「朱里、朱里?」

誰かの心配そうな声が聞こえてきて、朱里はゆっくり目を開ける。

ぼんやりとした視界の中に、じっとこちらを覗き込む瑛の顔が見えた。

「…瑛」
「良かった、朱里…」

瑛は涙目になりながら、ホッとしたように呟いた。

「私、どうしたの?ここはどこ?」
「うちの和室だ。さっきうちの主治医に往診に来てもらった。意識が戻れば心配いらないが、みぞおちに打撲のあとがある。しばらくは安静にって」
「あー、そっか。あの時の」

朱里が聖美の屋敷でのことを思い出していると、瑛はたまらないというように顔を歪めた。

「朱里、ごめん。本当にごめんな。朱里をこんな目に遭わせて、本当に申し訳ない。打撲のあとが残るなんて、女の子なのに…」

朱里はわざと明るく笑った。

「どうして瑛が謝るのよ?それに打撲のあとなんてすぐ消えるって。それより聖美さんは?無事なの?」
「ああ、何ともない。でも朱里を心配して、泣き叫んで大変な状態だった。彼女はご両親に任せて、とにかく朱里をうちに運んだんだ」
「そう。あの、聖美さんはなぜ襲われたの?」

瑛は少し言い淀む。

「まだはっきりしないけど。恐らく誘拐されそうになった」

えっ!と思わず身体を起こすと、ズキッと胸が痛んで顔をしかめた。

「大丈夫か?動くな、朱里」
「う、うん。大丈夫」

身体を横たえ、朱里はふうと息をつく。

「きっと運転手さんが門扉を開けた時ね。その隙を見て入って来たんだわ」
「ああ、そうらしい」
「聖美さんを一人で見送りに立たせるんじゃなかったわ。私が玄関で別れていたら良かったのに…」
「お前のせいじゃない!逆に、お前がいたから彼女は助かったんだ」
「でも…」

朱里、と瑛は真剣な表情になる。

「もう俺に関わるな」
「え?どういう意味?」
「朱里には穏やかで安全な世界がある。毎日のびのびと安心して暮らすことが出来る。大切な人のそばで、幸せに暮らして欲しい。朱里には、そうして欲しいんだ。俺の分まで」

朱里は瞬きを繰り返し、瑛を見つめる。

「瑛…」

手を伸ばして瑛の髪に触れると、瑛はビクッと身体をこわばらせた。

「瑛、何をそんなに背負い込んでるの?どうしてそんなに自分を追い詰めてるの?一体、何に立ち向かってるの?あなたの…瑛の幸せはどこにあるの?」

ハッとしたように瑛は目を見開く。
だが、すぐさま視線を落とした。

「これが俺の人生なんだ。朱里とは違う」

顔をキュッと引き締めてそう言うと立ち上がる。

「何か少しでも食べた方がいい。今用意するから」

そう言って瑛は部屋を出ていった。