寒い冬が過ぎて、春の陽射しが気持ちいい季節になってきた。
「美優、おはよう。今日はいい天気だよ。暑いくらい」
「おはよう、航也。中にいると全然わからないよ」
「そうだな。今日の体調はどうだ?」
そう聞きながら、美優のおでこに手を当てる。
「うん、悪くないよ」
「よし、診察しちゃおうか」
そう言い聴診器を耳にかける。
「うん、いいよ。おっけ。翔太のとこ行っておいで。翔太が今日は中庭に行くとか言ってたぞ」
「本当?外に出ていいの?」
「暖かくなってきたしな、いいよ。ただし、今は血小板が低いから怪我に気を付けて。血が止まりにくいからね」
「うん、わかった」
美優の血小板は相変わらず低く、出血傾向が今一番の問題。
美優の場合は、体質に合わない薬も多く、薬剤の選別が難しい為、今のまま様子を見ていくしかない。
血圧や貧血は落ち着いていて、車椅子じゃなくて歩いて院内学級へ向かう。
点滴はまだ外せないが、美優も慣れたもので、点滴台のフックに勉強道具の入ったカバンを下げて、点滴台をコロコロ押しながら向かう。
「院内学級、行ってきます」
ナースステーションにいる看護師たちに声を掛ける。
「はーい、行ってらっしゃい」
いつもの光景。
〜院内学級〜
「翔太先生、おはようございます」
「美優ちゃん、おはよう。体調は大丈夫そうだね」
「うん、ねぇ先生?今日、中庭に行くって本当?」
「あっ聞いた?うん、今日は天気が良いし、暖かいみたいだからね。小学生が虫の観察しに中庭に行くみたいだから、美優ちゃんも俺と一緒に中庭出てみよう」
「うん!嬉しい!」
奈々ちゃんは最近、抗がん剤の治療が続いてるせいで、具合が悪くてベッドサイドで授業を受けている。
早く奈々ちゃんにも会いたい。
「よし、中庭に行くのは2時間目だから、1時間目は英語の授業やろうね」
そう言って美優は教科書を開き、翔太はホワイトボードに書いていく。
翔太先生は教えるのが上手。
それに体調を逐一観察することも忘れないからすごい。
授業の最後にその日の復習のプリントをやる。すらすら解けた!
2時間目が始まる前に、翔太先生から体調の確認をされて、無事に中庭に出ることが許可された。
中庭に行くと、小学生の3人と担任の先生がいて、図鑑を持ちながら虫探しに夢中になっている。これも「生活」という授業の一貫らしい。
中庭にある草木の所を一生懸命探している。かわいいな〜。
「美優ちゃんは、ここのベンチに座ろっか?本当に今日は暖かいね。美優ちゃんもたまには外の空気吸わないとね」
美優をベンチに座らせると、翔太は小学生組に混ざって一緒に虫探しを始める。
暖かい日差しに、時より吹くやわらかい風が気持ちいい〜。
しばらくすると、美優に気付いたレン君が近付いてきた。
「みゆお姉ちゃん!」
「レン君!何か虫さん見つかった?」
「うん!アリさんとね、バッタみたいな虫見つけたよ。ねぇ、お姉ちゃんも来て!」
レン君は見つけた虫を見せたくて、美優の手をグイグイ引っぱり連れて行こうとする。
小学生ってこんなに力強いんだ。
「うん。レン君ちょっと待ってね、お姉ちゃん点滴があるからっ…キャッ!」
左手をレン君に引っ張られ、バランスを崩したままの体勢で、右手で点滴台をつかんだが、点滴台のキャスターが段差につまづき、美優は点滴台ごと倒れてしまった…。
とっさにレン君と手を離したから、レン君は倒れずに済んだ。
(痛たたた…)
倒れた物音で、中庭にいた人達の視線が集まる。
「美優ちゃん!大丈夫か!!」
慌てた翔太先生達が駆け寄ってくる。
レン君は今にも泣きそうな顔をしてるし、周りの視線が恥ずかしくて、美優は急いで立ち上がる。
「お姉ちゃん…ごめんなさい」
「大丈夫だよ。レン君怪我はない?」
「うん…」
(よかった…)
「レン君気を付けなきゃ駄目だろ。美優ちゃんベンチに一旦座れる?」
翔太は美優を座らせる。
点滴を見ると倒れた弾みで針が抜け、美優のパジャマに血が滲む。
「頭は打たなかったか?痛いとこは?」
「大丈夫です。膝擦りむいただけ」
膝を見ると、かすり傷程度だが、血が足首まで流れている。
点滴が抜けた所もパジャマにどんどん血が滲んでいく。
美優は朝、航也に言われたことを思い出す。
(怪我に気を付けるように言われたんだっけ…)
翔太が中庭に一番近い病棟にピッチで連絡をして、ガーゼや点滴セットを持って来てもらう。
知らない看護師さんも手伝って傷の処置をしてもらうが、なかなか血が止まらない。
美優は、レン君を不安にさせてしまったことへの罪悪感と、転倒してしまったことで気が動転したのも相まってか、だんだんと気分が悪くなってきた…
「しょうた先生…ちょっと気持ち悪い…」
「吐きそう?」
美優は首を振る。
「美優ちゃん、ごめんね。このまま車椅子に乗って病棟に戻ろう」
美優は頷く。
翔太に車椅子を押されて、病棟に戻って来た。
翔太から連絡を受けていた看護師がテキパキと対応してくれる。
「美優ちゃんおかえり。大変だったね。血がまだ止まらないね。頭は痛くない?」
「頭?うん、大丈夫」
(なんでみんな頭を気にするのかな…?)
「今鳴海先生、救急外来に行ってるからすぐには来れないけど、CT撮るように指示あったから、ストレッチャーに移って検査室に行くね」
CT検査中も病室に戻ってきてからも、美優は吐き気が続き、顔をしかめる。
様子を見ていた看護師が声を掛ける。
「美優ちゃん、大丈夫?今、鳴海先生終わったみたいだから、もうすぐ来るからね。気持ち悪い?」
「うん…ちょっと吐きそう…オェ…」
看護師さんがすかさず容器を口に当ててくれて、背中を擦ってくれる。
ちょうどそこに航也が入ってきた。
「あれ、吐いちゃった?どんな様子?」
「転倒してからずっと嘔気が続いてます。バイタルは特に変わりはありませんが、膝の擦過傷と点滴の刺入部からは、結構な出血でした」
看護師が航也に報告する。
「うん、わかった、ありがとう。美優?遅くなってごめんな、ちょっと目見るよ。
ん〜真っ白だな。貧血も嘔吐もしてるし、2単位だけ輸血すっかな〜?
看護師さん、検査部にオーダー出してくれる?」
「分かりました」
美優は不安そうに航也を見つめる。
「美優?気持ち悪いよな。
CTの結果は異常無かったよ。美優は、頭打ってないって話てたみたいだけど、知らないうちにってこともあるからな。
頭打って頭の中で出血してたらまずいから、検査したんだわ。でもそれは無いから安心して」
美優は頷く。
「だいぶ貧血ひどいから、これから1パックだけ輸血しとくな。稀に蕁麻疹とかアレルギー反応起こす人がいるから、痒みとか息苦しさとか、何か変調あったら教えて?」
美優は不安そうな表情。
「俺ここにいるから心配すんな」
「航也…仕事は?」
「今日は外来担当じゃないし、ヘルプに呼ばれなきゃ大丈夫だから。俺ここにいるから、少し寝な」
航也の魔法のような眠りを促す言葉を聞いて、美優は安心して目を閉じた。
航也が美優の輸血をつないで、滴下を調整していると、翔太が入ってきた。
美優はスヤスヤ寝息を立てている。
「航也、美優ちゃん落ち着いた?今日の事は本当に申し訳ない。俺が側に付いていなかったのが原因…悪かった」
翔太は航也に謝る。
「なに、改まって(笑)
お前が気にすることじゃないって。美優を中庭に連れ出してくれてありがとな。
美優に付きっきりなんて無理なんだしさ、不意の事故なんて仕方ないよ」
「いや、結果的に出血に1番注意しなきゃいけない美優ちゃんに怪我させて、輸血が必要になっちゃったわけだから。航也の負担も増やして悪かったよ」
「ハハハ、大丈夫だって。俺も美優も誰もお前のせいだなんて、これっぽっちも思ってないよ。気にするなよ!輸血も念の為的な感じだから」
「そっか、ありがとうな」
「こっちこそ、いつも美優のことありがとな。もう2時か…お前、昼飯食った?」
「いや、あの後美優ちゃんの件を上層部に報告したりしてて、まだ食ってないな」
「じゃあ、食堂で一緒に食おうぜ!腹減った(笑)」
(こういう時のコイツの気遣いがありがたい…)
翔太は思った。
それから美優の貧血も改善し、怪我も大事には至らずに、翔太は胸を撫で下ろした。
美優が再入院をしてから、3ヶ月が経過していた。
入院中は、院内学級に通い勉強は遅れずに進められている。
翔太と美優の高校が連携を取り、院内学級に通うことで、高校の授業に出席していると見なされ、無事に4月には高校3年へ進学できる予定になっている。
高校の方は一安心だが、問題は病状のコントロール、発作の対応だ。
徐々に状態は安定し、自分で発作の対応が出来る日も増えているが、まだ心配な部分も多い。
航也は、本格的な退院を目指す前に、体を徐々に退院後の生活に慣らすように、外泊リハビリを検討する。
〜美優の病室〜
「美優?ちょっと話があるんだけど、今いいか?」
「うん、なに?」
「まだ本格的な退院は無理だけど、ちょっとずつ外泊リハビリをして、体を家での生活に慣らしていこうと思うんだ。
まだすぐに熱が出たり、貧血が出たり、発作の対応もまだ心配だから、俺が一緒にいる時に限るけど。
俺が朝仕事終わったら一緒に帰って、次の日に俺が当直の時間に合わせて、夕方病院に戻って来ようと思うんだけど、どう思う?」
航也は一方的に方針を決めるのではなく、美優の気持ちをまず聞いてから決める。
「えっ!いいのー?」
美優の表情が一気に明るくなる。
「うん、それでね、病院では看護師さんが毎朝測ってくれてたピークフロー値を毎日自分で測ってもらいたいんだ。
気管支の状態を知って、あらかじめ発作が出る前に気を付けておくことが出来るからね」
「うん、わかった」
ピークフロー値とは、息を思いっきり吐いた時の数値をグラフに記入する。
その日の自分の気管支の状態を把握でき、数値が低くなり始めた時が1番発作が起こりやすいと言われているので、予め心の準備ができる。
「よし良い子だな。一緒に頑張ろうな。ちょうど今日、俺当直だから、明日の朝俺と帰ろうか?準備しといて」
「うん!嬉しい!久しぶりのお家!」
「ハハハ、あんまりはしゃぐと熱出て帰れなくなるぞ。じゃ、またな」
航也は仕事に戻って行った。
外泊リハビリとは言え、病院から出れることが嬉しくてたまらない。
その後、看護師さんが来て、ピークフローの装置の使い方を教えてくれた。
装置と言っても手で持てる大きさだから、邪魔にならないし、プラスチック製だから重くない。
毎朝ベッドサイドに置いて決まった時間に測るように言われた。
看護師さんと入れ替わるように、翔太先生が入ってきた。
「美優ちゃん明日、外泊リハビリするんだって?体調が良くなってきた証拠だね」
「うん、航也が良いって!」
「そっか。この先、外泊する頻度や日数が増えれば、家でやる宿題を出そうかなと思うけど、初めは1泊みたいだから、航也と一緒にゆっくり過ごしておいで。くれぐれも無理はしないようにね」
「うん!翔太先生ありがとう!」
「おっ、元気な声だね!よろしい」
美優は明日が待ち遠しかった。
〜翌朝〜
「美優ちゃんおはよう。朝ご飯全部食べれたね。もうすぐ鳴海先生来ると思うけど、準備は出来てる?」
看護師さんが声を掛ける。
「うん、大丈夫」
「久しぶりの外だから嬉しいね。でも、無理はしないようにね」
「はーい」
看護師さん、翔太先生、航也…みんなに同じ事言われてる気がするけど、それくらいまだまだ体調は完全じゃないんだろうな…
その証拠に飲み薬もたくさんだし、吸入器もあるし…気をつけなきゃ。
そんな事を考えてると、しばらくして航也が迎えに来た。
「航也!」
「おっ、元気だな(笑)よし、帰るよ!ただし、走るなよ」
航也にしっかり釘を刺されて、手を引かれて歩いていく。
車に乗ると、
「はぁ〜やっと終わった。当直バタバタしててさ、朝飯食べ損ねたから、付き合ってくれる?」
「うん!」
「真っ直ぐ帰るのもつまらないしな、これもリハビリの一環」
そう言って、朝からやってるファミレスに入った。
航也はモーニングセットを頼み、美優は小さいパフェを頼んだ。
「食欲戻って来たな。最近は病院食も完食出来る日増えて来たしな。良かったよ」
パフェを頬張る美優を見て、航也が言う。
「うん、でも太らないように気を付けないと…」
「バカ、お前はもっと食べて体重増やさないといけないの」
「はーい」
気のない返事をしてみる。
それにしても朝のファミレスって、航也みたいに朝ご飯やコーヒーを飲んでいる人が結構いてびっくり。
朝からカップルで来てるのはうちらくらい(笑)
平日の朝からカップルでファミレスって違和感だよね(笑)
航也がコーヒーを飲んでる姿が格好良くて見とれていると、
「ん?大丈夫か?パフェ無理しなくていいぞ」
心配して声を掛けてくれる。
「うぅん、違うけど、でももうお腹いっぱい…」
そう言うと残りのパフェを航也が食べてくれた。
食べ終わってから、しばらく他愛もない話をして過ごす。
美優のペースに合わせて、ゆっくり行動してくれる。
「よし、そろそろ行くか。気持ち悪くないか?」
「うん、大丈夫」
車に乗ってから、美優の脈を測り、おでこに手を当てる。
「大丈夫だね。今10時半か…美優が疲れてなければ、いい天気だから、近くの公園に少し散歩に行くか?」
「うん!私は嬉しいけど、でも航也が疲れてない?」
「俺は慣れてるから大丈夫。散歩したらマンション帰って少し休もうな。今日はリハビリ初日だから、これくらいにして。あまり飛ばし過ぎると良くないから」
それから近くの公園で噴水を見たり、池の鯉を見たり、15分くらい過ごして、マンションに帰って来た。
「はぁ〜、やっぱ家はいいね!帰って来れて嬉しい!」
「フフ、良かったな。ちょっとずつリハビリ増やしていくつもりだからさ」
そう言うと、当直明けの航也はシャワーを浴びに行く。
家の中は綺麗に片付いていて、あまり生活感がない。
きっと病院に泊まることの方が多かったんだろうな…
美優の部屋も綺麗になっていて、ベッドのシーツを洗ってくれたのか、ピシッと引かれていた。
「はぁ〜さっぱりした」
濡れた髪の毛を拭きながら航也がリビングに入ってきた。
スウェットにTシャツ姿もかっこいい…(笑)
「美優、紅茶でも飲むか?」
「うん」
2人はソファに座って紅茶を飲みながら過ごす。
「はぁ〜幸せ」
「俺も幸せ。やっぱり美優がいない家はつまんないよ。
だけど、焦らずゆっくり体調戻していこうな。さっ、少し寝よう。ずっと起きてると体に負担かかるから」
「うん」
そう返事をし、立ち上がろうとした時、一瞬目の前が真っ暗になり、視界がぐらっと揺れた。
「おっと、大丈夫か?」
航也がすかさず支えてくれた。
「ごめん、だいじょぶ…目の前が暗くなっただけ」
「俺がベッドに運ぶから。寝る前に1回診察させて」
そういうとお姫様抱っこで美優を寝室のベッドに寝かせる。
「自分の部屋で寝れるよ?」
「いや、今日はってか、これからは寝てる間に何かあっても良いように俺の部屋で寝させるから」
航也のベッドはセミダブル?だから余裕で2人が寝れる広さだけど、ちょっぴり恥ずかしい。
「まだめまいする?ちょっと胸の音聞かせて。ん、いいよ。熱も無さそうだな。貧血が少しあるから、もう寝な」
「うん…」
「大丈夫、少し寝れば良くなるよ」
そう言い、航也も美優の横に寝ながら、美優のサラサラした髪をなでる。
ウトウトし始める美優。
「こうや…なんか一緒に寝るの…恥ずかしい…」
「フフ、なに今さら?もう美優の寝顔なんて毎日のように見てるよ?」
「だって…こうやの顔…近いから…」
「ハハ、もう眠いんだから寝なさい」
航也が美優の髪をなでていると、スースー寝息を立て始める。
航也も明けだったこともあり、美優が寝たのを確認すると、そのまま眠りに落ちていった。
「コホッ、コホッ」
航也は、美優の咳き込む声で目を覚ます。
そのまま様子を見るが、咳は続かないようで一安心。
スヤスヤ眠る美優を起こさないようにリビングへ行く。
時刻は15時半過ぎ。
「はぁ〜よく寝た」
航也は伸びをして、コーヒーを入れる。
そして、パソコンの電源を入れ、リビングで仕事を始める。
医者は病院で勤務する以外にも色々と事務仕事があるのだ。
美優が起きるまで仕事を進める。
30分後
「コホッ、コホッ……コホッ」
再び寝室から美優の咳が聞こえてきた。
航也は寝室に行き、そっと聴診器を滑り込ませ、胸の音を聞く。
微かに聞こえる喘鳴。
「みゆ?美優?」
「…ん?」
「起こしてごめんな。少し咳出てるな。苦しくないか?」
「う〜ん…苦しくはないけど、ちょっと胸の辺りが違和感がある…かな?」
「うん。美優、その違和感が発作の始まる前兆だと思うから、ここで一旦吸入しとこうか?」
「うん」
美優は眠い目を擦りながらも、落ち着いて吸入できている。
「よし、上手だよ。さっきみたいに違和感を感じた時点で吸入するといいよ」
航也は、今後も同じようなことが起きた場合に美優が対処できるように丁寧に指導する。
「リビングにおいで」
美優をソファに座らせる。
「遅い昼飯だけど、うどんでいい?」
「うん」
航也がうどんをさっと作ってくれて、2人で食べる。
航也が食べ切れる量を盛ってくれて、何とか全部食べ切ることができた。
それから美優はソファでDVDを見たり、携帯の音楽を聴いたりして過ごし、航也はお皿を洗ったり、洗濯物を干したりしている。
美優が家事をするのはまだ禁止らしい。
少しぐらいできるよって反論したけど、家で過ごすことが目標と言われ、ソファにいるよう命じられた。
家事を終えた航也は、またパソコンの前に座り、カタカタと打ち込んでいる。
航也の邪魔をしてはいけないと思いながらも、飽きてきた美優は、真剣にパソコンを見つめる航也に視線を送る。
すると航也が美優の視線に気付き、チラッとこっちを見る。
「ん?どうした?」
「うぅん、ただ見てるだけ(笑)」
「なに、寂しいの?」
そういたずらに聞きながら、美優のソファにやってきた。
航也はソファに座ると、美優をひょいっと持ち上げ、向い合わせに座らせる。
「ちょっ!重いよ?航也の足潰れちゃう」
「ハハ、全然重くないよ。主治医として、美優の体重は把握済みだし(笑)」
「え?何それ?ひどーい!」
「は?当たり前だろ。薬の量は患者の体重や年齢から考えて決めるんだぞ。初めて美優が入院してきた時から知ってるよ(笑)美優はもっと食べて太らないとな」
知らなかった…
主治医とは言え、好きな人に体重を知られていたなんて…
急に恥ずかしくなり、下を向く。
「おいおい…今さら何だよ(笑)ほら可愛いいお顔見せて?」
「ん?かわいい?」
可愛いという言葉に反応する。
何度も言って欲しくて、航也を見上げる。
「もちろん。ねぇ、その上目遣い反則だから」
「こうや?」
「ん?」
「美優のこと、好き?」
「なに急に?もちろん大好きだよ」
「フフッ、美優も航也が大好き」
航也と美優は互いに甘い言葉を交わして、美優は航也の胸に顔を埋める。
航也は美優の髪の毛を優しく何度もなでる。
「航也?私の病気って…良くなる?みんなみたいに…元気になれる?」
唐突に聞いてみる。
「うん、美優たくさん頑張ってるから、体調が良くない日もあるけど、少しずつ回復してるよ。だからこうやって一時外泊できてるでしょ?」
「うん。航也を信じてる。大好き…」
「俺もだよ」
そんな甘いひと時を過ごしていたのだけれど…
やっぱり体は正直で…
美優は少しのダルさと微かな息苦しさを感じ、体の力が抜けていく…
美優「コホッ、コホッ」
また少し咳も出てきた。
航也も美優の体の力が抜けて、自分に体重を預けてきたのがわかる。
「美優?ちょっと疲れた?少し体熱いな、ちょっと熱測るよ。胸の音も聞かせて」
美優をそっとソファに寝かせ、聴診器と体温計を取りに行く。
「美優、深呼吸してごらん」
「スーハー、スーハー」
美優は黙って航也に従う。
「やっぱり喘鳴が聞こえるし、熱も上がってきたな」
体温計を見ると37.8の数字…
美優の気分は一気に下がり、現実に引き戻される…
何でこんなに病弱なんだろ…
そんな美優の様子を見過ごすわけはなく、航也がすかさず言葉を掛ける。
「美優?このくらい俺の想定内だから大丈夫。だから俺と一緒にいるんでしょ?」
「でも…早めに病院に戻らなくちゃいけない?」
「いや、これ以上熱が上がったり、重責発作が出なければ、予定通り明日の夕方で大丈夫だよ。一応、とんぷくの薬も飲んでおこう」
「うん、よかった…」
そう言う美優に薬を飲ませ、背中をトントンしていると、しばらくして寝息が聞こえ始めた。
やっぱりまだ体力がないよな…
航也は美優の体調を気にしながら一晩を過ごした。
〜翌朝〜
カーテンから差し込む光で航也は目覚める。
時計は7時を指している。
隣に寝ている美優を見ると、汗をかいて、やや息が上がってる。
航也は、そっと体温計を入れる。
ピピピッ
38.6…熱がさらに上がった。
胸の音も喘鳴がはっきりと聞こえる。
(やっぱりまだ外泊は早かったか…)
「美優、美優?」
呼び掛けにうっすら目を開けるが、またすぐに閉じてしまう。
(ん?意識がおかしい?)
「美優!おい!」
航也は美優の体を揺すり起こす。
「ん…こうや?」
「よかった。意識がおかしいかと思って焦った。美優、起きれる?ソファに一旦行こう」
美優を抱き上げ、リビングのソファに寝かせる。
「美優?今苦しい?どっか痛い?」
「うぅん、大丈夫」
起きてすぐはボーッとしていた美優だったが、段々と目が覚めてきたようだ。
まだまだ油断は出来ないが、家にいる時くらいは、病気や治療を少しでも忘れて過ごさせてやりたい。
「美優?まだ熱があるし、喘鳴もまだあるから無理は出来ないけど、夕方病院に戻るまで、何しようか?」
「う〜ん、美優…また海に行きたい。でも今日は無理だよね…」
今日病院に戻れば、またしばらく外出が出来ないとわかっている美優は、少しわがままを言ってみる。
「いいよ。夕方の4時までに出勤すればいいから、2時過ぎに出発して、海にドライブに行ってから病院に向おうか?」
「いいの?ありがとう」
「フフッ美優、海好きになったの?」
「うん、前に航也が海に連れて行ってくれたでしょ?すごく綺麗だったから、また行きたいの。前とまた同じ場所がいい」
「そっか、わかったよ。でもそのかわり、時間になるまで少しでも睡眠取っておこう。俺も一緒に寝るからさ」
「うん」
「これから、さっと朝ご飯作るから待ってて」
航也は美優の体調を考えて、卵雑炊を作る。
美優はお茶碗の半分くらい食べた所でごちそうさまを言う。
「美優もう無理?もうちょっと食べてほしいな。ゆっくりでいいよ」
美優の体重が減っているから、少しでも食べさせないと…
そう言うと、頑張って全部食べることができ、航也はホッとする。
少しして美優をベッドに寝かせる。
さすがにもう寝ないかと思ったが、美優の髪をなでていると、すぐにスースーと寝息を立てて寝始める。
やっぱりまだ体力がないな…
〜数時間後〜
航也は美優の咳き込む声で目が覚める。
「ゴホッ、ゴホッ」
「…美優?」
「こうや…ゴホッ、ハァ、ハァ
、くるし…」
「苦しいな、ちょっと起きて吸入吸おう」
「スー、ハー、ハァ、ハァ、ハァ」
「美優、ゆっくりだよ」
玉のような汗をかき必死に肩で呼吸している。
ちょっとまずいな…
時刻は13時を回った所。
吸入を吸っても落ち着かない美優を見て頭を悩ませる。
点滴しないとだめだな…
「美優?苦しいね、ちょっと早いけど病院戻ろう。いいね?」
嫌がると思ったけど、相当苦しいのか、頷く美優。
その様子にさすがの航也も焦る。
「美優、すぐ準備するからちょっと待ってて」
あらかじめ準備していた美優の荷物と自分のカバンを車に積み、それから美優を抱いて車に乗せる。
「美優!もうすぐだからな!」
美優の苦しそうな息づかいだけが車内に響く。
病院までの10分がこれ程長く感じたことはなかった…
処置室に運ばれた美優の状態は
、重責発作を起こしていて危険な状態だったが、何とか点滴で落ち着いた。
挿管の一歩手前だった…
一足早く病室に戻ってきた。
美優が寝たのを確認し、航也も当直の時間まで仮眠を取ることにする。
〜美優〜
目を開けると…病室に戻ってきてしまったことがわかった。
(海…見れなかったな…)
何だか悔しくて涙があふれる…
その時、看護師さんが入ってくるのが見えた。
「あっ、美優ちゃん、起きたのね。どうしたの?苦しい?」
泣いている美優を心配してくれてる。
「大丈夫。だけど…すぐに体調崩しちゃうから…悲しい…」
「そっか。やっぱりお家がいいもんね。でも大丈夫よ。また元気になれば、外泊も出来るから。鳴海先生もそう言ってたでしょ?ゆっくり今は体休めようね」
美優は看護師の言葉に頷く。
体は疲れていて熱もあるのに、なぜか寝れなくて、ポタポタ落ちる点滴をボーッと見つめていた。
〜翔太〜
美優ちゃんが体調を崩して、予定時刻より早く帰って来たと聞いて、ナースステーションに向かう。
航也を見つけて声を掛ける。
「航也お疲れ。美優ちゃんどうした?」
「あぁ、お疲れ。いやさ、美優が海見たいって言うから、早めに出発して海見せてから病院に戻ってこようとしたんだけど、昼過ぎに重責発作起こしてさ、そのまま運んだ。
昨夜から発熱もあってさ、やっぱりまだまだ体力がないんだな…」
「そっか、大変だったな。少しずつだな。俺ちょっと顔出してくるわ」
「あぁ、サンキュ。俺もすぐ向かうわ」
翔太は美優の病室に入ると、美優はボーッと点滴を見つめている。
「美優ちゃん、おかえり。具合はどう?」
翔太先生が美優のおでこを触る。
「まだ熱高いね。外泊どうだった?」
「うん、楽しかった。でも具合悪くなっちゃって…海見に行けなかった…」
「そっか。また元気になったら行けるようになるよ!
そうそう、奈々ちゃんの抗がん剤の副作用が落ち着いて、今日から院内学級に来れるようになったよ。美優ちゃんに会えるの楽しみにしてたから、元気になったらまたおいでね」
「本当に?よかった」
奈々ちゃんに会えることが嬉しくて少し元気が出た。
そこに航也も合流する。
「美優、大丈夫か?ちょっと胸の音聞くよ」
「うん」
「いいよ。やっぱり大きな発作だったから、まだ喘鳴が強いな。苦しかったらすぐナースコールするんだよ」
「はーい」
こうして美優の初めての外泊リハビリは幕を閉じた。
それから1週間程度は不安定な体調が続いていた美優だったが、少しずつ回復し食欲も戻ってきた。
華は暇さえあれば、美優の見舞いに来てくれていている。
看護師から、今日も華ちゃんが面会に来てくれていると報告を受ける。
病室に近付くと、2人の笑い声が聞こえる。
航也が病室に入る。
「華ちゃん、いらっしゃい」
「鳴海先生、こんにちわ」
「2人とも楽しそうだな。お前らの笑い声が廊下まで聞こえてるぞ」
「だって〜華が笑い過ぎなんだよ」
美優が答える。
「いやいや、美優お前の声が1番うるさいんだよ(笑)」
と美優の頭にポンと手を置く。
「そうだよ、美優の声がでかいの」
(笑えるほど元気ってことで許してやるか…笑)
「それで、声のでかい美優チャン、体調はどうかな?」
「うん、大丈夫。具合悪くないよ。ね、華?」
「華ちゃんに聞くなよ(笑)
悪くないならいいけど、美優チャンの大丈夫は信用できないからな。ちょっと胸の音聞かせて」
航也は聴診器で胸の音を聞き、手首の脈を測る。
(ん?ちょっと脈が早い、たまに脈が飛ぶな…)
「はい、オッケ。肺の音は綺麗だよ。心臓はドキドキしたり、詰まる感じはしない?」
「心臓?うん、大丈夫だよ」
「そっか、わかった。じゃあ、また来るからな。華ちゃんゆっくりしていきな〜」
「は〜い」
2人の明るい声が病室に響く。
最近薬を変えてから、美優の食欲が戻って一安心だったが、依然として血小板が低い状態は変わらず、薬の副作用なのか不整脈も出ている…
幸い、美優の自覚症状はないみたいだか、やはり全身状態の変化に注意が必要だ。
航也が出て行ってからも、華と美優のおしゃべりは止まらない。
しばらくすると今度は翔太が入って来た。
「あっ、華ちゃん来てたんだね。この間はボランティアありがとね。」
「しょ、翔太先生、こんにちは。いえ、こちらこそありがとうございました」
「うん、また機会があったらお願いね。華ちゃんも美優ちゃんもニコニコして楽しそうだね。美優ちゃんも元気出てきたしね。はい、これ数学のプリント。体調見ながらで良いから、出来そうだったらやってみて。少しずつ元気になってるから、来週には院内学級に行く許可が出せそうって航也が言ってたよ。よかったね」
不安定な状態が続いていた美優は、ベッドサイド授業になっていた。
「うん、よかった。またお願いします」
美優はそう返事をする。
「こちらこそ。じゃ、楽しい時間邪魔してごめんね。華ちゃんもまたね」
翔太は病室を後にする。
院内学級には、勉強以外にも誕生日会、季節の催し物、ピクニック、課外授業などのイベントや行事があり、その時は高校生以上を対象にボランティアを募集している。
ボランティアには、会場準備、子供の遊び相手、絵本の読み聞かせなどをしてもらい、子供たちとの交流を通して、院内学級や病気の子供たちへの理解を深めてもらうことが目的。
ボランティアの多くは、医者や看護師を目指している学生だったり、華のような先生を目指している人が多く、華も翔太の紹介で、こうしたボランティアに何度か参加している。
華は翔太に出会って初めて院内学級という存在を知り、将来は翔太のような院内学級の先生になりたいと思うようになった。
そして、美優のような病気と闘いながら、長期入院している子供たちの役に立ちたいと思っている。
華は院内学級のボランティアに参加するようになって、ひそかに翔太に思いを寄せていた。
翔太は子供達やその保護者だけではなく、航也たち医師からも、看護師からも、とても信頼されている。
子供にも優しく真摯に向き合い、勉強を教えるのももちろん上手。それに、子供達1人ひとりの体調や様子を把握して、適切に対応できる翔太は、尊敬するし、かっこいい…華の憧れ。
華は、これまでに抱いたことのない感情に戸惑いながらも、これが好きという感情なのだと気付いた。
さっきも翔太が入って来た瞬間から、ドキドキが止まらなかった。
「ねぇ、美優。翔太先生って優しいよね?」
「翔太先生?うん、優しいよ。何かあったの?」
「うぅん、優しくて良い人だなって…」
「え?何それ(笑)どうしたの?」
「いや〜私さ、翔太先生のこと…好きになっちゃったのかなって…さっきもドキドキしちゃったし…」
「華〜かわいすぎ!!それはもう恋だよ!恋っ!!」
「ちょっ、美優、声でかいって!」
「あっごめん(汗)」
「でも…高校生の私になんて興味ないよね…相手にされないよね…」
「なんで?そんなのわからないじゃん!!前に翔太先生、彼女居ないって言ってたでしょ?
チャンスだよ、華っ!
翔太先生とは幼馴染って航也が言ってたから、25才でしょ?
私も航也と付き合えたんだし、年齢なんて関係ないよ!
気持ち伝えてみたら?」
「え!?いや無理だよ!絶対ムリ!!自信ないもん…」
「もう華は自分のことになると臆病なんだから(笑)
華は美人なんだし、優しいし、自信持って大丈夫だよ。
私から、航也に相談してみようか?なんか気持ち伝える良い方法ないか聞いてみるよ?」
華は渋々了承してくれた(笑)
航也と付き合い立ての頃は、華に色々協力してもらったり、たくさん応援してもらったから、次は自分の番!と美優は意気込む。
こうして華の初恋がスタートした。
そんなキュンキュンする話を華としてから、美優はどうしたら華が翔太先生に気持ちを伝えられるかと1人で考えてた。
夕飯のスプーンを持ったまま考え込む。
「美優?おーい!」
「あっ航也!入るならノックしてよ!」
「は?ノックしたよ」
「そうなの?ごめんね、ちょっと考え事してた(笑)」
「何?なんかあったの?
つーか、早く食べろよ。看護師さんが食器下げに来ちゃうだろ」
美優は航也に言われ、食べ始める。
「今日はカレーじゃん!うまそう。俺も美優の部屋で食べようと思って買ってきた」
そう言って航也は、病院の売店で買ったお弁当を食べ始める。
カレーは何とか完食できたけど、副菜とスープは無理…
航也にカレーだけ食べれたら良いって言われて、免除してもらった。
航也は今日当直じゃないから、ヘルプで呼ばれなきゃ大丈夫と言って、消灯時間まで美優の部屋で過ごすつもりらしい。
「今日華ちゃんと楽しそうだったな。華ちゃんが来ると美優が元気になるから、華ちゃんには感謝だよ」
「うん、そうだね。そういえば今日ね……」
美優は、今日の華の話を思い切って航也に話してみた(笑)
初めはびっくりした様子だったけど、2人はお似合いだと思うって言ってくれた。
それに、翔太先生が華のことを「優しくて良い子だよな」って話していたらしく、脈アリかもしれないと思い、美優のテンションが上がる!!
それから2人は、翔太と華をくっつけるべく作戦会議を始める。
まずは2人になる機会を作らないと始まらない…
悩んでいた航也が口を開く。
「そろそろまた、美優の外泊リハビリを考えてた所だったから、今度の土曜日に俺、朝当直で明けたらそのまま美優を連れて帰って、その日に翔太と華ちゃんもうちに呼んでさ、みんなで食事するのはどう?
その日2人を泊めてもいいし、帰るなら翔太が華ちゃんを家まで送っていくって言うだろうから、そこで2人にさせる作戦はどうだ?
もし泊まりでも2人になれるチャンスなら、いくらでも作れるしな。でも、ちょっと強引か…(笑)」
「うぅん、そうしよう!
そのくらいしないと、華そーゆー所すごく臆病だから、強引ぐらいが丁度いいよ!!
土日なら華も学校休みだし、翔太先生も休みだしね!」
「なら、美優は華ちゃん連絡してみて?俺は翔太に聞いてみるから。食事は何がいい?外食だと、美優の体調に何かあった時に対処出来なくなるから、家の方がいいんだけどな」
「ん〜そうだね。あっ!じゃあ、タコパは?」
「いいな。じゃあそれで決まり!」
作戦会議は無事終了して、お互い華と翔太にそれぞれ連絡を入れた。すぐに返信が返ってきて2人ともOK!!
そして、2人ともうちに泊まるこが決定した!
なんだかうちらの方がドキドキしちゃうねって話した(笑)
消灯時間になり、航也は「おやすみ」と言って美優のおでこに軽くキスをして、部屋を出て行った。
美優は華の幸せを願いながら、眠りに落ちていった。