最近、百戦錬磨との距離が近くなっているような気がする。
 あの手紙を頼まれた日からは想像できないくらいだ。
 同じ目標に向かって歩んでいる。心強い仲間。

 日差しが今日はまぶしい。
 太陽が高い位置にあるような気がする。
 少し背伸びをする。
 うしろから自転車の音がする。
 油をさしていないようなキコキコした音が耳障りに感じる。
 チャリンチャリンと合図が鳴る。
 振り返ると、自転車に乗った百戦錬磨が後ろに乗れよとジェスチャーする。
「図書館で勉強しようかと思っていたんだけど、その前に気分転換に神社にでも行くか」
「なんで気分転換に神社?」

「近々、秋祭りあるだろ。神社にやっぱり鬼神の秘密があるみたいだ。関係者に聞いてみたいと思ってたんだ。義理の父は行方知れずだし、明日は我が身だ。あとさ、俺が死んだ場合だけど、人間ポイントの譲渡制度っていうのがあって、遺言残しておいてるから。ドナー登録みたいなもんかな。俺の所持ポイントは兄弟たちへ譲ると書いて登録してある」

「そっかー。そんな制度があるんだ」
「ひとつ、お礼を言っとかなきゃな。お前は俺の恩人だ。こんなに学生時代が楽しめたのもお前のおかげだ」
「私だって同じだよ。錬磨君がいなかったら、夏祭りなんて行かなかっただろうし、自転車を二人乗りすることもなかった」
「あと、おまえの名前も譲渡人に書いておいたから」
「どういうこと? 私なんかがもらって、いいの?」
「いいんだよ。大事な人に譲渡するのは当然だろ。感謝もしているし、恩人だと思ってるよ」
「でも……」
 開いた口がふさがらない。

「いいから、飛ばすぞ、つかまれ!!」
 使い古した自転車の荷台に座り、錬磨の腰につかまる。思いの外、風が頬に当たり、おでこは全開だ。前髪の乱れなんか気にせずに、ただ二人で風の中にいる時間は無になれた。錬磨って腹筋が鍛えられているというか、贅肉がない。

「もっとしっかりつかまれよ、落ちるぞ」
「でも、そんなにくっつけないよ。汗かいてるし」
「大丈夫だ、汗は俺の方がすげーかいてるから、気にしなくていい」
 汗もだけど、自分のお腹の肉が気になるなんて言えない。
 それに、彼につかまったら恥ずかしくて、心臓がどうなってしまうかわからない。
 一番好きな人の一番近くにいることができる。
 世界で一番の幸せ者だ。

「実は、夏希に告白された」
 自転車に乗りながら、急な話だ。一気に私の心が凍り付く。
 だって、あの美少女の人気者、夏希からの告白だよ。
 
「やっぱり、OKだよね。ずっと憧れていたわけだし」

「うーん」
 変な間が空く。そこは、即答だと思ったんだけどな。
 考えてから返事をするのも意外と慎重なのかな。

「俺、来年も学生やってもう少し、勉強とか部活とかやってみたいんだ。だから、今は受験勉強だろ。今は誰とも付き合わないって言った」
 ほっとするけど、同時に驚く。

「なんで?」
 とりあえず声になったのは、かろうじて、この一言だった。

「あの時は、もう来年高校に入ることもないだろうと思い込んでいたから、焦っていたのは事実。だから、あんな手紙なんか書いてしまった。でも、本当はもっと学生をやり続けたかったんだって気づいたんだよ」

「でも、告白を断っちゃってよかったの?」

「あぁ、今は友達がいればいいからさ。そう言えば、おまえは夏希以外に仲のいい友達っていないのか?」

「元々、人間関係築くのが苦手なんだよね。でも、唯一夏希が声かけてくれて。彼女は人当たりがいいからさ」
 コミュ障と言われる部類の不器用な性格はどうしようもない。

「俺もそれがきっかけで手紙を書いたんだっけ。夏希は人当たりがいいからな」
 万人に好かれる印象度が高い夏希。持って生まれた才能に勝てるわけがない。
「なんか、私たちって似た者同士だね」
 似た者同士なんて相手に失礼かもしれない。
 でも、どこか共感できるものがあったのは事実だった。

 風を浴びながら自転車に乗っていると、夏希とすれ違った。
 自転車にブレーキをかけると油が足りないからか、古いからなのか、キキ―という耳障りな音がする。
 すると、なぜか道端に夏希が立っていた。まるで、待ち伏せしているかのようだった。

「二人で、勉強会?」
 夏希は立っているだけでも品が良く、相変わらず笑顔を絶やさない。

「図書館に行って勉強しようと思って」

「二人は付き合ってるの?」
 珍しく夏希の声のトーンが低い。彼女がフラれるなんて今までなかったのかもしれない。厳密に言えば、フッたというより、彼の場合は受験を優先させたという意味合いが強いだろうけど。

「まさかー。受験生は勉強命だからね、付き合うわけないでしょ」
 私は強く否定する。

「でも、一緒に勉強って下心ありすぎ。錬磨君のこと、好きなんでしょ」
 ちょっと感じ悪い言い方だな。でも、夏希に逆らったら居場所がなくなってしまう。この学校の生活は生活の大半を占める。つまり、学校という場所に居場所がなくなってしまったら私は立ち上がることもできない。好きだけど、本当のことは隠し通さないと。

「ちょっと、何言ってるのよ、好きじゃないよ」

「最初に、ラブレターのような手紙を私宛に錬磨君が書いてくれたって言ってたでしょ。あれ、どうしたの? 私もらってないんですけど」
 夏希の顔が怖い。きっと心の底から怒っている。それは、はじめてフラれたと思ったからなのかもしれないし、プライドが許さないからなのかもしれない。そして、手紙を渡していないという事実をばらされてしまった。

 不意打ちだ。本人を目の前にして、言い逃れはできない。
 これで、百戦錬磨に嫌われてしまうのは確定決定事項だ。
 嘘つき認定決定だと思うけれど、何もできない。
 幸せすぎて、色々まずいことを忘れていた。というか蓋をして忘れようとしていたのかもしれない。それに、百戦錬磨の黒いオーラは今でも消えていない。
「もしかして、私への手紙を盗んだんじゃない?」
 あの時、きもっ、いらないから捨てていいって言ってたよね。なんで今更――。
 バレたら、錬磨君に嫌われてしまう。どうしよう。今まで築きあげてきた信頼がゼロになる。
 涙がこぼれそうだ。手が震える。体がこわばる。なんとか声を出す。

「手紙のこと――ごめんなさい」
 涙が溢れる。
 どうしよう。心が折れる。心のシャッターは閉まった。
 百戦錬磨に嫌われてしまう。唯一の心の拠り所だったのに。
 多分、とても大事で居場所になってくれる人だった。
 つまり、好きだったんだ。こんな時に、彼の偉大さに更に気づくなんて馬鹿だ。

「錬磨君が私のことが好きで書いてくれた手紙を勝手に読んで捨てたんでしょ」
 錬磨君の視線が痛い。もう、だめだ。

「俺たち、これから神社で調べ物しにいくから、とりあえず、またな」
 何事もなかったかのように、にこりとほほ笑んで、百戦錬磨は古い自転車をこぎだした。
 ギコギコ音が鳴って正直うるさいし、速度は速くはない。あまり驚いた様子もないし、問い詰める様子もない。
 手を離すと落ちてしまうから、なんとか彼につかまってはいたけれど、あまり接近したらまずいような気がして、ためらう。

「手紙のこと、ごめんなさい」
 錬磨君の背中越しに謝る。涙を片手で拭うけれど、涙は止まらない。

「いいよ、そんなの」
 この返答からすると、手紙を代筆していたことに気づいていた?
 彼が驚くこともなく怒りを見せることもなかった。

「夏希の字って書道習ってたらしく、すげーきれーなんだよ。勉強会でノート見た時に、硬筆で受賞しそうな字だったからさ。それに比べて、手紙の字は丸文字だったよな。だいぶ前から、何となくは代筆してるんだろうって気づいてた。でも、そのことに気づかないふりをしていた」
 やっぱり全部お見通しだったんだ。それでも、私を切ることなく、許してくれてたんだ。

「私の字は書道習ってない典型的な丸文字だもんね」

「実際、かなり初期に手紙のことは気づいていたから、気にすんな」
 気づきながらも私の行動に付き合ってくれてた?

「嘘つきは泥棒の始まりっていうよね」
 罪悪感でいっぱいだ。

「それは、当たってる。現におまえは俺の心を奪ったからな」
 どういうこと? 意味がわからないし、心が追い付かない。

「最初は手紙の相手は誰でもよかったんだ。夏希は人当たりがよかったから、手紙に応じてくれるだろうと思って書いただけだ。好きだという恋愛感情とはちょっと違って、ただ、誰かと想い出を作りたいだけだったんだ」

 百戦錬磨の背中越しに聞く話は彼の声が耳に響く。少しばかり伸びた襟足も、少し汗ばんだ背中すらも愛おしい。ぎゅっとつかみ直す。
 今日は背中が一段と大きくて安心する。

「あの手紙をやりとりするようになって、夏希という人間を観察していた。彼女はこのクラスのカースト上位にいて、クラスのみんなのリーダーシップをとっていた。そして、自分が好かれていないと気が済まないであろう人間のようだった。交際を断られないことが当たり前のように告白してきた。彼女は断られたことに意外な顔をした。俺が交際を断ることによって、おまえに何か弊害がなければいいと思っている」

「ごめんね。手紙を夏希に渡したんだけど、別な学校に彼氏がいたから、読まずに返されたの。仕方なくこのまま手紙を返そうとしたら、公園でたまたま錬磨君に会って――話してみたら見た目よりもずっと話しやすい人間だった」
「花火大会の時も、お前が来ることはわかっていたんだ」
「ウソ……」
「本当は、おまえと一緒に行きたいなって思ったけど、あんな言い方でしか誘えなかった。俺の中ではずっと愛花と手紙を交換していたと認識済みだ」
「……」
 声にならないってこういうことだ。
 いい意味で思考が追い付かない。

「俺は夏祭り、めちゃくちゃ楽しかったんだぞ。たまに育児から解放されて、お前と一緒に中学最後の夏の想い出ができてさ」
「全部わかっていて、ずっと気づかないふりをして接してくれていたの?」
「悪いか? 俺には友達がいないんだ」
 言い方はぶっきらぼうだけれど、友達がいないのは私も一緒だ。

「私、錬磨君の一生懸命なところ、好きだな。家族思いで苦労を自ら背負う所とか」
「そんな言い方されたら告白みたいだろ」

 自転車に二人乗りなので、彼の顔は全く見えない。どんな顔をして自転車をこいでいるんだろう。私に好感くらいは持ってくれているみたいだからそれ自体は嬉しいんだけどね。世界で一番錬磨のそばにいる。今、独占しているこの瞬間が一番幸せだ。彼の香りも筋肉の付き方も髪の毛の色合いも全てが好きだ。

 私、百戦錬磨が好きなんだなぁ。告白だったのに、流されちゃった?

「告白だよ。今、私は錬磨君のことが好きだと思っている」
 ちゃんと告白する。

「ちょっと待て。それは、だめだろ」
 自転車を停める。
 だめってどういう意味?

「俺たちは最近友達になったばかりで日が浅い。受験期だし、一時の気の迷いで俺を好きだなんて言うな」
「錬磨君は私のことが嫌いなの? 気の迷いじゃないよ」
「俺も、おまえのことは嫌いじゃない。でも、今は付き合う時期じゃないだろ」
「……そうだね。今のは冗談だから、気にしないで。神社に行ってみようよ」
「そっか。でも、気持ちは嬉しい。じゃあ、神社にレッツゴーだな」

 彼との距離はこんなに近いのにずいぶんと遠い。絶対に交わることのない恋愛感情なんだ。片思い必須の気持ちのやり場に困る。

 5分くらい自転車をこぐと、竹林が見えてくる。
 いつもこの一帯は、風が冷たいような気がする。

「全国にあるという鬼神神社。ここには伝説が石に彫ってあるな」
 少しばかり気温の低い神社の長い階段。竹林が横にそびえたつ。何者かが潜んでいそうな雰囲気すら漂う。風が頬をなでるが、どことなく生ぬるく人肌のような風の体温。気味のいいものではない。

「立派な神社だね」
「全国には大小問わず、鬼神神社がそびえたつ。ここは比較的規模が大きいのだろうな。石に伝説が刻まれているぞ」

『鬼神という人を喰らう神々がいた。鬼神は人間を一定期間食べないと死んでしまう。そこで、死んで間もない遺体を持って行ったりしていたのだが、空腹を満たされない鬼神たちは村の人々を襲うようになった。そこで、人間界と鬼神との間で協定を締結した。鬼人と人間が共存できるように、主に罪人を生贄とした。鬼神と人間のために生贄になった者を弔うために神社を全国に建設した。』

 これは、有名な話だった。誰もが知る神話というか伝説だ。多分、現在は人間ポイントカードにこれが引き継がれているのかもしれないし、死刑囚などが罪人として生贄にされている可能性も否定はできない。少なくともそういう時代はあったのかもしれない。