子様なんだよっ。だから大好きっ!」

 倉センにニコラがぺたっと引っ着いて、腕を組む。

「いやいやそうじゃなくって。気をつけろって話っ!だからって、まだ、あんまし大っぴらにしたら色々問題あんだろうが。倉センも鎌田《そいつ》のために隠すとこ隠さねえと、傷つけることになる。大好きなやつを傷つけちゃうようなの、なるべくなくして守ってやんねえと」

 ほぉーっと、周りの感心したような声が響いて俺はびびった。

「相澤くん!」
「なんだよ」
「素敵だよっ! 相澤くん!」

 横に立つ咲希がピーラーと皮むき途中のじゃがいもを抱えながら、俺をキラキラの瞳で見つめてくる。

「感激だ! 先生達をそんなに心配してくれるんだね。相澤〜! お前って無愛想だが良いやつだなあ」
「俺のことはどうでもいいから、倉セン、卒業までは自重しろ。ラブラブ光線をむやみやたらに出して問題起こすなよ。哀しむのは鎌田だけじゃねえし」
「相澤、他に哀しむ人間がいるっていうのかい?」
「……咲希にようやく出来たクラスの友達なんだ。友達が哀しむと咲希もめっちゃ傷ついて哀しむから」
「ああ、そういうことね。俺、勘違いしてた。良かった。相澤でもちゃんと好きな子がいるし、そう心配してんだ。あんまり俺とニコラのこと必死になってくれるからてっきり俺かニコラのことが好きなのかと焦ってどきどきした」
「だ、誰が! 誰が倉センや鎌田のこと。好きなわけねえだろうが。俺が好きなのは神楽咲希だけだ!」

 やっべ、大声で言っちまった。
 しーんとなって、焚き火の鍋にじゃがいもを入れに行った咲希にまで聴こえちまったみたい。
 だって、あいつ、顔が茹でダコみたいに真っ赤っ赤だ。

「良いですねえぇ〜。相澤はそんなに神楽さんのことが好きなんだ。俺たちも周りにバレない程度にいちゃいちゃラブラブしようね、ニコラ」
「うんっ、恭吾」

 ほんっとうに分かってんのかよ。
 バレて問題にだけはすんなよな。
 不祥事だって思われて、恋愛沙汰で傷つくのは当事者の二人だけじゃない。
 友達だって、クラスメートだって、親だって、みんな波及で傷ついちまう。

 恋愛って、いろいろなケースがあんだな。

 俺と咲希は同級生で、そんなに障害があるわけじゃないって思ってたけど。
 陸斗先輩を傷つけてはいるのかもしれない。
 だからって、咲希を譲る気はまあったくないけどな!

「相澤、心配してくれてサンキューな。先生、嬉しいぞ。ああ、婚約のことはこっそりだけど校長先生とかも知ってるから。まあ、心配すんなって」
「隙、ありまくり。気をつけろよな」
「ふふっ、ありがとうなあ。相澤もなんか心配事や相談ごとがあったら遠慮なく先生に言えよ。たいがいのことは助けてやれると思うぞ。先生は大人だからな。……ただし、神楽とイチャイチャするのもいいが羽目を外しすぎて――」
「……なんだよ?」
「大事な相手が望まない妊娠をさせるなよ。まだまだお子ちゃまな高校生には早すぎる。責任と覚悟が出来るまでそういうことは駄目だかんな」
「あ、あ、はああっ!? ……あ、あのなあ〜っ! ねえよ、そこまであるかぁ、バカか! まだそんなとこまで俺と咲希は程遠いってえの。倉セン、お前たちのほうが気をつけろ」
「俺はバッチリ。だって手を出してませんから。結婚するまでそういう段階には進まない約束をニコラのご両親としているもんでね」

 さんざんかき乱しやがって。
 教師のくせになんて破廉恥なやつなんだろう。
 ……まあ、大人の男としてはかっこいいいかもな。
 慌てて取り繕う大人より、本心が見えて信用できる気はする。
 なにより、教師でも本音が知れて、ああ、先生ってのも人なんだなあって思った。
 俺もいつか、咲希と婚約とか……して、ちゃんと自分の元にしっかり肩書をつけて置いておきたい。
 婚約とか結婚とかで束縛して所有物みたいにしたいとかそんなんじゃなくって、ただ、証みたいなもん。
 自信なんて、あるようでないから。
 まだまだたしかにお子ちゃまなんだろう。

 高校出て大学行って、俺は経済学や文学を習いたい。それから教員免許も取りたい。小さい頃は父さんみたいに学者の道もありだと思ってた。
 でも、咲希と出会って、最近やっと再会して思ったんだ。
 あの、神楽書店を二人で守る道も、素敵なんじゃないかって。
 だからこそ、いろいろ学ばないといけない。
 経験も知識もつけたころ、やっと一人前になって、稼いで。
 それで、そこまでなったら……、覚悟を見せて、納得して自信をつけて、そこでようやく咲希と結婚できる気がする。

 将来《さき》は長そうだ……。

 俺は友達と楽しそうに笑う咲希を見つめた。
 視線の先に、ちゃんとあいつがいる。
 咲希は生徒会長や鎌田がいて、笑い声が響いていた。

 俺の肩を瀬戸がバシッと叩く。

「相澤、倉センと盛り上がって楽しそうだったなあ。俺も入れてくんなきゃ妬いちゃうぞ」
「ばあか、そんなんじゃねえよ。ただ、釘をさされたのは俺のほうかもしんねええ。……大切な女子には安易に手を出しちゃ駄目だって遠回しに言われたのかもな」
「なんだ。説教されてたんだ」
「もしかしたら」
「青春だねえ」
「はあ? 瀬戸、なんだよ、それ」
「いろいろ青くさくて、思い悩んで。今しかできないことして楽しんで。俺ら、気づけば俺らなりに青春してるってことっしょ?」
「まあな。そうだな」
「手を出すのもまあ有りなんじゃない? 相手の気持ちを大事にするかどうかだよ」
「……っ? まさかお前、生徒会長と……」
「まだ、だよ。だけど、あいつが……綾菜が望むなら、……俺はその覚悟はある。男としてカレシとして大切に想ってるから。でも、あれかなあ。早いかもだけど、いずれそういうことも視野に入れとくべきでしょ? 俺は綾菜といずれは結婚して一生を添い遂げるつもりですから」
「俺だって、考えてないわけじゃない。咲希しか、俺にはいないから。咲希が他のやつに目がいかないようにするので、今は余裕がなくって手一杯だけど」
「イイねえ、良いね。そう思い悩んでる楓くんが俺はめっぽう好きですよ。それでこそ、俺のマブダチ! 楓くんに男惚れしちゃうねえ」
「下の名前で呼ぶな、瀬戸」
「良いじゃ〜ん! 俺と楓くんの仲じゃんか」
「瀬戸、お前とはただの腐れ縁だ」
「も〜、相変わらず、つれないんだから。よっ! 塩対応男子」
「やめろ。絡むな、うざったい」
「楓くうぅ〜ん!」

 俺は肩を組んでくる瀬戸の手を払って、するりっと逃げ出した。

 視線の先では、俺を見て咲希が微笑んでいた。