ずっと、そばにいるよ

航也は美優が無事に眠りについたのを確認し、ナースステーションでカルテを打ち込んでいると、翔太がやってきた。

「航也お疲れ。美優ちゃんの具合どう?初日で無理させて悪かったな…」

「いや、ありがとな。翔太が早めに気付いてくれて良かったよ。発作は大事にはならなかったんだけど、熱が急激に上がって40度超えでさ、だいぶうなされてたから、薬で一旦眠らせた」

「そうか…悪化しないといいな。もしだったら俺が病室に行って授業してもいいし、話すだけでも良いしさ。
それとさ、美優ちゃんの高校の授業がどこまで進んでるか把握しておきたくて、華ちゃん?って子に連絡取ってみるって美優ちゃん言ってたんだけど、今の状態だと難しいよな…」

「華ちゃん?俺、連絡先知ってるから連絡してみるよ」

「そうなの?じゃあ、頼むわ」

「今日はありがとな」

「いやなんも。あんまりお前も頑張り過ぎんなよ。最近ずっと病院に泊まってるんだろ?たまには仕事切り上げて、飯でも食いに行かない?」

(どうせコイツのことだから、美優ちゃんや患者さんのことばかりで、飯もろくに取ってないはず…)

航也と翔太のやり取りを聞いていた看護師が声を掛ける。

「そうですよ、鳴海先生。美優ちゃんのことは私達に任せて、たまには早く帰って美味しい物でも食べてください。鳴海先生が倒れたら、美優ちゃんが心配しますよ。美優ちゃん解熱剤が効いてきて、だいぶ熱下がってましたから」

看護師と翔太に半ば強引に背中を押されて、航也は病院を後にする。

久しぶりに翔太と夕飯を食べて、何日かぶりにマンションに帰って来た。

美優がいないマンションは静まり返っている。

実は翔太もこのマンションに住んでいて、時間がある時は、どちらかの家でお酒を飲みながら、お互いの仕事の話をしたりするが、最近は忙しくてなかなか出来ていなかったな。


〜翌朝〜
航也が病室に行くと、美優はぐっすり眠っている。

胸の音を聞くとまだ喘鳴が聞こえ、酸素投与を継続する。

ピピピッ

「38.0か…まだ高いな」

航也は、氷枕を美優の頭の下に入れ、汗をかいているおでこをタオルで拭く。

すると美優がうっすらと目を開ける。

「こう…や…」

「美優、おはよう。わかる?まだ熱が高いからね。息も苦しいから、鼻の酸素付けさせてね」

「うん…院内学級…行けない?」

「うん、そうだな…今日は許可は出せないかな、病室で大人しくしててな」

それからナースステーションに行くと、翔太が夜勤看護師から申し送りを聞いている。

航也はパソコンの前に座り、担当患者のカルテを見る。

しばらくすると、申し送りを聞き終えた翔太が声を掛けてきた。

「航也、おはよう。美優ちゃん、まだ熱高いみたいだね」

「あぁ、今日は院内学級には行けないな。まだ熱が高いし、酸素の上がりが悪くてな…」

「そっか、わかった。夕方にでも、美優ちゃんの病室に顔出してみるよ」

「頼む。そうそう、華ちゃんに連絡してみたら、今日の夕方に美優の課題とか色々届けてくれるみたい。4時頃になるって言ってたかな?ちょうど会えればいいな」

「連絡ありがとう。それじゃ、俺も4時頃に顔出してみるわ」


翔太とそんな会話をし、外来に向かう前に美優の病室をのぞく。

美優がちょうど起き上がろうとしていた。

「美優!どした?」

「トイレ行きたくて…起きたけど、クラクラしちゃって…ちょっと吐きそう…」

「ちょっと待って」

航也はすかさず容器を口元に当てる。

少しだけ吐いて、しばらくして落ち着いた。

「大丈夫か?ゆっくり俺につかまって、トイレ行こう」

美優の吐き気が治まるのを確認して、病室の中にあるトイレに行かせる。

トイレが終わり、ゆっくりベッドに寝かせる。

「美優?まだ体調良くないから大人しくしてるんだよ。夕方、翔太が顔出してくれるって。あと華ちゃんが学校の課題とか持って来てくれるってさ」

「うれしい…」
美優はニコッと微笑んで、また目を閉じる。

やっぱり体力が低下してるな…

点滴の追加の指示を出す。


〜夕方〜
華「こんにちわ」

華がナースステーションの看護師に挨拶をする。

「華ちゃん久しぶり、美優ちゃんのお見舞い?」

「はい」

「華ちゃんなら、202号室のお部屋よ」

「ありがとうございます」


〜病室にて〜
華は病室のドアをゆっくりと開ける。

「美優…?」

航也から、美優の病状があまり良くないと聞いていて、華は心配でたまらなかった。

「はな?」

「美優っ!」
華は美優に駆け寄り、抱きしめる。

「美優…会いたかったよ。起きてて大丈夫なの?」

「はな〜グスン、会いたかった…グスン」

「私だって美優に会いたかったよ〜」

2人は会えた嬉しさでしばらく涙が止まらなかった。

「美優、少し痩せたね」

「そう?華も相変わらず細いよ(笑)」

それから、華は高校であったこと、美優は院内学級の子供達のこと、航也のこと、翔太先生のこと、クリスマスデートのこと…色々な話をした。

まだ熱もあり、鼻の酸素もしているけど、華が来て元気が湧いてくる。

しばらくすると、扉をノックする音が聞こえ、翔太が入ってきた。

「あっ、翔太先生!」

「美優ちゃん、起きてたの?
あっ、はじめまして。院内学級で美優ちゃんの担任してます、高松翔太です。」

華に挨拶をする。

「はじめまして。美優のクラスメイトの杉村華です」

「君が華ちゃん?昨日、航也から連絡があったでしょ?わざわざごめんね」

「いぇ、鳴海先生に言われた通り、学校の課題やプリント持って来ました、あとノートのコピーも持ってきました」

「ありがとう、あとで確認させてもらうね。美優ちゃんは体調どうかな?」

「うん、朝よりは良くなった気がする」

「気がするね(笑)友達が来てくれて元気が出たみたいで良かったね」

それから翔太先生も交え、他愛もない話をして過ごす。

美優と華は、航也の小さい頃の話だったり、翔太先生に彼女がいるのかとか…(笑)

そんな話を聞いたりして、久しぶりに病室から笑い声が聞こえる。

ちなみに翔太先生に彼女はいないらしい(笑)

美優は、久しぶりの楽しい時間に苦しさも忘れて、過ごすことができた。

でも体は正直で…
だんだんと変調を来たす…

翔太が来てから20分程経った頃、美優のモニターのアラームが突然鳴った。

SpO2の値が一時的に下がり、異常を知らせるアラーム。

でも美優はとっては良くあること。鼻の酸素からゆっくり息を吸うことに意識しながら、2人に心配掛けたくなくて会話を続ける。

「そうそう、それでね…」

華が心配そうに美優を見る。

「美優ちゃん、ちょっとお話止めて、ゆっくり深呼吸しようか?」

翔太が美優の話を遮り、深呼吸を促す。

美優は仕方ないので、翔太先生に従い、何回か深呼吸を繰り返す。

すぐにSpO2の値が戻り、皆安堵する。しかし、しばらく話をしていると、またアラームが鳴る。

「ゴホッ」

美優が咳をする。

「美優ちゃん?ちょっと今日はここまでにしようか。疲れちゃったね…」

翔太が美優に声を掛ける。

「大丈夫、まだお話してたい…ゴホッ」

「ほら、咳も出て来たし、お休みしよう。俺もまた明日来るしさ」

「美優?今日はまだ無理しちゃだめだよ。私もまたお見舞いに来るから」 

華も翔太と同じように声を掛ける。

「いや…ゴホッ、帰らないで…ハァ、ハァ」

美優は泣き始めてしまった…

するとナースステーションで他の患者のカンファレンスをしていた航也と看護師が、美優のアラーム音を確認して病室にやってきた。

「華ちゃんいらっしゃい。来てくれてありがとね。翔太もサンキューな。それで、美優ちゃんはなんで泣いてるのかな?(笑)」

華と翔太が来てくれているのを看護師から聞いていた航也。
美優が泣いている理由は大体察しがついてる。

「お話…まだしてたい…ハァ、ゴホッ…まだここにいて…さみしい…ハァ、ハァ」

「美優?2人が来てくれて嬉しかったな。ほら、もう泣かないよ、苦しくなるから。2人とも困ってるだろ?」

「いや…ハァ、おねがい…ゴホッ、ゴホッ…まだみゆ…苦しくない…」

「美優、ちょっとお話止めて、深呼吸してごらん?」

「いやぁ…ハァ、ハァ、やなの…ゴホッ、ゴホッ」

航也はすかさず脈を測り、酸素マスクを当てる。

美優の呼吸が荒くなり、だんだんと額に汗をかき始める。

「いや…ハァ、ハァ…これ、ゴホッ…取って…」

マスクを外そうと抵抗する美優の頭とマスクをしっかりと押さえて、SpO2が上がってくるのを待つ。

「美優、マスク外さないよ」

「いや…はな〜ゴホッ、ゴホッ」

「みゆ…まだいるよ?大丈夫だよ?」

華も美優を落ち着かせようと話し掛けてくれる。

「美優、俺の顔見て。ゆっくり
深呼吸しな」

さらに呼吸が荒くなり、徐々にチアノーゼが出始めた。

見兼ねた看護師が航也に尋ねる。

「鳴海先生、点滴つなぎます?」

「うん、そうだね。発作止めつないでくれる?あと、一応(鎮静剤)お願い」

美優の不安を煽らないように、鎮静剤は口パクで伝える。

美優がここまで抵抗するの珍しい。

「美優、ゆっくりだよ」

「いや、ハァ、ハァ、くるし…ゴホッ、ゴホッ、ハァ、ハァ」

本格的に発作が始まり、パニックになっている美優。

必死に肩で呼吸をしているが、酸素がなかなか上がらない。

航也は看護師が持ってきた鎮静剤を点滴から流す。

しばらくすると、徐々に呼吸が落ち着き、鎮静剤が効いて、美優の目がトロンとしてきた。

「美優、疲れたね。少し眠りな」

「いやぁ…ねない…みゆ…ねむくない…」

必死に抵抗する美優。

「フフ、もう眠いくせに(笑)」

翔太「また来るよ」
華「美優またね。大好きだよ」

華は美優を抱きしめ、頭をなでる。そのままゆっくりなでていると、美優は安心したのか、ようやく眠りについた。

美優が寝たのを確認して、3人は病室を出る。

病棟の入り口に向かって歩き出す。

「2人ともありがとうな。華ちゃんもびっくりさせちゃって、ごめんな」

「いえ…美優があんなに泣くとは思わなくて…寂しかったんだなって…」

「うん、病状が落ち着かないのもそうだけど、気持ちの面でな…少し不安定かな。しばらくあんな感じが続きそうだけど、1人で寂しがってるから、また懲りずに来てやって」

「私ずっと美優に会いたくて…心配で…でも体調悪いのにお見舞いに来たら駄目かなって…
ちょうど冬休みに入ったし、もっと美優の所に来てもいいですか?」

「うん、いいよ。華ちゃんが来てくれると美優も元気が出るし、会いに来てやって。今日はありがと、気を付けて帰ってね。翔太もまたな」

そんな会話をして航也は忙しそうにナースステーションに戻っていった。


華と翔太の2人は、そのまま病院の出入口に向かい歩き出す。

「華ちゃんは本当に美優ちゃんのお姉ちゃんみたいだね。華ちゃんと美優ちゃんは、いつから友達なの?」

翔太が尋ねる。

「美優とは小学校からの友達で、家も近かったからいつも一緒にいて。友達って言うより、家族みたいな、同級生だけど、守ってやらないといけない妹みたいな感じですかね(笑)」

「そっか。美優ちゃんは幸せだね、華ちゃんみたいな友達がいてさ。華ちゃんと会ってる時の美優ちゃんは、すごくニコニコしてうれしそうだったな」

「そうですか?美優は私の大事な親友だし、家族も同然だから。美優が苦しんでる姿を見るの辛いけど、私が想像してるよりずっと美優は辛いし、寂しいと思うから…
でも鳴海先生が側にいてくれて本当に良かったって思ってます」

「うん、そうだね。航也は美優ちゃんのことになると、過保護過ぎる程、あれこれ心配してるから、その面では航也に任せといて大丈夫だよ(笑)」

「翔太先生は、院内学級の先生なんですよね?私、院内学級っていう所があること初めて知りました。私、将来は学校の先生になりたくて…なれるか分からないけど(笑)だから、病院の中に学校があるのってすごいなって思いました。美優みたいな入院している子の力に私も将来なりたいなって思いました」

「そう?興味持ってもらえて嬉しいよ。院内学級はさ、みんな同じ時間に同じ授業をする学校とは違って、一人ひとりの子供の体調だったり、治療に合わせて授業メニューを考えていくんだ。美優ちゃんも今はあんな様子だから、明日からは俺がベッドサイドに行って、美優ちゃんが出来そうな所から勉強見ていこうと思うんだ。
大変だけど、その分やり甲斐のある仕事だよ。華ちゃんなら、きっと良い先生になれるよ」

「なれるといいけど…」

「優しい華ちゃんなら、きっとなれるよ!院内学級にはさ、行事とかイベントの時にボランティアを募って、子供達と触れ合う機会があるから、その時に華ちゃんも来てみたらどう?」

「はい!ぜひ!またその時は教えてください。あと…美優のこと、よろしくお願いします」

「ありがとね。わかった、任せて。じゃあ、気を付けて帰るんだよ?」

そうして翔太は、病院の出入口で華を見送り、華は帰っていった。

それから1週間、美優の状態は相変わらず一進一退を繰り返している。

航也は、美優の病状がなかなか改善しないのは、精神的な問題が関係しているのではと感じていた。

院内学級は、その日の体調で行けたり行けなかったり。

行けない日は翔太が病室に来てくれるけど、美優は浮かない顔。

そうじゃなくて、美優は院内学級に行きたいのだ…

しかし、主治医の航也の許可がないと行けない決まり…

朝のバイタルを測りに看護師さんが入って来た。

「美優ちゃん、おはよう。今日はいい天気ね、バイタル測らせてね。…ん?ちょっと血圧が低いね、クラクラしないかな?」

「うん、大丈夫」

「今、鳴海先生来ると思うから、その時に院内学級行けるか聞いてみようね」

「うん…」

看護師が出ていくと、美優は大きなため息をつく。

「はぁ〜…」

思い通りにならない体にイライラする…

このまま治らないなら治療する意味って何…?
わからなくなってきた…

しばらくして航也が入ってきた。

「美優、おはよう。ちょっと血圧低いんだって?気持ち悪くない?」

美優が頷くのを確認して、脈を見る。

「胸の音聞くよ。ん、いいよ。熱も下がってるし、血圧が低いくらいだな」

「院内学級…行っちゃだめ?」

悲しそうな目で言われれば、航也も駄目とは言えない。

「無理はしないって約束できる?何かあったら、ちゃんと翔太に言える?」

「うん、言える…」

「ホントかよ(笑)許可出す代わりに、血圧低いから車椅子で行って」

「え?美優歩けるよ?」

「ダメ、血圧低いから倒れたりしたら大変でしょ?」

「やだ!重病人みたいじゃん」

お前…なかなかの重病なんだけどな(笑)

「じゃあ、行かせられないよ?」

「え?やだ…でも車椅子もいや…」

「じゃあ、病室で大人しくしてるしかないな」

淡々と言われて、美優のイライラが募る…

「ん、もうっ!わかったよ!車椅子で行けばいいんでしょ!!」

最近の美優はイライラしていて、俺の言う事をなかなか聞いてくれない…反抗期か?

「じゃあ、時間になったら看護師さんに連れて行ってもらって。俺外来に行ってくるな〜」

航也は手をひらひらさせて出て行く。

「もう!」

航也にあしらわれてる気がしてイライラが止まらない。
大人の余裕?ってやつ?

しばらくして看護師さんが来て、美優を車椅子に乗せて院内学級に向かう。

車椅子ってなんだか慣れなくて恥ずかしい…

「美優ちゃん、授業終わったら迎えに来るからね。それじゃ、翔太先生お願いします」

教室に車椅子ごと入って、看護師さんが翔太先生に声を掛ける。

「ありがとうございます。
おはよう、美優ちゃん。航也の許可出てよかったね」

申し送りを既に受けている翔太は、美優の状態を把握済み。

「車椅子じゃなくても大丈夫って言ったのに、航也がダメって…車椅子で行かなかったら許可しないって言われた…」

「そっか…(苦笑)血圧が低いみたいだからね。気分悪くなったら言うんだよ?」

美優は頷く。

すると奈々ちゃんが入ってきた。

「あっ、美優ちゃんおはよう。来れたんだね。会えて嬉しい!」

「奈々ちゃんおはよう!うん、何とか許可してもらえた(笑)でも、車椅子に乗ってけって…」

「そっか。私も見て?点滴してないとダメなんだって…」

お互い愚痴を言い合いながら、自分達の椅子に座る。

「それじゃあ、さっそく授業始めるよ。奈々ちゃんはコレね、美優ちゃんはコレね」

それぞれプリントが配られて取りかかる。

分からない所は、翔太先生に聞いて教えてもらう。

華が持ってきてくれた課題やプリント、ノートを翔太先生が見てくれて、高校の授業に遅れないように進めてくれる。

今日は体調もそんなに悪くならずに、過ごせている。

だけど…
今日は奈々ちゃんの具合があまり良くないみたい…

翔太先生が頻繁に奈々ちゃんに声を掛ける。

「奈々ちゃん?無理しなくて良いよ」
「大丈夫です」

そんなやり取りが続いていた。


「美優ちゃん、この問題はね、この公式に当てはめて…」

美優の所で翔太が教えていると…

突然、奈々ちゃんが声を出す。
「せんせい…ごめんなさい…吐いちゃいそう…」

「ん?奈々ちゃんちょっと待って」

すかさず、翔太先生が近くに用意してあった容器を奈々ちゃんの口元に当てる。

奈々ちゃんが吐き始めた…

「気持ち悪くなっちゃったね、大丈夫だよ」

翔太先生は、吐いてる奈々ちゃんの背中を擦る。

「美優ちゃんごめんね、ゆっくりで良いから、隣の部屋の先生呼んできてくれる?
立ってめまいしないか確認してから歩いて。ゆっくりでいいよ」

こんな状況の中でも、美優の体調を考えながら指示を出す。

美優はゆっくり歩きながら、隣の小学生の先生を呼びに行く。

小学生の先生に奈々ちゃんを見てもらってる間に、翔太先生が奈々ちゃんの病棟に連絡をする。

その後、駆け付けたお医者さんと看護師さんに奈々ちゃんは連れて行かれてしまった…

「美優ちゃん、びっくりさせたね、ごめんね。クラクラしなかった?」

「うん。奈々ちゃん…大丈夫?具合悪いとこ初めて見た…」

「奈々ちゃんは今、抗がん剤の治療中なんだよ。だから気持ち悪くなっちゃったんだね」

抗がん剤って、あの気持ち悪くなるっていうやつ?
それでも院内学級に来てて…すごいな奈々ちゃん…

みんな…それぞれ病気と闘ってるのかな…
ニコニコして、はしゃいでるレン君、ほのかちゃん、みさきちゃんも、ここに通っているということはそういうことなんだろう…

美優はそんな事を考えて、ボーッとしてしまった。

「美優ちゃん?どうした?ボーッとして。具合悪い?」

「あ、ううん。大丈夫、考え事してただけ」

その日は最後の授業まで無事に出席できて、病室に戻ってきた。

美優は奈々ちゃんのこともあり、複雑な感情だった。


〜夕食〜
食欲は相変わらずなくて…
でもなるべく頑張って食べないと…そう思い、少しずつ箸を進める。

点滴も利き手の腕に入ってて食べづらい。

その時、航也が入ってきた。

「おっ、夕飯来てたのか?」

朝のこともあり、何だか気まずい。それに何だか今はイライラしちゃいそうで会いたくない。

「うん」

下を向いたまま返事をする。

「もう少し頑張れ」

お盆を覗き込みながら、航也が言う。

「…頑張ってるよ」

美優はぶっきら棒に答える。

いつも言われてることなのに、なぜが癇にさわる…

「ねぇこの点滴、食べる時邪魔だから嫌。トイレ行く時もいちいち気にしないといけないし、点滴終わりがいい」

「点滴?まだ美優に必要な薬が入ってるから、まだ終わりに出来ないよ」

イライラしてきた…

よく分からないけど、航也の言う事にいちいち突っかかりたくなる…

「じゃあ、この飲み薬いらない!毎日点滴してるなら、この苦い薬飲まなくていいじゃん!」

「それは無理だな。この薬は血小板を上げたり、貧血を治す薬だから、まだ必要だよ」

即答されてイライラ…

当たり前のことを言われてるのは分かるのに、素直になれない…

「……」

「わかった?嫌だろうけど、ダメなもんはダメなんだよ?」

「……」

「美優?」

「……」

「わかった?」


「んー、あぁ、もう!!わかったよ!!飲めば良いんでしょ!!飲めば!!!」

そう言って薬を取ろうとすると、ガシッと航也に手をつかまれた。

「おい!待て!飲めば良いんでしょって何?」

航也の低い声が病室に響く…

「だから、もういいよ!わかったから!」

そう言いながら、航也の手を振り払う。

「は?何がわかったの?」

航也の初めて聞く低い声…

朝のこともあったし、ちょっとわがまま言い過ぎた…と思っても後の祭り。

だけど何だか引くに引けない…

「もう!航也の言うこと聞けばいいんでしょ!聞けば!!」

「は?どういうこと?何が言いたいの?」

「……」

「おい!美優!」

「…だって…」

あまりの剣幕に、もうこれ以上は敵わないと思った途端…さっきまでの威勢が嘘のように無くなっていく…

「だってじゃない!これは誰のための薬なの?」

「…」

「美優!誰のなの?」

「…美優の…」

「じゃあ、何のための薬なの?」

「……」

「美優!答えろ!」

相当な剣幕…航也にこんなに怒られるとは思わなくてビクッとする。

「…病気…治すため…グスン」

「そうだろ?じゃあ、なんでそんな言い方になるわけ?
俺が無理やり飲ませてるとでも言いたいの?
これは俺が美優に頼んで、お願いして飲んでもらう物なの?」

もうごめんなさいって謝りたいのに…

こんなことが言いたいわけじゃないのに…

引くに引けなくなってしまい、どうしたらいいか分からない…

「…だって嫌なんだもん…なんか分からないけど、なんか嫌なの!!もうあっち行ってよ!」

「美優、いい加減にしろよ」


ちょうどその時、翔太が入ってきた。

「航也?どした?美優ちゃんの忘れ物届けに来たんだけど…何かあった?」

2人のただならぬ雰囲気に翔太は目を見開いている。

翔太先生を見ても、美優の興奮は収まらない。

「もう、みんな知らない!放っておいてよ!!あっち行って!」

そんな美優を放っておいてくれる程、航也は甘くはない。

「放っておいたら、お前の病気は良くなるの?発作起きなくなるの?美優!俺の目を見て、ちゃんと聞きなさい!」

美優は目に涙を溜めて、仕方なく航也を見上げる。

「美優が辛い検査や治療を頑張ってること、俺も翔太もみんな分かってる。体調が悪くて、なかなか院内学級に行けなくて、美優が悲しい思いをしてるのも、薬の副作用と闘って我慢してるのも全部知ってる。
だから、俺達は全力で美優の治療や勉強をサポートしてるの。でも、美優がそんなに投げやりな態度なら、何もできないよ。美優の病気を克服するのは、俺らじゃない。美優自身なんだよ。わかる?
俺が代われることなら代わってやりたいけど、いくらそれを願った所で代われない。
美優自身が自分の病気と向き合わないと、良くなるものも良くならないんだよ。
俺が前に言ったこと忘れた?
患者自身に治そうという気力が無ければ、良くなるものも良くならないって。美優はそれでもいいの?」

「…よくないけど…美優…頑張ってるのに…グスン、頑張りたいのに…グスン、頑張ってるの…グスン」

「うん、美優は十分頑張ってるよ。えらいよ」

「…だけどいつまで経っても良くならないから…どうしたらいいかわからない…ごめんなさい…」

「いいんだよ、いくらでも俺にイライラぶつけても。俺はそこに怒ったんじゃない。美優が自分の病気から目を背けて、投げやりになったことに怒ったの。わかる?」

「…うん、わかる…ごめんなさい」

「分かってくれれば、もういいよ。俺も翔太も美優のそばに付いてるから大丈夫」

2人のやり取りを聞いていた翔太も美優に声を掛ける。

「美優ちゃん?航也は厳しいことを言う時もあるかもしれないけど、美優ちゃんのことをいつもどんな時も1番に考えてるよ。だから、病気のことは航也に任せていて大丈夫。勉強のことは俺が全力でサポートするから、ね?だから、不安に思わないで。美優ちゃんは1人じゃないよ」

美優は静かに頷いた。



〜航也と翔太〜
美優の病室を出て、2人は自販機の前のソファに腰掛ける。

暗い廊下に自販機の明りだけが輝いている。

「ほら、飲めよ!」

翔太は自販機のボタンを押し、航也に缶コーヒーを渡す。

「あぁ、わりぃ」

「なんか、部屋に来たタイミング悪くてごめんな」

「いや、あの時お前が入って来てくれて良かった。あのままだったら俺、美優のこと怒鳴ってたわ。あいつが最近イライラして俺に当たってるの気付いてて、反抗期か?なんて思って平静を装ってたんだけど…
点滴が嫌だの、飲み薬が嫌だの言い始めて、投げやりな態度になってきたから、ついな…」

「なるほどな。美優ちゃん色々焦りもあるんだろうな。
でも、美優ちゃんは俺とか看護師にはそんな態度1ミリも見せないんだよな。お前だからあんな態度したんだと思うよ。したというか出来たというか…」

「え?」

「お前のことを心から信頼しているからこそ、反抗して自分の気持ちに気付いてほしい。
気付いてくれると信じてるから、お前だけにあんな態度するんじゃないのか」

「そうか…」

「お前があぁやって真剣に美優ちゃんと向き合ってくれるから、美優ちゃんがまた1つ壁を乗り越えられるんじゃないか?それは、いくら頑張っても俺や看護師には出来ないよ。
お前だから乗り越えさせてやれるんだよ。美優ちゃんはまだ高校生だから、お前があぁやって少しずつ気付かせてやって、成長させてやればいいんじゃないのか?」

「あぁそうか。そうだな。ちょっとスッキリしたわ。サンキュー」

「勉強面は俺が責任持って面倒見るから、お前は美優ちゃんの病気のことを一生懸命考えて治療してやれ」

「そうだな、ありがとう」

そんな美優の気持ちに寄り添いながらも、時には真剣に怒ることも、美優の成長には必要なのかもしれない。

美優の気持ちを引き出して発散させてやることは、病気を克服させるためには大事なことなんだと改めて感じた。

この出来事をきっかけに、美優の反抗期は終わりを告げ、その後の美優の体調は少しずつ回復し、ようやく一進一退の状態から抜け出すことができた。

寒い冬が過ぎて、春の陽射しが気持ちいい季節になってきた。

「美優、おはよう。今日はいい天気だよ。暑いくらい」

「おはよう、航也。中にいると全然わからないよ」

「そうだな。今日の体調はどうだ?」

そう聞きながら、美優のおでこに手を当てる。

「うん、悪くないよ」

「よし、診察しちゃおうか」

そう言い聴診器を耳にかける。

「うん、いいよ。おっけ。翔太のとこ行っておいで。翔太が今日は中庭に行くとか言ってたぞ」

「本当?外に出ていいの?」

「暖かくなってきたしな、いいよ。ただし、今は血小板が低いから怪我に気を付けて。血が止まりにくいからね」

「うん、わかった」


美優の血小板は相変わらず低く、出血傾向が今一番の問題。

美優の場合は、体質に合わない薬も多く、薬剤の選別が難しい為、今のまま様子を見ていくしかない。

血圧や貧血は落ち着いていて、車椅子じゃなくて歩いて院内学級へ向かう。

点滴はまだ外せないが、美優も慣れたもので、点滴台のフックに勉強道具の入ったカバンを下げて、点滴台をコロコロ押しながら向かう。

「院内学級、行ってきます」

ナースステーションにいる看護師たちに声を掛ける。

「はーい、行ってらっしゃい」

いつもの光景。


〜院内学級〜
「翔太先生、おはようございます」

「美優ちゃん、おはよう。体調は大丈夫そうだね」

「うん、ねぇ先生?今日、中庭に行くって本当?」

「あっ聞いた?うん、今日は天気が良いし、暖かいみたいだからね。小学生が虫の観察しに中庭に行くみたいだから、美優ちゃんも俺と一緒に中庭出てみよう」

「うん!嬉しい!」

奈々ちゃんは最近、抗がん剤の治療が続いてるせいで、具合が悪くてベッドサイドで授業を受けている。

早く奈々ちゃんにも会いたい。

「よし、中庭に行くのは2時間目だから、1時間目は英語の授業やろうね」

そう言って美優は教科書を開き、翔太はホワイトボードに書いていく。

翔太先生は教えるのが上手。

それに体調を逐一観察することも忘れないからすごい。

授業の最後にその日の復習のプリントをやる。すらすら解けた!

2時間目が始まる前に、翔太先生から体調の確認をされて、無事に中庭に出ることが許可された。

中庭に行くと、小学生の3人と担任の先生がいて、図鑑を持ちながら虫探しに夢中になっている。これも「生活」という授業の一貫らしい。
中庭にある草木の所を一生懸命探している。かわいいな〜。

「美優ちゃんは、ここのベンチに座ろっか?本当に今日は暖かいね。美優ちゃんもたまには外の空気吸わないとね」

美優をベンチに座らせると、翔太は小学生組に混ざって一緒に虫探しを始める。

暖かい日差しに、時より吹くやわらかい風が気持ちいい〜。

しばらくすると、美優に気付いたレン君が近付いてきた。

「みゆお姉ちゃん!」

「レン君!何か虫さん見つかった?」

「うん!アリさんとね、バッタみたいな虫見つけたよ。ねぇ、お姉ちゃんも来て!」

レン君は見つけた虫を見せたくて、美優の手をグイグイ引っぱり連れて行こうとする。

小学生ってこんなに力強いんだ。

「うん。レン君ちょっと待ってね、お姉ちゃん点滴があるからっ…キャッ!」

左手をレン君に引っ張られ、バランスを崩したままの体勢で、右手で点滴台をつかんだが、点滴台のキャスターが段差につまづき、美優は点滴台ごと倒れてしまった…。

とっさにレン君と手を離したから、レン君は倒れずに済んだ。

(痛たたた…)

倒れた物音で、中庭にいた人達の視線が集まる。

「美優ちゃん!大丈夫か!!」

慌てた翔太先生達が駆け寄ってくる。

レン君は今にも泣きそうな顔をしてるし、周りの視線が恥ずかしくて、美優は急いで立ち上がる。

「お姉ちゃん…ごめんなさい」

「大丈夫だよ。レン君怪我はない?」

「うん…」

(よかった…)

「レン君気を付けなきゃ駄目だろ。美優ちゃんベンチに一旦座れる?」

翔太は美優を座らせる。

点滴を見ると倒れた弾みで針が抜け、美優のパジャマに血が滲む。

「頭は打たなかったか?痛いとこは?」

「大丈夫です。膝擦りむいただけ」

膝を見ると、かすり傷程度だが、血が足首まで流れている。

点滴が抜けた所もパジャマにどんどん血が滲んでいく。

美優は朝、航也に言われたことを思い出す。

(怪我に気を付けるように言われたんだっけ…)

翔太が中庭に一番近い病棟にピッチで連絡をして、ガーゼや点滴セットを持って来てもらう。

知らない看護師さんも手伝って傷の処置をしてもらうが、なかなか血が止まらない。

美優は、レン君を不安にさせてしまったことへの罪悪感と、転倒してしまったことで気が動転したのも相まってか、だんだんと気分が悪くなってきた…

「しょうた先生…ちょっと気持ち悪い…」

「吐きそう?」

美優は首を振る。

「美優ちゃん、ごめんね。このまま車椅子に乗って病棟に戻ろう」

美優は頷く。

翔太に車椅子を押されて、病棟に戻って来た。

翔太から連絡を受けていた看護師がテキパキと対応してくれる。

「美優ちゃんおかえり。大変だったね。血がまだ止まらないね。頭は痛くない?」

「頭?うん、大丈夫」

(なんでみんな頭を気にするのかな…?)

「今鳴海先生、救急外来に行ってるからすぐには来れないけど、CT撮るように指示あったから、ストレッチャーに移って検査室に行くね」

CT検査中も病室に戻ってきてからも、美優は吐き気が続き、顔をしかめる。

様子を見ていた看護師が声を掛ける。

「美優ちゃん、大丈夫?今、鳴海先生終わったみたいだから、もうすぐ来るからね。気持ち悪い?」

「うん…ちょっと吐きそう…オェ…」

看護師さんがすかさず容器を口に当ててくれて、背中を擦ってくれる。

ちょうどそこに航也が入ってきた。

「あれ、吐いちゃった?どんな様子?」

「転倒してからずっと嘔気が続いてます。バイタルは特に変わりはありませんが、膝の擦過傷と点滴の刺入部からは、結構な出血でした」

看護師が航也に報告する。

「うん、わかった、ありがとう。美優?遅くなってごめんな、ちょっと目見るよ。
ん〜真っ白だな。貧血も嘔吐もしてるし、2単位だけ輸血すっかな〜?
看護師さん、検査部にオーダー出してくれる?」

「分かりました」

美優は不安そうに航也を見つめる。

「美優?気持ち悪いよな。
CTの結果は異常無かったよ。美優は、頭打ってないって話てたみたいだけど、知らないうちにってこともあるからな。
頭打って頭の中で出血してたらまずいから、検査したんだわ。でもそれは無いから安心して」

美優は頷く。

「だいぶ貧血ひどいから、これから1パックだけ輸血しとくな。稀に蕁麻疹とかアレルギー反応起こす人がいるから、痒みとか息苦しさとか、何か変調あったら教えて?」

美優は不安そうな表情。

「俺ここにいるから心配すんな」

「航也…仕事は?」

「今日は外来担当じゃないし、ヘルプに呼ばれなきゃ大丈夫だから。俺ここにいるから、少し寝な」

航也の魔法のような眠りを促す言葉を聞いて、美優は安心して目を閉じた。

航也が美優の輸血をつないで、滴下を調整していると、翔太が入ってきた。

美優はスヤスヤ寝息を立てている。

「航也、美優ちゃん落ち着いた?今日の事は本当に申し訳ない。俺が側に付いていなかったのが原因…悪かった」

翔太は航也に謝る。

「なに、改まって(笑)
お前が気にすることじゃないって。美優を中庭に連れ出してくれてありがとな。
美優に付きっきりなんて無理なんだしさ、不意の事故なんて仕方ないよ」

「いや、結果的に出血に1番注意しなきゃいけない美優ちゃんに怪我させて、輸血が必要になっちゃったわけだから。航也の負担も増やして悪かったよ」

「ハハハ、大丈夫だって。俺も美優も誰もお前のせいだなんて、これっぽっちも思ってないよ。気にするなよ!輸血も念の為的な感じだから」

「そっか、ありがとうな」

「こっちこそ、いつも美優のことありがとな。もう2時か…お前、昼飯食った?」

「いや、あの後美優ちゃんの件を上層部に報告したりしてて、まだ食ってないな」

「じゃあ、食堂で一緒に食おうぜ!腹減った(笑)」

(こういう時のコイツの気遣いがありがたい…)
翔太は思った。

それから美優の貧血も改善し、怪我も大事には至らずに、翔太は胸を撫で下ろした。

美優が再入院をしてから、3ヶ月が経過していた。

入院中は、院内学級に通い勉強は遅れずに進められている。

翔太と美優の高校が連携を取り、院内学級に通うことで、高校の授業に出席していると見なされ、無事に4月には高校3年へ進学できる予定になっている。

高校の方は一安心だが、問題は病状のコントロール、発作の対応だ。

徐々に状態は安定し、自分で発作の対応が出来る日も増えているが、まだ心配な部分も多い。

航也は、本格的な退院を目指す前に、体を徐々に退院後の生活に慣らすように、外泊リハビリを検討する。
〜美優の病室〜
「美優?ちょっと話があるんだけど、今いいか?」

「うん、なに?」

「まだ本格的な退院は無理だけど、ちょっとずつ外泊リハビリをして、体を家での生活に慣らしていこうと思うんだ。
まだすぐに熱が出たり、貧血が出たり、発作の対応もまだ心配だから、俺が一緒にいる時に限るけど。
俺が朝仕事終わったら一緒に帰って、次の日に俺が当直の時間に合わせて、夕方病院に戻って来ようと思うんだけど、どう思う?」

航也は一方的に方針を決めるのではなく、美優の気持ちをまず聞いてから決める。

「えっ!いいのー?」

美優の表情が一気に明るくなる。

「うん、それでね、病院では看護師さんが毎朝測ってくれてたピークフロー値を毎日自分で測ってもらいたいんだ。
気管支の状態を知って、あらかじめ発作が出る前に気を付けておくことが出来るからね」

「うん、わかった」

ピークフロー値とは、息を思いっきり吐いた時の数値をグラフに記入する。

その日の自分の気管支の状態を把握でき、数値が低くなり始めた時が1番発作が起こりやすいと言われているので、予め心の準備ができる。

「よし良い子だな。一緒に頑張ろうな。ちょうど今日、俺当直だから、明日の朝俺と帰ろうか?準備しといて」

「うん!嬉しい!久しぶりのお家!」

「ハハハ、あんまりはしゃぐと熱出て帰れなくなるぞ。じゃ、またな」

航也は仕事に戻って行った。

外泊リハビリとは言え、病院から出れることが嬉しくてたまらない。

その後、看護師さんが来て、ピークフローの装置の使い方を教えてくれた。

装置と言っても手で持てる大きさだから、邪魔にならないし、プラスチック製だから重くない。

毎朝ベッドサイドに置いて決まった時間に測るように言われた。

看護師さんと入れ替わるように、翔太先生が入ってきた。

「美優ちゃん明日、外泊リハビリするんだって?体調が良くなってきた証拠だね」

「うん、航也が良いって!」

「そっか。この先、外泊する頻度や日数が増えれば、家でやる宿題を出そうかなと思うけど、初めは1泊みたいだから、航也と一緒にゆっくり過ごしておいで。くれぐれも無理はしないようにね」

「うん!翔太先生ありがとう!」

「おっ、元気な声だね!よろしい」

美優は明日が待ち遠しかった。
〜翌朝〜
「美優ちゃんおはよう。朝ご飯全部食べれたね。もうすぐ鳴海先生来ると思うけど、準備は出来てる?」

看護師さんが声を掛ける。

「うん、大丈夫」

「久しぶりの外だから嬉しいね。でも、無理はしないようにね」

「はーい」

看護師さん、翔太先生、航也…みんなに同じ事言われてる気がするけど、それくらいまだまだ体調は完全じゃないんだろうな…

その証拠に飲み薬もたくさんだし、吸入器もあるし…気をつけなきゃ。

そんな事を考えてると、しばらくして航也が迎えに来た。

「航也!」

「おっ、元気だな(笑)よし、帰るよ!ただし、走るなよ」

航也にしっかり釘を刺されて、手を引かれて歩いていく。

車に乗ると、
「はぁ〜やっと終わった。当直バタバタしててさ、朝飯食べ損ねたから、付き合ってくれる?」

「うん!」

「真っ直ぐ帰るのもつまらないしな、これもリハビリの一環」

そう言って、朝からやってるファミレスに入った。

航也はモーニングセットを頼み、美優は小さいパフェを頼んだ。

「食欲戻って来たな。最近は病院食も完食出来る日増えて来たしな。良かったよ」

パフェを頬張る美優を見て、航也が言う。

「うん、でも太らないように気を付けないと…」

「バカ、お前はもっと食べて体重増やさないといけないの」

「はーい」
気のない返事をしてみる。

それにしても朝のファミレスって、航也みたいに朝ご飯やコーヒーを飲んでいる人が結構いてびっくり。

朝からカップルで来てるのはうちらくらい(笑)

平日の朝からカップルでファミレスって違和感だよね(笑)

航也がコーヒーを飲んでる姿が格好良くて見とれていると、

「ん?大丈夫か?パフェ無理しなくていいぞ」

心配して声を掛けてくれる。

「うぅん、違うけど、でももうお腹いっぱい…」

そう言うと残りのパフェを航也が食べてくれた。

食べ終わってから、しばらく他愛もない話をして過ごす。

美優のペースに合わせて、ゆっくり行動してくれる。

「よし、そろそろ行くか。気持ち悪くないか?」

「うん、大丈夫」

車に乗ってから、美優の脈を測り、おでこに手を当てる。

「大丈夫だね。今10時半か…美優が疲れてなければ、いい天気だから、近くの公園に少し散歩に行くか?」

「うん!私は嬉しいけど、でも航也が疲れてない?」

「俺は慣れてるから大丈夫。散歩したらマンション帰って少し休もうな。今日はリハビリ初日だから、これくらいにして。あまり飛ばし過ぎると良くないから」

それから近くの公園で噴水を見たり、池の鯉を見たり、15分くらい過ごして、マンションに帰って来た。

「はぁ〜、やっぱ家はいいね!帰って来れて嬉しい!」

「フフ、良かったな。ちょっとずつリハビリ増やしていくつもりだからさ」

そう言うと、当直明けの航也はシャワーを浴びに行く。

家の中は綺麗に片付いていて、あまり生活感がない。

きっと病院に泊まることの方が多かったんだろうな…

美優の部屋も綺麗になっていて、ベッドのシーツを洗ってくれたのか、ピシッと引かれていた。

「はぁ〜さっぱりした」

濡れた髪の毛を拭きながら航也がリビングに入ってきた。

スウェットにTシャツ姿もかっこいい…(笑)

「美優、紅茶でも飲むか?」

「うん」

2人はソファに座って紅茶を飲みながら過ごす。

「はぁ〜幸せ」

「俺も幸せ。やっぱり美優がいない家はつまんないよ。
だけど、焦らずゆっくり体調戻していこうな。さっ、少し寝よう。ずっと起きてると体に負担かかるから」

「うん」

そう返事をし、立ち上がろうとした時、一瞬目の前が真っ暗になり、視界がぐらっと揺れた。

「おっと、大丈夫か?」

航也がすかさず支えてくれた。

「ごめん、だいじょぶ…目の前が暗くなっただけ」

「俺がベッドに運ぶから。寝る前に1回診察させて」

そういうとお姫様抱っこで美優を寝室のベッドに寝かせる。

「自分の部屋で寝れるよ?」

「いや、今日はってか、これからは寝てる間に何かあっても良いように俺の部屋で寝させるから」

航也のベッドはセミダブル?だから余裕で2人が寝れる広さだけど、ちょっぴり恥ずかしい。

「まだめまいする?ちょっと胸の音聞かせて。ん、いいよ。熱も無さそうだな。貧血が少しあるから、もう寝な」

「うん…」

「大丈夫、少し寝れば良くなるよ」

そう言い、航也も美優の横に寝ながら、美優のサラサラした髪をなでる。

ウトウトし始める美優。

「こうや…なんか一緒に寝るの…恥ずかしい…」

「フフ、なに今さら?もう美優の寝顔なんて毎日のように見てるよ?」

「だって…こうやの顔…近いから…」

「ハハ、もう眠いんだから寝なさい」

航也が美優の髪をなでていると、スースー寝息を立て始める。

航也も明けだったこともあり、美優が寝たのを確認すると、そのまま眠りに落ちていった。
「コホッ、コホッ」

航也は、美優の咳き込む声で目を覚ます。

そのまま様子を見るが、咳は続かないようで一安心。

スヤスヤ眠る美優を起こさないようにリビングへ行く。

時刻は15時半過ぎ。

「はぁ〜よく寝た」

航也は伸びをして、コーヒーを入れる。
そして、パソコンの電源を入れ、リビングで仕事を始める。

医者は病院で勤務する以外にも色々と事務仕事があるのだ。

美優が起きるまで仕事を進める。


30分後
「コホッ、コホッ……コホッ」

再び寝室から美優の咳が聞こえてきた。

航也は寝室に行き、そっと聴診器を滑り込ませ、胸の音を聞く。

微かに聞こえる喘鳴。

「みゆ?美優?」

「…ん?」

「起こしてごめんな。少し咳出てるな。苦しくないか?」

「う〜ん…苦しくはないけど、ちょっと胸の辺りが違和感がある…かな?」

「うん。美優、その違和感が発作の始まる前兆だと思うから、ここで一旦吸入しとこうか?」

「うん」

美優は眠い目を擦りながらも、落ち着いて吸入できている。

「よし、上手だよ。さっきみたいに違和感を感じた時点で吸入するといいよ」

航也は、今後も同じようなことが起きた場合に美優が対処できるように丁寧に指導する。

「リビングにおいで」

美優をソファに座らせる。

「遅い昼飯だけど、うどんでいい?」

「うん」

航也がうどんをさっと作ってくれて、2人で食べる。

航也が食べ切れる量を盛ってくれて、何とか全部食べ切ることができた。

それから美優はソファでDVDを見たり、携帯の音楽を聴いたりして過ごし、航也はお皿を洗ったり、洗濯物を干したりしている。

美優が家事をするのはまだ禁止らしい。

少しぐらいできるよって反論したけど、家で過ごすことが目標と言われ、ソファにいるよう命じられた。

家事を終えた航也は、またパソコンの前に座り、カタカタと打ち込んでいる。

航也の邪魔をしてはいけないと思いながらも、飽きてきた美優は、真剣にパソコンを見つめる航也に視線を送る。

すると航也が美優の視線に気付き、チラッとこっちを見る。

「ん?どうした?」

「うぅん、ただ見てるだけ(笑)」

「なに、寂しいの?」

そういたずらに聞きながら、美優のソファにやってきた。

航也はソファに座ると、美優をひょいっと持ち上げ、向い合わせに座らせる。

「ちょっ!重いよ?航也の足潰れちゃう」

「ハハ、全然重くないよ。主治医として、美優の体重は把握済みだし(笑)」

「え?何それ?ひどーい!」

「は?当たり前だろ。薬の量は患者の体重や年齢から考えて決めるんだぞ。初めて美優が入院してきた時から知ってるよ(笑)美優はもっと食べて太らないとな」 

知らなかった…
主治医とは言え、好きな人に体重を知られていたなんて…

急に恥ずかしくなり、下を向く。

「おいおい…今さら何だよ(笑)ほら可愛いいお顔見せて?」

「ん?かわいい?」

可愛いという言葉に反応する。

何度も言って欲しくて、航也を見上げる。

「もちろん。ねぇ、その上目遣い反則だから」

「こうや?」

「ん?」

「美優のこと、好き?」

「なに急に?もちろん大好きだよ」

「フフッ、美優も航也が大好き」

航也と美優は互いに甘い言葉を交わして、美優は航也の胸に顔を埋める。

航也は美優の髪の毛を優しく何度もなでる。

「航也?私の病気って…良くなる?みんなみたいに…元気になれる?」

唐突に聞いてみる。

「うん、美優たくさん頑張ってるから、体調が良くない日もあるけど、少しずつ回復してるよ。だからこうやって一時外泊できてるでしょ?」

「うん。航也を信じてる。大好き…」

「俺もだよ」

そんな甘いひと時を過ごしていたのだけれど…

やっぱり体は正直で…

美優は少しのダルさと微かな息苦しさを感じ、体の力が抜けていく…

美優「コホッ、コホッ」

また少し咳も出てきた。

航也も美優の体の力が抜けて、自分に体重を預けてきたのがわかる。

「美優?ちょっと疲れた?少し体熱いな、ちょっと熱測るよ。胸の音も聞かせて」

美優をそっとソファに寝かせ、聴診器と体温計を取りに行く。

「美優、深呼吸してごらん」

「スーハー、スーハー」

美優は黙って航也に従う。

「やっぱり喘鳴が聞こえるし、熱も上がってきたな」

体温計を見ると37.8の数字…

美優の気分は一気に下がり、現実に引き戻される…

何でこんなに病弱なんだろ…

そんな美優の様子を見過ごすわけはなく、航也がすかさず言葉を掛ける。

「美優?このくらい俺の想定内だから大丈夫。だから俺と一緒にいるんでしょ?」

「でも…早めに病院に戻らなくちゃいけない?」

「いや、これ以上熱が上がったり、重責発作が出なければ、予定通り明日の夕方で大丈夫だよ。一応、とんぷくの薬も飲んでおこう」

「うん、よかった…」

そう言う美優に薬を飲ませ、背中をトントンしていると、しばらくして寝息が聞こえ始めた。

やっぱりまだ体力がないよな…

航也は美優の体調を気にしながら一晩を過ごした。
〜翌朝〜
カーテンから差し込む光で航也は目覚める。

時計は7時を指している。

隣に寝ている美優を見ると、汗をかいて、やや息が上がってる。

航也は、そっと体温計を入れる。

ピピピッ

38.6…熱がさらに上がった。

胸の音も喘鳴がはっきりと聞こえる。

(やっぱりまだ外泊は早かったか…)


「美優、美優?」

呼び掛けにうっすら目を開けるが、またすぐに閉じてしまう。

(ん?意識がおかしい?)

「美優!おい!」

航也は美優の体を揺すり起こす。

「ん…こうや?」

「よかった。意識がおかしいかと思って焦った。美優、起きれる?ソファに一旦行こう」

美優を抱き上げ、リビングのソファに寝かせる。

「美優?今苦しい?どっか痛い?」

「うぅん、大丈夫」

起きてすぐはボーッとしていた美優だったが、段々と目が覚めてきたようだ。

まだまだ油断は出来ないが、家にいる時くらいは、病気や治療を少しでも忘れて過ごさせてやりたい。

「美優?まだ熱があるし、喘鳴もまだあるから無理は出来ないけど、夕方病院に戻るまで、何しようか?」

「う〜ん、美優…また海に行きたい。でも今日は無理だよね…」

今日病院に戻れば、またしばらく外出が出来ないとわかっている美優は、少しわがままを言ってみる。

「いいよ。夕方の4時までに出勤すればいいから、2時過ぎに出発して、海にドライブに行ってから病院に向おうか?」

「いいの?ありがとう」

「フフッ美優、海好きになったの?」

「うん、前に航也が海に連れて行ってくれたでしょ?すごく綺麗だったから、また行きたいの。前とまた同じ場所がいい」

「そっか、わかったよ。でもそのかわり、時間になるまで少しでも睡眠取っておこう。俺も一緒に寝るからさ」

「うん」

「これから、さっと朝ご飯作るから待ってて」

航也は美優の体調を考えて、卵雑炊を作る。

美優はお茶碗の半分くらい食べた所でごちそうさまを言う。

「美優もう無理?もうちょっと食べてほしいな。ゆっくりでいいよ」

美優の体重が減っているから、少しでも食べさせないと…

そう言うと、頑張って全部食べることができ、航也はホッとする。

少しして美優をベッドに寝かせる。

さすがにもう寝ないかと思ったが、美優の髪をなでていると、すぐにスースーと寝息を立てて寝始める。

やっぱりまだ体力がないな…


〜数時間後〜
航也は美優の咳き込む声で目が覚める。

「ゴホッ、ゴホッ」

「…美優?」

「こうや…ゴホッ、ハァ、ハァ
、くるし…」

「苦しいな、ちょっと起きて吸入吸おう」

「スー、ハー、ハァ、ハァ、ハァ」

「美優、ゆっくりだよ」

玉のような汗をかき必死に肩で呼吸している。

ちょっとまずいな…

時刻は13時を回った所。

吸入を吸っても落ち着かない美優を見て頭を悩ませる。

点滴しないとだめだな…

「美優?苦しいね、ちょっと早いけど病院戻ろう。いいね?」

嫌がると思ったけど、相当苦しいのか、頷く美優。

その様子にさすがの航也も焦る。

「美優、すぐ準備するからちょっと待ってて」

あらかじめ準備していた美優の荷物と自分のカバンを車に積み、それから美優を抱いて車に乗せる。

「美優!もうすぐだからな!」

美優の苦しそうな息づかいだけが車内に響く。

病院までの10分がこれ程長く感じたことはなかった…

処置室に運ばれた美優の状態は
、重責発作を起こしていて危険な状態だったが、何とか点滴で落ち着いた。

挿管の一歩手前だった…

一足早く病室に戻ってきた。

美優が寝たのを確認し、航也も当直の時間まで仮眠を取ることにする。


〜美優〜
目を開けると…病室に戻ってきてしまったことがわかった。

(海…見れなかったな…)

何だか悔しくて涙があふれる…

その時、看護師さんが入ってくるのが見えた。

「あっ、美優ちゃん、起きたのね。どうしたの?苦しい?」

泣いている美優を心配してくれてる。

「大丈夫。だけど…すぐに体調崩しちゃうから…悲しい…」

「そっか。やっぱりお家がいいもんね。でも大丈夫よ。また元気になれば、外泊も出来るから。鳴海先生もそう言ってたでしょ?ゆっくり今は体休めようね」

美優は看護師の言葉に頷く。

体は疲れていて熱もあるのに、なぜか寝れなくて、ポタポタ落ちる点滴をボーッと見つめていた。

〜翔太〜
美優ちゃんが体調を崩して、予定時刻より早く帰って来たと聞いて、ナースステーションに向かう。

航也を見つけて声を掛ける。

「航也お疲れ。美優ちゃんどうした?」

「あぁ、お疲れ。いやさ、美優が海見たいって言うから、早めに出発して海見せてから病院に戻ってこようとしたんだけど、昼過ぎに重責発作起こしてさ、そのまま運んだ。
昨夜から発熱もあってさ、やっぱりまだまだ体力がないんだな…」

「そっか、大変だったな。少しずつだな。俺ちょっと顔出してくるわ」

「あぁ、サンキュ。俺もすぐ向かうわ」

翔太は美優の病室に入ると、美優はボーッと点滴を見つめている。

「美優ちゃん、おかえり。具合はどう?」

翔太先生が美優のおでこを触る。

「まだ熱高いね。外泊どうだった?」

「うん、楽しかった。でも具合悪くなっちゃって…海見に行けなかった…」

「そっか。また元気になったら行けるようになるよ!
そうそう、奈々ちゃんの抗がん剤の副作用が落ち着いて、今日から院内学級に来れるようになったよ。美優ちゃんに会えるの楽しみにしてたから、元気になったらまたおいでね」

「本当に?よかった」

奈々ちゃんに会えることが嬉しくて少し元気が出た。

そこに航也も合流する。

「美優、大丈夫か?ちょっと胸の音聞くよ」

「うん」

「いいよ。やっぱり大きな発作だったから、まだ喘鳴が強いな。苦しかったらすぐナースコールするんだよ」

「はーい」

こうして美優の初めての外泊リハビリは幕を閉じた。