相澤くんと結構真剣に昇降口のお掃除をしてた。夢中になってたよ。
 私はその間、相澤くんとお喋りしたいなって、他愛もない話でもいいから出来たらなあって思ってたんだけど無駄に緊張しちゃって言葉に詰まる。
 ……上手く話せない。
 彼の横顔や時々合う視線に、ちょっとドキッとしたから。
 話したいのに、気の利いた言葉が出なかった。
 だって、……相澤くんって瞳が綺麗なんだもん。
 ドキドキ……ドキ。
 こっちを振り向いた相澤くんが、ほんのり頬を染めて微笑んで、私はここが学校じゃなくってうちの本屋さんではないかと錯覚しちゃう。

 うーん、いつもね、相澤くんは学校では塩対応の無愛想だから。
 今の微笑みは、アルバイト中とか学校外での相澤くんでしか見られない柔らかくて優しい彼の表情だった。

 掃除が終わる頃になると、陸斗兄が教室に迎えに来ていた。
 明るくて元気な陸斗兄の声がする。

「咲希、約束したから迎えに来たよ〜。掃除終わったよね?」
「あっ、陸斗兄。うん、掃除は終わったよ」

 同じクラスの子たちは帰ってしまっていて、教室に残っていたは私と相澤くんだけだった。

 ジロッと、私の横に立つ相澤くんが陸斗兄を鋭く睨んだのが分かった。

「相澤くん、バイバーイ。咲希は今日はボクと帰るから」

 陸斗兄が挑発するように舌をべーっと出して、シッシッと手を振った。
 うーん、どうして、相澤くんと陸斗兄はそんなに敵対心丸出しなんだろう?
 空手のライバルだから?
 相澤くんは空手は道場に通っていて、空手部には所属してなかったよね。
 陸斗兄は相澤くんに空手の試合で負けたのが悔しいから、こんな態度なのかな?
 私としては二人には仲良くしてもらいたいのに。
 そしたらね、仲良く出来たら三人でお出掛けとか行ったりして楽しそう。
 
「神楽……、お前さ、陸斗先輩と帰るのか? 今日バイトあるだろ?」
「あっ、うん。陸斗兄が用事があるんだって。お手伝いの時間までには帰るよー。相澤くん、あとでね」
「……」
「じゃあ、そういうことなんで。相澤くんはさあ帰った帰った。咲希、行こうか」

 相澤くんはじっと考えている。
 私は困ってしまった。
 最近は学校が終わると相澤くんとうちのお店に向かうことが多かったもの。

 ……もしかして、相澤くん。
 私と、……え〜っと。
 い、一緒に帰りたいのかな? なんて思ったりしちゃう。

「陸斗兄、そのお手伝いは相澤くんも一緒じゃだめ?」
「やだよ。ボクは咲希と二人が良いんだから。相澤くんが一緒だなんてゴメンだね。咲希、帰り支度して」
「う、うん」

 私が教室の後ろのロッカーに向かうのと入れ違いに、ムッとっした不機嫌な顔の相澤くんがぐいっと進み出て教室の入口に立つ陸斗兄の前に立つ。

「なにを咲希に手伝わすか知んねえけど、咲希に手を出したらただじゃおかねえから」
「はあっ? 君、咲希のなんのつもり? ボクは親戚なんだよ。それもちっちゃい時から遊んだりしてきた仲良しなんだから。ボクの方からしたら、相澤くんの方がお邪魔虫なんだよ。……咲希のそばに相応しいのはボクの方だ」

 二人が小声で話している内容はよくは私には聞こえなくて、でも、なんだか険悪でハラハラする。

「も、もお。二人とも、仲良くしてよー。空手のライバル同士なんでしょ? 趣味はばっちり合うのに……」

 私は慌てて帰り支度をして鞄を抱えて、相澤くんと陸斗兄の二人がいるドアの方に小走りに駆け寄る。

「この人と、仲良くなんかしねえっ」
「やだねー。誰が……、強くてこんな綺麗な顔したイケメンとなんか仲良くなんかしないよ。しかも咲希のことが好きな男と仲良くしなくちゃならないんだ。二人が付き合うのなんて、ぜったいにっ! 許さないよ。咲希を彼女にしたいとか思ってるんだったら諦めるんだな」

 ――えっ?
 相澤くんが私を好き?
 そんなわけないよ。
 友達としてアルバイト仲間として、相澤くんは好きでいてくれるんだもん。

「それ、俺は受けて立ちます」
「ふーん。そっくりそのまま言葉を返すとかじゃないんだ」
「人を好きなのを諦めるとか諦めないとか、他人が強要することじゃない。俺はアンタが咲希のことを好きだっていうのをやめろとか言うつもりも、権利もないから」

 え、え、えっと。
 どうしてか、なんだか、二人がバチバチに空気がしてて、雰囲気がピリピリしているのが私のせいなの?

「ボクは咲希を好きだし、守っていきたい。それに、これから先、一緒に……」
「それは俺の役目です。あなたに譲る気はさらさらありませんっ」
「ちょーっ、ちょ、ちょっと! 二人してなんの話をしてるの!?」

 顔を突き合わして一触即発の相澤くんと陸斗兄のあいだに私は割り込んで、二人を引き離す。

「もう、咲希との貴重な時間が無くなっちゃうんじゃんか。こんなん放っておいて、いい加減さあ行くよ、咲希」
「こ、こんなんって! ……陸斗兄、相澤くんに悪いよ」
「待てっ」

 陸斗兄が私の手を握って引っ張ったら、バシンって相澤くんが陸斗兄の手をチョップした。

「あっ?」
「咲希の手は、あなたがいくら『はとこ』でも気安く握らないでもらえますか?」
「はわわわっ。ちょっと……! もぉ、二人ともいい加減にして」

 ふたたび、相澤くんと陸斗兄がにらみ合った時――。
 陸斗兄を呼ぶ先生の声がした。

「神楽ー、神楽陸斗いるかー? 準備出来てるぞ」
「「準備?」」
「はい、今行きます」

 準備ってなんだろう?
 私と相澤くんはお互いに怪訝な顔をして、見つめ合った。


     🐇


「まあったく。せっかくさあ、一番初めに見るのは、……ボクと咲希だけでって思ってたのに」
「わあっ、かわい〜い!」
「へえ、うさぎか」

 先生に呼ばれて案内されて校庭の片隅に私と相澤くんと陸斗兄の三人で行くと、新しい飼育小屋が建っていてうさぎが数羽いた。
 先生にお願いして、ちっちゃなうさぎを抱っこさせてもらうと、毛がもふもふで、目はつぶらでかわい〜い。

 先生は用事があるとかですぐに職員室に戻って行っちゃって、私たち三人だけになる。

「閉園になった小動物園のうさぎだけが貰い手がいなかったから、学校側とかけあってうちの高校で飼うことになったんだ」
「ふーん。……あんた、けっこう良い奴なんだな」
「べっつにぃ。……咲希がうさぎが好きなんだよ? 知らないだろ」
「私のためだけじゃないでしょ? 陸斗兄って、やっぱり優しい」

 しゃがんで私はうさぎを撫でて、それから仰ぎ見た。
 照れたように笑った陸斗兄が、ちょっとかわいく見える。

「将来は獣医でもなろうかと思ってる。それなりに経験を積んで頑張ってボクは動物病院を開きたい。そばには好きな人にいてもらいたんだ。……相澤くん、君は何になるつもり? やりたい仕事とかあんの? 咲希のこともちゃんと考えてる?」
「ええ、まあ」

 私は聞こえてきた二人の会話に、深刻さを感じて、口を挟めなかった。
 ……陸斗兄は獣医になりたいんだね。
 そっか。陸斗兄は、小さい時から夢は変わっていないんだ。

「漠然とした夢もいいけど、高校生なんだし、咲希も相澤くんも来年は進路で決断しなけりゃならないだろ? 未来や将来の選択肢は意外とすぐ。もう目の前だよ? 大学に行くとか専門学校に進むとか、早めに就職して働く道もある。……そこにしっかりとした君のプランはあるの?」
「……ありますよ。俺だって考えてる。……好きな奴は幸せにしたいんでね」

 陸斗兄は白いうさぎの背を撫でた。
 それから、私の顔を覗き込んでくる。

「ボクは妥協しない。この際だから言っておくけど、咲希はボクの一番大切な女の子だから」
「ちょっと陸斗兄、大切だなんて言ってくれて嬉しいけど、相澤くんになんでそんな……」
「宣戦布告だよ。相澤楓、……ボクは空手で負けたが、次は勝つ」
「そ、それってどういうこと? 陸斗兄?」
「負けない。俺はアンタに空手でまた勝つし、咲希をアンタにも誰にも渡さない」

 どうしてか、相澤くんと陸斗兄の将来の話が出てきて、私のことも話してる。
 そんな大事な話を出来るだなんて、ちょっとうらやましいなあ。
 本当は相澤くんと陸斗兄って、いろいろ話せる友達になれるんじゃないかな?
 
 ――将来かあ。
 そうだよね。……高校を卒業してからのこと、そろそろ真剣に考えないといけないんだ。
 私は、ふと、自分のうちの本屋さんのことを思っていた。
 私の夢……。
 本屋さんを継いで、大好きな人と結婚して……って!

 ど、どうしてだろう?

 今、相澤くんの顔が一瞬浮かんだ。

 私は相澤くんの顔がちらちら浮かんだだなんて誰にもバレるわけがないのに、カアッと顔が熱くなる。

 相澤くんのそばにいるのが、急に恥ずかしくなっていた。