○校舎裏庭(放課後)

 薄暗くなってきている中、対峙するように見つめ合う藍生と結希。

結希「へぇ、俺のこと知っててくれるんだね。不良の華僑君。」

藍生「そりゃ、あなたにはいろんな噂が付きまとうものなのでね。まぁ、不良だってバレたのは(まず)いんですがね。」

結希「そっか。なら、黙ってたほうがいいのかな。」

藍生「もちろん、当たり前ですよ。」

 薄く探るような視線を向ける結希に、藍生は挑発するように不敵な笑みを浮かべる。

藍生(にしても、どうして俺が不良だってバレたんだろ。)

 藍生はそれが不思議だった。確かに、“華僑藍生”という名前は不良業界ではよく通る名前。

 だが生粋の不良以外にはその名前を出しても、《成績優秀の華僑藍生》だと認知される。

藍生(こいつは到底不良だとは思えない……俺が圧をかけているから不良以外は俺のことを不良だと思わないはず。だとしたら、可能性は……)

結希「ま、盗み聞きしてたのは悪かったよ。確かにその行為は、あまり好ましくないものだし。」

藍生「だったら尚更――」

結希「だって気に入らないんだもん。梨穂ちゃんが君と仲が良い事実が。」

 へらっとしている態度から一変、低く藍生の声をかき消すような言葉が届く。

 結希はいつもの爽やかな先輩らしくなく、まるでライバルを見るような目で藍生を見据える。

 その目に藍生は「やっぱり」と、結希の心情を悟った。

藍生(意外に執着気質なんだなぁ、めんどそう。梨穂ってほんと、不幸体質って言うか何ていうか。)

藍生「面倒で粘着質な男は嫌われるって、どこかで見た事あるんですよね。」

結希「それは君も一緒でしょ? 華僑君が不良だって事は分かったけど、梨穂ちゃんとどうして接点ができたかまでは分かんないよ。でも、華僑君も結構面倒なタイプだよ。」

藍生「俺は良いんですよ。梨穂はさっきみたいに、あからさまにヤバい奴にもホイホイ着いていくんですし。」

結希「なら、その立場譲ってよ。」

 軽い口調でいとも簡単にそう言い放った結希に、藍生は思わず「は?」と声を洩らしかけた。心の中だけに留めたが。

 結希に宣戦布告とも取れる言葉を言われた事で、藍生の中に言いようもない気持ちが支配する。

藍生(……だーれが、あんたなんかに梨穂をやるか。)

藍生「梨穂は俺のもんだよ。わざわざあんたみたいな胡散臭い奴に譲るわけねーだろ。」

 静かな、でもどこか苛立ちを含ませた声で言い放つ。

 それと同時に藍生は少し、自分の気持ちを理解した。

藍生(俺も、もしかしたら人のこと言えないかもしれないけど。……だからと言って、そう簡単にあいつを渡すわけにはいかない。あいつは、俺の可愛い可愛い――奴隷だから。)

 藍生の言葉を聞いた結希は一瞬呆気に取られるも、すぐふっと笑みを零す。

 そして、今度は試すような視線を藍生へと向けた。

結希「ま、せいぜい頑張りなよ。最も、梨穂ちゃんがさっきので君に警戒心を持ってないか……だけどね。」

 そう言うと満足したのか、背を向け左手をひらひらさせて行ってしまった。

 その背中を鋭い目つきで見据えていた藍生は、やがて一つ息を吐き。

藍生「……梨穂だけは、守ってやんないと。」

藍生(俺の奴隷、のはずだから。)

 藍生の心の中で、“奴隷”という文字が揺れる。

 戸惑いからなのか怒りからなのかは、分からない。

藍生(梨穂は俺にとって……奴隷以上でも、以下でもない。ただ、それだけの事。)

 自分に言い聞かせるように藍生は何度も思う。

 だがどうしてか、藍生の心には少しの隙間を感じた。

○通学路(放課後)

藍生「……梨穂さ、マジで一人で帰ろうとしてんの?」

梨穂「うやっ……あ、藍生君、いつの間にっ……!」

藍生「そりゃ、梨穂を追いかけてきたからに決まってるじゃん。」

梨穂(お、追いかけてきたって……今は藍生君と居るの、ちょっと気まずいのにっ……。)

 気まずそうに視線を逸らしながらもそう思う梨穂は、少しでも藍生と距離を取ろうと一歩後ずさる。

 だがそれと同時に藍生も距離を詰めてきて、思わず梨穂は声を上げた。

梨穂「あ、藍生君っ……あの、今は……」

藍生「何? 文句があるならはっきり言ってくれない?」

 そんな事を言われ、梨穂はうっと言葉に詰まる。

梨穂(そりゃ、言いたい事はあるけど、私は藍生君の奴隷らしいからあんまり逆らえないだろうし……か、かといって言わないのもなんだかモヤモヤするけどっ……。だ、だけどなぁ……)

 何度か同じ事を思いつつも、流石にさっきの件については文句を言いたい。

 結果的にそう行きついた梨穂は、さっきみたいに自分ができる最大限の睨みで反抗した。

梨穂「さ、さっきの……だ、抱きしめてきたり、き、キスしてきたりしたのっ……す、すっごいびっくりしたんだからねっ。それに私、あ、あんな事されるの苦手だか、らっ……えっと、その……」

梨穂(言いたい事が上手く纏まらない……ど、どうやって言ったら……)

 口ごもってしまい、きゅっと下唇を噛み締める梨穂。

 そんな梨穂を見た藍生は、呆れたようにはーっと息を吐き出した。

藍生「……嫌った? 俺のこと。」

梨穂「え?」

 突然の言葉に梨穂はきょとんとしてしまうも、すぐ左右に首を振って否定した。

梨穂「き、嫌ってはないよっ……! ただ、び、びっくりしちゃって、藍生君にどんな顔すればいいか分かんなくなっちゃってて……だ、だから嫌ってるわけじゃ……!」

藍生「そっか。良かった。」

 そう言った藍生は、ふっと安心したように視線を梨穂から外したまま微笑んだ。

 ――ドキッ、と梨穂の心臓が跳ね上がる。

梨穂(よ、良かったって……そんな言い方じゃ、変な方向に考えちゃうよ。それじゃ、まるで……私に、嫌われたくないみたい。)

 一瞬梨穂はそう思うも、すぐに「そんなわけない」と思った。

梨穂(藍生君がそんな事思うはずないよねっ。私のこと奴隷扱いしてくる人だもん、嫌われたくないわけじゃないはず。それでも、その言葉の心理は知りたいけど……。)

 なんて考えに至り、ふるふると左右に首を振る。

 その時、パシッと藍生に右腕を掴まれてしまった梨穂。

藍生「それじゃ、さっさと帰ろうか。」

梨穂「あ……う、うん。」

 梨穂の心臓は未だ、ドキドキとうるさい。

 けどいつの間にか、するっと藍生の左手が梨穂の右手に落ちてきていて。

梨穂(変な、藍生君……。何でこんな事、するんだろう……。)

 優しい力で、梨穂の手を包み込むように握られていた。

 ……その時近くに何者かの視線があったのを、藍生は見逃さなかった。

○薄暗い廃屋(夜)

 月光が差す中、藍生は言われた通りに街外れの廃屋に来ていた。

 完全に不良バージョンの藍生の目の前には、おそらくどこかの不良グループに所属しているだろう、見るからに不良の男たちが十数人いた。

藍生「多勢に無勢、だろ? お前らさ、そーゆー卑怯なやり方しか取れないわけ?」

男1「はっ、お前を倒せれるんなら卑怯でも何でもいいんだよこっちは! 俺らはなぁ、お前に借りを返しに来たんだよ。」

藍生「だったらさっさと返してくれない? こっちも時間があるわけじゃないんだよ。」

 挑発するように愉快そうな笑みを浮かべた藍生に、さっきの男が宣言するように声を上げた。

 忌々しげな、表情で。

男1「っ……お前ら、やっちまえっ!」

 その一声で一斉に、藍生に襲い掛かってくる男たち。

藍生(……思ってたよりも数が多いな。ま、これくらいならすぐ終わるだろうけど。)

 そう考えながら、とりあえず周りの男たちを倒れさせる。

 一発回し蹴りをしたら、あっという間に周りが開ける。

藍生(うわ、雑魚じゃん。よくこんなんで俺を倒そうとしたよね。)

 拍子抜けする藍生に、待機していたらしい男たちがまたもや襲い掛かってくる。

 それでも藍生は苦戦する事なく、俊敏な動きで蹴散らした。

 殴りや蹴りを入れたり、不意を突いて人間の弱点である首筋などを狙ったり……。

 数分もしない内にそれは終わっていて、若干頬に付いてしまった返り血をスマートな動きで拭った。

 だがその瞬間、背後からバンッと廃屋の扉を蹴る音が聞こえた。

藍生(誰だ……?)

 警戒しながら、ゆっくり振り返る藍生。

 途端視界に入ってきたのは、今にも突き刺さってしまいそうな鋭い眼光を向けてきていた、梨穂の妹――澪美だった。

澪美「これ、あんたがやったの?」

藍生「……そうだったら、どうするの。」

澪美「っ……どうするもこうするもっ……!」

 藍生の静かな言葉に、澪美は怒りを露わにする。

 そのままぎゅっと自分のショートパンツの裾を握り、キッと藍生を睨んだ。

澪美「あねぇには、何もしてないよね?」

藍生「……どうだろ。」

澪美「何、その言い方っ……! 何かしたのっ……!?」

藍生(あれは……何かしたって言うべきなんだろうか。)

 梨穂の首筋にキスを落とした時の感覚が蘇り、はーっと息を吐く。

 その様子に澪美は、涙声になりそうになりながらもこう訴えた。

澪美「あねぇに何かしたら絶対許さないんだからっ……! いくら喧嘩が強いあんたでも、すぐボコボコにするもんっ!」

藍生「……どうしてそこまで、梨穂に拘るの?」

 藍生は澪美の、異常な梨穂への執着に疑問を抱いた。

 目を伏せた後、キラリと藍生の眼光が光る。

 そんな藍生に澪美は睨んだまま、吐き出すように言葉を紡いだ。

澪美「あねぇは男に苦手意識を持ってるの。それにあねぇは、人付き合いが上手くない。だから澪美が、あねぇを守ってあげなきゃいけないの!」

藍生「それで君は、不良の世界に入ったの?」

澪美「そうだよ。あねぇはこの事、知らないしあんたが不良だって事も知らなかったらしいから……あんたがあねぇを迎えに来たの、信じられなかった。世間って案外狭いんだね。」

 ふっと、儚く澪美は笑う。

 その表情からは不安や心配、葛藤などいろいろなものが読み取れそうだ。

 だが藍生はあえてそれには突っ込まず、澪美の横を通り過ぎた。

 その際に澪美に小さく、耳打ちをする。

藍生「……悪い事は言わないから、早くこの不良の世界から足を洗って。君じゃ、梨穂の不良は務まらない。」

澪美「あんたにそう言われる筋合いなんか、ないって。」

 悔しそうに下唇を噛んだ澪美が、そう反論する。

 けれど藍生はそれに反応を示す事なく、そのまま廃屋を出た。

○静かな夜道

 誰もが寝静まった閑静な住宅街の中、藍生はさっきの澪美との会話に思いを馳せていた。

藍生(まさかあの人も、訳アリで不良になってるなんて。何でこんな、あの人と共通点が多いんだろう。)

 ぐっと下唇を噛みながら、昔の事を思い出す。

(回想)

 小学六年生だった藍生は、薄暗い路地で倒れている自分の兄を見た。

藍生「っ、兄さんっ……! 兄さん!」

 しきりに呼びかけるけど、全く無反応。

 藍生の兄は所々に酷い傷があって、ぐったりしている。

 その時、背後から低い声が聞こえた。

男1「君、そいつの弟君だっけ?」

男2「うわー、流石兄弟。憎たらしいほど似てるー。」

 どこぞの不良らしく、兄をこんな目に合わせた張本人たちらしい。

 一瞬にして確信した藍生は、なるべく冷静に問いかけた。

藍生「……兄をこんなに傷だらけにして、どうしてこんな事したんですか。」

男1「はっ、誰がわざわざそんな事言うかよ。」

藍生「俺はただ、聞いてるだけなんですが。」

男2「わっかんないかな~? 俺らのことに口は挟まないほうがいいよって言ってんの。碌な事にならないよ。」

藍生(分からない……確かにそうだし、こういう人たちに喧嘩は売らないほうが良いだろう。)

 ぐっと、拳を握る力を強める。

男1「っ、ぐぁっ……!」

 でもその瞬間、藍生は一人の男の胸元を持ち上げた。

 そして、全力で地面に叩きつける。

 藍生はとても、冷酷な瞳だった。

藍生(身を守る術を知っていたとしても、勝てる保証はない。)

男2「おい、お前っ……――っ、かはっ!」

 そしてもう一人の男にも拳を入れ、その場に倒れさせる。

藍生「お前らに関わらないほうがいい事はよーく分かった。でも、これは違うだろ。」

藍生(兄さんが何をしたかは知らないけど、質問に答えてくれないまま喧嘩を売られたら……――買うしかない。)

 これが、藍生が不良の道へ入ったきっかけだった。

 藍生自身はこれきりで喧嘩はしないと決めていたが、噂は一気に出回った。

 【華僑藍生という新参の不良が居る】と。

 そして毎日毎日売られる喧嘩を適当にあしらい身の程を知らせてやった結果、今の噂が定着した。

 【華僑藍生は最恐だ】

 それ以来藍生は普通の学生として生きる事はできなくなり、“不良”として裏では名が知れてしまった。

(回想終了)

藍生(でもまさか、梨穂自体が訳アリだったなんて。……不良に関わる奴は、どうしてこんなに闇があるんだ。)

 そう思うも、最近は別の思いを抱くようになった藍生。

 梨穂のことを以前は“奴隷”だと言っていたが、最近はそうは見られなくなってきていた。

 奴隷じゃ、なかったら……。

 静かに考え込みながらも、藍生は不意に足を止めた。

藍生(……あぁ、そっか。)

 何かに気が付いたように、真剣な表情へと変える。

藍生(俺は……梨穂を好きになってるんだ。あの、何の変哲もないような子に恋してるんだ。)

 考えると、全てのパーツが埋まる気がした。

 それと同時に藍生は暗い夜道の中、ふっと頬を緩める。

 そんな彼の笑みは、久しぶりに零す自然な笑みだった。